カフカのアフォリズムの謎  (上)

                                                          中澤英雄

目  次

序論 

カフカのアフォリズムの軽視 

アフォリズムをめぐる謎 

新しい資料の出現 

リチャード・グレイのアフォリズム研究書 

『考察』とミレナ体験 

第一章 『考察』の背景としての『チューラウ・アフォリズム』と『彼』 

『チューラウ・アフォリズム』と『考察』 

『チューラウ・アフォリズム』の遠近法的二元論 

『彼』のグノーシス的世界拒否 

第二章 『考察』の謎 

第一節 カフカのオリジナル原稿とブロート版全集との相違 

第二節 構成上の問題 

(一) 抜粋基準と数 

(二) 配列 

(三) 二重番号アフォリズムと分割アフォリズム 

(四) 「・二」のアフォリズムの並記 

第三節 並記アフォリズムの関係 

          (以上は本紀要に掲載。第三章以下は『比較文化研究』第二十九輯に発表される。)

第三章 書類束A、B、Cと『ミレナへの手紙』の謎 

ビンダーによる『考察』編纂時期の推定 

書類束A、B、Cの執筆時期 

ミレナへの手紙における二九・二番のアフォリズムの引用 

二九・二番のアフォリズムと鞭打ち苦行 

書類束Aのアフォリズムと中国の怪談集からの引用 

引用メモとミレナへの手紙の関係

『ミレナへの手紙・増補改訂版』の日付推定は正しいか 

「幽霊」の正体 

三九a・二番と一〇九・二番 

書類束Aと八折判ノートの関連 

書類束Aの執筆状況 

『考察』の編集時期 

第四章 『考察』とミレナ体験 

ミレナとの出会い 

偉大な世界救済の戦い 

ユダヤ人と非ユダヤ人  

グミュントでの転機 

病の診断と克服 

アフォリズムから文学的創作への移行 

「なぞり書き」作業 

第五章 「究極の事物」をめぐる友人たちとの哲学的対話 

八月時点での八折判ノートの見直し 

ブロート宛の手紙 

ブロートの異教理解 

カフカのニーチェ解釈 

「究極の事物」をめぐる対話 

八九番の自由意志に関するアフォリズム 

ブロートとヴェルチュの意志自由論への反論

柄が灼熱しているハンマー 

無力な小槌




序  論


カフカのアフォリズムの軽視


 戦後の日本において、カフカは最も人気のあるドイツ語作家の一人である。たとえば『変身』は、私が調べた範囲だけでさえ、一九八九年までの時点で十一人の訳者によって訳され、二十六種類もの異なった単行本(世界文学全集も含む)として出版されている。『訴訟』(=『審判』)と『城』はそれぞれ七人の訳者によって訳され、十五回単行本として出版されている(1)。しかし、カフカのアフォリズムとなるとこれほどの人気はない。世界文学全集の巻にも、文庫本の中にも、カフカのアフォリズムが採用されることはほとんどない。第一、難解で、何を意味しているのかさえよくわからない。何とか読解しようとしても、わかったようでわからない。わからないからますます敬遠されることになる。

 カフカのアフォリズムに対する不人気はドイツにおいても、その他の欧米諸国においてもあまり変わらない。カフカ研究といえば、もっぱらカフカの文学作品の研究を意味するようである。彼のアフォリズムはせいぜい文学の片手間に書かれた着想の破片、まともな文学作品になり損なった断片としか見られていない。このような見解を代表しているのが、ジム・ドゥルーズとフェリックス・ガタリのカフカ論である。カフカという「文学機械」を手紙、物語、長篇小説という三つの「構成要素」から成り立つと見る彼らは、カフカの二つの「要素」を無視しうると考える。その一つは日記であるが、もう一つは、

「非常に短いテクスト、陰うつなアフォリズム、比較的慎み深いたとえばなしであって、一九一八年のフェリーツェとの決裂のころ、カフカが本当に悲しい気分で、疲れており、書けず、書く意欲もなかった時期のものである」(2)

と彼らは言う(ただし、「一九一八年」というのは伝記的には「一九一七/一八年」とすべきであろう)。

 これほどあからさまではないにしても、カフカのアフォリズムを彼の文学活動のまともな「構成要素」と見ない傾向は、ごく少数の例外を除いて、大部分のカフカ研究において共通していると言えよう。それでいながら、数々のカフカ論において、彼のアフォリズムはかなり重要な役割を演じてもいる。というのは、アフォリズムはカフカの世界観、人間観、芸術観、宗教観に関する直接的な理論的言明として、必ずと言ってよいほどどこかで引用され、論者の主張を支持するための証拠として持ち出されるからである――往々にしてその本来の意味連関から切り離され、論者にとって都合のよいような文脈で。

 私はかねてからカフカのアフォリズムに対するこのような処遇に不満であった。ドゥルーズ/ガタリとは反対に、彼のアフォリズムは彼の文学作品に優るとも劣らない価値を有する重要な思索の結晶だと私は考える(そしてこのことは、本稿が論証するごとく、カフカ自身の見解でもある)。それは文学作品と同じく、いや、きわめて凝縮された表現形式をとっているために、文学作品の場合以上に注意深い解釈の作業が必要な文学的・哲学的言述なのである。一篇のアフォリズムといえど、アフォリズム群全体が形成しているいわば多面体の一側面としてのみ、その本来の意味を解明することができるであろう(3)。それをコンテクスト=全体的連関から切り離してしまっては、カフカの思索とはまったく逆の解釈を受けてしまう可能性さえあるが、このような指摘はわざわざ解釈学の議論を持ち出すまでもないことであろう。

アフォリズムをめぐる謎

 さてカフカのアフォリズムとしては、『罪、苦悩、希望および真の道についての考察』(以下では『考察』と略記する)と『彼』という二種類のアフォリズム集が残されている。前者は、カフカが一九一七年/一八年に、病気療養のために北西ボヘミアのチューラウという農村に滞在していたとき、八折判ノートに書きとめたアフォリズムを後になってカフカが整理したものである。後者は、カフカの一九二〇年一月と二月の日記帳の記述を、彼の死後、友人であり、カフカの著作の編者であるマックス・ブロートがアフォリズム集としてまとめたものである。表題はいずれもカフカ自身のものではなく、ブロートによって与えられている。

 私は従来から、カフカのアフォリズム集にはいくつかのテクスト上の未解決の問題があると考えていた。まず『彼』のほうであるが、これはもともとカフカが日記帳として用いていた四折判ノートに、日記ふうに日付を付けて書かれていた記述を、ブロートが日付を取り除き、配列も変えてアフォリズム集として編集し直したものである。したがって、元来同じノートに書かれていた一連の記述が、ブロート版全集では順番が違っているだけではなく、『彼』以外の別の箇所にもばらばらに記載されている。しかし、こうした混乱状態は一九九〇年に原典批判版全集の『日記』が出版されるにおよんでようやく解決された。原典批判版全集では、『彼』は独立したアフォリズム集としてではなく、『日記』の巻にカフカの四折判ノートの順番のままに掲載されることになったのである(KT 847-862)(4)

 カフカ自身の編集になる『考察』にもいくつかの理解しがたい問題がある。その第一は『考察』の構成に関するものである。『考察』においては一つの番号のもとに二篇のアフォリズムが並記されているケースが八カ所ある。この二篇のアフォリズム(これを並記アフォリズムと呼ぶことにする)を比較してみると、内容が類似している場合もあれば、まったく無関係に思われる場合もある。互いに無関係に見えるアフォリズムをカフカはなぜ同じ番号のもとで並記したのであろうか。

 これとは逆に、一篇のアフォリズムに二つの番号が与えられている箇所が三カ所ある(これを二重番号アフォリズムと呼ぶことにする)。あとでも見るように、「カフカ自身が元来二篇のアフォリズムであったものを、一つにまとめた」というブロートの説明は納得しがたい。また、このような二重番号アフォリズムと異なったタイプのアフォリズムもある。たとえば『考察』七番と八番は内容的に見て、ひと続きのアフォリズムとして読んだほうが意味がはっきりするし、もとの八折判ノートでも、本来はひと続きのアフォリズムとして書かれている。つまり、この二篇のアフォリズムは一篇のアフォリズムをカフカがあえて分割したものと考えられる(これを分割アフォリズムと呼ぶことにする)。『考察』九番と十番もこのような分割アフォリズムである。これらの二重番号アフォリズムや分割アフォリズムはなぜ生じたのか。

 さらに、『考察』ともとの八折判ノートを比較すると、『考察』のアフォリズムは八折判ノートに書かれた順序通り、すなわち成立順に番号が与えられ、配列されているのだが、ただ八九番の自由意志に関するアフォリズムだけが八折判ノートの位置とはまったく別の番号を与えられている。このような移動はなぜ生じたのであろうか。

 『考察』の番号ということでは、さらに一〇四番が欠番になっている。一〇四番のアフォリズムはどうなったのか。

 さらに大きな謎は『考察』と「断片」類との関係である。『考察』のもとになったアフォリズムはすべて八折判ノートに書かれているのに、その中の六篇は、さらに一九二〇年秋に書かれた「書類束(Konvolt)A」と「書類束B」(パスリ/ヴァーゲンバッハによる名称[Sy 68ff.](5)。これはブロート版全集では『田舎の婚礼準備』の巻の「断片」の章にまとめられている)にも書かれている。AとBのアフォリズムは従来は八折判ノートからの「引用」と見なされ、この「引用」アフォリズムは、カフカがまさにこの時期に八折判ノートから『考察』を編纂する作業に取り組んでいたことを示す状況証拠と考えられていた(Sy 69)。ところが、AとBの「引用」アフォリズムがすべて『考察』の並記アフォリズムの一篇なのである(ただし、並記アフォリズムでもAとBに記載されていないものもある)。この並記と「引用」アフォリズムの間には何らかの関係があるのではなかろうか。

 これらは一見ごく些細な形式的問題に見える。特に、カフカのアフォリズムを全体としてではなく、個々に分断して、自分のカフカ解釈の補強手段として利用するタイプのカフカ研究者にとっては、まったくどうでもいい問題であろう。事実、これらの謎は従来のカフカ研究ではそもそも問題として認識され、論ぜられることさえなかった。しかし、私にはどうにも妙にひっかかる事柄であった。ただし、その謎を解決する手がかりはなかなか見出されなかった。

新しい資料の出現

 ところで、カフカのアフォリズムを研究するに際しては、重大な困難がある。それはすべての文学研究の出発点となる原典批判の問題である。現在までのところ我々が一般に利用できるカフカのテクストは、ブロート編纂のカフカ全集であった。しかし、この全集がブロートによってカフカのオリジナル原稿に様々な改変の手が加えられた問題の多いテクストであることは、すでに有名な事実である。カフカのオリジナル原稿を参照した研究者の研究書や論文を読むと、文学作品だけではなく、どうやらアフォリズムについてもカフカのオリジナル原稿とブロート版全集の間にはいくつかの相違があるらしいことがうかがわれる。アフォリズムのようなきわめて短く圧縮された思索表現においては、一字一句の違いがまったく別の解釈を生む可能性があるから、これは重大な問題である。上述のようなカフカのアフォリズムをめぐる謎も、あるいはブロート版全集の欠陥にその原因があるのかもしれない、と思われたが、カフカの手稿を自由に参照できる立場にない私には、それを確かめることもできない。

 だが、カフカのテクストにまつわるこのような不備は、徐々に取り除かれつつある。現在、カフカの原稿の大部分を所蔵する英国のオックスフォード大学と、ドイツのヴッパータール大学のプラハ・ドイツ語文学研究所が中心になって、原典批判版のカフカ全集を刊行しつつある。もっとも、早々と出版されたのは『城』(一九八二年)と『失踪者』(一九八三年)の二巻だけで、その他の巻はなかなか日の目を見なかった。しかし、一九九〇年になって、ブロートの編集に対して従来から様々な異議・異論が唱えられ、ブロート版全集の中で最も問題が多いと見られていた『訴訟』がようやく出版された。これによってカフカの三大長篇小説の原典批判版が完成したことになる。一九九〇年には、従来ブロートによって削除されていた箇所を大幅に補い、また事実関係に関する詳細な注釈も付加された『日記』が公刊された。

