二つの文化の間の架空の国

――ブロートの小説『大いなる敢行』に対するカフカの批評(1)――

 

中澤英雄

はじめに

 今日ではマックス・ブロートはもっぱらカフカ作品の編集者、およびあまり人気のない、カフカのユダヤ教的作品解釈者としてしか知られていない。ブロートの名前が言及されるのは、多くの場合、その杜撰な編集作業と強引な作品解釈が批判されるときである。近年では、ミラン・クンデラが『裏切られた遺言』(1993)で激しいブロート攻撃を行なったことはよく知られている(2)

 このように、今日ではもっぱら否定的な評価しか与えられないブロートであるが、戦前のドイツ語圏での評価は違っていた。カフカが生前はほとんど無名の作家であったのに対し、ブロートは数多くの文芸雑誌に登場し、華やかな文学論争に参加した著名人であり、その作品が版を重ねて読まれた流行作家であった。もちろんクンデラが言うように、カフカと比較すれば、彼が二流の作家であることは、今日では否定できない事実である。しかしながら、ブロートはカフカ研究においてはやはり無視することができない重要な存在である。彼はなんといってもカフカの生涯にわたっての最も親しい友人であり、両者は人生上の問題や文学的・哲学的なテーマについて常に対話を続けていた。彼らは同じ時代に、プラハのドイツ語系ユダヤ人として同じ環境に生き、類似の問題に直面し、それに異なった解答と文学的表現を与えたとも言えるのである。カフカはブロートの著作をいつも大きな関心をもって読んだ。カフカ自身も認めているように、カフカのいくつかの作品にはブロート作品の影響が見出される(3)

 両者の議論は、直接の会話のほかに、文通によっても行なわれている。カフカの文学作品の解釈のためには、ブロートの作品に関する知識がぜひとも必要ということはないが、カフカの手紙――これもいわゆる文芸作品に劣らず、謎と魅力を秘めた、カフカの重要な文学的活動の一部である――を理解するためには、文通相手であるブロートの立場を知る必要があることは当然である。一昔前までは、カフカの手紙は印刷されていたが、ブロートの手紙の内容はカフカの手紙から間接的に推測するしかなかった。しかし、1989年の『ブロート・カフカ往復書簡集』(4)の刊行によってブロートの手紙も読めるようになり、両者の議論をはっきりと追うことができるようになった。

 ここではとくに、ブロートの『大いなる敢行』という作品をめぐって、両者が交わしている議論を詳しく見てゆきたいと思う。この議論を通して、1917年から18年にかけてのブロートの精神的危機、文学的・哲学的発展、それに対するカフカの評価、ならびに両者の関心をともにとらえていた西ユダヤ人の問題が浮かび上がってくるのである。

『ティコ』の否定

 『大いなる敢行』という作品は1917年から18年にかけて書かれ、1919年にクルト・ヴォルフ社から刊行されている(5)。この小説の内容はこれから詳しく紹介していくが、一口で言えば、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(1932)やジョージ・オーウェルの『1984年』(1949)にも似た、一種の逆ユートピア小説と性格づけることができる。ハクスリーやオーウェルに先立って、ドイツ語圏でこのような小説が書かれたという点だけでも注目に値する小説である。

 『ブロート・カフカ往復書簡集』の中で『大いなる敢行』に関する最初の言及と思われるのは、1917年9月18日のカフカの手紙である。

  「君がその短編小説(Novelle)についていだいている意図は、僕の望みにまったくかなっている。短編小説は大きなものになるはずだ。しかし、その意図に対して、やはりなんといっても軽薄な最初の2章は持ちこたえることができるだろうか? 僕の感じではだめだ。君が書いた3頁はいったいなんだ? それは全体として何かを決定するのだろうか? ティコを否定することになるのが苦痛なのか? すべての真実は否定されえないのだから、ティコを否定することにはならないだろう、おそらくただ投げ倒すくらいだろう。」(BKB 163)

  まず、この手紙の背景の説明をしておこう。

 カフカは、フェリス・バウアーとの婚約問題の心労から、1917年の8月上旬に喀血をし、9月初めに肺結核の診断を受け、9月12日から、妹のオットラが農園を営んでいる北西ボヘミアのチューラウという農村で静養生活を送った。チューラウでカフカは数多くの宗教的、哲学的アフォリズムを書くが、それと同時に、プラハを離れたことによって、今まで直接顔をあわせて対話をしていたプラハの友人たちと、文通によって議論を交わすことになった。この友人たちというのは、ブロートのほかに、盲目の作家オスカー・バウム、哲学者フェーリクス・ヴェルチュという西ユダヤ人であり、ブロートはカフカを含めた自分たち4人を「四者同盟」(6)、あるいは「プラハ・サークル」(7)と呼んでいる。会話であればすでに消え去っていたはずの重要な思想が手紙という形で残されたことは、カフカとブロートの研究にとってたいへん幸運なことである。

 カフカとその友人たちは互いの作品をよく朗読し批評しあっていた。先に引用した手紙は、カフカがブロートの新しい短編作品について触れているものである。この手紙の中でカフカは、「ティコを否定することになるのが苦痛なのか?」と書いているが、これはブロートの歴史小説『ティコ・ブラーエの神への道』への言及である。「ティコの否定」という一節を理解するためにも、1917年までのブロートの文学的・宗教哲学的発展について簡単に一瞥しておかなければならない。

 プラハの同化したユダヤ人であったブロートは、最初、自己のユダヤ性に無自覚であったが、徐々にユダヤ人意識に目覚め、1913年ころには熱心なシオニストになっていた。カフカのギムナジウム時代の同級生でもあったフーゴー・ベルクマン――彼はすでにギムナジウム生のころにシオニストになっていた――の影響を受けて、彼はユダヤ教を、自由意志による倫理的行為の宗教として理解するようになった。1915年に発表された『ティコ・ブラーエの神への道』は、このようなユダヤ教理解に基づく歴史小説である。プラハを居城としたハプスブルク帝国皇帝ルドルフ二世に仕えたデンマーク人天文学者ティコ・ブラーエは、彼のライバルであるケプラーとは違って、いまだ中世的な世界観に半分とらわれている。彼にとって重要であったのは、単なる物質界の法則の発見ではなく、「神的な真理」(8)の認識であった。ティコはたえず誤解され、不幸に見舞われ、祖国を追放されて流浪の人生を送ってきた。彼はもはや、神は全知全能で愛であるという、通常のキリスト教的神観には満足できなかった。そういう彼に新しい神観をもたらしたのは、プラハの高名なユダヤ教ラビであるレーヴ・ベン・ベザレルである(ちなみに、ラビ・レーヴは伝説の中で、人造人間ゴーレムの作り手とされている)。ティコの運命は、いわば個人に起こったユダヤ人のディアスポラのようなものである。そういう彼はユダヤ人の運命に共感を覚える。ラビ・レーヴは彼に、神が義しき人のために存在するのではなく、義しき人が神のために存在するのであって、義しき人は正しい行為によって神を助けなければならないのだ、と教える(9)。この神観には、自由の宗教、倫理的行為の宗教としてのユダヤ教の理念が明白に反映している。この神観に啓示を受け、ティコは死の床でケプラーと和解する。

 このように、自由意志と倫理的行為の立場に立つブロートは、第一次世界大戦中、シオニストとして政治運動に積極的に参加し、また様々な文学論争にもかかわった。その中で最も重要なものは、友人フランツ・ヴェルフェルとの論争であった。ブロートは、自分より年下の、同じプラハ出身のユダヤ人詩人の引き立て役を自負していたが、そのヴェルフェルが、あろうことかキリスト教に帰依してしまったのである。ブロートは、倫理的な自由の宗教としてのユダヤ教の立場から、自己の内面的救済ばかりを求めるキリスト教を一種のエゴイズムとして非難した。

