カフカの「二つの動物物語」(1

――「ジャッカルとアラビア人」――

 

On Kafkas Two Animal Stories (1) ――Jackals and Arabs――

 

中澤英雄

 

 

 拙稿「カフカの八折判ノートのいくつかの問題――短編『家父の気がかり』と『特権意識』をめぐって」[1]でも述べたように、カフカは19174月にマルティン・ブーバーに、最近書き上げたばかりの12の短編作品を送付し、その中から「ジャッカルとアラビア人」と「ある学会への報告」の2篇が、ブーバーが主宰する雑誌『ユダヤ人』に「二つの動物物語」という共通の題を冠して掲載された。錬金術師小路(アルヒミステンガッセ)期のいくつかの短編作品がカフカのシオニズムとの対決という視点から解読されうることは、すでに数篇の拙論で指摘してきたが[2]、この2作品も同様に解釈できるであろうか。

 興味深いことに、雑誌の主宰者であったブーバーは後年、そういうユダヤ的解釈を否定している。

 1952年にウィリアム・ルービンスタインが、「ある学会への報告」はユダヤ人のキリスト教への改宗を風諭した作品である、という解釈を発表した[3]。この解釈に疑問をもったG・シュルツ=ベーレントがブーバーに、「ある学会への報告」の『ユダヤ人』への掲載理由に関して問い合わせたところ、1960728日付の手紙で次のような返答を得たという。

 

文学作品(Dichtungen)を私は『ユダヤ人』に、そのユダヤ的な内容のゆえに掲載したのではありません。それらの作品を知ることが私の読者にとって重要であると思われたときにそうしたのです。[4]

 

 シュルツ=ベーレントはこの一文をもとに、「ある学会への報告」はユダヤ人問題を描いた作品ではなく、人間一般の問題――とくに自由の問題――の描写だと主張している。彼は「ある学会への報告」しか論じていないが、「ジャッカルとアラビア人」も同様にユダヤ人問題とは無関係とブーバーは考えていた、ということになるだろう。シュルツ=ベーレントの論文は、その後の「ある学会への報告」の解釈に一定の影響を及ぼしてきた。

 しかし、彼の主張にはいくつかの問題点がある。まず、ブーバーは雑誌編集者の立場にあったとはいえ、彼の見解はやはり読者の一人としての解釈の表明にすぎない。ブーバーが2作品にユダヤ人問題を見出したか見出さなかったか、という読者側の受容・解釈と、カフカがその作品にいかなるテーマを描き込んだのか、という執筆者側の意図とは別問題である。カフカがそこにユダヤ人問題を描いたとしても、読者たるブーバーがそれを読み損なったということもありうる。もちろん逆に、カフカが描いてもいなかった問題をそこに読み込む、という誤読の可能性も存在する。いずれにせよ、シュルツ=ベーレントのように、雑誌の編集者の一文を自分の作品解釈の正当性の根拠にすることは適切ではない。

 次に、シュルツ=ベーレント自身の問い合わせの手紙の文面が示されていないし、ブーバーの手紙の全体も示されていないので、ブーバーがどのような文脈の中で引用された文を書いたのかもわからない。さらに、1960年のブーバーが1917年のブーバーと同じ考えかどうかも確定できない。

 以下では、最初に、1960年の手紙にもかかわらず、1917年のブーバーがカフカの「二つの動物物語」に明らかにユダヤ人問題を見ていたことを論証し、次に2作品におけるユダヤ人問題を析出してみよう。

 

1 『ユダヤ人』に掲載されるまで

 

『ユダヤ人』の刊行

 

  ブーバーが雑誌『ユダヤ人』の刊行計画を公にしたのは191511月である。彼は多くのユダヤ知識人に雑誌への協力を依頼したが、フランツ・ローゼンツヴァイク(18861929ユダヤ神学者・哲学者)もその一人であった。ローゼンツヴァイク宛の1122日付の手紙で、ブーバーは次のように述べている。

 

私は数名の友人との合意のもと、〔1916年〕1月から『ユダヤ人』という月刊誌を刊行いたします。この雑誌は、何らかの党派的な方向性なしに、ユダヤ問題の掘り下げた論述、ユダヤ的現実の十分な叙述、ユダヤ語(der jüdischen Sprache)の率直で強力な擁護に貢献しようとするものです。私は、戦争中と戦後の最初の時期の間、この雑誌の主宰を引き受けました。貴兄も協力者に加わってくだされば、うれしく存じます。できるだけ簡潔で力強くまとめられた論文のほか、最近の出来事や発言に関する短い批評を行なおうと考えております。――お早めに同意を下さり、それに続いて〔雑誌への〕提案をいただければ、幸甚に存じます。(BuBr 404)

 

 マックス・ブロートもブーバーから協力を依頼された一人であった。ブーバーの依頼(その手紙は残されていない)に対して、ブロートは同年1117日に次のように返答している。

 

貴兄はフランツ・カフカ(プラハ市ポジチ7番)も招く気はありませんか? 『自衛』の新年号(ローシュハシャナ)に発表された「掟の前」という彼の作品は、大いに注目に値します。この作品では、カフカにおけるユダヤ的なものが初めて明確に姿を現わしているように思います。(DLA 306)

 

 ブーバーはブロートの提案に従い、カフカにも『ユダヤ人』への協力依頼をしたが(その手紙は残されていない)、それに対してカフカは1129日に次のように返答した。

 

貴台の親切なご招待はたいへん光栄に存じますが、小生は貴意にお応えすることができません。小生は――もちろん、なにがしかの希望をもって言えば、まだ、ということになるのですが――あまりにも気が滅入っていて、この共同体の中でほんのささやかな声でさえ語ることが許されているのか、自信が持てないからであります。(BuBr 409)

 

 1913年ころに熱心なシオニストになったブロートは、友人カフカもシオニズムに「改宗」させようとしたが、カフカはブロートの強引な勧誘に辟易し、シオニズムに反発を感じていた。カフカは1922123日の日記に、自分のそれまでの人生を振り返り、自分の様々な挫折を「ピアノ、バイオリン、語学、ドイツ文芸学、反シオニズム、シオニズム、ヘブライ語、園芸、指物、文学、結婚の試み、自分の住居」というように列挙している(T 887)。「反シオニズム、シオニズム、ヘブライ語」というのは、おそらく時系列順であろう。191511月のカフカはいわばまだ「反シオニズム」の時期だったのである。彼は、19147月にフェリス・バウアーとの最初の婚約を解消したあと、彼女との交際を再開していたが、それはうまく進行していなかった。カフカは自分の個人的な問題に埋没し、ブーバーの勧誘に乗る意欲さえも持てなかったのである。

 

雑誌『ユダヤ人』の目的

 

 ブーバーの呼びかけに応えて、『ユダヤ人』にはその当時の一流のユダヤ知識人が結集し、きわめて知的レベルの高い雑誌になった。『ユダヤ人』の創刊号(4月号)は19163月に刊行された。ブーバーが雑誌の刊行を決意したきっかけは、第一次世界大戦の勃発であった。彼は創刊号の冒頭の「標語 Losung」の中で以下のように述べている。

 

戦争は、諸民族のただ中におけるユーデントゥーム(Judentum[5]の状況の悲劇的な問題性を昂進させ、恐ろしいほど明確にした。/何十万人ものユダヤ人が互いに戦っている。そしてその決定的な点は、彼らが戦っているのは、強制されてではなく、優勢な義務の感情からである、ということである。〔・・・・〕ヨーロッパの精神、むしろ今日のヨーロッパの精神と言うべきだが、それは断固たる分裂の精神であり自殺的な犠牲精神なのであり、それがユダヤ人をもとらえたのである。〔・・・・〕諸民族は相互に、ユダヤ人社会(Judenheitは自身の内部で分断されている。〔・・・・〕存在するのは個々のユダヤ人、分断されたユダヤ人だけであって、ユーデントゥームは存在しないかに見える。(BuLo 1)

 

 ヨーロッパ諸国に離散し、法的にはその国の国民となっているユダヤ人は、彼らが居住する国に対する国民的忠誠と義務の感情から、ある者はドイツ人として、ある者はフランス人として、別の者はロシア人として、戦地におもむき、互いに戦っている。これはまさにユーデントゥーム=ユダヤ民族の悲劇であるが、このような状況は、ユダヤ人がユダヤ人としての国家を持たないところから生じている。すでにテーオドール・ヘルツルは1896年に『ユダヤ人国家』を発表して、ユダヤ人が独自の国家を持つ必要性を訴えていた。しかしブーバーは、国家建設のための土地を求めるだけのヘルツルの政治的シオニズムに満足できず、精神性を重視した独自のシオニズムを提唱していた。彼は1904年のヘルツルの死去に際して書いた「テーオドール・ヘルツル」というエッセイでこう述べている。

 

真のユダヤ人問題(Judenfrage)とは、内面的で個人的な問題であるということ、すなわち個々のユダヤ人が自分の中に見出す遺伝的に受け継いだ本質的特殊性に対する態度決定であるということ、彼の内面的なユーデントゥームに対する態度決定であるということ、そしてこれのみが民族を規定するということ、このことをヘルツルは理解できなかった。そのため彼は、『ユダヤ人国家』において、その後の彼のすべての集会においても、最も奇妙な文化問題の一つであるユダヤ的独自性とその創造性の問題を素通りしてしまったのである。ユダヤ人問題は彼にとって一度もユーデントゥームの問題(Judentumsfrage)にならなかった。それは彼にとって常にユーデンハイト(ユダヤ人社会)の問題(Judenheitsfrage)であり続けた。後者の問題を彼はもちろん正しく把握し、見事に記述した。もっとも、その問題をあまりにも過剰にユダヤ人の流浪のせいにしてしまいはしたが。その流浪に排水口を与えることが国家建設の当面の目標となり、その計画を彼は本の中で構想したのである。[6]

 