 さらに、原典批判版の作業と並行する形で、注目すべきテクストもいくつか現われてきている。その第一は『ミレナへの手紙・増補改訂版』である。原典批判版全集では、カフカの書簡はブロート版全集のように名宛人別ではなく、すべて日付順に配列される予定になっている(MN 416)(6)。このような原典批判版全集の書簡集を作成する予備作業のような形で、従来のヴィリー・ハース編纂の『ミレナへの手紙』(一九五二年)も、全面的に見直されることになった。この旧版は元来非常に不完全な版で、省略された箇所も多く、手紙の配列はかなり不正確で、しかも日付の推定も行なわれていなかった。だがこれも、その当時のカフカ研究の水準ではやむをえなかったことである。しかし、一九八三年に原典批判版全集に参画しているヴッパータール大学のユルゲン・ボルンとミヒャエル・ミュラーが、ハース版の削除と欠陥を大幅に補った『ミレナへの手紙』の新しい増補改訂版を編纂した。この増補改訂版によって、カフカとミレナの恋愛の経緯がよりはっきりとしてきた。原典批判版編集の中心者であるオックスフォード大学のマルコム・パスリは、カフカとブロートの青春時代の旅行日記(7)、さらに両者の往復書簡集(8)を刊行した。カフカのブロート宛の手紙はこれまでもブロート版全集の『書簡集』に収録されていたが、ブロートのカフカ宛の手紙も参照できる状態になって、両者の手紙による議論のやりとり、および両者のその当時の人生上の問題がより鮮明にわかるようになった。また、一九八六年にプラハの古本屋で、一九二二年〜二四年に両親宛に書かれた三十二通のカフカの手紙と葉書が発見された。『オットラと家族への手紙』を補い、晩年のカフカの姿をよりいきいきと伝えるこれらの手紙は、一九九〇年に刊行された(9)。これらの新資料はカフカ研究の新しい基盤を提供し、カフカ研究を一新する可能性を秘めている。

リチャード・グレイのアフォリズム研究書

 アフォリズムやそれと密接に関連する断片類については、原典批判版はまだ出ていない。しかし、一九八七年にきわめて注目すべきカフカのアフォリズムの研究書が出版された。それはアメリカの学者リチャード・グレイによる『建設的な破壊』(10)というカフカ論である。この書物は、従来哲学的、宗教的に解釈されることの多かったカフカのアフォリズムを、リヒテンベルク以来のドイツ・アフォリズムの系譜の中に位置づけて、主としてその形式面、レトリック面の分析を行なった画期的な研究である。今まで主として思想的な面からカフカのアフォリズムを考察していた私にとっては、グレイの視点はきわめて新鮮で、教えられる点が多々あった。

 しかし、私にとってもっと衝撃的であったのは、グレイのレトリック分析の新しさというよりも、むしろ彼にとってはおそらく副次的な意味しか持たなかったであろう次の発見であった――彼がカフカの八折判ノートと『考察』のオリジナル原稿をブロート版全集と比較対照した結果、カフカの原稿と全集版の間には、ブロートが彼の全集版の「注解」で主張している以上に大きな相違がある、ということが明らかになったのである。その最大の問題点は、カフカの八折判ノートには本来書かれていないアフォリズムが、全集版では最初から八折判ノートに書かれていたかのような変更が、ブロートによって加えられていたことである。グレイの指摘によれば、『考察』の八篇の並記アフォリズムは八折判ノートには全然載っておらず、書類束Aと書類束Bにしか書かれていない。これはどういうことか?八篇の並記アフォリズムは一九一七/一八年にチューラウにおいて成立したのではなく、一九二〇年にカフカが八折判ノートから『考察』を編纂する際に新たに作成され、最初にAとBに書かれ、後になって『考察』に付加されたのである――これがグレイの推論であった。ブロートによってカフカの文学作品には色々な改変の手が加えられていたことは今までも知られていたが、アフォリズムの場合もそうだったのである。これまでカフカのオリジナル原稿を参照した学者は数多くいたにもかかわらず、そして『訴訟』やその他の文学作品についてはブロートの改ざんについては比較的よく知られていたにもかかわらず、アフォリズムについては、個々のアフォリズムの文言の細かな相違は別として、このように重大な事実が今までまったく気づかれていなかったということは、カフカ研究者がカフカのアフォリズムをいかに軽視してきたか、ということを示す一つの証左であろう。

『考察』とミレナ体験

 グレイの研究は部分的な形ではあるが、これから出版されるであろう原典批判版のアフォリズムの巻を先取りしているとも言える。彼の研究によって、カフカのアフォリズム集のオリジナルな姿がある程度わかり、私のいだいていた疑問の一部(並記アフォリズムと書類束の関係)は解決されたが、それはまた新たな問題を呼び起こした。それは、カフカが一九一七/一八年に書いたアフォリズムを、なぜ一九二〇年になってあらためて編纂しようとしたのであるか、という問題である。そこには当然カフカの人生上の理由があったはずである。しかし、伝記的研究を軽視するグレイはこの問題にまったく答えていない。答えていないどころか、問題として意識さえしていない。彼の研究はたしかにすぐれてはいるが、あくまでもカフカのアフォリズムの意義の一側面しか解明していない、と私には思われた。そこで私はグレイの発見した新事実を、原典批判版全集やその他の新資料と突き合わせてみた。そこに新たに見えてきたのは、『考察』の編集時期とちょうど重なる、カフカのミレナ・イェセンスカとの恋愛関係の破局という出来事であった。従来、『考察』は八折判ノートのアフォリズムの要約であるとして、もっぱらカフカのフェリス・バウアーとの関係においてしか検討されてこなかったのであるが、実はミレナ体験と密接に結びついていたのである。このような見方も、『ミレナへの手紙・増補改訂版』という新資料によって初めて可能になったのである。この書簡集を視野に置いて『考察』を読むと、そこには今まで思いもよらなかった『考察』の新しい姿が浮かび上がってきた。そればかりではない。逆に『考察』と書類束A、Bを鍵として、『ミレナへの手紙』の新たな読解も可能になった。『考察』、書類束AとB、そして『ミレナへの手紙』を三位一体のものとして読むと、先に挙げたようなアフォリズムをめぐる謎が次々と解決されていった。一見些細に思われる形式的な謎の背後には重大な問題が潜んでいたのである。

 本稿はこのように、カフカのアフォリズムがはらむ数々の謎の発見とその解明の試みとして成立した。彼のアフォリズムに新たな光を投ずることによって、後期のカフカの文学と人生を考察する新しい視点が開けてくることであろう。カフカのアフォリズムの謎は――カフカ自身のアフォリズムの表現を借りるならば――従来のカフカ解釈を大きくくつがえす「アルキメデスの点」となるのである。

(1) Hideo Nakazawa, Übersetzungsprobleme der deutschen Literatur in Japan am Beispiel von Kafka, in: The Journal of the Department of Liberal Arts, No. 22 (1989)(『教養学科紀要』第二二号[東京大学教養学部教養学科、一九八九年]), S. 102C.

(2)  ドゥルーズ/ガタリ著(宇波/岩田訳)『カフカマイナー文学のために』(法政大学出版局、一九七八年)、八五頁。

(3)  このことはすでに、日本におけるカフカのアフォリズムの数少ない研究・翻訳書の一つである辻・『カフカ・実存と人生』(白水社、一九七〇年)が指摘している(二四五頁)。

(4)  カフカの著作はすべて記号と頁数をもって文中に示す。KT = Franz Kafka, Tagebücher. Kritische Ausgabe. Hrsg. von H.-G. Koch, M. Müller und M. Pasley, Frankfurt/M. 1990.

(5) 以下において頻繁に引用する著作は、記号とそのあとの頁数をもって文中に示す。Sy = J.Born/L.Dietz/M.Pasley/P.Raabe/K.Wagenbach, Kafka-Symposion, Berlin 21966.

(6)  MN = Franz Kafka, Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe. Hrsg. von J. Born und M. Müller, Frankfurt/M. 1983.

(7)  Max Brod/Franz Kafka, Eine Freundschaft. Reiseaufzeichnungen. Hrsg. von H. Rodlauer und M. Pasley, Frankfurt/M. 1987.

(8)  Max Brod/Franz Kafka, Eine Freundschaft. Briefwechsel. Hrsg. von M. Pasley, Frankfurt/M. 1989.

(9)  Franz Kafka, Briefe an die Eltern aus den Jahren 1922-1924. Hrsg. von Josef Cermak und Martin Svatos, Frankfurt/M. 1990.

(10)  Richard T. Gray, Constructive Destruction. Kafkas Aphorism: Literary Tradition and Literary Transformation, Tübingen 1987. 以下においてこの本からの引用は Gray によって文中に示す。


第一章 『考察』の背景としての『チューラウ・アフォリズム』と『彼』

『チューラウ・アフォリズム』と『考察』

 序論にも述べたように、カフカには、ブロートによって『罪、苦悩、希望および真の道についての考察』と名づけられたアフォリズム集と、一九二〇年初めに書かれた『彼』という二つのアフォリズム集(日記帳に書かれてはいるが、『彼』を従来通り独立したアフォリズム集と見なすならば)しか存在しないというのが、カフカ研究者のこれまでの一般的な理解になっている。『考察』は元来、一九一七年/一八年に書かれたいわゆる第三と第四の八折判ノート(これらは以下ではパスリ/ヴァーゲンバッハ[Sy 76ff.]に従って八折判ノートGと八折判ノートHと呼ぶことにする)のアフォリズムから、彼が一九二〇年に百数篇のアフォリズムを抜粋して作成したものである。だから、『考察』にあるアフォリズムの原形はすべて八折判ノートにあり、従来から八折判ノートのアフォリズム群と『考察』とは一体のものと見られてきた。しかし私は、八折判ノートと『考察』との関係は、『考察』が八折判ノートの要約、そのエッセンス、あるいはその部分集合といった単純な性格のものではなく、両者は一応別のアフォリズム集と見なしたほうがよい、と考える。

 その第一の理由は、グレイが明らかにしたように、『考察』のアフォリズムが八折判ノートのアフォリズムに推敲の手が加えられて成立したものだからである。これまでも時折り、幾人かのカフカ研究者によって、カフカの原稿では八折判ノートと『考察』の間には若干のテクスト上の相違があることが、部分的な形では指摘されてきたが、このような相違は実は一九二〇年に『考察』の編纂を行なったときに、カフカの推敲によって生じたものであることが、グレイの発見によって確実になった。さらに『考察』には、八折判ノートには本来書かれていない八篇の新たなアフォリズムが追加されている。厳密に言えば、このような新しいアフォリズムも含む『考察』は、八折判ノートのアフォリズム群と同じとは言えないことになる。

 私が二つのアフォリズム集を区別したほうがよいと考えるのは、単にこのようなテクスト上の相違だけによるものではない。第二の理由は、八折判ノートが書かれたときと、『考察』が編纂されたときのカフカの伝記的な状況が大きく異なっており、そのような相違に対応して、二つのアフォリズム集がカフカにとって持っていた意義が違っていることである。八折判ノートのアフォリズム群は、婚約者フェリス・バウアーとの長年にわたる葛藤が喀血、そして最終的には彼女との婚約の破棄という結果に終わったとき、この人生上の転機に際して、チューラウで静養生活を送りながら書き留めた省察である。それは何といってもフェリス体験との関連で考察されなければならないし、これまでもそのように解釈されてきた。しかし、『考察』はあとで見るように、カフカのミレナとの恋愛の破局という状況の中で、八折判ノートをもとに一九二〇年夏から秋にかけて(通説によれば)編纂された。テクスト上の微妙な相違の背後には、カフカの伝記的な状況の相違が隠されている。本書では八折判ノートGとHのアフォリズム群を、それが書かれた場所にちなんで『チューラウ・アフォリズム』と名づけ、『考察』と区別することにしたい。ただし、個々のチューラウ・アフォリズムを引用したり指示する際、『チューラウ・アフォリズム』(八折判ノートG、H)と『考察』との間にテクスト上の相違がないときには、引用の簡便さのために、『考察』の番号によって呼ぶことにする。