 しかしながら、人は自由意志によって倫理的責任を果たさなければならないし、また果たすことができるという自信に満ちた彼の確信は、まもなく動揺し始める。その原因は、妻以外の女性と恋愛関係に陥ったことである。この出来事は、1913年に結婚していた妻エルザとの家庭生活ばかりでなく、倫理的な自由の宗教としてのユダヤ教という、彼の宗教哲学的な立場をも根底から覆してしまった。彼は、家庭生活の保持という倫理的に正しい行為をどれほど実行しようとしても、できない自分を自覚せざるをえなかった。こうして彼は、『ティコ・ブラーエ』におけるユダヤ教解釈を放棄せざるをえなくなった。のちに1921年の宗教哲学的著作『異教、キリスト教、ユダヤ教』において、彼はようやく新たな宗教的立場に到達することができた。彼はその中で、人生の領域を二つに分け、戦争や貧困などの社会的不正義に対しては、人間は自由意志に基づいて積極的に倫理的行為を行なわなければならないが、エロス、病い、死などの、自由意志ではどうにもならない問題については、神の恩寵、奇跡にすがらなければならない、と述べている。このようにして、彼は自由意志と神の恩寵を両立させようとしたのである。この著作の中で、彼は自分の過去の思想遍歴を振り返り、『ティコ』を「邪道」(10)と呼び、その宗教的立場を否定した。『大いなる敢行』は、やはり同じ時期に書かれた戯曲『女王エステル』(11)とともに、『ティコ』と『異教、キリスト教、ユダヤ教』の中間段階に位置する、ブロートの個人的・宗教的危機の文学的表現なのである。

短編小説から長編小説へ

 このように、『ティコ』を否定するような短編小説をブロートは書き始めたわけであるが、カフカに朗読した2章は、おそらく完成した『大いなる敢行』の2章とは内容が少し異なっていると思われる。というのは、のちにブロート自身が10月8日ころのカフカ宛の手紙で、小説は予想していたのとはまったく別ものになった、と述べているし(BKB 180)、また1015日の葉書では、小説を書き直した、とも述べているからである(BKB 184)。カフカはこの短編小説が「大きなものになるはずだ」と予見しているが、彼の予想は正しく、ブロートの短編小説(Novelle)は長編小説(Roman)へと拡大していったのである。

 次に両者の往復書簡集で『大いなる敢行』について触れられるのは、10月4日のブロートの手紙である。

「僕は日曜日に、長編小説(まだ題名はない)にまったく新しく組み込む部分を朗読した。――冒頭部が全体に適合しないという不安は全然持っていない。《戦闘》はどのみち検閲の理由のために削除した。第1章はそうすると環境描写となり、その奇妙さには、そのあとリベリアで起こるすべての奇妙なことのために、よい支えが与えられている。少なくとも僕にはそう思える。――ちなみに、僕がいま目の前に見ている問題と比較すれば、それは二流の問題だ。」(BKB 176)

 この手紙では、最初の短編小説が長編小説に発展しつつあることが示されているが、「長編小説〔……〕にまったく新しく組み込む部分」や「第1章」とは作品のどの部分を指しているのだろうか。『ブロート・カフカ往復書簡集』と完成した作品との比較から、長編小説の大まかな成立過程を推測することができる。まず最初に、完成した『大いなる敢行』の章立てを示しておこう。

第1章 旅の体験

第2章 夢の音楽

第3章 看護婦

第4章 パレー・アウレリアーナ

第5章 私を愛する者は

第6章 ドクトル・アスコナス

第7章 水平的劇場

第8章 ルーレット

第9章 我ら年老いた少年

10章 私とともにレバノンから、おお花嫁よ

11章 公式文書

 第1章の「旅の体験」では、「民間学者」と自称する「私」という語り手が軍に召集され(時代は第一次世界大戦中である)、戦線に向かう途中で病気になり、部隊から離れる。回復後、彼は知人のビーバーと一緒に戦線に向かう。途中で彼らは平和で美しい保養地のような場所を目にするが、それは軍の最高司令部であるという。この場所で優雅な生活を送っている高級将校たちは、実際の戦場から遠く離れて、きわめて理論的・抽象的に作戦を立てている。一種の戦争批判、軍人批判の箇所であるが、戦争中の検閲を避けるためにあえて非現実性が強調されている。同時に、この小説が現実とは違った世界を描いていることもほのめかされている。このような第1章は、のちに作品の主要舞台として紹介される「リベリア」という架空国家を導入するための「環境描写」の章ということになる。ブロートがカフカへの手紙で言及している「奇妙」な「冒頭部」、「第1章」というのはまさにこの章である。先の手紙でカフカは短編小説の出来をかなり厳しく批判していたが、変更したことによって小説がよくなった、とブロートは弁明しているわけである。

 さらにブロートの手紙の中では、何の説明もなく「リベリア」という名称が使われているが、このことは、リベリアが何かということを、カフカが短編小説の段階ですでに読んで知っていたことを示している。リベリアというのは同名のアフリカの国ではなく、『大いなる敢行』の舞台となる架空の国である。第1章と第2章ではリベリアという地名はまだ言及されておらず、リベリアが導入されるのは、第3章以降になってからである。したがって、ブロートが短編小説からカフカに朗読した2章は、以下で触れる様々な状況証拠も考えあわせると、現在の第1章と第3章に相当する部分であったと推測される。

 ちなみに、ブロートの手紙の最後に、「僕がいま目の前に見ている問題」という表現が出てくるが、これは彼の女性問題のことを指している。

 次に、第2章と第3章の内容を簡単に紹介しておく。第2章の「夢の音楽」では、戦線に着いた「私」が戦闘で倒れ意識を失う。完全に意識を取り戻す前に、彼は夢を見る。彼は、子供のころいだいた音楽家になる野心について語る。そして自分は実は音楽家、作曲家であることを白状する。彼が見たのは巨大なヨーロッパの地図の上に書かれたシンフォニーの夢であるが、それは統一された平和なヨーロッパを象徴している。

 第3章の「看護婦」では、語り手が目覚めると、彼はテントの中で昔の恋人ルートに傷の手当を受けている。二人の過去については詳しくは語られないが、二人が一緒にパレスチナに駆け落ちしようとしたことから、二人ともユダヤ人であることが示される。主人公は、ルートとビーバーに導かれて、理想国家リベリアに入ってゆく。それはドクトル・アスコナス(のちに医者であることがわかる)によって、戦場の、どこの国にも属さない土地の地下に造られた国である。ルートはリベリアで看護婦(Pflegerin)として働いている。なお、次に引用する手紙の中でカフカが「看護婦的な(krankenschwesterlich)思いやり」という表現を使っているが、それはルートの職業にひっかけている。カフカの手紙にはこのようなユーモアが時々見出される。

 ブロートが先の手紙で「長編小説にまったく新しく組み込む部分」と呼んでいるのは、第2章のことではないかと考えられる。というのは、この章は第1章と第3章の流れを分断している感があるからである。また第1章には戦闘の場面はないが、第2章の初めにはごく短い戦闘場面がある。ブロートは第1章の戦闘場面を削除し、それを短くして、新たに書いた第2章に付け加えたのだと推測できる。そうすると、ブロートが最初にカフカに朗読した短編小説の中には、第2章はまだ含まれていなかった、ということになる。このことは、この次に紹介するカフカの手紙からも確認できる。

カフカに朗読した3篇

 10月下旬、ブロートがチューラウの近くのコモタウという町に講演に来た機会に、カフカはブロートに会うためにコモタウに行き、さらに、肺の診察や歯の治療のためにプラハに行き、11月初めにチューラウに戻った。プラハでブロートはカフカに自分の長編小説から3篇朗読した。この朗読に対する感想が11月6日のカフカの手紙である。