 ブーバーは「ユーデントゥーム」と「ユーデンハイト」という語を使い分けることによって、自分とヘルツルの立場の違いを強調しようとしている。ユーデントゥームには「ユダヤ民族」という意味のほか、「ユダヤ教」「ユダヤ精神」「ユダヤ的アイデンティティ」などといった意味がある。「ユーデンハイト」はもっぱら「ユダヤ人の総体」という意味で、そこには「ユーデントゥーム」にあるような宗教的・精神的な意味は含まれていない。

ブーバーによれば、ユーデントゥームの悲劇性とは、国家を持たないという政治的問題であるよりも、むしろ民族共同体を喪失したことによって生じた精神的問題なのである。「標語」の中で彼はこう続けている。

 

とくに西欧のユダヤ人の最も本質的な弱点(Schwäche)とは、以下のことではなかっただろうか。それは、彼が「同化 assimiliert」したことではなく、彼が「アトム化 atomisiert」したことである。彼が関連を失ったことである。彼の心が、生きた共同体の心拍にもはや同調することなく、彼の個別化した願望の恣意的な拍動に従ったことである。彼が真の人間生活、聖なる民族会衆(Volksgemeinde)における人々の相互依存的かつ相互溶融的生活から閉め出されたことである。ユーデントゥームはもはや根を持たなかった。同化という気根(Luftwurzeln)は養う力を持たなかった。しかし今やユダヤ人は、諸民族の中でともに体験した破局的過程の中で、共同体の偉大な生を、はっと驚いて発見したのである。〔・・・・〕共同体感情が彼の中でほのかに光り始めたのだ。彼は自分の中であるものが燃え上がるのを感じ、それを前にしてはあらゆる利益目的が瓦解した。彼は関連を体験した。彼は内的解放への第一歩を踏み出した。その瞬間に正当性が認められるならば、彼は二度と原子の生活に戻ることはないであろう。そして、彼の血(Blut)と彼の種族の深い共同体の叫びが、以前にもまして明敏になった耳朶を打つであろう。(BuLo 1f.)

 

 ユダヤ人はユダヤ人の郷土を喪失し、彼らが居住する各国家の中で「同化」を強いられてきた。その同化のプロセスの中で、彼らは孤立した人間として「アトム化」して、「共同体感情」を喪失した。これこそ、西欧のユダヤ人の「弱点」[7]、最大の悲劇である。この状況を改めるためには、すべてのユダヤ人が民族共同体への責任感を自覚し、ユダヤ人の共同体の建設に参画しなければならない。

 

そもそもこの世における生活を真剣に営もうとする者は、共同体との関係を真剣に確立しなければならない――責任(verantwortlich)を感じることによって。この大戦のユダヤ的体験によって震撼させられ、ユダヤ人の共同体の運命に対して責任を感じるユダヤ人の中には、ユダヤ民族の新たな一体性(Einheit)が生まれてくるのである。(BuLo 2)

 

 しかし、ブーバーが目指しているのは、単なるユダヤ民族主義の高揚ではない。単なる民族主義は世界の分断をより激化させるだけだからである。

 

地上の諸国家のユダヤ人社会、それらの種類と運命の多様性、強大な一体性の中における目下の分裂状態に対立する〔ユーデントゥームという〕この実体を、生きた民族性として語るのであれば、ディアスポラの中においてこの実体を確保し強固にしようと努めるのであれば、その実体に中心的な場所、パレスチナにおける有機的な中心を与えようと欲するのであれば、我々は、現在、互いに戦いあい探りあっている諸々のナショナリティに、もう一つのナショナリティを付け加えることを目指そうとするものではない。諸民族の分断に資することがユーデントゥームの本義ではない。その本義は諸民族の結びつきに奉仕することなのである。(BuLo 3)

 

 ユダヤ民族は諸民族の中のただの一民族ではない。聖書の民であるユダヤ民族はやはり、「諸民族の結びつき」=人類の平和に貢献することができる特別な使命をもった民族なのである。ユダヤ民族がユーデントゥーム(ユダヤ精神)の本質に目覚め、パレスチナに理想的な共同体を形成すれば、それは諸民族の模範となるであろう。パレスチナという郷土はそのためにこそ必要なのである。そのことを彼は、のちに『ユダヤ人』第5号(19168月号)に発表した「概念と現実」という別の論文で、「我々はパレスチナを《ユダヤ人のために》欲するのではない。我々はその土地を人類のために欲するのだ。なぜなら、我々はユーデントゥームの実現を欲しているからだ」[8]と定式化することになる。

 

ユダヤ的文学とは何か

 

 このように、雑誌『ユダヤ人』は、ディアスポラにおけるユダヤ人の民族的アイデンティティの探究と覚醒と高揚のために創刊された。191511月の段階では、ブーバーは雑誌にカフカのような文学者の作品も掲載することを考えていたのかもしれないが、『ユダヤ人』の創刊号と第2号(5月号)はもっぱら論説が主体で、そこには文学作品は一篇も掲載されなかった。この点について、ブロートは191652日にブーバーに次のような感想と提案を伝えた。

 

貴兄は文学(Poesie)に対しても一定の場所を認めるべきでしょう。私自身は戦争以来、ほとんど非文学的になっているにもかかわらず、そう言わせてもらいます。貴兄は評論においては、私たちの最善の社会思想家と並んで、最善の詩人たちも採り上げ、たとえばヴェルフェル、カフカ、ヴォルフェンシュタイン[9]などの最新の世代を糾合すべきでしょう。(BuBr 429)

 

 『ユダヤ人』に文学作品が掲載されなかったことに、ブロートは異議を唱えたのである。だがブーバーはブロートの提案を拒絶した(ブーバーの手紙は残されていない)。それに対してブロートは59日に次のように反論した。

 

私は貴兄の立場は非論理的であると思います。『ユダヤ人』はすべての生きたユダヤ的なものを糾合すべきです。西ユダヤ的文学に関するエッセイ、たとえば『ティコ・ブラーエ』の批評や叙情詩に関する論文が掲載可能であるとするならば、この文学そのもの、叙情詩そのものがなぜ掲載可能ではないのでしょう? もしそれらの作品のユダヤ性がそれ自体で感知可能ではなく、まずは強調されねばならないのであれば、それは役立たずであり、生きたものではなく、『ユダヤ人』で論じられる必要さえないのです。したがって、西ユダヤ的文学については、まったく論じないで(そのときはおそらく西ユダヤ的社会学などもおそらく同じ)、文学を自立的な、本質的な構成要素として扱わないということになります。それとも、両方とも扱う、のどちらかです。〔・・・・〕もし貴兄が『ユダヤ人』の中に、西ユダヤ的文学のためのホーム、「法的に保障された郷土」[10]をつくれば、単なるこの事実によって、貴兄は西ユダヤ的文学に改造的影響を与え、これまでひどい漂流状態しか存在しなかったところに結集をつくることになります。――西ユダヤ的文学者は、貴兄によって一体のものと見られているので、〔・・・・〕はじめて一体性を感じることになるでしょう。彼らはそのことによって、まったく新しい責任感が自分の中に目覚めるのを感じることになるでしょう。」(BuBr 432f. 強調はブロート)

 

 「西ユダヤ的文学に関するエッセイ、たとえば『ティコ・ブラーエ』の批評や叙情詩に関する論文が掲載可能であるとするならば」とブロートが書いているように、『ユダヤ人』の第2号(19165月号)には、ブロートの歴史小説『ティコ・ブラーエの神への道』に関するフーゴー・ベルクマンによる書評が掲載されている[11]。小説や詩に関する評論が『ユダヤ人』の趣旨に反しないのであれば、小説や詩そのものの掲載を拒む理由はないはずだ、とブロートは主張するのである。

 文学作品の掲載をめぐってブーバーとブロートの間で意見が対立しているのは、何が「ユダヤ的文学」か、という問題に関する見解が両者で異なっているからである。ブロートの91日の手紙はこう述べている。

 

ユダヤ的文学に関する原則的問題について、私は貴兄と口頭での話し合いを心から希望しております。大急ぎで書いた手紙では、私たちは残念ながら一致することはできないでしょう。〔・・・・〕/ただ、私はこのことだけは言っておきたいと思います。外的な言語形式が決定的であるとは、私は信じることができません。ただ内的な精神が特定の人間的発展系列への帰属性〔・・・・〕を確定することができるのです。まさにただこの意味において、ユダヤ的な音楽、彫刻、絵画が存在するのであり、そこでは言語は問題にならないのです。」(BuBr 453。強調はブロート)

 

 ブーバーは「言語」によって、ブロートは「内的な精神」によって、文学の「ユダヤ性」を判断しようとしている。ブーバーのローゼンツヴァイク宛の手紙にあった「ユダヤ語」とは、ヘブライ語のことである。ブーバーは、先に引用した「概念と現実」という論文で、ヘブライ語を「ユーデントゥームの偉大な諸価値を省略と偽造なしに採り上げることができる唯一の言語」と規定している[12]。つまり彼は、ヘブライ語で書かれた文学のみをユダヤ的文学として認めようというのである。これに対してブロートは、たとえヘブライ語以外の作品であっても、それが「内的な精神」によってユダヤ的であれば、それは「西ユダヤ的文学」に含まれる、と考える。そして、雑誌『ユダヤ人』を、そのような「西ユダヤ的文学」を糾合する場にしてほしい、と希望するのである。

 ブロートが第一に掲載を要求した文学作品はもちろんカフカであった。彼は1916621日に論文「我らの文学者と共同体」をブーバーに送付した(『ユダヤ人』への掲載は191610月号)。この論文は、現代の6人のドイツ語系ユダヤ人作家、クルト・ヒラー、ルートヴィヒ・ルービナー、フランツ・ヴェルフェル、アルベルト・エーレンシュタイン、パウル・アードラー、カフカを採り上げ、彼らとユダヤ性との関係を論じている。この論文の中でブロートはカフカについて、「彼の諸作品の中には一度として《ユダヤ人》という語は登場しないが、それらは我々の時代の最もユダヤ的な記録の一つなのである」と論じた[13]。ブロートは自分の論文にカフカの「オリジナルな小品」を添付し、それを『ユダヤ人』に掲載してくれるようにブーバーに依頼しているが、この作品は「ある夢」であっただろうと見られている(DLA 307)。当然のことではあるが、ブーバーはこの作品の掲載を拒否し、カフカに断わりの手紙を書いた(F 704f.)