 本稿の主要な論点は『考察』とミレナ体験の関連ということであるが、この問題を解明するためにも、『考察』の背景をなす『チューラウ・アフォリズム』と『彼』の特質について若干素描しておかなければならない(第一章)。その次にグレイの研究を参考にしつつ、『チューラウ・アフォリズム』と『考察』の間にはいかなるテクスト上の相違があるかを指摘し(第二章)、その相違を手がかりにして『考察』をめぐる伝記的な問題の考究に入ってゆくことにしたい(第三章以下)。

『チューラウ・アフォリズム』の遠近法的二元論

 『チューラウ・アフォリズム』の意義を考察する上では、カフカにおける西ユダヤ人の問題と、カフカのフェリスとの関係という二つの問題を考慮しなければならない。この二つの問題、およびその両者の絡まり合いについては、私は別の場所で論じたことがあるので(1)、詳しくはそれを見てもらうこととして、ここではその結論だけを図式化して述べるならば、次のように言えるだろう――カフカは個と共同の関係をめぐる実存的な問題を、一方においては民族という回路において、他方においては異性関係を通して解決しようとし、個の自由と他者との共同性が両立する生の理想的なあり方を「必然的な共同生活」(F 401<11:374>)(2)と名づけた。だが、シオニズムとの対決とフェリスとの葛藤に満ちた関係から、彼は自分を「必然的な共同生活」を確立するための前提である「究極の事物(die letzten Dinge)(ÜFK 147<188>)(3)について明確に把握できていない西ユダヤ人の典型と見なすにいたった。彼はチューラウにおいて自分の失敗の原因について考察をめぐらしたのであるが、『チューラウ・アフォリズム』はこのような「究極の事物」についての解明の試みとして成立した、と見ることができる。

 『チューラウ・アフォリズム』の中心をなしているのは、聖書創世記の楽園神話をめぐる考察である。この考察において、カフカは人間と世界を、一方において彼が善、真理、不壊なるもの、楽園、生命の木、精神的世界、彼岸、永遠性といった様々な表現で名づける神的自己(領域)と、他方において悪、虚偽、認識の木、感覚的世界、此岸、時間性といった名称で呼ぶ現世的自己(領域)との二重存在として把握する。人間はその本来性である神的自己=「不壊なるもの」としては自他差別のない一体の存在者であり、ここに「必然的な共同生活」の根拠が存在する。

「不壊なるものは一つである。個々の人間はそれであり、同時にそれは万人に共通である。それゆえ、類例のないほど分かちがたい人間どうしの結びつき。」(『考察』七〇/七一番)

 カフカはこの「不壊なるもの」をまた「真の人間的本質」とも呼ぶ。

「世界を捨てる者は、万人を愛さざるをえない。なぜなら、彼は彼らの世界をも捨てるからである。それゆえ彼は、もしも人々も彼と等しく世界を捨てるのであれば、愛するほかはない真の人間的本質を予感し始めるのである。」(六〇番)

 人間は本来「不壊なるもの」=「真の人間的本質」という神的な基盤において一体の存在、分かちがたく結びついた存在なのであるが、堕罪=認識能力の獲得のために、その本来的な生のあり方から転落して、善悪混淆の二重存在者として「世界」=現世の中で生きている。しかし、堕罪によって人間の神的本質が完全に失われてしまったわけではない。

「楽園からの追放は、その本質的な部分において瞬間的な永遠の出来事である。つまり、楽園からの追放はなるほど最終的なものであり、この世界での生活は不可避のものとなったが、この出来事の永遠性(あるいは時間的に表現するならば、この出来事の永遠の反復)によって、それにもかかわらず、我々が常に楽園にとどまっているかもしれないというばかりではなく、我々がこの世でそれを知る知らないにかかわりなく、我々は実際のところ、常に楽園にとどまっているのだ、ということも可能になるのである。」(H 94<3:71>)(4)

 人間は現世における罪ある存在でありながら、同時に楽園に住する神的自己でもある。人間存在のこのような二重性に対応して、人間を考察する二つの視点が生まれる。あるいはむしろ、二重の視点に応じて人間存在の二重性が出現すると言ったほうが正しいかもしれない。この二重の視点はカフカ研究者ヴァルター・ゾーケルの用語を借りて「遠近法的二元論(der perspektivische Dualismus)(5)と呼ぶことができる。

 カフカは遠近法的二元論の視線を、一方において人間の本来性に向けて、「不壊なるもの」という人間存在の形而上的核心を見出し、ユダヤ教的でもキリスト教的でもない、カフカ独自の「信仰」の肯定的なイメージを描き出す。

「信仰するとは、自らの内なる不壊なるものを解放することである。あるいはより正しくは、自らを解放することである。あるいはより正しくは、不壊であることである。あるいはより正しくは、あること(sein)である。」(H 89<3:68>)

 しかし、この「不壊なるもの」は人間の意識によって確固として把握される(あるいはより正しくは「体験」される)ものではなく、否定的な現実の反対物、現世の超越的相関物として「予感」されるにすぎない(6)。「不壊なるもの」を現実に解放し、「信仰」に到達するためには、人は二重存在である自己の現世的部分を徹底的に破壊し、浄化し、「神と等しい人間」(H 101f.<3:77>)という神的単一性に回帰しなければならない。しかし、それに至る道は自己破壊=苦悩による発展という困難な段階を通じている。

「我々の周囲のすべての苦悩を、我々もまた苦悩しなければならない。キリストは人類のために苦しんだが、人類はキリストのために苦しまねばならない。我々すべては一つの体を共有してはいないが、同じ一つの成長を共有するのであり、この成長は、我々をあれこれの形のすべての苦痛を通して導いてゆくのである。ちょうど子供があらゆる人生の諸段階を経て、老人へ、そしてさらに死へと向かって発展して行くように(そのときどの段階も、それ以前の段階にとってみれば、望んでいるにせよ恐れているにせよ、根本的には到達不可能なものに思われるのだが)、それと同じように我々は(我々自身に結びついている以上に人類と深く結ばれて)、この世のあらゆる苦悩を通して、[すべての同胞とともに]発展するのである。このような関連においては、公平さなどという観念が入り込む余地はないし、苦悩に対する恐れや、苦悩をある種の功労などと解釈する余地もない。」(H 117<3:88>)(7)

 ただしカフカは『チューラウ・アフォリズム』において、現世的自己を破壊して、「不壊である」ことを実現し、真の信仰に到達したわけではなかった。「不壊なるもの」は理論的考察から導き出される、無限の遠方に位置する仮想的な地点、否定的な現実の反対物として「予感」される地点であった。現実には彼は相変わらず「感覚的世界」という闇の中に生きているのであった。「不壊なるもの」を実際に解放する力を持ち合わせていないカフカは、「不壊なるもの」からはるかに遠ざかっている自己の病を、時代の一般的な病の典型例として診断=「認識」することの中に「新しい逃げ道」を見出すことになる。カフカはチューラウにおける仕事の意義を次のようにブロートに報告している。

「自分が独力では(結核が《自分の力》ではないとしての話だが)見つけ出せなかった新しい逃げ道を、これほど完璧なだめさ加減ではこれまではとても可能と思えなかった逃げ道を、僕はいま目にしている。僕はそれを見ているだけだ、見ていると思っているだけで、その道をまだ歩いているわけではない。僕が私的にばかりではなく、独り言によってばかりではなく、公然と、自分の態度によって、僕がこの点においてだめな人間であることを告白すること――そこにその逃げ道はある、いや、あるのであろう。この目的のために僕がしなければならないのは、僕のこれまでの生活の輪郭を断固としてなぞり書きする(nachziehen)ことだけだ。その次に現われてくる結果は、僕が自分自身をしっかりと把握し、自分を無意味なものに浪費せず、視線を自由に保つ、ということになるであろう。」(Br 195f.<9:216>)(8)

 「これまでの生活の輪郭のなぞり書き」、「自由な視線」という認識の力によって彼は、キリスト教もユダヤ教もその規範力を失った宗教的価値の真空状態の中で、「不壊なるもの」に関するユートピア的な神学を構築し、「終わりであるか、始めである」(H 121f.<3:91>)という地点に立つ。この認識の獲得は、カフカがそれまで追求してきた文学とも結婚とも異なった新たな慰めであった。だが「認識それ自体が慰め」(H 71<3:55>)であるとしても、それはあくまでも一種の「逃げ道」、『学会への報告』の主人公の猿が見出した、真の「自由」と対比すればやはり不満足な、妥協的な解決策である「逃げ道」でしかなかった。

 こうして『チューラウ・アフォリズム』は、現世から無限に遠ざかった地点に楽園=「不壊なるもの」という肯定的地点を発見はしたが、悪の世界に住む虚偽の自己を楽園に導くことはできなかった。『チューラウ・アフォリズム』で獲得された遠近法的二元論の視線は逆に、真理から遠く離れている自己の姿を今まで以上に赤裸々に浮かび上がらせることにもつながる。いったん視野に入った「不壊なるもの」の光は、自分を取り巻く暗闇をいっそう黒くする可能性がある――ちょうど、『訴訟』の「大聖堂にて」の章で、聖画を照らし出すろうそくの光が大聖堂の闇をますます濃くするように。「不壊なるもの」という救済の地点の予感は、そこに到達できなかった者を、それを知る以前よりももっと深い絶望に突き落とすかもしれない。チューラウにおいてカフカが発見した「不壊なるもの」は、その用い方によって、肯定的信仰にも、また否定的・絶望的世界観にも転じうる微妙きわまりない地点であった。

『彼』のグノーシス的世界拒否

 カフカは一九一八年四月末、チューラウからプラハに戻った。同年秋、スペイン風邪にかかって体調を崩したカフカは、病気療養のために保養地シェレーゼンに行った。そこで彼は一九一九年初め、ユーリエ・ヴォホリゼクというユダヤ人女性と出会い、同年夏に婚約したが、彼女との関係はいわばフェリス体験の繰り返しであった。一九一九年末には彼女との関係は、彼の優柔不断さのために、結婚の見通しもつかないまま暗礁に乗り上げていた。一九二〇年の初め、彼はその苦悩の中から非常にペシミスティックな自伝的なアフォリズム群を書いたが、これがのちにブロートによって『彼』という表題のもとにまとめられることになった。

 新しい原典批判版カフカ全集は、ブロート版全集では色々な場所に分かれている『彼』関係の記載をすべて『日記』に含めることにした。原典批判版によってアフォリズム集としての扱いをやめられてしまったとはいえ、『彼』はやはり通常の日記とは異なった一つのまとまった記述と見なすべきであろう。そもそもカフカの日記は、通常の日記以外にも執筆ノートとしての性格も持っている。『判決』が日記帳である四折判ノートに書かれているからといって、それを日記の一部と見なすことはできない。それと同じように、四折判ノートに書かれ、日付が付けられているからといって、一九二〇年一月、二月の一連の記述を日記の一部と見ることはできない。

 一九一九年十二月の日記と、一九二〇年一月、二月の『彼』とは、その間にわずかの日数しか経過していないのに、その執筆スタイルがかなり異なっている。その最大の相違点は、一九一九年十二月の日記は「私」という一人称を用いたカフカの通常の日記の文体であるのに対し、日付入りのアフォリズム的考察からなる『彼』は、大部分が「彼」という三人称を用いた、自分を客観的に突き放して見る自己省察のスタイルであることである(『彼』というブロートに付けられた題名もここに由来する)。このようなスタイルはすでに『チューラウ・アフォリズム』でも時々用いられていたが、『彼』ではそれが意識的に採用されている。「日付+アフォリズム」という形式は、八折判ノートG、Hと同じで、カフカはこの時期、チューラウでフェリスとの関係を清算するために採用したのと同じ形式を借りて、ユーリエとの問題に反省の目を向けようとしたものと思われる。