「君は長編の中から3篇朗読してくれた。最初の分の音楽と、3番目のものの非常な明澄さは、すんなりと染み込んできて僕に幸福感を与えてくれた(最初の分のでは、実際上「ユダヤ的な箇所」がいくらかうるさい感じで目の前をかすめたが、それはちょうど、それぞれの箇所に来ると、暗いホールで全部の灯りが素早く点滅するようなぐあいだ)。実際のところ、僕が引っかかるのは2番目のものなのだが、それは君があげていた異論のためではない。例のボール・ゲームだが、あれは君がユダヤ的と考える意味でのユダヤ的なゲームなのか? ユダヤ的というのはせいぜい、ルートが自分だけで別のゲームをしたことくらいだが、問題はそういうことではない。ゲームのこうした厳格さが恋人の自虐であり苦悩であるのなら、理解できるが、それが、ルートないしは君の人生問題と直接の因果的関連を持たない独立した確信であるのなら、それは絶望的な確信なのであって、それでは実際のところ、小説の中でも書かれているように、ただ夢の中でしかパレスチナを見ることができない。全体はやはり、有名な突破の理念の上に構築された戦争ゲームに類したもので、いわばヒンデンブルク的な事柄なのだ。ひょっとしたら僕は君を誤解しているのかもしれないが、しかし、解放の無数の可能性が存在しなければ、とくにわれわれの人生のあらゆる瞬間における可能性が存在しなければ、おそらくいかなる解放の可能性も存在しないだろう。しかし、僕は本当に君を誤解している。実際のところ、ゲームはたえず繰り返されるのであり、現在の失敗によって失われるのはその一瞬だけで、すべてではない。そうであるならば、そのことはやはり言っておかなければならないだろう、看護婦的な思いやりからではあるにせよ。」(BKB 188f.)

 まずブロートが朗読したこの3篇を特定してみよう。「最初の分の音楽」というのは、明らかに第2章「夢の音楽」を指している。ブロートが同じ章を二度朗読するとは考えられないから、先に、第2章は短編小説の段階ではまだ書かれておらず、あとから挿入された、と推測したが、そのことはこのカフカの手紙からも確認される。

 この章についてカフカは、「ユダヤ的な箇所がいくらかうるさい」と述べているが、これには理由がある。作品の主人公は同化したユダヤ人で、作曲家・指揮者である。彼は、「私は情熱的に仕事をしている。しかし、幸福なしに。それは別の言葉ではおそらく、才能なしに、ということになるだろう」(GW 35)と、自分の才能に自信がない。彼は、ヨーロッパの平和を象徴する偉大な音楽の夢を見る。しかしそのとき、彼の耳には、「この作品は決してユダヤ人によっては創造されえなかった。そのことによって、ユダヤ人を否定する最善の証明が得られたのだ」(GW 41)という言葉が聞こえてくる。

 この箇所には、リヒャルト・ヴァーグナーの『音楽におけるユダヤ主義』が反響している。ヴァーグナーによると、ユダヤ人音楽家はものまね的な器用さは持ちあわせているが、ゲルマン人のような真の創造性に欠けているというのである。また、この章とともにブロートが朗読したと推測できる第4章には、「ユダヤ人の汚れ(Judenschmutz)」という語も出てくる(GW 84)。主人公はこのような反ユダヤ主義的なユダヤ人観を自分でも受け入れ、それに苦しんでいるのである。こういう現象をユダヤ人哲学者テーオドール・レッシングは「ユダヤ人の自己憎悪」と名づけた(12)。これらの箇所がカフカには目障りに感じられたのであるが、それはカフカ自身にもこのようなユダヤ人の自己憎悪が存在したからである。

 ブロートが朗読した2番目の章は「例のボール・ゲーム」を扱った箇所であるが、このゲームというのは、作品の題名にもなっている「大いなる敢行」というゲームである。このゲームについて最も詳しく説明されているのは第4章である。ここで第4章の内容を簡単に紹介しよう。

 第4章の前半では、主人公が工場主の妻であるルートと知り合いになった経緯が回想される。題名の「パレー・アウレリアーナ」は二人が逢い引きをした建物の名前である。主人公はルートとともにパレスチナに駆け落ちしようとするが、最後の時になって、躊躇してこの計画を取りやめる。ルートを自分のものにするという決断を下せなかった優柔不断さが、その後の彼の不幸と罪の意識の原因となっている。次にこの章では、「大いなる敢行」という名前の、ルートが作った、子供の教育用のおもちゃが紹介される。それは迷宮のような要塞から囚人(ボール)が脱出するゲームなのだが、このゲームで肝要なのは、躊躇せずに早い決断を下すことである。正しい時期に正しい決断を下せば、ゴールに向かっての扉が一挙に開かれる。しかし、そのチャンスを逃すと、そのあとどのように努力してみてもボールはゴールにたどり着けない。このゲームでは、思い切った決断と、それによって生じる一種奇跡的な、問題の一挙の解決という二つの要素が組み合わされている。

 『ブロート・カフカ往復書簡集』の編集者であるマルコム・パスリは、カフカが手紙の中でこのゲームに関して言及している章は第8章である、という註をつけているが(BKB 482: Anm. 61)、これには疑問がある。というのは、第8章では「大いなる敢行」というゲームについてはごくわずかしか触れられていないし、ルートがゲームをするという場面もないからである。それに、あとで引用する12月5日のブロートの手紙に示されている執筆の進捗状況から判断して、ブロートが11月初めの段階ですでに第8章まで書き進んでいたとは考えにくい。ブロートがカフカに朗読したのはやはり第4章であろう。

 そうすると、ブロートはカフカに、短編小説からは第1章と第3章、長編小説からは第2章と第4章を朗読したことになる。もうひとつ、カフカが「3番目の非常な明澄さ」と呼んでいる章には、カフカの詳しい言及がないので、論証することはできないのだが、第5章を指していると考えることが自然である。つまり、この段階で、カフカは第1章から第5章までの内容を知った、と考えられる。

 小説に対するカフカの異論は、とくに第4章の「大いなる敢行」というゲームの理念に向けられている。このゲームでは、人間には救済のチャンスはたった一度しかない。その一回を逃すと、そのあとどんな努力をしても、人間は救われない。カフカは、「ゲームのこうした厳格さが恋人〔=主人公〕の自虐であり苦悩であるのなら、理解できるが、それが、ルートないしは君の人生問題と直接の因果的関連を持たない独立した確信であるのなら、それは絶望的な確信である」と述べている。「存命中の作家は、彼らの書いた本と生きた関係を持っている」(13)という理論を信奉するカフカは、作品中の主人公とルートをブロートと彼の恋人と同一視している。人生において救済のチャンスはたった一度しかないという理念が、ブロートの個人的な状況だけに妥当するというのであれば、カフカは受け容れることはできるが、それを一般化することには反対する。カフカは、人生において解放の可能性はあらゆる瞬間に存在しているはずだ、と考える。実はこのような思想は、同じ時期にカフカがチューラウで八折判ノートに書いたアフォリズムにも見出される。ここでは、それに関連する二篇を紹介しておこう。

「(もしわれわれがわれわれの時間概念を放棄すれば、)人間の発展の決定的瞬間はたえず存在している。それゆえ、これまでの一切のものの無効を宣言する革命的精神運動は正しいのである。なぜなら、どうせまだ何も起こっていなかったのだから。」(19171020日)(14)

「(いかなる瞬間にも超時間的なものが対応している。)此岸のあとに彼岸が続くのではない。なぜなら、彼岸は永遠的であり、したがって此岸とは時間的に接触することはできないからである。」(19171212日)(15)