 

ブーバーの変化

 

 しかしブーバーも、ブロートとの議論の中で徐々に立場を変えていったようである。ブーバーの1917115日のブロート宛の手紙はこう述べている。

 

ドイツ文学の中に特殊ユダヤ的精神の要素がドイツ精神と独自の総合を遂げて存在しているということは、容易に承認できます。むしろ、それは自明のことです。しかし、そのような要素が見出される作品は、それゆえにこそ「ユダヤ的」文学には帰属していないのです。一つの作品が二つの文学に帰属しているというのは、私の思考と感情に反します。たとえばヴェルフェルを(あるいは貴兄を)ドイツ文学から切り離すなどということを、貴兄はお考えにならないでしょう。〔・・・・〕言語はやはり文学の構成的原理であり続けるのです。〔・・・・〕貴兄のおっしゃるとおりです。ユダヤ的精神はここ外国語においても声高に聞こえます。しかし、それはここでは固有の有機体に、「書字性 Schrifttum」には化していないのです。(BuBr 459f.)

 

 ブーバーは「外国語」――具体的に言えばドイツ語――で表現された「ユダヤ的精神」の存在を承認するが、これはブロートに対する一定の譲歩である。そもそも『ユダヤ人』がドイツ語の雑誌なのだから、ドイツ語ではユダヤ的精神を伝えられない、という観念自体が自己矛盾なのである。この論争はブロートの勝利ということになるであろう。

 ユダヤ的文学をめぐる両者の論争に関係するこれ以降の手紙は残されていないが、当初はドイツ語文学作品を『ユダヤ人』に掲載することを拒んでいたブーバーも、19173月までには文学作品も掲載することに編集方針を変えた。それを証言するのは、1917320日のベルクマン宛の手紙である。

 

『ユダヤ人』も2年目に入り、貴兄の意味において「より人間的 menschlicher」になるでしょう。私は、雑誌の性格を変えることなく、二つの要素を結びつける形を発見したと信じています。ドイツ語で一般的な雑誌を作るならば――ヘブライ語の雑誌でそうすることは正しいのですが――私の見解ではそれは根本的に間違っているでしょう。4月号と5月号をご覧になれば、私が意味していることをよりよくご理解願えると思います。(BuBr 488。強調はブーバー)

 

 ブーバーのこの手紙に対応するようなベルクマンの手紙は残されていないが、「貴兄の意味において《より人間的》」という語句は、『ユダヤ人』19169月号に掲載されたベルクマンの「アハド・ハアームの国民的意義」という論文のことを念頭に置いているものと思われる。そこでベルクマンはシオニズムの先駆者アハド・ハアームについて、「ここにおいてアハド・ハアームの人格はユダヤ的なものを大きく超えて、全人間的なもの(das Allmenschliche)へと成長する」と述べている[14]。ブーバーが語る「二つの要素」とは、「ユダヤ的なもの」と、ユダヤ民族性を超えた普遍的な「全人間的なもの」のことであろう[15]

 ヘブライ語の雑誌であれば、たとえユダヤ人問題に限定しない一般的・人間的な内容であっても、その言語=書字性がユダヤ的性格を担保してくれる。しかし、『ユダヤ人』はドイツ語の雑誌であるから、ユダヤ性に焦点を合わせないと、ただの「一般的な」ドイツ語雑誌に拡散してしまうことをブーバーは危惧していた。ブーバーの分類によれば、ドイツ語文学作品は一般的・人間的な要素であり、そのため彼は文学作品の掲載をこれまで拒んできたのである。しかし、雑誌創刊後1年が経過して、彼は雑誌の性格を若干変え、「より人間的」にするつもりだと言うのである。それは具体的には、ドイツ語文学作品の掲載を含意するであろう。そして、雑誌が第2年度に入ると、事実そのようになったのである。

 

フランツ・ヴェルフェルに関する前書き

 

 『ユダヤ人』に最初に掲載された文学作品は、フランツ・ヴェルフェルの詩であった。19174/5月号(合併号)は、ヴェルフェルの16篇の詩を掲載している[16]。しかも、詩の前にブーバーはわざわざ「フランツ・ヴェルフェルに関する前書き」という解説文を書いている。その中でブーバーはヴェルフェルの詩を、外界を歌う「対象性 Gegenständlichkeit」の詩ではなく、詩人の内面の感情の表出であると解説している。「彼と世界の間には契約が欠如している。対象化(Vergegenständlichung)が欠如している」ので、詩人には世界との「合一 Vereinigung」が拒まれている。そこに自我と世界との齟齬、すなわち「孤独 Einsamkeitが生まれる。だが、詩人の真の問題は自我と世界の関係ではない。「二元対立(Entzweiung)の本来の場所は、ますます深まる力をもって魂となる。自我と世界の間の《壁》の感情は、主体自身の中における壁の感情へと凝縮する」[17]

 この解説でブーバーは一度も「ユダヤ人」という語を使ってはいないが、実はこれはまさにブーバーのユダヤ人問題の叙述なのである。

 ブーバーは、1910年にプラハのシオニスト協会「バル・コホバ」で行なった「ユーデントゥームと人類」という講演(1911年の『ユーデントゥームに関する三つの講話 Drei Reden über das Judentum』に収録)で、おおよそ次のように述べていた――

 明確な国土、言語、生活様式を持っている民族は、その民族の固有性を発揮することによって人類に貢献できるが、民族としてのそのような輪郭を持たないユダヤ民族(ユーデントゥーム)は人類との関係をどのように考えればよいのか。ユダヤ民族の問題をユダヤ人の魂の深みにおいて考察すれば、そこに見出されるのはユダヤ人の「Dualität 二元性」という問題である。ユダヤ人の歴史のいかなる時代にも、高貴な預言者や救済者と同時に、卑劣な放蕩者と裏切り者が見出される。一人のユダヤ人の中にその両面が存在している。この点において、ユダヤ人は人間存在の本質的「Zweiheit 二元性」[18]を極端な形で代表しているのである。この二元性は聖書創世記の堕罪神話に典型的に表現されている。堕罪によって人間はその内面に善と悪の分裂をかかえこんだ。この二元性から救済されるために、ユダヤ人は「Einheit 一元性・一体性」を強く希求した。

 

いたるところに二元対立(Entzweiung)[19]の感情と経験が見出されるであろう――そしていたるところで一元性(Einheit)への努力もまた。/一元性への努力。個々人における一元性。民族の諸部分間の一体性(Einheit)、諸民族間の一体性、人類とあらゆる生あるものとの一体性。神と世界の間の一体性。(BuJu 22)

 

 二元対立の自覚とそこからの救済の努力、すなわち一元性(一体性)の獲得の努力こそ、ユダヤ人の創造性の源泉である。

 

一元性獲得への努力こそ、ユダヤ人を創造的にしたものなのだ。自我の二元対立(Entzweiung)から一元性を希求しつつ、彼は一なる神の理念を創造した。人間共同体の二元対立から一元性を希求しつつ、彼は普遍的正義の理念を創造した。すべて生あるものの二元対立から一元性を希求しつつ、彼は普遍的愛の理念を創造した。世界の二元対立から一元性を希求しつつ、彼はメシア的な理想を創造したのであるが、それは後世、またもやユダヤ人の指導的関与によって、矮小化され、有限化され、社会主義と呼ばれることになった。(BuJu 23)

 

 ブーバーによれば、魂の内部における「二元対立 Entzweiung」こそユダヤ人問題の核心なのである。先の「テーオドール・ヘルツル」にも見られたように、「ユダヤ人問題」を徹底的に精神の問題、魂の問題としてとらえることが、ブーバーのシオニズムの立場であった。彼は「ユーデントゥームとユダヤ人」という論文(1909年に「バル・コホバ」で講演、1911年の『ユーデントゥームに関する三つの講話』に収録)では、「絶海の離れ小島に漂着したユダヤ人が、そこでもなお《ユダヤ人問題》として認識するところのもの、それのみが真のユダヤ人問題なのだ」というユダヤ人作家モーリッツ・ハイマン(18631925)のアフォリズムを引用している(BuJu 16)

 ヴェルフェルの詩への解説に戻ろう。その最後でブーバーはこう問いかけている。

 

そのように体験され、反駁の余地がないほど真正な言語構成によって詩作されたものが何であるか、なお語る必要があるであろうか? 内奥の困窮――まことにそれは一個人の困窮ではないし、今日のドイツ人の困窮でないこともたしかだ――が、ここでは純粋な信条告白へと育ったのであるが、それは誰の困窮であろうか? 詩人としての召命を受けるとき、対象性から湧出する確実性を失わざるをえず、彼が自分を救済するまでは、その問題性のあらゆる戦慄にさらされているのは、誰であろうか?[20]

 

 その答えをブーバーは書いていないが、答えは自明である――「ユダヤ人」である。ヴェルフェルの詩には一度として「ユダヤ人」という語は登場しないが、ブーバーによればそれらはまさに「魂のユダヤ人問題」の端的な表白なのである――ブロートにとってカフカの作品がそうであるのと同じように。

 このように、ブーバーは、ブロートの提案に譲歩する形で『ユダヤ人』に「叙情詩」を掲載したが、しかし、それはやはりユダヤ人問題と無関係な作品ではなく、「魂のユダヤ人問題」に深く関わる作品であった。編集方針のこのような「より人間的な」変更のもとに、彼は19174月に、一度は掲載を断わっていたカフカに、再度『ユダヤ人』への作品提供を要請したのである。

 

二つの寓意

 

 カフカは1916年秋から、フェリスにベルリンのユダヤ民族ホームでヘルパーとして働くことを勧め、彼女を通してシオニズムに接近し始めていた[21]。彼は「反シオニズム」期を脱していた。シオニズムに対する肯定的変化もあって、カフカは422日付の手紙でブーバーに以下のように返答している。

 

ご返事をさし上げるのが数日遅れてしまったのは、まず原稿を書き写さなければならなかったからです。12篇をお送りいたします。そのうちの2篇「新しい弁護士」と「田舎医者」は『マルシュアス』に提出してあります。しかしながら、ちょうどこの2篇が使えるとお考えでしたら、それを『マルシュアス』から取り戻してまいります。それが非常に困難ということはないでしょう。これらすべての作品と、さらにほかのものも合わせて、いずれそのうち、全体の表題を『責任 Verantwortung』とする本として出版するつもりでおります。(BuBr 491f.)