 このアフォリズム集に特徴的なのは、

「彼はこの現世に囚われていると感じ、窮屈でならない。囚人たちがいだく悲哀、無気力、病気、妄想が彼の心に吹き出してくる。いかなる慰めも彼を慰めることはできない。それがただの慰め、囚われているという粗暴な事実を前にしての、お上品な、頭痛をひき起こすような慰めにすぎないからだ」(KT 851; B 292<2:233>)(9)

というアフォリズムに現われている牢獄としての世界というイメージ、そして、

「何人かの人たちは太陽を指さすことによって、悲惨を否定する。彼は悲惨を指さすことによって、太陽を否定する」(KT 851; B 292<2:233>)

という世界の暗黒面を強調するペシミズムである。このようなペシミズムは『チューラウ・アフォリズム』の遠近法的二元論のうち、現世的視点が強化されることによって生まれている。世界は牢獄であり、そこには人間に救済を与える希望の片鱗も存在しないというラディカルな世界拒否は、グノーシス思想にきわめて似ている。

 ハンス・ヨナスはグノーシス思想の根本特徴を、超越的な神性と闇としての世界の「ラディカルな二元論」としている。「神性は絶対的に超世界的であり、世界とはまったく本質を異にしている。[・・・・]世界は闇の産物であり、[・・・・]神的な光の領域の対極にある」。これは宇宙を調和=コスモスとしてとらえるギリシア思想に対する反逆を意味していた(反宇宙的二元論)。闇であり、霊としての人間を閉じこめる牢獄である世界は、超世界的な神(異邦の神)によってではなく、「アルコーン」と呼ばれる下位の諸権力によって創造された。この低次の神は、プラトンの『ティマイオス』における世界創造者であるデミウルゴスの名で呼ばれることもある。このような神観は善なる神による世界創造を認めるユダヤ教に対する反逆でもあった。神性と世界とのこのような二重性に対応して、人間も霊と肉からなる二重存在者である。この世と無縁な霊的自己は、アルコーンやデミウルゴスが人間を閉じこめておく牢獄として作った肉体に囚われている。しかし、人間は超越的な神の「知識」=「グノーシス」を獲得することによって、宇宙を脱して彼方の神のもとに到達できるのである(10)

  『チューラウ・アフォリズム』は人間を「不壊なるもの」という神的自我と肉体的・現世的自我という二重存在者として、世界を神的自我の住む楽園=精神的世界と現世的自我の属する感覚的世界の二重世界として描き出している。超越的な神性の世界と牢獄としての現世、霊としての「不壊なるもの」とその解放を邪魔する現世的自我という、カフカに見られる「ラディカルな二元論」の構造はまさにグノーシス的である。もちろんカフカの思想をグノーシスとすっかり同一視することはできない。彼はグノーシスの説く邪悪な創造神デミウルゴスを認めていない(ÜFK 71<84>)。古代末期のこのような神話は、啓蒙主義を経過した近代ヨーロッパ人にはとうていそのままの形で受け入れられるはずはない。そもそもカフカの使う神という言葉には人格神という意味はない。彼において神という言葉はほとんど楽園と同じ意味である。『チューラウ・アフォリズム』によれば、人間はデミウルゴスによって牢獄に閉じ込められたのではなく、自分自身の罪によって、罪というよりは認識=意識作用によって、楽園から現世へと転落したのである。カフカのこのような考え方は、いわばデミウルゴスという神話的要素を抜き去ったグノーシス思想と呼ぶことができる。

  カフカに本来的に存在していたこのような「ラディカルな二元論」のうち、『彼』では牢獄としての世界のイメージが『チューラウ・アフォリズム』におけるよりもはるかに強く前面に出ている。これに対して、遠近法的二元論のうち、「あるのはただ一つの精神的世界だけである」(H 91<3:69>)という楽園的視点は、『彼』ではほとんど消え去っている。これはなぜであろうか。

 「究極の事物」=「不壊なるもの」をめぐる『チューラウ・アフォリズム』はカフカに、人間の内奥に「不壊なるもの」と彼が名づける、人類の共同性の根拠となるべき神的な基盤が存在することを教えた。しかし、それは同時に、現実の世界とそこに住む人間が、この神的な領域からはるかに遠ざかった、虚偽の生を送っていることも明らかにした。この遠近法的二元論は、現世の中にあっても人間は「この世でそれを知る知らないにかかわりなく」、もう楽園にあって救われているのだ、という希望に満ちた肯定的信仰にもなれば、逆に「不壊なるもの」=「楽園」を一度予感した者に、虚偽の世界を、それを知る以前よりももっと堪えがたく思わせる危険も存在した。問題は『チューラウ・アフォリズム』で獲得された認識が、カフカのその後の生をどのような方向に形成するか、ということであったのだが、「不壊なるもの」に関する知は、ユーリエ体験の苦悩と第一次世界大戦後の社会的混乱に出会って、カフカを肯定的信仰と生の肯定にではなく、牢獄としての世界に対する絶望に導くことになった。このグノーシス的世界拒否の感情においては、『チューラウ・アフォリズム』ではあれほど素晴らしい「逃げ道」に思えた認識も、もはやいかなる「慰め」ももたらしてくれない。この間の事情を端的に示しているのが『彼』の中の次の有名なアフォリズムである。

「彼はアルキメデスの点を発見したが、それをただ自分をくつがえすために用いた。明らかに、ただこの条件のもとでのみ、彼はそれを発見することが許されたのであった。」(KT 848; H 418<3:309>)

 カフカの「アルキメデスの点」は、ヴェルナー・ホフマンも指摘するように、「不壊なるもの」の別名である(11)。しかしホフマンのように、この「アルキメデスの点」の発見によってカフカが肯定的な信仰者になった、と考えることは誤りであろう。『彼』が描き出しているのは、ホフマンが考えるようなキルケゴール的信仰者ではなく、「悲惨を指さすことによって、太陽を否定する」絶望者である。「アルキメデスの点」はそれをうまく用いれば、人が世界をくつがえす、すなわち虚偽と悪の世界を覆滅させることができる地点なのであるが、それを逆に用いると、反対に「自分自身をくつがえす」、すなわち、自分を底なしの絶望に陥れることにもなる。カフカが『チューラウ・アフォリズム』で発見した「アルキメデスの点」=「不壊なるもの」は、本来なら虚偽の世界をくつがえす支点となるべき境位であったが、それは逆に、虚偽の世界の破壊しがたさを前にして、世界という牢獄に囚われている自己の姿をいっそう強く浮かび上がらせ、「自分をくつがえす」ことになった。本来最も肯定的であるべきものが、最も否定的に作用する――これがカフカにおける逆説的弁証法である。

 この「アルキメデスの点」はさらに広く、『チューラウ・アフォリズム』全体のことと考えることもできる。というのは、あとでも見るように、カフカは『チューラウ・アフォリズム』を自分の思索における決定的な発見と見なし、一九二〇年九月以降『チューラウ・アフォリズム』の意義について様々な考察をめぐらすことになるからである。

 ともあれ、一九二〇年四月にミレナとの文通が開始される以前の時点では、カフカは「またもやこの恐ろしい、長く狭い裂け目の中を無理やり引きずられた。それは実際にはただ夢の中でしか強制可能でない代物だ。もっとも、本当に目覚めていればそんなところに入ろうなんて、自分から決して思いはしないだろうが」(KT 845<7:385>)という心境にあったのである。

 以上、『考察』の理解に必要な範囲で、その背景となる『チューラウ・アフォリズム』と『彼』の基本的特徴を概観したが、以下では『考察』の謎の具体的な検討に入ることにしたい。

(1) 中澤英雄「カフカにおける《ユダヤ人》問題」、『へるめす』(岩波書店)第二五号(一九九〇年五月)。

(2)  F = Franz Kafka, Briefe an Felice und andere Korrespondenz aus der Verlobungszeit. Hrsg. von E. Heller und J. Born, Frankfurt/M. 1967 (6. bis 7. Tausend). またこれに対応する日本語訳は『決定版・カフカ全集』(新潮社)の巻数と頁数を<>の中に示す(邦訳カフカ全集の他の巻でも同様な表記を用いる)。ただし、訳文は新潮社版と必ずしも同じではない。

(3)  ÜFK = Max Brod, Über Franz Kafka (Franz Kafka. Eine Biographie; Franz Kafkas Glauben und Lehre; Verzweiflung und Erlösung im Werk Franz Kafkas), Frankfurt/M. 1966. <>内はその邦訳書・ブロート著(辻/林部/坂本訳)『フランツ・カフカ』(みすず書房、一九七二年)の対応する頁数を示すが、訳は邦訳書と必ずしも同じではない(以下でも<>記号は同様に対応する邦訳書の頁数の意味で用いる)。

(4) H = Franz Kafka, Hochzeitsvorbereitungen auf dem Lande und andere Prosa aus dem Nachlaß. Hrsg. von M. Brod, Frankfurt/M. 1966 (7. bis 9. Tausend). これは『考察』六四六五番のもとの形のアフォリズムである。リッチー・ロバートソンによれば、最初の文章が『考察』では「その本質的な部分において永遠的である(ist in ihrem Hauptteil ewig)」であるのに対し、八折判ノートGでは「その本質的な部分において瞬間的な永遠の出来事である(ist in ihrem Hauptteil ein augenblicklicher ewiger Vorgang)」となっている(Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, S. 207)

(5)  Walter H. Sokel, Zwischen Gnosis und Jehovah. Zur Religions-Problematik Franz Kafkas, in: Franz-Kafka-Symposium <1983, Mainz>, Mainz 1985, S. 51.

(6)  現世と神的領域の相関関係については、Sabina Kienlechner, Negativität der Erkenntnis im Werk Franz Kafkas. Eine Untersuchung zu seinem Denken anhand einiger später Texte, Tübingen 1981 を参照のこと。

(7)  強調はカフカ。これは『考察』一〇二番のもとの形のアフォリズムである。『考察』では「キリストは人類のために苦しんだが、人類はキリストのために苦しまねばならない」という一文は省略されている。また全集版では「この世のあらゆる苦悩を通して発展するのである(durch alle Leiden dieser Welt)」となっているが、カフカのノートでは《Welt》の語のあとに《gemeinsam mit allen Mitmenschen》(すべての同胞とともに)という語句があるという(Ritchie Robertson, Kafkas Zürau Aphorisms, in: Oxford German Studies 14 [1983], S. 91)

(8)  Br = Franz Kafka, Briefe 1902-1924. Hrsg. von M. Brod, Frankfurt/M. 1966 (7. bis 9. Tausend).

(9)  B = Franz Kafka, Beschreibung eines Kampfes. Novellen. Skizzen. Aphorismen aus dem Nachlaß. Hrsg. von M. Brod, Frankfurt/M. o.J.(1954).

(10)  ハンス・ヨナス著秋山入江訳『グノーシスの宗教』人文書院、一九八六年六七頁以下。

(11)  Werner Hoffmann, Ansturm gegen die letzte irdische Grenze. Aphorismen und Spätwerk Kafkas, Bern/München 1984, S. 179.