 最初のアフォリズムの「人間の発展の決定的瞬間」とは、人間の解放と救済の瞬間と言い換えることができよう。それは人生のいかなる瞬間にも存在している。この事態は、時間論的に言えば、現世のいかなる瞬間にも、救済された彼岸の「超時間」が対応しているということになる。つまり、人間の救済の可能性はいついかなる時にも存在しているのである。だが――この点が真にカフカ的な逆説なのであるが――それはあくまでも理論的に可能というだけであって、現実的には不可能なのである。それゆえ、人類のこれまでの歴史の中で、真の意味での「革命的精神運動」が生起したことは一度もなかったし、此岸と彼岸が接触することもないのである。つまり、救済は――この時期の別のアフォリズムの表現を借りれば――「現実の舞台」では行なわれず、「舞台背景の書き割り」の中でしか生じないのである(16)

自己の三分割

 1128日の手紙でブロートは、いま執筆中の小説が自分の唯一の救済だ、と書いている(BKB 201)12月3日の葉書では、小説は速く進捗している、と報告している(BKB 202)。さらに12月5日の手紙では、ブロートは、手紙の中でブロート自身のことをあまり書いてよこさない、というカフカの苦情(BKB 203)に対してこう返答している。

「僕は実際、手紙の中で自分についてあまりにわずかしか書いていない、とは思わない。――しかし、こういう錯覚が生まれるのも、ひょっとしたら長編小説の中で自分についてあまりに多く書いているからかもしれない。僕は自分を三人の登場人物に分け、彼らは互いを遺憾に思い、互いをいたわりと善意で取り扱っているのだ。〔……

 今日僕はただ小説によって生きている。幸福な解決を自分から書き放し、悲しい未解決をさらに生き続けなければならないとしたら、僕がどんなふうになるかは、まだわからない。しかし、僕はこの時点をとくに待ちうけているわけでもないし、とくに不安に思っているわけでもない。僕は、その間に生じる奇跡を信じている。その奇跡は僕を危機的な瞬間を超えて駆り立ててくれるだろう。」(BKB 205)

 この手紙でブロートは「自分を三人の登場人物に分け」たと書いているが、この三人の登場人物とは、語り手、ドクトル・アスコナス、そして詩人である。この三人はいずれもブロート自身の分身である。

 まず語り手であるが、彼は人妻ルートと駆け落ちする勇気がなかったために自己処罰に陥っている。これは、恋人と駆け落ちできない自分を責めているブロート自身である。

 アスコナスはリベリアの指導者で、人間の理性と倫理意識に基づいて理想国家を造ろうとしている。アスコナスは、自由の宗教としてのユダヤ教理解をもとに、民族救済、世界救済の理念を信じていた時代のブロートに対応している。

 リベリアは人間の自由な協力による無政府主義的社会である。そこでは、ごく一部の人間を除いては固有名詞は廃止され、人びとはその職業名で呼ばれている。同時に、それは自由恋愛の国でもある。《Liberia》という名称は当然《liberal=自由主義的な》という語、さらに《Libertin=放蕩者》という語から作られている。またアスコナス(Askonas)という名前はスイス・イタリア国境の町アスコナ(Ascona)の地名から作られている。様々な思想運動グループが集まったこの土地で、ひときわ異彩を放っていたのが精神分析家オットー・グロスであった。グロスは社会の抑圧的な性道徳は精神障害の原因であるとして、大胆な性の解放を唱え、また実行に移した。ブロートとカフカはグロスと面識があり、一時、一緒に雑誌を作る計画を立てたことがある。エマヌエル・フルヴィッツが述べているように、オットー・グロスがドクトル・アスコナスのモデルであろう(17)

 アスコナスと彼の妻は自由恋愛の理念を共有し、両者ともお互いに相手の承認のもと、多数の相手と肉体関係を結んでいる。彼は、妻とは「理性結婚」の状態にはあるが、感情的な結びつきはなく、本当はルートに惹かれている。これはまさに、妻と恋人との間に引き裂かれているブロートの状況そのものである(BKB 228)

 また、もう一人の登場人物である詩人は、小説の中ではアスコナスへの敵対者になるが、彼はアスコナス夫人と関係を持ちながら、肉体的な魅力にあふれたビーバー夫人に憧れている。彼は常に二人の女性を同時に愛することによって、女性すべてを支配することの代用にしているが、これもブロートの自己分析の一面であろう。小説の中では、この三人が相手に自分の苦悩を打ち明け、お互いに慰め合っている。こういう状況は、小説の6〜9章で描かれている。

 この手紙の段階では、ブロートは小説に幸福な結末を与えようと考えていたようである。幸福な結末というのは、主人公とルートが結ばれる、という結末であろう。しかし、小説では幸福な結末になっても、現実生活では問題が解決しないことをブロートは予感している。そして彼は、問題を他力的に解決してくれる奇跡の出現に救いを求めている。

 そもそも「大いなる敢行」というゲームは、問題の一挙の解決という点において奇跡に近い性格がある。しかし、それがあくまでも人間の決断に依存している点では、それは人間の自由意志の領域にも属している。「大いなる敢行」は、自由意志による決断と他力的な奇跡との奇妙な混合物と性格づけることができる。これは、ブロートの宗教哲学で言えば、『ティコ・ブラーエ』の自由意志と『異教、キリスト教、ユダヤ教』の恩寵の中間段階と理解することができる。

タルムードの話

 さて、12月4日の手紙でカフカは、

「タルムードの話は、僕だったら別な話にする。つまり義しい人々が泣くのは、ずいぶんつらい目に遭ってきたと思ったのに、自分たちの現在に比べたらものの数でもないとわかるからだ。義しくない人びとはしかし――いや、そんな人たちなぞいるのだろうか?」(BKB 204)

と書いている。

 このタルムードの話というのは、『大いなる敢行』の第10章に出てくる。第10章「私とともにレバノンから、おお花嫁よ」は二つの場面に分かれる。最初の場面はリベリアの入り口にあるルートのテントである。私とルートは過去のことを率直に話し合う。その結果、両者とも、自分の責任で関係を断ち切ったと誤解していたことが判明する。すなわち、駆け落ちの断念を通知する主人公の手紙は、仲介役が間違って燃やしてしまったためにルートに届かなかった。ルートのほうも、子供が急病になったので、パレスチナ行きを自分から断念し、そのため、彼女も自分が相手を捨てたと思っていた。その結果、誤解から二人とも自己処罰に陥っていたのである。次に、リベリアの理想と現実のギャップを見た二人は、リベリアを脱出する。途中で未来への希望について語り合うが、希望は若者にしかない。自分たち大人は失われた世代である。しかし、二人は道に迷い、またルートのテントに戻ってしまう。

 タルムードの話は、二人の話し合いの場面でルートが語る物語である。その場面を引用してみよう。

「そして今、私はあの古い本〔タルムード〕の別の箇所の意味が突然わかったわ。学生〔昔ルートにヘブライ語を教えたユダヤ人学生〕が私にそれをたっぷりと話してくれたわ。私は首をかしげながら聞いていたものよ。彼は何度も何度もその話に戻ったけれど、その話がいつか私に何かの意味を持つことになることを知っていたみたいに。……こういうふうに書かれているのよ。世の終わりに神は、すべての甦った人びとの目の前で、邪悪な衝動を抹殺するだろう。義しき人びとには、旧敵〔悪魔〕は高い山の姿で現われる。そのとき彼らはこう言って嘆く――この怪物をどうやって克服すればいいんだ? 悪徳者たちには、悪魔は細い糸の姿で現われる。彼らは嘆き悲しんでこう叫ぶ――こんな無にも等しいものでさえ、おれたちは踏み越えることができなかった。そして両方とも泣く。義しき者たちも悪徳者も、両方とも泣くのである。……

「ねえ君、それじゃ僕は悪者だ。だって、僕は僕の間違った選択が理解できないからだ。しかし、君は善人だ。なぜって、君は高い山のような誠実な感情を持っているのだからね。」

 彼女は微笑む。「私はそういう意味ではないと思うわ。でも、この物語の最後の文章を聞いてみて。あなたが自分を悪者の一員に数えたとしても、そのときでも最後の文章には慰められるでしょう。……その本はこの報告を次のような言葉で結んでいるの――そこで、義しき者たちも悪徳者たちも、両方とも泣くのである。そして、神ご自身も彼らとともに泣くのである。」(GW 291f.)