 

 『マルシュアス』はテーオドール・タッガー(フェルディナント・ブルックナーというペンネームも使った)が創刊した隔月刊の高級文芸誌で、そこにはカロッサ、デーブリン、ヘッセ、ホーフマンスタール、レルケ、シュテーア、シュテルンハイム、シュテファン・ツヴァイクといった、当代の錚々たる著名作家がオリジナルの作品を発表した。ローベルト・カウフも述べるように[22]、そういう雑誌に登場できるということは、無名の作家であるカフカにとっては非常な名誉であったはずである。ところがカフカは、そういう雑誌に提出してあった作品までも撤回し、それを『ユダヤ人』にまわしてもかまわない、と言うのである[23]。彼がいかに『ユダヤ人』に自分の作品が載ることを熱望していたかがわかる。

 カフカは、12+αの作品を『責任』という題の短編集として出版するつもりだ、と述べているが、この題名は明らかに、「そもそもこの世における生活を真剣に営もうとする者は、共同体との関係を真剣に確立しなければならない――責任を感じることによって」という「標語」におけるブーバーの呼びかけに対する応答である。つまり、カフカは文学という形で彼なりにユダヤ民族に対する「責任」を担おうとしたのである[24]

 ブーバーは、12篇の中から「ジャッカルとアラビア人」と「ある学会への報告」の2篇を採用することをカフカに伝えた(その手紙は残されていない)。それに対してカフカはブーバーに、

 

これでどうやら私も『ユダヤ人』に参加したわけですが、そんなことは不可能だといつも考えておりました。どうかこれらの作品を寓意(Gleichnisse)とは名づけないでください。それらは本来、寓意ではありません。全体の題が必要ならば、「二つの動物物語」が最善かと存じます。(BuBr 494)

 

と返答した。

 「そんなことは不可能だといつも考えておりました」には、カフカの複雑な感情がこもっている。彼は最初、ブーバーからの協力依頼を自分から断わった。次には、ブロートが斡旋してくれた「ある夢」の掲載を、今度はブーバーのほうから拒絶された。両者の行き違いを超えて、今回ようやく作品が『ユダヤ人』に掲載されることになったのである。

 カフカの文面から判断すると、おそらくブーバーは、2作品に「二つの寓意 Zwei Gleichnisse」という題を付けたい、とカフカに提案したのだが[25]、カフカはそれを拒否したのである。しかし、カフカがどのような主張をしようと、ジャッカルや猿が人間の言葉を話すはずはないので、2作品をいわばシートンの動物記のような意味での「動物物語」と解釈することはできない。そもそも動物が人間の言葉を話すというのは、イソップ物語のような「寓話 Fabel」の常道である。ただし、カフカ作品で何が「寓意」されているのかは、イソップ物語のように簡単には読み取れない。

 ブーバーは2作品にどのような「寓意」を読み取ったのであろうか。それを証言する記録は残されていない。しかし、彼は「ユダヤ人」という語が一度も登場しないヴェルフェルの詩を魂のユダヤ人問題」として読解していた。彼がカフカ作品にもユダヤ人問題に関する何らかの「寓意」を見出したであろうことは、まず否定できない。

 それでは、ブーバーは1960年になってシュルツ=ベーレントに向かって、なぜ「文学作品を私は『ユダヤ人』に、そのユダヤ的な内容のゆえに掲載したのではありません」と述べたのであろうか? 最も単純には、1960年のブーバーは1917年当時のことを忘れてしまっていた、という理由が考えられるが、ブーバーを注意深く読むと必ずしもそうではないかもしれないとも推測される。

 繰り返しになるが、ヴェルフェルの詩は決して明示的にユダヤ的な内容ではなかった。そこには「ユダヤ人」という語は一度も登場しない。それはまさにドイツ文学に帰属する作品であり、「ヴェルフェルをドイツ文学から切り離す」ことは不可能なのである。しかし、ブーバーの「前書き」が解説しているように、そのような一般的・人間的な文芸作品の中にも、実はユダヤ的な要素が含まれている、というのがブーバーの解釈である。「文学作品を私は『ユダヤ人』に、そのユダヤ的な内容のゆえに掲載したのではありません」と彼が述べたときの「ユダヤ的な内容」とは、明示的にユダヤ的な内容、つまり「ユダヤ人」や「ユダヤ的」や「ユーデントゥーム」という語が出現する内容ということであって、隠された「ユダヤ的精神」のことは含まれていないのである。そうであるならば、ブーバーが、「ユダヤ人」という語が一度も登場しないカフカ作品を明示的に「ユダヤ的な内容」とは考えなかったことは自明である。しかし、2作品もヴェルフェルの詩と同じように、何らかの意味で「ユダヤ的精神」と結びついていると感じられたので、彼は「私の読者にとって重要」と判断したに違いない。

 これ以外にも理由が考えられる。シュルツ=ベーレントは彼の論文では述べていないが、ブーバーへの手紙ではルービンスタインの解釈についても言及し、その是非についてブーバーの意見を尋ねたものと思われる(ルービンスタインの論文のコピーも添付したかもしれない)。もしルービンスタインの解釈が正しいということになれば、この作品はユダヤ人を猿という不快なイメージで諷刺した作品ということになる。1960年当時、カフカは世界的なブームを引き起こしていた。そのような「偉大な」ユダヤ人作家がユダヤ人をカリカチュア的に諷刺する作品を書いていたということは、ブーバーとしては表だっては認めたくない事柄であっただろう。

 以上のことから、筆者は、1917年のブーバーはカフカの2作品にユダヤ問題に関するある種の「寓意」を見出し、雑誌に掲載したと考える。ただし、その当時のブーバーは、カフカ作品に込められた「寓意」を正確には理解できなかった。彼がカフカ作品に関しては、ヴェルフェルの詩について行なったような「前書き」を書くことができなかったのもそのためであろう。

 これはもちろん、ブーバーという一読者の反応であり、カフカ自身の執筆意図がはたしてユダヤ人問題の描写であったかどうかは一応、別問題である。以下では、この2作品をユダヤ人問題とシオニズムの文脈において解読してみよう。

 

2 ジャッカルとアラビア人(手稿は八折判ノートB、19171月〜2月成立)

 

ジャッカル

 

 「ジャッカルとアラビア人」では、語り手であるヨーロッパ人旅行者が、砂漠――アラビア人がいるのでおそらく中東――の中のオアシスで野営していると、そこにジャッカルの群れがやってきて、彼らが置かれている苦境を訴え、語り手に援助を求める。ジャッカルの苦しみは、彼らがアラビア人に支配されて、自分たちが望むような生活ができないところにある。ジャッカルは旅行者に錆びたハサミを手渡し、それでアラビア人の首を切ってくれと頼む。そこにアラビア人がやってきて、ジャッカルたちを追い払うが、ジャッカルはアラビア人が投げ与えたラクダの死体に引き寄せられ、再び集まってきてそれをむさぼり食う――これが物語のあらすじである。

 ジャッカルとは、オオカミとキツネの中間の食肉目イヌ科の哺乳類で、世界各地には4種類のジャッカルがいるが、中東あたりに生息しているのはキンイロジャッカル(Goldschakal)である。キンイロジャッカルはネズミ、ウサギ、鳥、トカゲなどの小動物を捕食するが、しばしばライオンなどの食べ残した死肉もあさる。作品ではジャッカルの色は「鈍い金色」(DL 270)と形容されているので、まさにキンイロジャッカルである。

 さて、この作品のジャッカル以外にも、カフカの作品には、猿や犬やネズミなど、よく動物が登場する。それらの作品における動物の生態の描写はかなり正確であるが、彼はどこからそのような知識を入手したのであろうか。その情報源として推測されているのが、『ブレームの動物生活 Brehms Tierleben』である[26]

この著作は、ドイツの動物学者アルフレート・ブレーム(18291884)が動物の生態をイラストとともに解説した浩瀚な本で、ドイツ語圏ばかりではなく、英語やフランス語にも翻訳されて世界中で評判になった。初版は18641869年の出版だが、他の学者たちの改訂が加えられた新版がたびたび出版され、第3版は189093年、第4版は191120年であった。この著作はカフカの蔵書には含まれていないし、彼の手紙や日記の中で言及されたこともないが、非常にポピュラーな本であったので、彼が図書館などで目にする機会は十分にあっただろう。パウル・ヘラーによると、ジャッカル以外にも、「ある学会への報告」のチンパンジー、『変身』の昆虫(南京虫)、「禿鷹」の禿鷹、「ある犬の探究」の犬(パーリア犬)、「巣穴」の穴熊、「ヨゼフィーネ」のネズミの描写で、カフカはブレームを利用していると見られる[27]

 『ブレーム』は「ジャッカル」の項目で次のように解説している。

 

アジアがジャッカルの棲息地と見なされねばならない。ジャッカルはインドから、インド大陸の西部と北西部をへて、バルチスタン〔パキスタンの一地域〕、アフガニスタン、ペルシャ、カフカズ、小アジア、パレスチナ、アラビアに広がっているが、ヨーロッパにも出現し、南ロシアのステップ、カスピ海、トルコ、ギリシャ、ならびにダルマチアのいくつかの地方にも姿を現わす。〔・・・・〕/ジャッカルは日中は引きこもっているが、夕方になると狩りに出かけ、大声で吠え、仲間たちを呼び集め、仲間とともに徘徊する。〔・・・・〕おそらくジャッカルは、あらゆる野犬類の中で最も図々しく最も厚かましい動物と評することができよう。ジャッカルは人間の集落を少しも恐れず、大胆にも村、いや人口の多い都市の内部にさえ侵入し、家屋敷の中にまで入り込み、見つけたエサを奪っていく。この図々しさのために、ジャッカルは、有名な夜の吠え声よりも、はるかに不快で煩わしいのである。〔・・・・〕/ジャッカルが有益なのは、死肉の片付け、害虫のたいらげ、主にはネズミの補食によってであるが、その恥知らずな悪戯によって有害になる。彼らは、食べられる物なら何でも盗み食いするだけではなく、食べられない物まで、気に入った物は何でも、家屋敷、テントと部屋、家畜小屋と台所から盗み出し、持っていく。[28]