第二章 『考察』の謎

第一節 カフカのオリジナル原稿とブロート版全集との相違

 ここではまず最初に、グレイの研究を参考に、『チューラウ・アフォリズム』と『考察』のオリジナル原稿の姿を明らかにしておこう。

 ブロートは彼の全集版の『田舎の婚礼準備』の『考察』に関する注解で、次のように書いている。

「これらの『考察』はこのような形で作者自身によって清書され、番号が付けられている。これらがまとめられた時期がいつであったのか、精確に特定することはできない。これらのアフォリズムの最初の形は、カフカが一九一七年と一九一八年に彼の思索を記入した、青の八折判ノートに載っている(二、三のものは少し形が変えられている)。これらの八折判ノートにはアフォリズムの最初の形のもののほかに、もっと多くのものが含まれている[・・・・]。ここでは我々は作者自身によって作成された清書に従い、異稿類は、それらが本質的な変更や追加を含む場合にかぎり、本書の次の部(「八冊の八折判ノート」)へまわすことにした。アフォリズムの番号もカフカ自身が付けたものをそのまま踏襲している。著者は通常、各々のアフォリズムを一枚の紙片に書き、それに一つの番号をつけているけれども、同一の番号のもとで二つのアフォリズムがあるのは、彼が二篇を一枚の紙片にまとめて書いている場合である。時折り一つのアフォリズムに二つの番号が付いているのは、カフカ自身が元来二篇のアフォリズムであったものを、一つにまとめたのである。印の付いたものは、彼が鉛筆の線を引いて抹消してはいるが、紙片の書類ファイルからは取り除かなかったアフォリズムである。それらはおそらく推敲するつもりであったのだろう。アフォリズムにこのような星印を付ける表記の仕方は、本書の第二版では若干修正されることになるであろう。」(H 437f.<3:342f.>)

 ところが、この解説が事実とはかなり違うことが、グレイの研究で明らかにされた。それをもとに、ブロートの解説が触れていない諸事実をまず指摘しておこう。

 最初にこのアフォリズム集の『罪、苦悩、希望および真の道についての考察』というタイトルであるが、これはカフカ自身によるものではなく、ブロートが付けたものである(H 39<3:29>)。このような表題付けには、このアフォリズム集を「罪」「苦悩」「希望」「真の道」という形に整理して、神の恩寵による人間の救済の道を見ようとする、ブロートの宗教観に基づいたカフカ理解が現われていることに注意しなければならない。彼は「小説のカフカ」と「アフォリズムのカフカ」を区別し、「アフォリズムのカフカは人間の中の不壊なるものを認識した。彼は世界の形而上的な核心に対して、肯定的、信仰に満ちた関係を有している」(ÜFK 223)と解釈する。しかし、このアフォリズム集はブロートが言うほど「肯定的、信仰に満ちた」ものではない。なるほどそのような肯定的な響きのアフォリズムも少なくないが、それらは同時に懐疑的な考察と隣あっており、いつなんどき絶望的世界観へ転ずるかもしれない可能性を秘めている。特に「希望(Hoffnung)」という語は『考察』六二番に一度現われるだけで、『考察』の中心的テーマにはなっていない。

 また、カフカは自分ではこれらの考察を「アフォリズム」とは呼んではいない。彼は一九二〇年の断片(書類束B)の中では「箴言(Spruch)」という表現を用いている(H 360<3:267>)

 次に、鉛筆で抹消されたアフォリズムに対する印の表記の修正は、第二版以降も行なわれていないが、これは些細なことである。

 ところで、『考察』のアフォリズムは、ブロートが解説しているように、番号を付けられた紙片に書かれているが、この紙片に筆写されたものと同じアフォリズムが、六枚のフォリオ判の用紙に、タイプで清書されている(1)。グレイによると、紙片とタイプ清書の間には相違がなくて、紙片にある文法的な間違いがそのままタイプでも繰り返されている。その例は『考察』三九b番で、カフカのもとの紙片ではこの文章は

Der Weg ist unendlich, da ist nichts abzuziehen, nichts zuzugeben und doch hält doch jeder noch seine eigene kindliche Elle daran ...

というように、下線を引いた余分な doch が挿入されているが、同じ誤りがタイプ清書にもそのまま繰り返されている(ブロート版全集ではこの誤りは訂正されている)。これは、タイプがまったくの機械的作業であったことを示している(Gray 218)

 しかし、紙片=タイプ清書と八折判ノート第三冊目(G)、第四冊目(H)の間には、ブロートが右で言っている以上の大きな相違がある。二冊の八折判ノートを子細に検討した結果、グレイは次のように述べている――八折判ノートの大部分は、時によっては頁全体が、線を引かれて抹消されている。しかし、『考察』としてまとめられたアフォリズムは大部分抹消されていない。所々で用語が変更されていたり、文章がつけ加えられたりしている。個々のアフォリズムは下に横線が引かれて互いに分離されている(横線で区切って次々と書いていくこのような書き方は作品断片の場合と同じである(2)。また『ミレナへの手紙』でも、話題を変えるときカフカはこのような横線を用いている)。このため、用語の変更や文章の追加が、アフォリズムの執筆中になされたものか、それとももっとあとになって行なわれたものかは、ある程度識別可能である。時間がたってあとから付け加えられた文章は、もとの文章と横線との間に窮屈に押し込められて書かれているからである(Gray 217)。大部分の変更は、すぐ直後に行なわれたものである。というのは、推敲されたアフォリズムがノートのあとの頁に書かれているからである(Gray 227)。だが、このような推敲の跡は、現在のブロート版全集では消されてしまって、見ることができない。以上のような検討の結果、グレイは、カフカは一九二〇年の時点で、アフォリズムをまとめて出版する意図のもとに、昔の八折判ノートを取り出し、それに推敲を加えつつ、自分の気に入ったアフォリズムを紙片に書き写し、さらにタイプで清書したのだろう、と推測する(Gray 216f.)

 このような状態の八折判ノートを『考察』と比較・検討したところ、ブロートが全集版の「注解」で言っているのとは違った、次のような重大な事実が見つかった。

 第一――『考察』のオリジナル原稿(紙片とタイプ清書)とブロート版全集の間には、若干の言葉遣いの相違がある。これはもちろん、ブロートがカフカの原稿に手を加えたものである。その一例は、

「所有はない。あるのはただ存在だけだ。最後の息を、窒息を求めている存在だけだ」

という『考察』三五番のアフォリズムである。ブロート版全集では《Es gibt kein Haben, nur ein Sein, ...》となっているが、グレイによれば、『考察』のオリジナル原稿では《Es gibt keinen Besitz, nur ein Sein, ...》である(Gray 213)。従来のブロート版では《Besitz》が《Haben》に書き変えられていたために、やはり《besitzen》、《Besitz-》という関連語が出てくる『考察』三七番、五七番とこのアフォリズムとのつながりがわかりづらくなってしまった。ブロートの改ざんが解釈を阻害する一例である。

 第二――ブロートがカフカが抹消しているとしているテクスト(すなわち印がついている)と、実際にカフカが抹消しているテクストの間には若干の違いがある。これはブロートの編纂の際の不注意、あるいは杜撰さを示すものである(ただし、グレイもカフカが実際に抹消した正しい番号をすべては挙げていないようである。これは原典批判版の出版まで待たなければならないであろう)。

 第三点は重要である。八折判ノートと『考察』の紙片(タイプ清書)を比較した結果、グレイは次のことを見出した。八折判ノートと『考察』の両方にあるとされているアフォリズムは、ブロートによれば、「異稿類は、それらが本質的な変更や追加を含む場合にかぎり、本書の次の部(「八冊の八折判ノート」)へまわすことにした」のであるから、八折判ノートの部にあるアフォリズムは、当然異稿類も含めて八折判ノートにそのまま書かれていたものであろう、と思わざるをえないが、それが全然そうではない。すなわち、全集版において八折判ノートに書かれているとされるアフォリズムは、実は紙片=タイプ清書の完成された形のアフォリズムであって、八折判ノートにあるもとの形は全集版では示されていないのである。カフカは明らかに、八折判ノートから『考察』を編集するときに、単にそのまま書き写したのではなく、八折判ノートのアフォリズムに推敲の手を入れたのだが、ブロートは、カフカが最初から八折判ノートに『考察』のような完成された形でアフォリズムを書いたかのように偽ったことになる。

 第四――この結果、重大な変更が八折判ノートに加えられることになった。それは、『考察』に書かれてはいても、八折判ノートには元来書かれていないアフォリズムが、あたかも八折判ノートに最初から書かれていたかのような操作が加えられたことである。ブロートが解説しているように、『考察』には同じ紙片に二つの異なったアフォリズムが書かれているケースがある。それは二六番、二九番、三九番、五四番、七六番、九九番、一〇六番、一〇九番の八カ所で行なわれている。本稿では、これらの並記アフォリズムのうち、最初のものを「・一」、後のものは「・二」というように記して(たとえば二六・一番と二六・二番)、区別することにする。ブロート版によれば、並記アフォリズムの後者、すなわち本稿の記号で言えば「・二」のアフォリズムも、八折判ノートに書かれていることになっているが、ところがノートを検討すると、当該の場所にはこれらのアフォリズムは書かれていない。これはどういうことか。グレイは次のように推測する――これら八篇のアフォリズムは一九一七年から一九一八年にかけて、チューラウで八折判ノートG、Hに書かれたのではなく、一九二〇年にカフカが八折判ノートからアフォリズム集を編集するときに、新たに作られ、以前のものに付け加えられたのである。これら八篇のアフォリズムのうち、三九a・二番、一〇九・二番を除く六篇のアフォリズムがいずれも、一九二〇年秋に書かれたと見られる書類束AとBに書かれていることもこの推測を裏づける。グレイの推理では、カフカは一九二〇年、昔書いたアフォリズムを出版する目的で八折判ノートG、Hを取り出し、それを推敲したのだが、その仕事の際に刺激を受けて、同じようなスタイルのアフォリズムを書き、八篇の新たなアフォリズムが『考察』に加えられることになったのである(以上はGray 218f.)。ところがブロートは、『考察』にまとめられているアフォリズムはすべて一九一七年/一八年に成立したものと考えて、『考察』をもとに八折判ノートを書き変えるという操作を行なってしまったのであろう。

 以上のようなグレイの指摘と推論はまさにショッキングであり、ブロート版全集がいかに信用のおけないものか、ということをあらためて想わせるが、グレイの目的はあくまでもレトリック分析で、実証研究ではないので、カフカの真正のテクストをすべて教えてくれるわけではない。それについては、原典批判版の出版まで待たなければならないが、しかし、重大な相違については彼も大方は触れているようである。

第二節 構成上の問題

 以下では、グレイが指摘したこのような新事実を念頭に置いて、グレイも見落としている、この『考察』が含むなおいくつかの謎についてさらに検討してみたい。

(一) 抜粋基準と数

 カフカは「・二」を除くアフォリズムはすべて八折判ノートG、Hから選び出し、それに推敲を加えて『考察』を作成したのだが、それでは彼はどのような基準でこれらのアフォリズムを抜粋したのだろうか? カフカ自身には何らかの基準があったのだろうが、グレイも述べているように(Gray 217)、それを見つけ出すことは難しい。ただし、おそらくカフカの念頭には「一〇〇」という数字があって、一〇〇を目指してアフォリズムを選別したのだろう、とグレイは推測しているが(Gray 217)、この推測は首肯できる。というのは、カフカが一枚の紙片に二篇のアフォリズムを書いた理由が、これによって説明できるからである。すなわち、一九二〇年に書かれた新しい「・二」のアフォリズムを、一九一七/一八年の古いアフォリズムとは別の紙片に書くと、全体の数が一〇〇からさらに大きくはみ出すことになる。一枚の紙に二篇のアフォリズムを書いたということは、彼が全体の数を制限しようとしていたことを示している。さらに、新旧両方のアフォリズムを比べてみると、その内容・形式にはかなりの相違があり(といっても、次節に見るようにまったく無関係ではない)、二つのアフォリズムを融合して、一つにまとめようとしたのだとはとうてい考えられない。むしろ、彼は両方のアフォリズムを同じ紙片に書き、二篇を比較し、より良いと思ったほうを『考察』に最終的に採用しようとした、と見る方が自然である。その証拠に、並記アフォリズムが書かれている八カ所において、三九番を除いては、二つのアフォリズムのうちの一方が線で抹消されている(抹消されたアフォリズムはブロート版全集では「」印が付けられている。なお全集では二六番のアフォリズムには両方ともがついているが、グレイによると二六・二番のほうは本当は抹消されていない[Gray 227]。二六・二番につけられている印はブロートのミスである。また三九番はa、bと分かれていて、しかもそこに「・二」のアフォリズムが書き加えられているというちょっと複雑な構造になっている)。ブロートは抹消されたアフォリズムはあとで推敲するつもりであったのだろう、と推測しているが、あるいは削除するつもりであったのかもしれないのである。面白いことに、二篇のアフォリズムが書かれている箇所においては、二六番を除いて、抹消されているのはすべてあとから成立した「・二」のアフォリズムのほうである。カフカは新しいアフォリズムを書き加えて、古いものと比較してはみたものの、やはり以前のもののほうが良いと判断したのかもしれない。