 ルートがこの話を語るのは、慈悲深い神が人間の悪に同情して泣いてくれた、だから人間はいつまでも自己処罰する必要はないのだ、ということを主人公に教えるためである。

 この話に対するカフカのコメントの解釈に入る前に、カフカがこの話をいつ読んだのか、という問題を解決しておかなければならない。先ほど、10月下旬から11月初めにかけてカフカがプラハに戻ったとき、ブロートから第5章までを朗読してもらったものと推理した。カフカがタルムードの話に言及しているのは12月4日である。しかしこの間、カフカはプラハに戻っておらず、次にカフカがプラハに戻るのはクリスマスから新年にかけての時期である。また、残されている両者の手紙から判断するかぎり、ブロートがカフカに小説の原稿を送ったとも考えられない。戦争中のこの時期、郵便事情はかなり不安定で、手紙や郵便物が遅れたり着かなかったりということがあり、カフカはブロートに、郵便物に番号を付けることさえ求めている(BKB 170)。そういう時代に、コピー機もないのに、ブロートが執筆中の小説の原稿を送るとは考えられない。では、カフカは第10章に出てくる物語をどこで読んだのか?

 先ほど、小説の中で自分を三分割したと書くブロートの12月5日の手紙を引用した。これはカフカが12月4日の手紙で、「君は君自身のことをあまり書いてよこさない」(BKB 203)とブロートに不満を書いたことに対する返答である。ブロートは、小説の中で自分のことを書きすぎたので、カフカにも自分の最近の事情を書いたように錯覚していた、と弁解しているわけである。先にも述べたように、自我の三分割の状況は、6〜9章あたりで書かれている。これについてブロートがカフカにわざわざ報告していることから判断すると、これらの章をブロートは、やはりカフカがプラハを去ったあとで書いたものと推測できる。それなのに、カフカがプラハにいた時期に、第10章だけを先に書くということがあるだろうか? たとえばカフカの『訴訟』は執筆順と章順が違っていることが明らかになっているが、それは、各章がかなり独立したエピソードから成り立っているからこそ可能なのである。それに対し、ブロートのこの小説はほぼ一貫した筋の展開があるので、そういう書き方は難しいだろう。以上のことを総合的に判断すると、12月4日の時点ではやはり第10章はまだ書かれていなかった、と考えざるをえない。

 それでは、まだ書かれておらず、そのためカフカがまだ読むことができないはずの第10章に出てくるエピソードについて、彼はなぜコメントできたのだろうか? これには確証がなく、推測に終わらざるをえないが、次のように考えることができる。実はブロートはこれ以外にもこの小説の中でタルムードのエピソードを使っている。タルムードの物語は最初に第4章に出てくるし、第10章でも、問題のエピソードの前に別の話が語られている。11月6日の手紙でカフカは、「例のボール・ゲームだが、あれは君がユダヤ的と考える意味でのユダヤ的なゲームなのか?」と書いているが、このことから判断すると、プラハでブロートはカフカに、作品はユダヤ的な内容の作品だ、と作品の「意図」について詳しく話したことが推測される。ブロートはカフカとの対話のときに、実際にはまだ書いていないが、第4章のタルムード物語以外にも、さらにこういう物語も小説の中で使うつもりだ、というようなことを話したのではないだろうか。それに対してカフカは、もしその話を使うのだったら、こういうふうに変えたほうがいい、と提案したと考えることができる。

 それでは、カフカがそのような提案をするのはなぜだろうか。彼はブロートとは二つの点で意見を異にする。第一は、「義しい人々が泣くのは、ずいぶんつらい目に遭ってきたと思ったのに、自分たちの現在に比べたらものの数でもないとわかるから」である。「自分たちの現在」というのはこの場合、最後の審判の時点である。そのとき、義しき人間も悪徳者も悪魔に直面させられるのであるが、この悪魔とは自分たちの悪しき衝動でもある。カフカの見解によれば、この世の苦しみに耐えて善を行なってきた義しき人びとでさえも、最後の審判を通り抜けることができない、と知って泣くのである。このような内容にすることによって、最後の審判を通り抜けられるほどの真実の義しさは人間には不可能であることを、カフカはほのめかしたいのである。

 第二点として、タルムードでは義人と悪徳者の違いが際だたせられているが、カフカは不義なる人などいない、と言う。これは一見、第一点と矛盾するように思えるが、人類はすべて義しい人ばかりだ、とカフカが文字通りに考えているわけではない。人間はすべて自分を義しいと考えている、自己正当化している、というのが彼の真意であろう。

 善悪あるいは正義に関するこのような思想は、カフカのチューラウ・アフォリズムにも表明されている。

「至聖所に入る前には、お前は靴を脱がねばならぬ。靴ばかりでなく、旅行着も荷物もすべて置いてゆかねばならぬ。そして、その下の裸身も、裸身の下にあるすべても、そしてさらにその下に隠れているものすべても、それから核も、核の核も、それから他のものも、それから残滓も、それから不滅の火の輝きまでもだ。そのようにしてはじめて、その火自身が至聖なるものに吸い取られ、また火も至聖なるものに自己を吸い取らせる。このようにして、両者は互いにあらがえなくなるのである。」(1918年1月25日)(18)

 完全な善に到達するためには、人は自己の核心にいたるまで、すべての汚れと自我想念を脱ぎ捨てなければならない。しかし、そのような浄化に到達できる人はほとんどいないであろう。それは、最後の審判のとき、真の善人と認定され、至聖所に入ることができる人間がほとんどいない、ということを意味することになろう。このように、真実の善人であることはきわめて困難であるので、人は善人であろうとするよりも、善悪の認識自体を目的にするという「補助構成」を開始する。

「堕罪以来、われわれは善悪の認識能力においては、本質的には同じである。それにもかかわらず、われわれはまさにこの点に、われわれの特別な長所を求めようとする。しかし、この能力と認識を越えた地点でこそはじめて、真の相違が始まるのである。〔認識能力に長所を求めるという〕このような逆しまな光景は次の事態によって引き起こされるのである。誰も認識だけでは満足できず、それに従って行動しようと努めざるをえない。しかし、彼にはそうするだけの力が与えられていないので、自分自身を破壊せざるをえない。自己破壊によって必要な力をなくしてしまう、という危険をおかしてまでそうするのである。しかし、彼にはこの最後の試み以外には何も残されていないのだ。(このことが、その瞬間、お前は死ななければならない、と神が脅したことの意味でもある。)ところが、彼は今やこの試みを恐れる。彼はむしろ善悪の認識を取り消そうとする。「堕罪」という呼び方もこの不安にその起源を持つ。〔……〕しかし、いったん生じてしまったことはもはや取り消すことはできず、ただ曖昧化することができるだけだ。この目的のために諸々の補助構成(Hilfskonstruktionen)が発生する。世界全体はそれらで充満している。いや、可視的世界の全体は、ひょっとしたら、一瞬の安息を求める人間の補助構成以外の何ものでもないのかもしれない。認識したという事実をごまかす試みの一つが、認識自体をまず目的にすることである。」(1918年1月22日)(19)

 このアフォリズムの「補助構成」という奇妙な用語は、あとでも述べるように、『大いなる敢行』から借用されている。のちになってカフカが八折判ノートを推敲して作成しようとしたアフォリズム集の原稿では、この用語は「動機づけ(Motivationen)」という語に書き換えられている(20)。八折判ノートを見直したとき、カフカは「補助構成」という語が特殊すぎると判断し、それをもっと一般的な「動機づけ」という語に変えたのであろう。要するに、「補助構成」とは「動機づけ」のことであり、真実の代用品という意味である。この「補助構成」がさらに進むと、人は次のようにさえ主張する。