 

 ヘラーによると、『ブレーム』のジャッカルの描写とカフカの記述の間には、数多くの類似点が見出される[29]。しかし、カフカは単なる「動物に関する物語」を書こうとしたわけではない。ジャッカルがユダヤ人の比喩であることを強い説得力をもって指摘したのは、1975年のイェンス・ティスマルの研究である[30]。ティスマルによれば、アラビア人のもとで疎外された生を強制されて、外部からの救済者に解放の望みをかけているジャッカルは、異民族の中で離散の生活を強いられているユダヤ民族の運命に似ている。ドイツ文学の中では、猛獣の食べ残した死肉をエサとするジャッカルやハイエナは、時々ユダヤ人を指す比喩として用いられてきた。つまり、ジャッカルの臆病さ、貪欲さ、暗闇の中での汚らわしい活動、寄生的なエサの獲得方法など(上記の『ブレーム』のジャッカルの記述を参照せよ)が、ユダヤ人の属性とされたのである。ジャッカルをユダヤ人の比喩として用いた作家の中には、グリルパルツァーやシュティフターのようなドイツ人作家ばかりではなく、ユダヤ系のハイネもいる。さらに旧約聖書の中には、神に背いた人間をジャッカルにたとえる記述もある[31]。ティスマルのこの指摘はさらにリッチー・ロバートソンによって補強されている[32]。両者の研究を筆者の読解の出発点にしたい。

 

清浄さ

 

 カフカの作品では、ジャッカルが「清浄さ Reinheit」に執着していることがたびたび強調されている。「ナイル川の水がどれほど大量にあっても、我々を清浄に(rein)するには足りない。連中〔アラビア人〕の生身の肉体を見かけただけで、我々はより清浄な(reinere)空気の中へ、砂漠の中へ逃げてしまうのだ。そういうわけで、砂漠が我々の故郷なのだ」(DL 272)。「我々はアラビア人から平和を獲得しなければならない。呼吸できる空気を、アラビア人から浄化され(gereinigt)、周囲一面、地平線まで見える光景を。アラビア人が刺し殺す羊の悲鳴はごめんだ。動物はみな、安らかにくたばってしかるべきなのだ。誰にも邪魔されずに、我々がその血を飲みほし、骨まできれいにしゃぶって(gereinigt)しかるべきなのだ。清浄さ(Reinheit)、清浄さだけが我々の望みなのだ」(DL 273)。「rein」(形容詞)、「reinigen」(動詞)、「Reinheit」(名詞)という一連の関連語の使用はしつこいばかりで、意図的であることは明白である[33]

 ジャッカルが一般的には死肉をあさる汚らわしい動物としてイメージされているのに、ジャッカルが「清浄さ」に執着するのは奇妙であるが、この矛盾は、ジャッカルがユダヤ人を示す記号だと考えれば解消される。清浄さはユダヤ教の重要な価値で、ユダヤ人は神に対して清く(rein)なければならないことが聖書の中でたびたび強調されている。この清浄さの要請はユダヤ人の生活全般に関わる。たとえば食事規定、服装や身体の清潔さ、病気、女性の生理など。信仰深いユダヤ人は宗教的戒律を忠実に守り、彼らなりの清浄さを保っていると信じている。

 清浄さという価値に固執する点において、ジャッカルとユダヤ教徒は似ているが、ジャッカルがユダヤ人の比喩であることは、ジャッカルが「我々の古い教え unserer alten Lehre(DL 272)に従っていることにもほのめかされている[34]。ユダヤ教が「古い教え」であることは贅言するまでもないだろう。さらに、「清浄さ」と「古い教え」というモチーフの組み合わせは、やや語形を変えて「万里の長城」にも出現する。そこでは、中国と中国人について、「私はあちこち旅行したが、私の故郷におけるほどの道徳的清浄さ(Sittenreinheit)にほとんど出くわしたことがない。しかしそれは、いかなる現在の掟にも従わず、ただ古い時代から我々に伝えられた教え(Weisung)や訓戒(Warnung)のみに聴従する生活なのである」(NSI 354f.)と言われている。未完に終わり、『田舎医者』に採用されなかった「万里の長城」は、まさにユダヤ人を中国人として語った、ユーデントゥームの問題に真正面から取り組んだ作品なのである[35]

 ところが、この清浄さという価値が部外者にとっては必ずしも自明の価値ではない点も、ジャッカルとユダヤ人の両者において共通している。羊が悲鳴をあげることや、動物が安らかに死なないことが、なぜ清浄さを汚すことになるのかは、必ずしも明らかではない。猛獣に襲われれば、多くの動物は悲鳴を上げるだろうし、その死はけっして安らかではないのは当たり前だと考えられる。

 ジャッカルが固執する「清浄さ」は、ユダヤ教の戒律を参照することによって理解可能になる。ユダヤ教の清浄さ規定には、必ずしも合理的な根拠がない規定も含まれている。その代表は、コーシェル(koscher 適切・清浄)な食事とトレイフ(treifまたはtrefe 不適切・不浄)な食事を厳しく区別する食事規定(カシュルート)である。聖書によれば、豚のようにひづめの分かれていない哺乳動物や、イカやエビなどのヒレや鱗のない魚類はトレイフであるが、なぜそうなのかは、そういう食材を食べている民族には理解できない。また、羊や牛などのひづめが分かれている反芻動物はコーシェルな動物ではあるが、それらの動物でも、苦痛を与えずに屠殺し、なおかつ完全に出血させなければコーシェルな肉にならない。「動物はみな、安らかにくたばってしかるべきなのだ」というジャッカルの主張はまさに、コーシェルな肉を得るための、ユダヤ教における屠殺規定を思い起こさせる[36]

 ジャッカルにおいてもユダヤ教徒においても、清浄さは彼らの立場から見た清浄さであり、万人に普遍的な、客観的な状態ではない。そもそも何をもって「清浄」と見なすかは、各文化によって異なる。ジャッカルが清浄でないアラビア人を嫌う理由の一つは、アラビア人が「死肉を無視する」ことである。ところが、ジャッカルは死肉をあさるがゆえに、ヨーロッパでは不浄な動物というイメージが生まれたのである。作品のジャッカルは狂おしいまでに「清浄さ」を求めてはいるものの、それはジャッカルの主観的な清浄さであり、語り手であるヨーロッパ人旅行者には、彼らは不潔に映る。語り手から見たジャッカルの不潔さは、彼らが発する強烈な「臭い」(DL 271)によってもほのめかされている。この不潔さは、ヨーロッパにおけるユダヤ人観に対応するであろう。

 

儀式殺人

 

 この作品には、もう一つのあからさまなユダヤ的イメージが見出される。「血」である。

ジャッカルはエサたる動物の「清浄さ」を求めるが、動物の血を飲むことも好きである。「血」もまた、「清浄さ」と同じように、この作品で頻出する語である。旅行者はジャッカルに、「とても古くからの争いのようですね。おそらくそれは血の中に染みついているのでしょう。だから、血を見てようやく決着がつくのかもしれませんね」(DL 271)と語る。これに対してジャッカルは、「お前さんはとても賢いね。お前さんが言ったことは、我々の古い教えにもかなっている。我々はやつらの血を抜き取る、そうすれば争いは終わるのだ」(DL 271f.)と答える。ここには「血」を強調するブーバー・イデオロギーへの当てつけも込められているが、この点については別の箇所で論じた[37]

 作品のジャッカルとは違って、ユダヤ人は元来、血を忌避する。先にも述べたように、ユダヤ教の戒律では、屠殺の際には家畜の血はすべて出血させねばならず、ユダヤ教徒は血を食することを禁じられている。ところが、家畜屠殺の際のこのような処置がキリスト教徒には誤解され、中世には、ユダヤ人はキリスト教徒の血を抜き取り、それをユダヤ教の儀式に使う、という迷信が生まれ、ユダヤ人は「儀式殺人」の嫌疑によってたびたび迫害された。ハイネの未完の小説『バッヘラッハのラビ』はこの儀式殺人の事件を扱っている。血を飲みほすジャッカルというのは、反ユダヤ主義が広めた邪悪なユダヤ人のイメージに対応しているのである。

 儀式殺人は中世だけの迷信ではなかった。カフカの生きた19世紀の終わりから20世紀の初めの時代にも、東欧ではユダヤ人に儀式殺人の嫌疑がかけられた[38]。カフカが生まれる前年の1882年に、ティサエスラールというハンガリーの町のユダヤ人たちが、キリスト教徒の少女を儀式目的で殺害した罪で告発されたが、裁判で無罪になった。この事件を題材にして、ポーランド生まれのドイツ語系ユダヤ人作家アルノルト・ツヴァイク(18871968)は1914年に『ハンガリーの儀式殺人』という戯曲を書いた。カフカはこの作品を191610――フェリスを介してユダヤ民族ホームに接近した時期――に読み、心を深く揺り動かされて涙を流した(F 735f.)1899年には今度はカフカの地元ボヘミアのポルナという村で、19歳の娘が殺されているのが発見され、レオポルト・ヒルスナーというユダヤ人の靴屋徒弟が儀式殺人の告発を受けた。ヒルスナーは裁判で死刑の判決を受けたが、のちにチェコスロバキア初代大統領になるトマーシュ・G・マサリク(18501937)のキャンペーンによって再審が認められ、1916年に恩赦された。また1911年にはキエフで13歳の少年が殺され、ユダヤ人レンガ職人のメンデル・ベイリスが犯人として逮捕された。この事件をきっかけにして全ロシアでは反ユダヤ主義が煽られたが、ベイリスは無罪判決を勝ち取り、その後アメリカに移住した。バーナード・マラマッド(191486)の小説『フィクサー』(1966)はこの事件を題材にしている。カフカも晩年にベイリス事件を扱った作品を書いたが、その原稿は焼却されたという[39]