(二) 配列

 次に、このことと関連して、配列の問題を考えてみたい。『考察』には一九一七/一八年に書かれた古いものと、一九二〇年に書かれた新しいものがまじっていることは以上見た通りであるが、このうち古いアフォリズムは、八九番の自由意志に関するアフォリズムを除いては、すべてもとの八折判ノートに書かれた順番に並べられている。ハルトムート・ビンダーは、カフカは短篇集の出版に際しては、作品の配列に念入りな配慮を払うのに、アフォリズムはただ成立順に並べているというのはいかにも「奇妙」だ、と述べている。そこで彼は、現在残されている形は最終的な清書ではなく、その前段階ではないか、と考えている(KK2 406)(3)。『考察』の構成上の様々な不備を考えると、これが完成した最終的な形ではないことは当然のことである。しかし、成立順の配列ということは配列の原理が全然ないことと必ずしも同じではない。

 ヴィルペルトの文学事典が解説するところによれば、そもそもアフォリズム集の配列には、ニーチェの場合がそうであるように「テーマ別に区別されて配列される」こともあるし、「<思想の断片(Gedankensplitter)>として直接的な連関なしに配置される」こともある(4)。この二つの配列方式のうち『考察』は明らかに後者の配列に属する。しかもその中にあっても、『考察』は成立順という原則をかなり厳密に守っている。紙片だけならともかく、タイプ清書まで同じ配列にしたということは(このタイプ清書がカフカ自身によるものであれば)、まさに成立順というところにカフカの意図があった、と見なければならないであろう。

 そもそも成立順ということは、何の脈絡も連関もないことと同じなのであろうか? 個々のアフォリズムは一見無関係に見えても、まさにそのような順番で成立したということの背後には、書き手には自覚されていないかもしれないが、思考の自然な展開があったはずである。一九二〇年になって昔の八折判ノートを見直したとき、カフカはそのような思考の流れをあらためて確認したのではなかろうか。よく見てゆくと、一見無関係に隣接しているように思われるアフォリズムが、互いに関連していたり、また関連づけて読むことによって、新たな意味を獲得することがある。もちろん、『考察』に番号がふられているからといって、それをたとえばウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のような首尾一貫した思索の展開と見ることはできないし、カフカの配列の背後にそのような体系的な思索を読み取ることも不適切であろう。隣接し合う個々のアフォリズムは、はっきりと目に見える関係を示しているときもあれば、また人間の思考そのもののように、思いがけない飛躍を見せている場合もある。成立順という配列は、このようなカフカの思考の流れ、思考の運動そのものを反映していると考えることができる。

 ただし、八九番のアフォリズムと一九二〇年秋になって作成された「・二」のアフォリズムは、この成立順=時間順の配列原則を破っている。まず八九番のアフォリズムであるが、これは八折判ノートの本来の位置(H 118<3:89>)からすれば、一〇四番になるべきアフォリズムである。ところが『考察』では一〇四番は空白になっている。このことは現在の八九番のアフォリズムは最初一〇四番という番号を与えられていたのだが、それが八九番に移され、その代わり、もとあった八九番のアフォリズムが抹消されたのだ、ということを意味する。この移動の意味についてはのちほど第五章において詳しく検討することにする。「・二」の並記アフォリズムについては(四)で考えてみる。

(三) 二重番号アフォリズムと分割アフォリズム

 すでに序論にも述べたように、『考察』には二つの番号を与えられているアフォリズムが三篇ある。それは一一/一二番、六四/六五番、七〇/七一番である。これらの二重番号アフォリズムについてブロートは、「時折り一つのアフォリズムに二つの番号が付いているのは、カフカ自身が元来二つのアフォリズムであったものを、一つにまとめたのである」と述べているが、もとの八折判ノートを参照してみると、そこでもこれら三篇はひとまとまりのアフォリズムであり、とうてい二篇を一篇にまとめたものとは考えられない。たとえば一一/一二番は、

「たとえばリンゴ一個についても抱きうる見解の相違。テーブルの上のリンゴをほんのわずかでも見るために、背伸びしなければならない小さな少年の見解と、そのリンゴを取って自由に客人に差し出してやる家の主人の見解と」

というアフォリズムであるが、もとの八折判ノートを見ても、当該の箇所(H 78<3:59>)にはこれと同じ一篇のアフォリズムがあるだけで、ブロート版全集を信ずる限り、二篇が一篇にまとめられたものではない。全集版の八折判ノートの部で一篇のアフォリズムとして示されているものが、オリジナルの八折判ノートでは本来は二篇のアフォリズムである、ということも考えられるのではあるが、グレイがその点については何も触れていないので、その可能性は少ないだろう。このような二重番号アフォリズムが成立した理由として考えられるのは、現在の一一/一二番という二重番号を与えられているアフォリズムは本来一一番であり、それと現在の一三番の間にはもう一篇の別の一二番のアフォリズムがあったのだが、それが省略され、その結果、一一番に一一/一二番という番号が与えられた、ということである。八折判ノートの一一/一二番と一三番の間にはいくつかのアフォリズムが書かれているから、その可能性は充分にある。これは他の二篇の二重番号アフォリズムについても同様である。

 次に、七番と八番、九番と一〇番の分割アフォリズムについて見てみよう。

七番――「悪の最も効果的な誘惑手段の一つは戦いへの挑発である。」

八番――「それはベッドの中で終わる女たちとの戦いのようなものだ。」

この二篇は八折判ノートでは(H 74<3:57>)一連のアフォリズムであるし(改行もされていない)、一連のアフォリズムとして読んだほうが意味がはっきりする。次の九番と一〇番も同じことである。

九番――「Aはひどく自惚れていて、自分は善において大いに進歩したと信じている。なぜなら、彼は、自分がいつも格好の誘惑の対象であることは明白で、そのため、今までまったく知らなかった方向からやってくる、ますます多くの誘惑に身をさらされている、と感じているからである。」

一〇番――「ところが、その正しい説明は、彼の中に大悪魔が居座って、無数の小悪魔どもが、大悪魔に仕えるためにやってきた、というだけのことである。」(H 77<3:59>)

 これらの分割アフォリズムも二重番号アフォリズムも、おそらくはアフォリズムの全体の数を一〇〇にまとめようとするカフカの計算から生じたものではないかと想像される。すなわち、カフカは一〇〇を目指して、あるところではアフォリズムを分割して数を増やし、あるところではアフォリズムを省略して数を減らそうとしたのではなかろうか(省略したのは、そもそも採用に値しない、と判断したからであろうが)。分割アフォリズムが『考察』の前半にしか出てこないことも、この推測を間接的に裏づける。つまり、カフカは最初は抜粋に値するアフォリズムが一〇〇に満たないのではないかと考え、分割アフォリズムをつくって数を増やそうとしたが、あとになるとむしろ数が多すぎることに気づき、分割アフォリズムをつくる必要がなくなり、その結果『考察』の後半には分割アフォリズムが出現しなくなった、と考えられるのである。

(四) 「・二」のアフォリズムの並記

 今度は並記アフォリズムの問題を考えてみたい。「・二」のアフォリズムのうち、九九・二番と一〇六・二番はそれが最初に書かれた書類束Aにおいて隣接しているし(九九・二番はH 318、一〇六・二番はH 319に書かれている)、内容的にも類似しているので(両方のテーマは「欺瞞」である)、ほぼ同時に書かれたものと見なければならない。ところが『考察』ではこの二篇が九九番と一〇六番というようにかなり離れた場所に置かれている。カフカはどのような基準で、新しく成立したアフォリズムを書くための紙片を選んだのであろうか。

 もしすべてのアフォリズムを成立の時間順に配列するのであれば、一九二〇年になって成立した「・二」のアフォリズムはすべて一〇九番の後に書き加えられなければならないはずである。だがそのようにすると、すでに述べたように、全体の数が大きくなりすぎる。そこでカフカは、全体の数を制限するために、新しいアフォリズムを「・一」の古いアフォリズムの書かれている紙片に書き並べ、比較検討の上、そのどちらか一方を採用しようとしたものと考えられる。それではカフカはこの八篇のアフォリズムをなぜまさに当該の番号の紙片に書き並べたのであろうか? おそらくその際カフカは、新しいアフォリズムを漫然と任意の紙片に書いたのではなく、内容的にか、形式的にか、何らかの意味で関連のあるアフォリズムが書かれていた紙片に書いたはずである。さもなければ、新しいアフォリズムは、もとの思索の自然な流れをあまりに阻害するし、またたとえそのような流れがなかったとしても、二篇のアフォリズムの比較ということがそもそも不可能になるであろう。そして実際に、注意深く見てゆくと、八カ所の大部分において、「・二」のアフォリズムは「・一」の古いアフォリズムと内容的に関係していることがわかるのである。このことは逆に、当該のアフォリズムの解釈に重要なヒントを与えてくれることになる。以下では八組の並記アフォリズムを比較し、両者の隠れた関連を見出してみよう。

第三節 並記アフォリズムの関係

(一) 二六番

 二六・一番――「隠れ家は無数にあるが、救いはただ一つしかない。しかし、救いの可能性はまた隠れ家と同じだけたくさんある。」

 二六・二番――「目標はあるが、道はない。我々が道と呼ぶものは逡巡である(Es gibt nur ein Ziel, aber keinen Weg; was wir Weg nennen, ist Zögern)。」(二六・二番はもとの書類束Aでは若干形が違っており、「目標があるだけで、道はない。我々が道と呼ぶものは逡巡である(Es gibt nur ein Ziel, keinen Weg.  Was wir Weg nennen, ist Zögern)[H 303<3:227>]となっている。この相違についてはあとで論ずる)。

 この二つのアフォリズムは内容的にきわめて類似している。

 まず二六・一番の「隠れ家」は世界内部での見せかけの解決、「救い」は『チューラウ・アフォリズム』の主題となっている楽園の生という絶対的解決である。見せかけの解決は無数にあるが、絶対的解決は一つだけである。これは『訴訟』で言えば「見せかけの無罪」と「本当の無罪」の相違に相当する。「救いの可能性はまた隠れ家と同じだけたくさんある」ということは、救いの可能性も「無数」に存在するということである。これは『考察』六番の「人間の発展の決定的瞬間は絶え間なく存在している」に対応している。人間は「救いの可能性」=真の発展の可能性はいつでも持っているのに、それを現実化することができず、「隠れ家」という見せかけの救いに満足してしまう。「隠れ家(Verstecke)」には《stecken(はまりこむ)》という語が含まれている。人は見せかけの救いにはまりこんで、真の救済には到達できなくなるのである。

 次の二六・二番では、前のアフォリズムでは「救い」と「隠れ家」と呼ばれていたものが、「目標」と「逡巡」と言い換えられている。両方のアフォリズムの意味内容はほとんど同じである。ただし、両者を比較すると若干のニュアンスの相違がある。二六・一番では「隠れ家」という見せかけの解決が人を誘惑して、人を真の救い=目標からそらさせてしまうことに重点が置かれている。このアフォリズムだけでは救いへの道の有無は直接的には言及されていなかったが、二六・二番ではたとえ人が真の救い=目標を目指して努力しても、「道はない」ので決して到達できないことが断定されている。「道」というものは本来ある目標に至るために存在しているはずである。ところがカフカはこのような道の観念を逆転する。「我々が道と呼ぶもの」は実は目標に通じていないばかりではなく、それは「逡巡(Zögern)」として(この語は《verzögern(引き延ばす)》という語とも関連している)、むしろ目標に到達しないために、目標到達を「引き延ばす」ために案出されたものでさえある。この「逡巡」は『訴訟』で言えば「引き延ばし(Verschleppung)」に対応し、『考察』八六番のアフォリズムで言えば「動機づけ」ということである(5)

 二六番の二つのアフォリズムを比較すると、初めのアフォリズムの「隠れ家」と「救い」という語は『考察』の他のアフォリズムでは出現せず、用語的には(内容的にではなく)ややほかのアフォリズム群と離れた感じがする。二六・二番の「道」は一番の「真の道」や三八番の「永遠の道」、三九番の「無限の道」とも関連ができて、『考察』の文脈の中ではよりふさわしいように感じられる。そこでカフカは最初のアフォリズムを抹消して、「・二」のアフォリズムを採用することにしたのだろう。

