古川昌文・西嶋義憲編『カフカ中期作品論集』(同学社)、2011

               中澤英雄

 

 現代の日本ではドイツ語圏の文学作品の人気はあまり高くない。その中にあって、カフカは日本でよく読まれているドイツ語作家である。「世界文学全集」という出版形態は今ではあまり流行らないが、久々に企画され、最近完結した河出書房新社の「世界文学全集」(池澤夏樹・個人編集)で収録されたドイツ語作家は、カフカ、クリスタ・ヴォルフ、ギュンター・グラスの三者だけである。もはやゲーテもトーマス・マンも常連ではない。ヴォルフとグラスが存命の現代作家であるのに対し、一九二四年に死んだカフカはすでにドイツ語古典作家の地位にあると言えよう。

 

 古典作家とはいえ、カフカ文学は二一世紀の今日でもその衝撃力を失っていない。カフカが現代文学に及ぼした影響については贅言するまでもないが、専門のドイツ文学研究者の間でも、カフカは今なおホットな研究対象である。

 

 本書は、主として西日本の大学に籍を置く一一名のドイツ文学研究者による一八篇の論文集であり、『カフカ初期作品論集』(同学社、二〇〇八)の続編である。

 

 まず「初期」「中期」――これには当然「後期」が加わることになろう――という区分であるが、これは妥当な区切りであろう。周知のように、カフカはインスピレーションに駆られて次から次へと作品を書いた時期と、スランプに陥って何も書けない時期が交代し、その創作期はだいたい三つに分けることができる。『初期作品論集』が扱ったのは『ある戦いの記述』から『変身』までの一九〇四〜一二年の短篇作品群である。『中期作品論集』は『流刑地にて』(一九一四)と短篇集『田舎医者』(一九一九)をその対象としている。

 

 

 本書では『流刑地にて』については三人の論者がそれぞれ異なった視点から解釈を試みている。同じ作品でも異なった解釈ができるというよい例である。また一四の短篇を含む『田舎医者』については、一三の作品について各一篇の解釈が、「天井桟敷にて」については二篇の解釈が収録されている。それぞれの論述は内外の膨大なカフカ研究の成果を踏まえている。読者は、専門的学者によるカフカ研究の今日的水準の概要を知ることができよう。限られた紙幅では個々の論考について紹介することはできないが、一四作品すべてについて詳細な解釈を提示している日本語の研究書は本書のみで、その意義はきわめて高い。

 

 ただし、評者としては、次の点は指摘しておかなければならない。

 

(一)作品論というアプローチのために、個々の作品が切り離される傾向が見られる。そのため、『田舎医者』という著書がこの時期のカフカにとって有していた意義、とくにカフカのマルティン・ブーバーのシオニズムとの対決の文脈が考慮されていない。

 

(二)『田舎医者』の作品群は大部分が「八折判ノート」に書かれたのだが、『田舎医者』に収録されなかったその他の作品が検討されていない。このような視野限定は一四作品の解釈にも枠をはめかねない。作品集に採用されなかった、という事情は、これらの作品を無視してよい理由にはならない。『初期作品論集』では、『ある戦いの記述』と『田舎の婚礼準備』という未完の習作も検討の対象にしているのだから。

 

(三)『中期作品論集』と銘打っているにもかかわらず、中期の代表的作品である『訴訟(審判)』が取り上げられていない。長篇『訴訟』を論ずるにはそれだけで一書を必要とするという事情は理解できるが、それならばタイトルを『中期短篇作品論集』とすべきであったろう。

 

(四)時期的にはまさに中期に属する「八折判ノート」のアフォリズム群が取り上げられていない。カフカが出版を企図したアフォリズム集はカフカ文学の重要な一部ではないのだろうか?

 

 独立した論文の集成という本書の性格上、本書全体への評価はどうしても辛口になってしまうが、これはいわば無い物ねだりであり、個々の論文には啓発される洞察が多々含まれていることは強調しておきたい。「本書がカフカ文学を愛好する読者にとって、それぞれの「自説」を形成していくための一助」(まえがき)となることはたしかである。

 

出典『図書新聞』3037号、20111112

 

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