 カフカは、儀式殺人という荒唐無稽な反ユダヤ主義的偏見を利用し、あえてユダヤ人と血を飲みほすジャッカルを重ね合わせているように思われる。

 物語の最後の場面でジャッカルは、アラビア人が投げ与えたラクダの死体に飛びかかり、あたりに血だまりをつくりながら死肉をむさぼり食うが、ティスマルも指摘するように[40]、聖書(レビ記第114節)によれば、ひづめが分かれていない(ように見える)ラクダはまさに不浄=トレイフな動物である。ユダヤ人がラクダを食べることはありえないが、この場合、ジャッカルが動物ではないように、ラクダも別の何ものかの隠喩として解釈しなければならないであろう。

 

労働と職業

 

 「ジャッカル」と「アラビア人」と「砂漠」という3つのイメージの組み合わせは、言うまでもなくパレスチナという場所を想起させる。『ブレーム』がジャッカルの棲息地の一つとしてパレスチナをあげていたことを想起しよう。ティスマルはこの作品に、『ユダヤ人』の創刊号に掲載された、パレスチナの入植者A・D・ゴルドンの「労働」という論文の影響を見ている[41]

 ポドリアで正統派ユダヤ教の家庭に生まれたアーロン・ダヴィッド・ゴルドン(18561922)は、1904年に48歳でパレスチナに入植した。トルストイに影響を受けた彼は、非マルクス主義的な宗教的社会主義的団体「ハポエル・ハツァイル(若き労働者)」を設立し、その指導者となった。ウォルター・ラカーはゴルドンについて以下のように解説している。

 

ゴルドンは階級闘争や社会主義革命が、より良くより正しい社会を作り出すであろうとは信じなかった。ましてや諸制度の根本的な転覆の結果として、人間が大いに向上するであろうとも期待しなかった。個人が変化することなしには、社会は変化しないであろう。彼は、人間は自然から疎外されるようになるにつれ、それだけ堕落してきたのであり、ユダヤ人はこの点で他のどの民族よりも苦しめられてきたのであるから、真の民族再生は、ディアスポラのユダヤ人の生活すべての害悪に対する偉大な治療策としての労働を伴った、正常な生活への回帰を条件としている、との結論を下した。人間、自然、労働――これらはゴルドンの思想の中心的概念であった。彼はまた、精神の健康を取り戻し、人間もその一部である宇宙と再び一つになるための手段として、農業労働の重要性を強調した。[42]

 

 ゴルドンは、ゲットーに閉じ込められて、長年、農耕の体験を持たなかったユダヤ人は自然から疎外されて病んでいるという、シオニズムと反ユダヤ主義に共通する否定的ユダヤ人観をいだいていた。彼にとってユダヤ人の病を癒す道は、父祖の地パレスチナにおける農業労働であった。ではゴルドンはパレスチナでいかなる状況を見出したのだろうか。それを知るためには、シオニズムとパレスチナ入植の歴史を簡単に振り返っておく必要がある。

 近代におけるユダヤ人問題は西欧と東欧ではその様相が異なっている。西欧では、様々な紆余曲折はあったものの、19世紀の後半までにはユダヤ人の法的解放が達成され、キリスト教徒と同じ市民権が付与された。西欧の反ユダヤ主義は、ユダヤ人の法的解放が達成される前後から高まってくるのである。これに対抗してウィーンの文筆家ヘルツルが『ユダヤ人国家』(1896)を著わして、シオニズムを唱導したことはよく知られている。

他方、ユダヤ人の圧倒的多数が居住する東欧では、19世紀に入っても、ユダヤ人の法的解放が進むどころか、ポグロムと呼ばれる反ユダヤ暴動が頻発し、ユダヤ人の生活状況が極度に悪化した。その結果、大量の東欧ユダヤ人がアメリカに移民することになったのだが、その中の一部の者はパレスチナへの農業入植を目指した。そのために作られたのが「ホヴェヴェ・ツィオン(シオンを愛する者たち)」という組織である。ユダヤ人入植者たちを経済的に援助したのは、フランスのユダヤ人大財閥エドモン・ドゥ・ロチルド男爵であった。ラカーによれば、ロチルドはパレスチナの入植者たちに500万ドルもの大金を援助したという。

 

ロチルドの寛大さに入植者たちが依存したことは、いくつかの否定的な結果を生んだ。男爵の代理人たちがあらゆる活動に口を差し挟むのに最初は多くの不平があったが、入植者たちは次第にそれを当然と見なすようになった。彼らは主導性をすっかり失い、困難に遭遇するといつでもパリのほうを向くのに慣れてしまった。30年後、彼らが初期の難儀を克服したときには、開拓者的な熱意はほとんど消え失せていた。初期の入植者がいだいていたシオニスト・社会主義者としての確信は、非常に異なった態度へと席を譲ってしまった。入植者たちは1910年までには、主にアラブ人労働者を雇用している農園所有者になっていた。〔・・・・〕1905年から6年にかけ、新しい移民の波がパレスチナに押し寄せはじめたとき、新来者たちはこうした入植地で職を得るのがきわめて困難なことに気づいた。入植地は、より安価で経験も豊富なアラブ人労働者のほうを好んだからである。この長期にわたる〔ロチルドの〕博愛主義的な幕間のあと、シオニストの主導性はかくして、純粋に営利主義的な投機事業へと変化を遂げたのである。[43]

 

彼〔ゴルドン〕とその仲間は、ユダヤ人の郷土ではすべての高木も低木も開拓者によって植えられることを欲していた。ユダヤ人の農業共同体的入植地という構想が最も熱心な支持者を見出したのは、このグループ〔ハポエル・ハツァイル〕においてであった。先に述べたように、彼らは、第一次アリヤ〔移住〕の入植者たちがすでに農園所有者になっており、こうした入植地の恒常的住民は、実際にはユダヤ人よりアラブ人のほうが多いことに気づいたとき、大きな衝撃を受けた。当時の記事によると、ズィクロン・ヤアコフのユダヤ人農場主はそれぞれアラブ人を三、四家族養っていたが、他の場所でもこうした状況はほとんど変わらなかった。[44]

 

ゴルドンにとっては、ユダヤ人がパレスチナの大地をみずからの額に汗して耕すことこそ、ユダヤ民族の精神的再生の道なのであった。ところが、1904年にパレスチナに移住した彼が見出したのは、彼よりも先に入植していたユダヤ人がアラブ人[45]を労働者として使役する農園所有者になっており、実際に農業に従事するユダヤ農民はごくわずかしかいない、それどころか、ユダヤ人農場主は新たに移住してきたユダヤ人を雇おうとさえしない、という現実であった。まさに、ヨーロッパでユダヤ人資本家が労働者を使役し、他人の労働の果実を搾取しているのと同じ経済構造が「約束の地」においても再現されていたのであった。ズィクロン・ヤアコフを視察したアハド・ハアームは、このような状況は「入植地ではなく、不名誉である」と非難した[46]

 ゴルドンはパレスチナから『ユダヤ人』に寄せた「労働 Arbeit」という論文でこう述べている。

 

自然から完全に引き離され、数千年間、壁の中に閉じこめられてきた民族、あらゆる種類の生活に順応はしたが、自然な生活、内発的にそして自分のために労働する生活にだけは順応しなかった民族――そのような民族は、その全意志力を張りつめなければ、再び生き生きとした、自然な、労働する民族になることはできない。我々には本質的なものが欠けている。労働である――強制によって行なわれる労働ではなく、人間が有機的かつ自然な形で結びつきを感じる労働、民族が大地と、大地および労働に根ざした文化とに融合しているような労働である。なるほど他の諸民族においても、すべての人間が労働しているわけではない。他の諸民族においても、労働を拒絶し、他人の労働で生きる道を探す人々は大勢いる。しかし、生き生きとした民族はその活動性を自然なあり方で展開するのである。その民族の労働は、民族の有機的機能の一部であり、有機的になされる。生き生きとした民族では常に、労働が第二の本性になっている大多数の人間が存在している。我々は自分をごまかしてはならない。我々は目を見開いて、この点において我々の状況がいかに劣悪であるかということ、個人的かつ民族的な関連において労働が我々の精神にいかに疎遠なものになってしまったかということを、はっきりと見なければならない。十分に特徴的なのは、「イスラエルが神の意志を実践していれば、ほかの連中が代わりに労働してくれる」という文章である。これは単に言葉だけではない。この考えは――意識的にせよ無意識的にせよ――我々の中で本能的な感情、第二の本性になってしまっているのである。[47]

 

 ゴルドンはパレスチナでの失望をユダヤ人全体への批判へと転じているのである。

 カフカはフェリスとの二度目の婚約解消のとき、「僕がしなければならないことは、ただ一人でしかできない。それは究極の事物について明確に把握することだ。西ユダヤ人はそれについて明瞭ではなく、だから結婚する権利がないのだ。ここには結婚などというものはない。ただし、西ユダヤ人がその事物に関心をもたないのなら話は別だが。たとえば実業家たちのように」と述べている[48]。カフカもまた、彼の父もその一人である「実業家」的ユダヤ人への批判を共有していたのである。彼がゴルドンの批判に深く感じたところがあったとしても不思議ではない。

 その当時のパレスチナにおいては、アラブ人はユダヤ人農園主によって使役される立場にあったので、ジャッカル=ユダヤ人を支配する作品中のアラビア人は、パレスチナの現実のアラブ人ではありえない。ティスマルが適切にも述べるように、作品のアラビア人はむしろ、ディアスポラのユダヤ人が寄留している「ホスト民族 Wirtsvolk[49]を、具体的には、ユダヤ人が居住するヨーロッパ諸国のキリスト教徒を表わしているだろう。「Wirt」という語は作品中に登場しないが、ティスマルは、アラビア人がジャッカルにラクダの死肉を与えること、つまり「もてなし Bewirtung」を行なう点にそれを見出している[50]