(二) 二九番

 二九・一番――「悪を受け入れるとき、お前のいだく底意は、お前の底意ではなく、悪の底意だ。」

 二九・二番――「獣は、自分が主人になるために、主人から鞭を奪い、自分自身を鞭打つ。しかしそれが、主人の鞭紐の新しい結び目によってひき起こされた幻想にすぎないことを知らない。」(このアフォリズムは書類束Bに書かれているが[H 359<3:267>]、その形は『考察』と同じである)。

 二六番とは違って、二九番の二つのアフォリズムはその内容においても、その表現形式においても、共通点が何もないように見える。二九・一番は悪に関する倫理的考察である。これに対して二九・二番では、悪の問題はどこにも出てこない。二つのアフォリズムはその思想内容においても異質であるが、むしろその表現形式においてもっと異質である。二九・二番は隠喩的、寓喩的イメージが強く表に出て、いわば一つの短篇作品の発端にさえなっている。一見したところ、カフカがこの二篇をなぜ並記したのか、きわめて不可解に思われる。

 しかし、この二篇の間には思いもかけない共通点が存在するのである。それは両方のアフォリズムにおいてはともに、人間(あるいは獣)が意識的に行なっていることと、その本当の意味(これは存在と言い換えることもできる)の間にギャップがあることである。人間は自分の考えで悪を受け入れたと思うが、その考えは実は彼自身の考えではなく、すでに悪の考えである(二九・一番)。獣は自分の考えで自分を鞭打っていると思っているが、それは実は主人に鞭打たれることによって生じた幻想である(二九・二番)。だが、意識と存在の間のこのギャップは、二九・一番と二九・二番とでは、いわば逆向きの方向に存在している。というのは、人間の意識を越えた真の行動主体は二九・一番では「悪」であり、二九・二番では「主人」であるが、この「主人(Herr)」は「悪」とは考えられず、むしろ「主なる神(Herrgott)」につながるからである――しかし、このアフォリズムについてはまた第三章で詳しく論ずるので、ここではこれ以上解釈に深入りすることはやめておこう。カフカが二九・二番のアフォリズムを決して手当り次第の紙片に並記したのではなく、共通点のあるアフォリズムの紙片に書いたのだ、という論証としてはこれで充分であろう。

(三) 三九番

 三九a・一番――「悪に対しては分割払いはできない――なのに人はたえずそうしようと試みる。」

 三九a・二番――「次のように考えられはしないであろうか。アレクサンダー大王は、彼の若き日の数々の戦果にもかかわらず、彼が養成した優秀な軍隊にもかかわらず、自己の体内に感じた世界変革に向けられた力にもかかわらず、ヘレスポント海峡にとどまり、それを決して越えなかった――しかもそれは恐怖のためでもなく、優柔不断のためでもなく、意志薄弱のためでもなく、大地の重力のためにであった、と。」(このアフォリズムの原形は書類束には見出されない)。

 三九b番――「道は無限である。そこには割引も、足し増しもない。それなのに、みんな自分の子供っぽい物差しをそれに当てがう。《そうとも、これだけの長さを君はまだ歩かなければならない、君がそうしなければならないことは決して忘れないよ》、という具合に。」

 三九番はやや複雑な構成になっている。三九a・一番と三九a・二番とは直接的には関係がないような印象を受ける。三九a・一番は内容的にはむしろ三九b番と関連しているように思われる(「分割払い」と「割引」や「足し増し」)。カフカ自身もこの二つが密接な関連があると考えたからこそ、この二つのアフォリズムにaとbという、ほかには出てこない番号を与えたのだろう。カフカは最初三九a・一番の紙片にアレクサンダー大王に関するアフォリズムを書き加え、それをさらに補うために、八折判ノートから選んだ三九b番を付加したものと見ることができる。

 三九a・一番は悪の量的削減の不可能性を語っている。『チューラウ・アフォリズム』においては、善=精神的世界(彼岸)と悪=感覚的世界(此岸)は次元を異にしたまったく相容れない世界と考えられている。此岸のあとに彼岸が連続的に続くのではない(6)。カフカによれば、悪を徐々に削減してゆけば善になるという考えは誤りである。

 善と悪に関するこのような考え方からは、現在の悪の立場から善に至る道は存在しない、という結論になるが、それがまさに三九b番のアフォリズムの語っている内容である。「道は無限である」とは道が非常に長いということではない。道は長さという量的な次元を越えた質的に違った世界なのである。それゆえ、二六・二番の「目標はあるが、道はない」という逆説的な事態が生じるのであり、歩むことのできない道はむしろ人を「躓かせる」だけになってしまう(『考察』一番)。そういう道を有限な物差しで測ることは誤りである。

 このように倫理的、哲学的な内容の三九a・一番、三九b番と比較すると、アレクサンダー大王という具体的な人物像について語っている三九a・二番はきわめて異質である。ここでも二九番の場合と同じように、「・二」番は文学的なイメージの勝っているアフォリズムである。

 アレクサンダー大王はカフカが心ひかれ、深い関心をもったナポレオンと同じ軍事的指導者であり、断固たる意志力の持ち主である。優柔不断で実行力と決断力に欠けていたカフカは、自分とは正反対のこのような人物像に憧れていた。このようなアレクサンダー大王像は短篇集『田舎医者』の中の『新しい弁護士』という作品にも出てくる。そこではアレクサンダー大王は、人類を「インドの門」に象徴される究極の目標へと方向づける指導者であり、生の最高価値審級の具象化、人類の宗教的・形而上的価値の体現者である(7)。アレクサンダー大王が生きていた時代は、生には一定の方向付けが与えられていた。しかし、このような生の最高審級ですらも、「インドの門」を指し示すことはできても、究極の目的に到達することはできなかった。この短篇作品でもアレクサンダー大王は三九a・二番のアフォリズムと同じく、ヘレスポント海峡(=ダーダネルズ海峡)を越えられなかったのである。しかし、言うまでもなく、史実ではアレクサンダー大王はヘレスポント海峡を越えてインドまで遠征している。これはカフカが得意とする歴史や神話の書きかえの一例である。

 『新しい弁護士』ではアレクサンダー大王が「インドの門」に到達できなかった事実だけが語られているが、三九a・二番のアフォリズムではいわばその原因が考察されていると見ることができる。アレクサンダー大王をして目標到達を妨げた原因は「大地の重力」である。この「大地の重力(Erdenschwere)」とは何か。

 カフカはこれと似た言葉をヤノーホの『カフカとの対話』の中で使っている。

「事実は、詩人は常に社会の平均値よりはるかに弱小なのです。詩人はだから他の人々よりも、現世の生活の重さ(die Schwere des Erdendaseins)をはるかに強大に感じているのです。彼の歌は彼個人にとってはただ叫び声にすぎません。」(8)

 「大地の重力」という語はまた、カフカが一九一七年九月二十一日チューラウで書いた日記(KT 836<7:380>)で引用しているゲーテの『ファウスト』の「この世の残り屑(Erdenrest)」という言葉を想起させる。ゲーテでは、天使たちがファウストの魂を天上界に引き上げようとするとき、ファウストにまつわる「この世の残り屑」が天使の仕事を困難にする、という意味連関でこの言葉は使われている(9)

 このような文脈で考えてみれば、「大地の重力」とは現世的世界を神的世界から決定的に区別する「現世の汚れ」(H 73<3:56>)=悪のことであろう。そしてここに三九番の三篇のアフォリズムの共通性がある。すなわち、悪=「大地の重力」が「分割払い」(三九a・一番)できるものであれば、アレクサンダー大王に象徴される人間の宗教的・形而上的な努力は、悪を徐々に削減して、やがて「ヘレスポント海峡」という決定的な一点を越えて「インドの門」に到達することができるであろう。だが、「大地の重力」がそのような量的な手段では解消できないものであれば、「道」は「無限」に伸びるが(三九b番)、これは道が存在しないのと同じことである。そこで無限の道の途上にあって、アレクサンダーは決してヘレスポント海峡を越えられないことになるのである。

(四) 五四番

 五四・一番――「一つの精神的世界以外には何も存在しない。我々が感覚的世界と呼ぶものは、精神的世界における悪であり、我々が悪と呼ぶものは、我々の永遠の発展における一瞬の必然性にすぎない。」

 五四・二番――「強烈きわまりない光をもってすれば、世界を解体することができる。弱い目に対しては世界は堅固となり、もっと弱い(schwächeren)目に対してはそれは拳固をつくり、さらに弱々しい目に対しては、それは恥じらいを感じ、自分をあえて見つめようとする者を打ち砕く。」(このアフォリズムは書類束Aの原形とほぼ同じである。唯一の相違は書類束Aでは「もっと弱い」が《schwächern》となっているところだけである[H 330])。

 五四・一番のアフォリズムは八折判ノートでは元来、

「あるのはただ一つの精神的世界だけである。我々が感覚的世界と呼ぶものは、精神的世界における悪である」(H 91<3:69>)

と書かれていた。八折判ノートでは「あるのはただ一つの精神的世界だけである(Es gibt nur eine geistige Welt)」であるのに対し、『考察』では「一つの精神的世界以外には何も存在しない(Es gibt nichts anderes als eine geistige Welt)」というように表現が強められている。また『考察』五四・一番の「我々が悪と呼ぶものは・・・・必然性にすぎない」という文章はブロート版全集の八折判ノートの部にはあるが(H 91)、元来八折判ノートには書かれておらず、一九二〇年になって『考察』を編集するときに付け加えられたものである。さらに興味深いことに、八折判ノートではカフカは最初《Es gibt nur eine sinnliche Welt》と書いていたのだが、この「感覚的(sinnliche)」という語を抹消して、「精神的(geistige)」に書き直している(Gray 229)。八折判ノートから判断すると、カフカは最初「あるのはただ一つの感覚的世界だけである」と書いて、それを直後に「あるのはただ一つの精神的世界だけである」に書き直したということになる。つまり、カフカにとっては実は精神的世界=楽園も感覚的世界=現世も同じものであり、それは遠近法的二元論の視点切り替えによって生じてくる、同じ一つの世界の異なった見え方にすぎない。感覚的世界=悪は本来的には存在していない仮象であり、真に存在しているのは精神的世界だけである、ということになる。

 ただしこのことは、悪は人間が自分の主観で勝手に作り上げたまったくの幻覚である、ということを意味するものではないだろう。悪は人間の主観と無関係に存在してはいないが、「意識の放射体」(『考察』八五番)という一種特別な存在性格を持っている(10)。すなわち、悪は本来楽園に由来するのではなく、人間の意識=認識作用によってはじめてその存在を開始したのであるから、人間が意識の放射をやめれば消滅するはずのもの、つまりこの意味においては仮象である。しかし、いったん放射された悪は、人間とは別の力として人間に対峙している。そして現世的存在者となってしまい、「現世の汚れの染みついた目」(H 73<3:56>)しか持たない人間は、もはや無垢なる感覚的世界=楽園と、それに人間自身が加えた「意識の放射体」とを区別することができず、感覚的世界を悪そのものの領域と見なしてしまうのである。

 五四・二番も五四・一番とは直接的には結びつかないような印象を受ける。ここでは「光」について語られているが、芸術に関する『考察』六三番では「光」は真理の隠喩として用いられている(11)。「世界」という語が『考察』においては「感覚的世界」=悪として、常に善、楽園、不壊なるものとは対立的な意味で用いられていることを考えれば、五四・二番の世界=現世を解体する「光」はまさに善=真理の隠喩と解釈することができる(12)