「原罪、すなわち人間がおかした太古の不正の本質は、人間がたえず行なってやめられない、次のような非難にあるのだ。それは、自分に不正が加えられた、自分に対して原罪がおかされた、という非難である。」(21)

 人間は、原罪の教義を逆転させて、自分が原罪をおかしたのではなく、自分に不正が加えられたことが原罪なのだ、と主張するにいたる。このアフォリズムは、少し時期があとになるが、1920年2月に書かれたアフォリズム群の一篇である(22)。すべての人間が多かれ少なかれ自分の罪を棚上げにして自己正当化をしているから、カフカは、世の中には「義しい人」しか存在せず、「義しくない人びとなぞいるのだろうか?」と書くのである。この義しき人とはまさに、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と親鸞が言うときの「善人」に相当するであろう。

結末部の問題

 タルムード物語についてはこれくらいにして、その後の小説執筆の進展を追ってみよう。ブロートは12月5日の手紙で、「幸福な解決を自分から書き放し」と書いていたが、このことから、12月初めの時点ではブロートは小説に幸福な結末を与えようとしていたことがうかがわれる。しかし、この計画は狂ってくる。1217日の手紙でブロートは、「困ったことの中の最小のもの――小説は最後の場面でつっかえている。感情なしに僕は書きつづけたくないし、今までと同じようには書けない」(BKB 210)と報告している。最後の場面とは第11章である。この時点までに、ブロートは第10章までを書き上げていたわけである。

 この小説のテーマは、題名にも示されているように、大いなる決断とそれによる人生問題の一挙の、奇跡的な解決である。それを主人公に教えるのが、ルートという女性である。ルートは自虐と自己否定に陥っている主人公に、人間としての、あるいはユダヤ人としての誇りを目覚めさせようとする。ルートはパレスチナへの移住を考えているので、シオニストと考えられる。ブロートも一時、妻と離婚し、恋人とともにパレスチナに移住することを考えたようである。ところが、この時期、皮肉な奇跡が起こる。おそらくブロートの煮え切らない態度に嫌気がさしたのだろう、ブロートの恋人は、洗礼を受けキリスト教徒の男性と婚約する、と彼に告げたのである(BKB 209)。「困ったこと」というのはまさにこのことである。事態の急転によってブロートは動揺し、主人公がルートとともにパレスチナに移住するという幸福な結末は書きえなくなった。小説の結末部分でブロートは頓挫してしまったのである。

 カフカはクリスマスから1918年1月初めにかけてプラハに戻った。この間、ブロートに会い、小説の第6章以下の部分を朗読してもらったようである。このころまでにブロートはなんとか結末の部分まで書き上げていたものと想像される。というのは、1918年1月10日の葉書で、カフカはブロートに、チューラウを訪れていた友人バウムの次のような伝言を書いているからである。

「君はだから、いつ小説の結末部を僕〔バウム〕とフェーリクス〔・ヴェルチュ〕に読んでくれるのか、その日を決めてくれればいい。フランツが僕にその期待すべき素晴らしさを話してくれたので、これまで以上に知りたい気持ちだ。」(BKB 220)

 カフカ自身も同じ葉書の中でこう書いている。

「このあいだトレルチの論文の朗読のときに思いついたのだが、この小説の肯定的な結末は、僕が最初考えていたよりも、本来もっと単純で、身近なものを求めている。教会や救済施設(Heilanstalt)の建設のようなものだ。つまり、必ず実現するに違いないもの、われわれの崩壊と同じテンポですでにわれわれの周囲に立ち上がりつつあるもののことだ。」(BKB 220)

 「トレルチの論文」というのは神学者エルンスト・トレルチの「ルターとプロテスタンティズム」という、雑誌『ノイエ・ルントシャウ』に発表された論文であるが、これについてはリッチー・ロバートソンが適切な要約を行なっているので、それをここに引用しよう。

「この論文の中でトレルチは、プロテスタンティズムは破壊的でもあり建設的でもある、と論じている。それは中世の統一的教会を破壊し、そのことによって、大部分は世俗的で、多元主義的で、統御できないほど複雑な現代世界への移行を引き起こした。しかし、それはまた、教皇位の継承によってではなく、聖書の中の神の言葉の啓示に基づくことによって、世俗的な世界の中にあっても宗教的共同体の生き残りを保証しもしたのである。かくしてプロテスタンティズムはキリスト教に不可視の教会、すなわち聖書への忠誠によって結ばれた信者たちの共同体を保持する基盤を提供した。そしてこの不可視の教会から、未来においては可視的な宗教的共同体が再建されうる。《救済施設は聖書の奇跡の中に収斂し、その中から再び現われ出るのである》。この共同体は中世の教会のような聖職者組織ではないし、政治的構成体でもない。そこでトレルチはそれを慎重に《救済施設(Heilanstalt)》と呼んでいるのである。」(23)

 カフカはブロートの小説の結末部を、「教会や救済施設」、すなわち一種の宗教的共同体の建設で結ぶように、と提案しているのである。

 このカフカの葉書に対してブロートは1月16日の手紙で、「ところで、君が小説についてもっと何か書いてくれればうれしいのだが。ちなみに、僕は結末部に向かってさらにかなり大幅に変更したし、この変更で幸せな一日を過ごした」(BKB 224f.)と返答している。これらの手紙から、ブロートはカフカに暫定的な結末部を朗読したあと、それをまた書き直したことがうかがわれる。この書き直しがどの程度カフカの意向を受けたものなのかは、書き直し前の原稿が保存されていないので不明である。

 完成した小説の中では、第11章「公式文書」の内容はこうなっている。二度目の脱出の準備のために主人公が地下のリベリアに戻ると、リベリアではアスコナスの独裁的態度に反抗する詩人たちの革命が起こっていた。主人公が食料をもって地上に戻ると、ルートのテントは燃え、彼女が銃で防戦している。私は頭を殴られ、気を失う。リベリアが爆発する音で意識を取り戻すと、ルートは光となって天に昇っていく。私は光となったルートに導かれ、若者を正しい決断へ教育することの重要性というルートの教えを説いて世界を放浪する。ここではルートは、ダンテを導くベアトリーチェ、モーセを導くヤーヴェのような超越的な存在になっている。そして小説の最後は、脱走兵E. St.の銃殺を報告する軍の文書で、これまでの物語はすべて彼の手記であったことが明らかにされる。

 この第11章は、主人公とルートの結ばれという幸福な結末でないことは確かだが、肯定的とも否定的とも一概には言えない。ルートが死に、主人公も最終的には銃殺されることからすれば、否定的とも言える。しかし、ルートが光となって主人公を導き、主人公がルートの救済のメッセージを伝え歩くという点にはある種の肯定性があるとも言える。しかしながら、カフカが提案した「教会や救済施設の建設」ほど肯定的ではない。現実面では恋人に裏切られたブロートが、小説の中ではルートを肉体的には殺し、精神的には永遠化することによって、このような結末が生まれたのであろう。

補助構成

 小説についてもっと感想を聞かせてくれ、というブロートの希望に対する応答が、1月20日のカフカの手紙である。とはいっても、この手紙は直接ブロートの小説について論じているのではなく、話題の中心は両者の友人であるバウムのことである。カフカはバウムと連れだってプラハからチューラウに戻り、バウムはしばらくカフカのもとに滞在していった。ブロートが夫婦生活の危機にあったのと時を同じくして、バウムもその当時結婚生活の危機を迎えていた。カフカがバウムの問題を論ずる際に『大いなる敢行』が引き合いに出されるのである。

「総体的に、とりわけ彼〔バウム〕のおびただしい《此岸の》構成(Konstruktionen)と夜の亡霊〔……〕を見ても、なかなかこちらには共感できない苦悩の数々を見ても、彼はまさにドクトル・アスコナスの種族だ。この人物がまさにわれわれの西ユダヤ的時代の一員であるのと同じように。この意味で、つまり社会精神的とでもいった意味で、この小説はおそろしくあからさまな言葉であり、もしそうであるとすれば、遠くに影響を及ぼす間にはじめて、その本来の意義を明らかにするだろう。こうした確認、時代との比肩以上のものではそれはないかもしれないが、それでもそれは大いなる開始ともなりうるのだ。僕たちは最初のいく晩か、この小説について、あれこれのことを証明するために用いる歴史的資料のように語り合った。」(BKB 226f.)

