教養学部報 第545

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駒場でカフカ〜中澤英雄さんを送る

田尻三千夫

 中澤さんは駒場の同僚としては一年先輩であるが、ドイツ政府留学生としては同窓生だったので、その誼で中澤さんと呼ばせていただく。留学先のボンで知り合ってから三〇数年、こちらは変わり果てたのに、中澤さんは髪が白くなっただけで、その屈託のない笑顔とさっぱりとした人柄はあの頃とまったく変わらない。

 勤勉で、何事にも誠実かつ几帳面。ドイツ語部会主任時の理路整然とした無駄のない弁舌と迅速な事務処理ぶりが鮮やかな記憶として残る。研究においては調べの行き届いた中身の濃い重量級の論文を次々と発表されてきた。近年上梓された『カフカとキルケゴール』『カフカ ブーバー シオニズム』(いずれもon book 刊)の二著はその精髄である。

 駒場着任時の自己紹介によれば、中澤さんは長らく天文少年であったという。しかし、駒場に来て己が進むべき方向に思い悩んだ。青春の惑いのなかで藻掻く日々に手に取ったカフカのうちに中澤さんは自分と同じような自我の分裂の問題に苦しむ存在を発見し、感動した。そして進路志望届を出す前夜に夢となって現れた「内なる自己の導き」に従って文転し、カフカ研究へと進んだ。駒場でカフカに出会い、駒場でカフカを研究し、駒場でカフカを講じた。駒場に灯り続けるカフカ研究の松明を高く掲げ走ってきた中澤さんの後を引き継ぐ若手は出現するのだろうか、いささか心配ではある。

 中澤さんは平和を愛し、推進する人である。『ダライ・ラマ 平和を語る』という訳書もある。一九九〇年(!)に中国北京で開催された国際学会でカフカの未完の小説「万里の長城が建設されたとき」についてドイツ語で研究発表した中澤さんは、発表の終わり近くでこう述べた。「今日の私たちが私たちの努力を集中すべき目標は、イデオロギーの分断的な壁を築くことではなく、私たちの力を反対方向に転じて、古い壁を取り除くことでありましょう。私たちがすべての古い壁を取り除くことに成功したあかつきには、私たちは今度はまったく新しい壁、人類を破滅と絶滅から守ってくれる、地球全体を取り巻くいわば『平和の長城』を築くことができるでありましょう。このことがおそらく、イデオロギーや政治体制の相違を超えて、今日の私たちすべてに課せられている使命でありましょう」(著書中の日本語バージョンによる)

 そういえば留学時代の中澤さんのバッグかリュックには「世界人類が平和でありますように」という願いが記されたバッジがつけられていたのではなかったか。

 中澤さん、これからもお元気でカフカを友にご活躍下さい!

(言語情報科学専攻/ドイツ語)

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