 作品の舞台である砂漠は、表面的にはパレスチナを強くほのめかしつつ、実のところ西欧のユダヤ人が住む都市世界を暗示しているように思われる。近世になってゲットーから解放されたユダヤ人は、大部分が都市の居住者となり、商業や自由業に従事した。ヴェルナー・ゾンバルト(18631941)は『ユダヤ人と経済生活』(1911)において、資本主義はプロテスタントの倫理から発生したというマックス・ヴェーバーの説に反対して、ユダヤ人こそ近代資本主義の担い手であり、それは彼らの砂漠的・遊牧民的な民族資質に由来する、と述べた。

 

彼ら〔ユダヤ人〕は――自発的に、あるいはやむをえずにそうなったにしても、同じことだが――都市居住者となった。そして彼らは今日にいたるまで、都市居住者であり続けている。現在、ドイツ(1900年には43.46パーセント)、イタリア、スイス、オランダでは、ユダヤ人の半数あるいはそれ以上が、人口5万人以上の大都市で暮らしている。デンマークでは5分の4、イギリス、アメリカでは全員が大都市で生活している。大都市はしかし砂漠の直接の延長である――大都市は砂漠と同様に、靄が立ちのぼる大地から遠く、砂漠と同様、居住者に遊牧民的生活を強いることになる。/まわりの環境に順応することによって、ユダヤ人の遊牧民的気質と古くからの砂漠的感覚の萌芽が、数千年間、発達してきた。そして淘汰によってこうした古くからの萌芽はますます優勢になった。それというのも、ユダヤ人がさらされてきた不断の変化の中にあって、きわめて強い抵抗力を維持し、そのために生き延びた要素は、一箇所にくつろぐ土着性の要素ではなく、休みなく動き回る遊牧民的要素であったことは明白だからである。[51]

 

 砂漠を住処とするジャッカル(ユダヤ人)は「ホスト民族」たるアラビア人(キリスト教徒ヨーロッパ人)に不満を持っているが、彼らの矛盾は、彼らが、アラビア人が投げ与えるラクダの死肉という不浄な食べ物をむさぼり、結局はアラビア人に従属している点に現われている。それは、ユダヤ人が、ヨーロッパ社会の嫌われ者としての不遇をかこちながらも、資本主義社会の実業家として唯物的・世俗的な価値観――ブーバーが「標語」の中で非難した「個別的願望」や「利益目的」――に染まり、清浄さという本来の宗教的理想からはほど遠い生き方をしていることを暗示している。彼らにおいては、主観的清浄さと客観的不潔さが乖離しているのである。

 死んだラクダに群がるジャッカルを見て語り手は、「そして全員はもう同じ労働(Arbeit)に取りかかり、死体の上に高い山のように群がった」と記述する。ところがアラビア人は同じ光景を見て、「やつらをやつらの職業(Beruf)に従事させておきましょう」と語り手に言う(DL 275)。動物の営みに「労働」や「職業」という語を使うことはきわめて不自然な感じを与えるが、ティスマルも指摘するように[52]、ここには、ゴルドンによって神聖視された「労働 Arbeit」と、西ユダヤ人実業家の世俗的「職業 Beruf」の対比を見ることができよう。ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904)で説いたように、Beruf(職業、天職)意識こそ資本主義の精神である。ユダヤ人が従事している「労働」は実は資本主義的「職業」にすぎない、という皮肉な認識を作品は示している。

 

世界を二つに引き裂いている争い

 

 ジャッカルとアラビア人の確執は太古から「世の終わり Ende der Tage(DL 274)=終末まで続く宿命的なものとして語られている。長老のジャッカルは語り手に、「我々は無限に長い間、あなたを待っていた。私の母も、母の母も、その前のすべての母たちも、すべてのジャッカル族の母までも、待っていたのだ」(DL 270)と語る。ジャッカルのこのような願望に関してアラビア人は、「この動物たちは馬鹿げた希望をいだいている。正真正銘の馬鹿ですな」(DL 274)と語る。「世の終わり」「無限に長い間」「馬鹿げた希望」という語句は、明らかに終末論的メシアニズムをほのめかしている[53]。ジャッカルは「世界を二つに引き裂いている争い」(DL 273)を終わらせることを望み、救済願望をヨーロッパ人である旅行者=語り手に託している。語り手はジャッカルによっていわばメシアの役割を演ずることを期待されているわけである。

 ここで注目すべき語は「二つに引き裂く entzweien」という動詞である。この動詞の名詞形である「Entzweiung」という語を我々はすでに、ブーバーの「ユーデントゥームと人類」や「フランツ・ヴェルフェルに関する前書き」で見出したが、この語は、ブーバーのユダヤ人問題の解釈においてばかりではなく、彼のメシアニズム解釈においても重要な役割を演じている。カフカは作品中であえて、ブーバーが愛用する「Entzweiung」という名詞の動詞形を使うことによって、ブーバーと彼を信奉するシオニストたちに、ある種のメッセージを伝えようとしているものと推測できるのである。そしてまた同時に、ブーバーがこの語に注意を引きつけられなかったはずはない。

 すでに見たように、ブーバーによれば、魂の内部における「二元対立 Entzweiung」こそユダヤ人問題の核心である。「ユーデントゥームと人類」という論文をもう一度参照するならば、ユダヤ人は「世界の二元対立から一元性を希求しつつ、彼はメシア的な理想を創造したのである」。「メシア的な世界」とは、「二元対立」すなわち「善と悪の対立」が解消され、「罪から清く(rein)」(!)なった世界、「一元性の世界」であり、そのような世界の実現こそユダヤ人に与えられた使命なのである(BuJu 27)

 ブーバーのこのような理念を背景において「ジャッカルとアラビア人」を読むならば、「世界を二つに引き裂いている争い」とは、ジャッカルとアラビア人の対立、すなわちユダヤ人と非ユダヤ人の対立だけを意味するのではない。それはまた、堕罪によって世界の中に持ち込まれた善悪の「二元対立 Entzweiungという根本的問題をも意味しているのである。ジャッカルの救済願望は、ホスト民族のもとでの屈従的な生活から解放されたいというユダヤ人の現実的・民族主義的な願望と同時に、「二元対立」の世界を「一元性の世界」へと変容させ、完全平和な世界を実現したいというメシア主義的な希求をも示していることになる。ゲルショム・ショーレムやアレックス・バインがすでに指摘しているように、そもそもユダヤ教メシアニズムにおいては、ユダヤ民族の現実的救済と世界全体の普遍的救済は一体のものとしてとらえられているのである[54]

 ジャッカル=ユダヤ人のこの救済願望は、彼らが置かれた歴史的・現実的位相からは理解できるものではあるが、それでは彼らはどのような手段でそれを実現しようというのであろうか? その点になると、ジャッカルの観念はきわめて非現実的である。彼らは、自分の力で苦境から脱出しようと努力する代わりに、救済の夢を、いつ登場するかわからないメシアに託しているのである。そして、今回は彼らのところにたまたまやってきたヨーロッパ人の旅行者を救済者と信じて、彼に錆びついたハサミを手渡し、それでアラビア人の首を切ってくれと頼む。しかし、そんなハサミでは、アラビア人の首どころか、紙一枚切ることもできないだろう。この無力な武器はまさに、短編「特権意識」の「こわれたおもちゃの鉄砲」[55]に似てはいないだろうか?

 最後に、語り手=旅行者とジャッカルの関係について考えてみよう。カフカの作品において語り手(Ich-Erzähler)が登場するとき、それは往々にしてカフカ自身の分身である。この作品において、語り手はジャッカルとアラビア人の「世界を二つに引き裂いている争い」の現場に立ち合い、ジャッカルに味方してほしい、と依頼されるが、これはまさに、ブーバーやブロートからシオニズムへの参加を要請されたカフカの立場に対応する。とすると、旅行者に語りかけた長老ジャッカルは、ブーバーに対応することになるだろう。というのは、ブーバーはカフカより5歳しか年長でなかったが、若いシオニスト仲間[56]ではいわば長老のように見なされていたからである。ブーバーが1909年に「バル・コホバ」で最初に講演したとき、彼はまだ31歳にすぎなかったが、聴衆には「偉大な賢者」のように見えた、とローベルト・ヴェルチュ(18911982)は回顧している[57]。長老ジャッカル=ブーバーは語り手=カフカに、彼がユダヤ人問題解決の手段と信じる武器を差し出すのであるが、それは「長年の錆びが一面にこびりついたハサミ」(DL 274)でしかない。この錆びついたハサミというイメージには、ブーバーのシオニズム・イデオロギーが実は「長年の錆び」、すなわちユダヤ教(ハシディズム)という古色蒼然たる宗教観念に覆われた役立たずの道具である、という批判を読み取ることができる[58]

 このように読解すると、この作品の雑誌『ユダヤ人』への掲載は実に滑稽な事態ではある。カフカはブーバーに12作品を送り、その中から気に入った作品を自由に選択することをブーバーにまかせた。ブーバーが「ジャッカルとアラビア人」を雑誌に採用したのは、彼が、いくつかのあからさまなユダヤ的イメージが用いられているこの作品に、ユダヤ人問題が「寓意」の形で語られていることを強く感じたからである。しかし彼は、作品の雰囲気としてはユダヤ人問題を感じはしたが、その中に込められたカフカの鋭い批判と皮肉はまったく理解できなかったのである。ブーバーが作品を理解してくれなかったことはカフカにとっては幸いであった。彼がブーバーに対し、この作品は「寓意ではない」と強調しなければならなかったのも当然である。「寓意」であると言えば、その意味を解説しなければならなくなるからである。

 「ある学会への報告」については次稿で論じてみたい。

 

 

以下の著作については略号を使用し,そのあとの数字で頁を示す。

Franz Kafka, Kritische Ausgabe, S. Fischer Verlag, Frankfurt am Main.

DL = Drucke zu Lebzeiten. Hrsg. von Wolf Kittler, Hans-Gerd Koch und Gerhard Neumann, 1994.

DLA= Drucke zu Lebzeiten. Apparatband. Hrsg. von Wolf Kittler, Hans-Gerd Koch und Gerhard Neumann, 1996.