 まず引用の冒頭に出てくる《Konstruktionen》という用語であるが、これは『大いなる敢行』で使われていたのをカフカが借用しているものである。同じ手紙のあとのほうでカフカは、

「彼〔バウム〕の思考方向とか、彼の状態の原理的な絶望性とか、彼の葛藤の解決不可能性がほぼ完全に証明されることとか、それ自体では無意味で、侮辱的で、幾重にも反映しあい、お互いにお互いの上によじ登ろうとする――君の小説の専門用語を使えば――補助構成(Hilfskonstruktion)とか、それらすべてが僕の中に注いでくる」(BKB 227)

とも書いている。

 ブロートの小説の中では、《Konstruktion》も《Hilfskonstruktion》もほぼ同じ意味で使われている。《Konstruktion》という語が最初に出てくるのは第6章である。語り手がアスコナスに、「リベリアには理想主義者が多い」と言うと、アスコナスはこう答える。

「理想主義者! そう、彼らはみんな理想主義者なんだ。自分自身の世界構成(Weltkonstruktion)をあがめる悪魔崇拝者なんだ。自分で思いこんだ神的役職の良心的役人というわけさ!」(GW 162)

 アスコナスによれば、理想主義者というのは、自分で勝手に作り上げた理念を素晴らしい理想と思いこんで、それに献身する人びとであるが、彼らの理想は実は《Konstruktion=でっち上げにすぎない、というのである。

 第7章で詩人が主人公にアスコナス夫妻の夫婦関係について説明するときにもこの語が使われる。アスコナスは自由恋愛主義者で多数の女性と関係を持っているが、彼の妻も夫の思想を理解し、彼に協力してリベリアを造り上げている。詩人は二人の関係についてこう語る。

「二人はお互いに本当に素晴らしく理解しあっている。だから彼らはお互いに非常に簡単に許しあえるのだ。それらすべては彼らの結婚以前のKonstruktionでも考慮に入れられていた。しかし、このKonstruktionの結果は、破壊(Destruktion)なのだ。」(GW 197)

 この文脈では、《Konstruktion》という語は、自然な情愛ではなく、思想や理念によって作為的に作られた男女関係とでもいった意味である。

 同じ第7章に今度は《Hilfskonstruktion》という「専門用語」が出てくる。詩人は、二人の女性を同時に愛することを、すべての女性を支配することの「非常に込み入ったHilfskonstruktion」にしている(GW 194)。この《Hilfskonstruktion》は本来の目的の代用という意味である。アスコナスのほうはビーバー夫人とも肉体関係を持っている。ビーバー夫人は彼を心から愛しているが、彼のほうは彼女を性的欲求のはけ口としてしか利用していない。アスコナスが心から愛しているのはルートである。詩人はアスコナスとビーバー夫人の関係について、「彼女は彼を愛している。しかし、彼にとっては彼女はHilfskonstruktion以上のものではないのだ」(GW 206)と語る。この《Hilfskonstruktion》というのは、本来の結びつきが不可能なので、それに代わる間に合わせの男女関係ということである。さらに第8章では語り手が、「いま私は、それ以後〔ルートと別れたあと〕の私の全人生がなぜかくも惨めであったのかを理解した。その理由は、それがHilfskonstruktionであったからだ」(GW 211)という自己認識を語る。ここではこの語は、本来の人生をごまかす「動機づけ」の意味である。

 このように、《Konstruktion》も《Hilfskonstruktion》も真実を隠蔽する間に合わせの生き方、とくには偽りの男女関係のことを指している。このような虚偽の反対に来るのは、この作品の中では奇跡(Wunder)と呼ばれている。詩人は、アスコナス夫妻の間には奇跡が欠けている、と述べているが(GW 196)、これはまたブロートの夫婦関係の問題でもあった。

 《Hilfskonstruktion》というブロートの「専門用語」を使っているカフカの手紙は1月20日に書かれている。先にも触れたように、1月22日のアフォリズムでも彼は《Hilfskonstruktion》という語を使っていた。このことから、カフカはまずブロートの作品の朗読でこの語に注意を引かれ、それを手紙の中でバウムの状況を説明するために用い、次にその印象のもとでアフォリズムを書いたことがわかる。ただしこのアフォリズムでは、「補助構成」という語は、男女関係という狭い文脈から解放されて、真理に目を閉ざした人類全体、世界全体の虚偽のあり方一般を指すために用いられている。

西ユダヤ的時代の問題

 カフカはバウムの夫婦生活の悩みを聞かされて、彼をアスコナスの同類だと思ったのであるが、彼はさらに一般化し、アスコナスを、カフカ自身もそれに含まれる「われわれの西ユダヤ的時代」の典型的人物だと見なしている。

 西ユダヤ人というのは東ユダヤ人と対立する概念である。東ヨーロッパのユダヤ人は、ハシディズムという宗教とイディッシュ語という言語によって、明確な民族性を保持していた。それに対して、キリスト教的西ヨーロッパ文明に同化した西欧のユダヤ人は、ユダヤの民族的・宗教的伝統からは切り離され、また西欧社会にも完全には受け容れられないという根無し草の状態にあった。カフカは『父への手紙』(1919)の中で、西欧社会への同化を開始した父親の世代からすでに始まった、西ユダヤ人の文化的・宗教的空疎化を鋭く告発している。カフカは1920年にミレナ・イエセンスカに、自分は西ユダヤ人の典型だ、と語っている。

「私たちは二人とも西ユダヤ人のきわめて特徴的な典型を何人も知っていますが、私の知るかぎり、私は彼らの中で最も西ユダヤ的な人間です。というのは、誇張して言えば、私には一刻たりとも安らかな時間が与えられていないということです。私には何一つ与えられているものはなく、すべてを自分で獲得しなければならないのです。現在や未来だけではありません。過去すらもそうなのであり、どんな人間でもおそらく生まれながらに持っているもの、それすら自分で獲得しなければならないのです。」(24)

 西ユダヤ人は「過去」すらも持っていない、とカフカは言う。この「過去」とは歴史や伝統と言い換えることができるだろう。西ユダヤ人は二つの文化の狭間の空白地帯に生きているので、普通の民族なら持っている「過去」すらも持っていない。このような西ユダヤ人の対極にあるのが東ユダヤ人である。彼はミレナに、「もし誰かが私に、何でもなりたいものにしてやる、と言ったら、私は小さな東ユダヤの少年になることを望んだでしょう」と書いている(25)。彼がのちに、ポーランドのハシディズム的環境出身のドーラ・ディアマントと同棲したのには、民族的ルーツへの憧憬の念も作用していただろう。

 『大いなる敢行』の主人公はたしかに西ユダヤ人であるが、アスコナスの民族性については小説の中では何も言われていない。カフカはどのような点でアスコナスを西ユダヤ人の典型だと考えたのだろうか。

