教養学部報 第516

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山下肇先生を偲ぶ

中澤英雄

写真
ブロートを訪問した47歳の山下先生

 山下肇先生が2008106日、心不全でお亡くなりになった。享年八八歳であった。 山下先生の名は、今も書店で販売されている何冊もの翻訳書の訳者として、ドイツ文学関係者以外にもよく知られていることと思う。しかし、山下先生に直接教わったり、あるいは同僚として接した方は、駒場の中でももうそれほど多くはないであろう。私は駒場在学中に先生の謦咳に接した一人である。

 山下先生は1920(大正9)年生まれであるから、まさに戦中派世代であった。先生は1942(昭和17)年九月に東京大学文学部独逸文学科を繰り上げ卒業し、10月に陸軍に応召、まる三年の軍隊生活の多くを北海道で過ごされた。

 先生は、1946(昭和21)年に旧制浦和高校の専任講師に、49年に二九歳の若さで東京大学助教授に就任なさった。その後、ドイツ語の教育、ドイツ文学の研究・教育・翻訳でご活躍なさったばかりではなく、ご自宅を日本戦没学生記念会(わだつみ会)の事務局に提供し、事務局長として長く平和運動にも携わった。60年に教養学部教職員組合を結成し、東大生協の副理事長も務め、90年には大学生協・東京事業連合会の理事長に選出された。7172年には教養学部長の重職を担ったが、学部長時代に駒場キャンパスに保育所を設置なさった。

 東京大学を81年に定年になられたあとは、91年まで関西大学文学部で教鞭を執られ、関西でも多くの独文研究者をお育てになった。82年にはエルンスト・ブロッホの『希望の原理』の監訳、92年にはゲーテの『ファウスト』の翻訳により、二度の日本翻訳文化賞を受賞なさっている。2006年には念願の「わだつみのこえ記念館」が本郷に完成し、その館長に就任なさった。

 先生の学問的業績は上記二つの訳業以外にも膨大で、この小文ではとても網羅しきれないが、私の個人的な思い出も含めながら、その一部を紹介させていただく。

 先生は674月〜683月に西ドイツ(当時)マールブルク大学で在外研究をなさり、帰国後に評議員として東大紛争に直面なさった。私は紛争が終了した69年に教養学科ドイツ分科(当時)に進学し、たしか70年に山下先生のドイツ文学演習の授業をうけた。そのとき読んだのは、ハイネの『バッヘラッハのユダヤ司教』という、中世のユダヤ人を主人公にした小説断片であった。先生はその当時、ドイツのユダヤ系知識人の問題を研究なさっていて、その成果はやがて『ドイツ・ユダヤ精神史――ゲットーからヨーロッパへ』(講談社学術文庫)としてまとめられることになった。

 先生は授業の合間に、ドイツの古本屋でユダヤ関係の古書を買いあさったこと、その文献の整理に追われていること、ドイツから帰国する途中、イスラエルに立ち寄り、カフカ全集の編集者マックス・ブロートを訪ねたことなども話してくださった。その当時、すでにカフカを卒論のテーマにすることを決めていた私は、戦前に死んだ著名作家の親友がごく最近まで生存して、目の前の山下先生と面識があったことを知って、奇妙な感慨に打たれたものである。そのブロートは、先生の訪問からほどなくして196812月に逝去し、山下先生はその四〇年後に天寿を全うなさった。山下先生の学恩に感謝するとともに、先生のご冥福を心からお祈り申し上げる次第である。

(言語情報科学専攻/独語)

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