NSI = Nachgelassene Schriften und Fragmente I. Hrsg. von Malcolm Pasley, 1993.

NSII = Nachgelassene Schriften und Fragmente II. Hrsg. von Jost Schillemeit, 1992.

T =Tagebücher. Hrsg. von Koch/Müller/Pasley, 1990.

Franz Kafkaの『フェリスへの手紙』

F = Briefe an Felice und andere Korrespondenz aus der Verlobungszeit. Hrsg. von Erich Heller und Jürgen Born, Frankfurt/M. 1967 (6. bis 7. Tausend).

Martin Buberの著作

BuBr = Briefwechsel aus sieben Jahrzehnten, Band I, Heidelberg 1972.

BuLo = Losung, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 1 (April 1916), S. 1-3.

BuJu = Der Jude und sein Judentum, 2., durchgesehene und um Register erweiterte Auflage, Gerlingen 1993.

 



[1] 拙稿「カフカの八折判ノートのいくつかの問題――短編『家父の気がかり』と『特権意識』をめぐって」、『言語・情報・テクスト』(東京大学大学院総合文化研究科・言語情報科学専攻・紀要)、VOL 13, 2006, 67-80頁。

[2] 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」(思想[岩波書店]第796号、199010月、112―127頁)、「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」(思想〔岩波書店〕第816号、19926月、82―108頁)、「民族統合の空虚なる記号――カフカの『万里の長城』における「皇帝」の形象」(思想〔岩波書店〕第854号、19958月、128―151頁)

[3] William Rubinstein, Franz Kafka's 'A Report to an Academy', Modern Language Quarterly, Vol. 13 (1952), pp. 372-376.

[4] G. Schulz-Behrend, Kafka's 'Ein Bericht für eine Akademie': An Interpretation, in: Monatshefte für deutschen Unterricht, deutsche Sprache und Literatur, Volume LV (January, 1963), p. 3.

[5] 以下でも述べるように、「Judentum」というドイツ語には、ユダヤ民族、ユダヤ教、ユダヤ精神、ユダヤ的アイデンティティなど複数の意味がある。ブーバーはこの語のこれらの複合的な意味合いを利用している。この語の詳しい意味については、拙稿「民族統合の空虚なる記号」138を参照されたい。

[6] Martin Buber, Theodor Herzl, in: BuJu, S. 760.

[7] ブーバーの「弱点 Schwäche」という語は、カフカの「万里の長城」や「チューラウ・アフォリズム」の締めくくりの覚書の中に出てくる「弱点」という語と関連している。拙稿「民族統合の空虚なる記号」148頁以下、拙著『カフカとキルケゴール』(オンブック)54頁以下を参照されたい。

[8] Martin Buber, Begriffe und Wirklichkeit, in: Der Jude, 1. Jahrg, Heft 5 (August 1916), S. 287.

[9] Alfred Wolfenstein (18831945) は表現主義の詩人、劇作家。

[10] 1897年の第一回シオニスト会議で採択された綱領に含まれる文言。

[11] Hugo Bergmann, Max Brods neuer Roman, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 2 (Mai 1916),  S. 134-136. ブロートの小説の内容については、拙著『カフカとキルケゴール』122頁を参照されたい。

[12] Martin Buber, Begriffe und Wirklichkeit, S. 289.

[13] Max Brod, Unsere Literaten und die Gemeinschaft, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 7 (Oktober 1916), S. 464.

[14] Hugo Bergmann, Die nationale Bedeutung Achad Haams, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 6 (September 1916), S. 359. アハド・ハアームは、ヘブライ語で「民衆の一人」の意で、ロシアのアシェル・ギンズベルク(18561927)はこのペンネームで執筆した。

[15] ちなみに、この二つの要素はブーバーのメシアニズム解釈において重要な役割を演じている。拙稿「ユダヤの非合理的な伝承」101頁参照のこと。

[16] Franz Werfel, Aus "Der Gerichtstag", in: Der Jude, 2. Jahrg., Heft 1/2 (April/Mai 1917), S. 112-122. ヴェルフェルの詩集"Der Gerichtstag"1919年に出版された。

[17] Martin Buber, Vorbemerkung über Franz Werfel, in: Der Jude, 2. Jahrg., Heft 1/2 (April/Mai 1917), S. 109ff.

[18] 辞書では「Dualität」と「Zweiheit」は同じ意味である。

[19]Entzweiung」は動詞「entzweien」の名詞形である。この動詞の辞書的な意味は「人間関係を不和にする、仲たがいさせる」である。語根的にはこの語は、「zwei」= 2に、離脱を意味する「ent-」という前綴りがついた、「entzwei 二つに裂けた、割れた」という形容詞の動詞形である。ブーバーは明らかに「Entzweiung」に含まれる「2の意味を意識的に強調しているので、この語を「二元対立」と訳す。

[20] Martin Buber, Vorbemerkung über Franz Werfel, S. 112.

[21] 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」を参照されたい。

[22] Robert Kauf, Verantwortung. The Theme of Kafka's LANDARZT Cycle, Modern Language Quarterly, Vol. 33 (1972), p. 422.

[23] 『マルシュアス』に採用されたカフカの作品は、「一枚の古文書」、「新しい弁護士」、「兄弟殺し」である。

[24] 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」117頁以下参照。

[25] Vgl. Hans-Gerd Koch, Ein Bericht für eine Akademie, in: Michael Müller (Hrsg.), Franz Kafka. Interpretationen. Romane und Erzählungen. [durchgesehene und erweiterte Auflage 2003], Stutgart 2005, S. 175.

[26] カフカ作品における『ブレーム』の影響を最初に指摘したのは、Marianne Krock, Franz Kafka: Die Verwandlung. Von der Larve eines Kieferspinners über die Boa zum Mistkäfer. Eine Deutung nach Brehms Tierleben, Euphorion, 64 (1970), S. 326-352である。この論文は『変身』の昆虫の記述がブレームに依拠していることを論じている。

[27] Paul Heller, Franz Kafka. Wissenschaft und Wissenschaftskritik, Tübingen 1989, S. 107-123.

[28] Brehms Tierleben, Vierte, vollständig neubearbeitete Auflage, hrsg. von Prof. Dr. Otto zur Strassen. Säugetiere. Dritter Band, Leipzig und Wien 1915, S. 208.

[29] Paul Heller, ibid., S. 111f.

[30] Jens Tismar, Kafkas "Schakale und Araber". Im Zionistischen Kontext betrachtet, in: Jahrbuch der Deutschen Schiller-Gesellschaft, Band XIX (1975), S. 306-323.

[31] 邦訳聖書では、ドイツ語の「Schakalジャッカル」に相当する語は、「山犬」と訳されている。

[32] Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, p. 164.

[33] 『ブレーム』には、「空気が清浄(rein)になると〔=エサとなる動物の臭いが消えると〕、彼らは隠したエサのところに戻ってきて、それを引っ張り出し、その場で食べる」という記述がある(Brehms Tierleben, S. 209)

[34] このことはすでにリッチー・ロバートソンも指摘している。Ritchie Robertson, ibid.

[35] 2の拙論を参照のこと。

[36] このこともロバートソンによって指摘されている。Ritchie Robertson, ibid.

[37] 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」120頁以下参照。

[38] 以下の儀式殺人事件の記述は主としてRitchie Robertson, ibid., pp. 11-2によっている。

[39] Max Brod, Über Franz Kafka, Frankfurt/M. 1966, S. 177.

[40] Jens Tismar, ibid., S. 312.

[41] Ibid., S. 314f.

[42] Walter Laqueur, The History of Zionism, London/New York 2003, pp. 285-6.

[43] Ibid., p. 79.

[44] Ibid., p. 220-1.

[45] 本論では、「Araber」という語を、カフカ作品では「アラビア人」、中東の現実の民族としては「アラブ人」と訳し分ける。

[46] Walter Laqueur, ibid., p. 221.

[47] A. D. Gordon, Arbeit, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 1 (April 1916), S. 38f. この箇所はティスマルによっても引用されている(Jens Tismar, ibid., S. 315)

[48] Max Brod, ibid., S. 147.

[49] この単語は今日では使われることは少ないが、反ユダヤ主義が盛んだったカフカの時代にはよく使われた。「Wirtstier 宿主動物」とは、「Parasit 寄生動物」が寄生する動物である。反ユダヤ主義のイデオロギーでは、ユダヤ人は西欧社会への寄生的人種と見なされていた。

[50] Jens Tismar, ibid., S. 314.

[51] Werner Sombart, Die Juden und das Wirtschaftsleben, Leipzig 1911, S. 415.

[52] Jens Tismar, ibid., S. 313f.

[53] この点もロバートソンによって指摘されているが(Ritchie Robertson, ibid., p. 164)、彼は「entzweien」という動詞の重要性に気づいていない。

[54] 拙稿「ユダヤの非合理的な伝承」、100頁。

[55] 拙稿「カフカの八折判ノートのいくつかの問題」、78頁。

[56] 西欧のシオニズムは若者たちの運動であった。ベルクマンは、『ユダヤ人』に発表した「戦後のユダヤ・ナショナリズム」という論文でこう書いている。「シオニズムは学生運動であったし、大部分のところ、今日に至るまでそうであり続けた。生活面での利害を持たず、日々の仕事を持たない学生、鳥のように自由に、陽気な客人として生のあらゆる杯から飲むことができる過渡期段階にある人間、そういう人間だけが日常の仕事の生活とまったく無縁である運動に完全に没頭することができるのである」。Hugo Bergmann, Der jüdische Nationalismus nach dem Krieg, in: Der Jude, 1. Jahrg., Heft 1 (April 1916), S. 9.

[57] Robert Weltsch, Einleitung, in: BuJu, S. XXIII. ローベルト・ヴェルチュは「バル・コホバ」のメンバーで、カフカの友人フェーリクス・ヴェルチュの従兄弟であった。

[58] カフカはブーバーのシオニズム・イデオロギーを「飛び去りゆくユダヤ教の祈禱服の最後の端」(NSII 97f.)と評し、ユダヤ教の焼き直しと見なしていた。

 

中澤英雄のトップページ

 

inserted by FC2 system