 まず第一に、女性に対する果てしのない欲望をいだきながら、現実的には女性と満足するような関係を築きえないアスコナスは、たびたび結婚の試みに失敗した、まさにカフカ自身の問題を体現しているとも言える。そして、これはカフカだけの問題ではなく、ブロートやバウムの問題であり、さらにもう一人の親しい友人であるフェーリクス・ヴェルチュの問題でもあった(ここでは触れなかったが、ヴェルチュも妻との間に問題をかかえていた)。自分も含めて、自分の最も親しい西ユダヤ人の友人たち、ブロートが言う「四者同盟」のすべてが同じ問題に苦しんでいる以上、カフカはこれを彼の個人的問題ではなく、西ユダヤ人の一般的問題と考えざるをえない――もちろん、その中でも、「最も西ユダヤ的」である自分のケースが最悪なのではあるが。西ユダヤ人にはチェコ人や東ユダヤ人のような民族共同体がないので、西ユダヤ人は人間の共同性について深く病んでいる、とカフカは考える。そのような共同体感覚の欠如が男女関係の失敗として露呈するのである。ちなみに、11月6日の手紙でカフカは、「ユダヤ的というのはせいぜい、ルートが自分だけで別のゲームをしたことくらいだが」と書いていたが、この文章は、孤立、つまり共同性の喪失が西ユダヤ人の特質であると彼が考えていることを示している。

 次に、アスコナスの造ったリベリアなる国が、きわめて西ユダヤ的な性格を帯びていると言える。この国は、戦争を逃れ、平和を求める人びとによって、二つの陣営の間の無人地帯の地下に造られている。このようなリベリアの位置は、西欧のキリスト教的文化と東欧の東ユダヤ的文化の中間にある西ユダヤ人の状況に似ている。しかも、地下に隔離されたリベリアはユダヤ人街やゲットーを想起させる。

 第一次世界大戦中、雑誌『ユダヤ人』を創刊したマルティン・ブーバーは雑誌の「創刊の辞」の中で、戦争とユダヤ人の関係について次のように述べている。

「ユーデントゥームは戦いに加わらない。しかし、戦いを傍観するのでもない。ユーデントゥームは《中立》ではない。中立者は、たとえひそかに味方をしていなくても、戦争の世界の中にいる。ユーデントゥームはその外にいる。それは、その本質からして、そこにいかなる居場所も持たない。〔……〕諸民族の分断に資することがユーデントゥームの本分ではない。その本分は諸民族の連合に貢献することである。」(26)

 ブーバーが言うこのようなユダヤ民族のあり方は、二陣営の間に戦争とは無縁の領域を作ろうとするリベリア人に似ている。リベリアに入ったとき、ビーバーは主人公にこう教える。

「リベリアは自由の領域に存在する。それはどこの国にも属さない。君が立っている大地は神聖な大地なのだ。なぜなら、この大地は無国籍だからだ。」(GW 59)

 地下国家リベリアでは農業生産が行なわれず、リベリア人の食糧は、戦闘で無人となった近隣の町や村からくすねてきたものである。アスコナスは、「われわれは何も生産しない、われわれはただ消費するだけだ」と述べる(GW 165)。このように非生産的で、いわば寄生的な生き方は、ヴァーグナーのような反ユダヤ主義者がユダヤ人に対して非難しただけではなく、ブーバーなどのシオニストも、西ユダヤ人のこうした生存状態は病的であり、ユダヤ人は父祖の土地であるパレスチナに帰り、大地に根ざした健康的な生き方をしなければならない、と説いていた。同じ雑誌に掲載された「労働」という論文の中で、パレスチナの開拓民であるA・D・ゴルドンは、自然から疎外され、労働に対して軽蔑をいだく西ユダヤ人を、寄生的存在として鋭く非難している(27)。また、リベリアの構成員はすべてインテリ知識人で、みな議論は巧みで、集会では自説を絶対に譲らないが、実際的な奉仕活動や肉体労働が嫌いなことなども、ユダヤ知識人のことを想起させる。

 このような点にカフカは、アスコナスとリベリアなる国に、西ユダヤ人の一般的時代状況を見たのであろう。それはただカフカの読み込みであっただけではなく、ブロート自身も西ユダヤ的問題を十分に意識していた。というのは、リベリアの地下都市に足を踏み入れたとき、主人公は、

「われわれは本当にエレツ・イスラエルにいるんだ。われわれはわが家にいるんだ。この洞窟都市、独特のユダヤ的建築様式を見てごらん。われわれは長いあいだ、近年の発掘が行なわれるまでは、固有の建築様式を生み出さなかった、と非難されてきたものだが……(GW 59)

という感想を述べているからである。彼はさらに、「リベリアが存在できなかったのであれば、なぜシオンが存在できるというのか?」(GW 304)と問うている。ブロートはリベリアに西ユダヤ人の一般的問題を書き込んだのである。

 このように見てくると、クンデラが言うように、ブロートはたしかに二流の小説家であり、『大いなる敢行』も二流の小説であるかもしれないが(カフカもこの小説は「時代との比肩以上のものではない」という評価を下している)、その中にはカフカの関心を引きつけてやまない、西ユダヤ人の「社会精神的」問題が描写されていたのである。そのような「歴史的資料」として、ブロートの作品は今なお読み直し、研究する価値があるだろう。

(1) 本稿は199810月、関西学院大学で開かれたオーストリア文学研究会における講演に加筆したものである。

(2) Milan Kundera, Les testaments trahis, Paris 1993. クンデラの批判の一面性については、拙稿「通俗的伝説の再論――ミラン・クンデラのカフカ/ブロート論について」(東京大学教養学部外国語科研究紀要第41巻第1号、1995年)を参照されたい。

(3) 1912年9月23日の日記で、カフカは『判決』の影響源の一つとしてブロートの小説『アルノルト・ベーア』をあげている(Franz Kafka, Tagebücher, Frankfurt/M. 1990, S. 461)

(4) Brod/Kafka, Eine Freundschaft. Briefwechsel, Frankfurt/M. 1989. 以下ではこの著作をBKBと略記し、そのあとの数字によってページを示す。

(5) Max Brod, Das große Wagnis, Leipzig/Wien 1919. 以下ではこの作品をGWと略記し、そのあとの数字によってページを示す。

(6) Max Brod, Über Franz Kafka, Frankfurt/M. 1966, S. 96.

(7) Max Brod, Der Prager Kreis, Stuttgart/Berlin/Köln/Mainz 1966.

(8) Max Brod, Tycho Brahes Weg zu Gott, Frankfurt/M. 1978, S. 231.

(9) Ibid., S. 243f.

(10) Max Brod, Heidentum Christentum Judentum, Band I, München 21922, S. 59.

(11) ブロートの個人的問題を色濃く映し出しているこの作品についてもカフカは興味深い批評をしているが、論旨を整理するために、本稿ではこの戯曲については触れないでおく。

(12) ボリス・グロイス「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説――テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて」(思想[岩波書店]第806号、1991年8月)を参照のこと。

(13) Franz Kafka, Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe. Hrsg. von J. Born und M. Müller, Frankfurt/M. 1983, S. 315.

(14) Franz Kafka, Nachgelassene Schriften II, Frankfurt/M. 1992, S. 34. ただし、カッコに入れた「もしわれわれが……」の部分は、のちにアフォリズム集を作成する段階で削除された。

(15) Ibid., S. 62. ただし、カッコに入れた「いかなる瞬間にも……」の部分は抹消されている。

(16) Ibid., S. 103f.

(17) Emanuel Hurwitz, Otto Gross. Paradies-Sucher zwischen Freud und Jung, Zürich 1979, S. 130.

(18) Franz Kafka, Nachgelassene Schriften II, S. 77.

(19) Ibid., S. 74f.

(20) Ibid., S. 133.

(21) Franz Kafka, Tagebücher, S. 857.

(22) これらのアフォリズムはブロート版全集では『彼』というアフォリズム集にまとめられていたが、原典批判版全集では1920年の日記の一部とされている。

(23) Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, S. 189f.

(24) Franz Kafka, Briefe an Milena, S. 294.

(25) Ibid., S. 258.

(26) Martin Buber, Die Losung, in: Der Jude, Erster Jahrgang 1916-17, S. 3.

(27) A. D. Gordon, Arbeit, in: Der Jude, Erster Jahrgang 1916-17, S. 37ff.

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