 だがここでは、この「光」が同時に「目」とも結びつけられている。目は光を見る器官であり、光と目は元来密接な関係にある。このアフォリズムでは、目は世界をただ単に受容的に感受するのではなく、いわばサーチライトのように世界を照らし出し、さらには強烈なレーザー光線のように「世界を解体する」ことさえできる。「強烈きわまりない(stärkstem)」、「弱い(schwachen)」、「もっと弱い(noch schwächeren)」、「さらに弱々しい(noch schwächeren)」という強さから弱さへと下降する、程度を示す一連の形容詞は、修辞学で言う下降する漸層法である(13)。ところがここでは、これらの形容詞が「光」と「目」という本来は異なった対象に用いられている。このことはこのアフォリズムにおいて「光」と「目」とが本質的に同じ性質のものであることを示している。

 このような考え方はヨーロッパ思想史の中で長い伝統を持っている。それは古代ギリシアのイオニア学派の「等しきものは等しきものによって認識される」や、とりわけゲーテの、

「もし目が太陽のようでなかったら、

どうして光を見ることができようか。

もし我々の中に神ご自身の力が生きているのでなければ、

どうして神的なものが我々を喜ばせることができようか」(14)

という『色彩論』の中の有名な詩句によって定式化されている。このような伝統と等しく、カフカのアフォリズムにおいても、「強烈きわまりない光」は「強烈きわまりない目」でもあるし、「弱い目」は「弱い光」でもある。

 さて、五四・一番では、「感覚的世界」が我々の「呼ぶ(nennen)」という言語的=認識的行為によって出現してくることが語られている(15)。つまり、我々の言語的=認識的行為は、客観的に存在している世界を主観的意識の中に単に受動的に反映する行為ではなく、それ自体の中にいわば世界を形成する能動的な作用も含んでいる。その認識的活動が真理の世界から発する強い光を有するものであれば、そのときその行為は「感覚的世界」=虚偽の世界を貫いて、あるいはそれを「解体」して、「精神的世界」を認識=解放することができる。しかし、目が「現世の汚れ」に汚染され、内部から発する光が弱くなるにつれて、世界は認識者に対してだんだん堅固になる。認識者は世界に対する距離は保っているが、もはや自分の目=光で世界を解体することはできない。逆に、世界の方が、世界から離れて(この距離が認識の前提であるが)世界の暗部、恥部を見つめる認識者をうとましく思い、排除しようとする。真理を完全に見失った者はさらに「世界へと逃れて」、「世界を喜ぶ」(『考察』二五番)ことになる。カフカ自身の境位はおそらく「さらに弱々しい目に対しては、それは恥じらいを感じ、自分をあえて見つめようとする者を打ち砕く」といったところであろうか。

 かくして、五四・一番も五四・二番も、ともに世界認識における認識主体の能動性と、認識による「精神的世界」=「不壊なるもの」の解放の可能性を語っていることになる。

(五) 七六番

 七六・一番――「私はここには錨をおろしていない」、このような感情を持つ――するとたちまち、自分のまわりに滔々と押し流す潮の流れを感じる!」

 七六・二番――「ある急転。窺いつつ、不安気に、望みをいだきながら、答が問の周囲を忍び足で歩き回る。答は問の近寄りがたい顔に絶望的な探りを入れ、問の後について、最も無意味な道に、つまり答からできるだけ遠ざかる道に入ってしまう。」(書類束Aの原形[H 327]では、「つまり・・・・遠ざかる(das heißt von der Antwort möglichst wegstrebenden)」の部分が括弧に入っている)。

 この二篇は両方とも隠喩的イメージの強いアフォリズム(七六番の「錨をおろす」、「潮の流れ」、七六・二番では「答」が擬人化され、「窺いつつ・・・・歩き回る」)で、そこに第一の類似性がある。

 七六・一番は自分の生が根拠づけられていないことの隠喩的描写であろう。カフカはミレナへの手紙の中で、「真の大地をつかまえようとして錨をおろす」(MN 293; M 246<8:189>)(16)という表現を使っているが、カフカにおいて「大地」は人間の共同性の根拠である「不壊なるもの」を表わす隠喩である。カフカは一九一八年二月二十五日に八折判ノートHに「大地、空気、掟を創り出すことが、私の課題である」と書いている(H 121f.<3:91>)。人類の共同性の根拠である「大地」=「不壊なるもの」に「錨をおろしていない」根無し草人間は、どこかへと押し流されてしまう。そして、根拠からのこのような逸脱は「たちまち」のうちに生じる。

 このアフォリズムと類似したイメージのアフォリズムが『彼』にある。

「彼がそれに逆らって泳いでいる流れは、非常な急流なので、少しばかり気が散っていると、自分が流れもない荒涼たる静けさの中で、ただぱちゃぱちゃ水遊びしていることに気づいて、絶望に陥ることが時折りある。泳ぎの手をぬいた一瞬のうちに、かくも無限に遠くまで押し流されてしまったのである。」(KT 862; B 299<2:238>)

 この『彼』のアフォリズムもおそらく、「究極の事物」について明確に把握し、自分の生を「不壊なるもの」に根拠づけるという課題の困難さを描いている。このような困難な課題は、急流に逆らって泳ぐようなもので、前進したと思っても、ちょっと気が散るだけでたちまちのうちに後退してしまう。前進は困難で、遅々としてしか進まないが、後退は一気に生ずる。カフカは『チューラウ・アフォリズム』で「不壊なるもの」を把握する方向に一歩進んだと思ったが、『彼』では自分が少しも進歩していなかったことを確認せざるをえなかった。

 さて、七六・二番における「問」は、答えがたい問、難問、おそらくこれも「究極の事物」に関する問であろう。この難問に答えようとする心の動きがここでは擬人化されて描かれている。難問に出会って、その問に様々な探りを入れているうちに、真の答からはほど遠い答を出してしまう。そして、この真の答からの逸脱は、ここでも七六・一番(「するとたちまち」)や『彼』のアフォリズム(「一瞬のうちに」)と同じように、急激な運動をもって生ずるのである(「ある急転」)。

(六) 九九番

 九九・一番――「我々の現在の罪深い状態についての仮借きわまりない確信以上に、我々の時間性がいつか永遠に[そのままのあり方で]是認されるかもしれないということを、まったくかすかに想ってみるだけで、はるかに重苦しい気分にさせられる。この第二の想いを耐え忍ぶ力は、その純粋性において第一の確信を耐え忍ぶことをも含むことになるのだが、この耐え忍ぶ力のみが信仰の度合なのである。」

 九九・二番――「大きな根本的な欺瞞が行なわれるときはいずれの場合でも、それと一緒にとりわけ自分たちのために、もうひとつの小さな特別な欺瞞が行なわれている、と考える人たちがかなりいる。それはたとえば、舞台で恋愛劇が上演されているとき、女優はその恋人に作りものの微笑を見せるわけだが、そのほかにもこの女優は、天上桟敷にいるまったく特定の観客に向けても、特別にいわくあり気な微笑をおくっている、と考えるようなものである。だがこれは思い過ごしである。」(書類束Aの原形[H 318]と『考察』の相違は、コンマの有無という細かな相違のほかに二カ所ある。冒頭の文章は『考察』では《Manche nehmen an, daß(かなりの人たちが次のように考える)》であるが、書類束Aでは《Die immer Mißtrauischen sind Menschen, welche annehmen, daß(いつでも疑り深い人間というのは、次のように考える人間である)》となっている。また、最後の文章は『考察』では《Das heißt zu weit gehen(これは思い過ごしである)》であるが、書類束Aでは《Dummer Hochmut(愚かな思い上がりである)》となっている)。

 九九・一番は五四・一番と関連している。「時間性」=現世は、「永遠」=精神的世界によって「一瞬の必然性」として「是認」されている。その世界が、そしてその中に生きる「現にあるがままの我々自身」(H 113<3:85>)が、どれほど真理から遠ざかり、「罪深い」存在であろうとも、それは「我々の永遠の発展」における必要不可欠な「移行段階」である以上、その悪の本性のままに「是認」=肯定されていることになる。だから人間の「課題」は「不壊なるもの」の解放をめざして努力することではなく、現世の幸福を味わうことである(これがすなわちあとで問題になる『考察』六九番のアフォリズムの語っていることである)――このような結論は「理論的」(六九番)には必然であるように思われるが、それはカフカにとっては「不可解」でもあるし、「重苦しい気分にさせる」ものでもある。

 なぜなら、カフカにとって自明であり、「仮借きわまりない確信」を持ちうる事態、それゆえ、一切の考察の端緒となるべき事実は、現世の堪えがたさ(一三番)の感情であり、「我々の現在の罪深い状態」であるからである。現世を堪えがたいと思うこと、自己を罪深いと見なすことは、現にあるがままの世界と自己を本来あるべき姿ではない、と否定することである。この自己否定の作用の中に、現世に生き、もはや神的領域を直接的には認識できなくなってしまった我々は、現世の否定性の反対物としての楽園と神的自己を「予感」する。もし我々が現世的領域を否定することを忘れてしまったら、そのとき現世の超越的相関物として存在している神的領域も完全に見失ってしまうことになる。信仰とは現世に耐えつつ、現世を否定しながら、現世の反対物である神的領域の存在を予感することなのである。

 九九・二番の「大きな根本的な欺瞞」とは、「悪魔的」(一〇〇番)であり、「動機づけ」(八六番)の集合にほかならないこの世界そのもののあり方である。しかし、この世界は実は我々自身がつくり出したもの、「我々の迷い」(H 108f.<3:82>)以外の何ものでもない。そのような世界の中で、人は相対的な正義を要求し、特に自分に対して不正が行なわれていると考えがちである。これと同じ思想は、『彼』の中の次のようなアフォリズムにも述べられている。

「原罪、すなわち人間が犯した太古の不正の本質は、人間がたえず行なってやめられない、次のような非難にある。それは、自分に不正が加えられた、自分に対して原罪が犯された、という非難である。」(KT 857; B 295<2:235>)

 九九番の二つのアフォリズムの共通点は「我々の現在の罪深い状態」と「大きな根本的な欺瞞」が同じものであることである。ただし、九九・一番ではそのような虚偽の世界の中での「信仰」という生き方について述べられているのに対し、九九・二番ではその信仰のテーマが脱落しているという重大な相違がある。このような相違は次の一〇六番においていっそうはっきりする。

(七) 一〇六番

 一〇六・一番――「謙虚はあらゆる人に、孤独の中で絶望している者にも、同胞との最も強い関係を与える――しかも即座に。ただし、ただ完全な、そして持続的な謙虚の場合においてのみではあるが。謙虚がそのようなことができるのは、謙虚が真の祈り言であり、同時に崇敬であり、きわめて緊密な連帯であるからだ。同胞への関係は祈りの関係であり、自分自身への関係は努力の関係である。そして、祈りの中から努力への力が汲み出されるのである。」

 一〇六・二番――「お前はいったい欺瞞以外の何かを知ることができないのか?  欺瞞がひとたび根絶されたならば、お前はどこを見やることも許されぬか、それとも塩の柱になってしまうであろう。」(『考察』と書類束Aの原形[H 319]の相違は、書類束Aでは第二の文の冒頭に《denn(なぜならば)》、最後の《wirst zur Salzsäule(塩の柱になってしまうであろう)》という文の前に主語の《du(お前は)》が省略されずに挿入されていることである)。

 一〇六・一番の「謙虚」とは、現世的な「世界を捨て」(六〇番)、現世的な自我を「小さくする」こと、あるいはより正しくは「小さくある」(九〇番)ことであろう(17)。現世的自我を破壊することによって、「不壊なるもの」としての自己の本質が解放される。そのような意味での「謙虚」は、今はたとえ「孤独の中で絶望している者」にでも、「愛するほかはない真の人間的本質」=「不壊なるもの」における人類の一体性を予感せしめるので、彼に「同胞との最も強い関係を与える」のである。そしてカフカは人類とのこのような結びつきを「祈り(Gebet)」と呼ぶ。このアフォリズムは『考察』の中で信仰に関して(たとえそれが伝統的なユダヤ・キリスト教的信仰とは別種の、カフカ独自の信仰観ではあっても)、最も肯定的な見解を表明しているアフォリズムである。

 だが一〇六・二番では、もはやこのような信仰については語られない。このアフォリズムのもとになっているのは、ソドムとゴモラの破滅を、後ろを振り返って見たロトの妻が塩の柱になってしまったという聖書創世記第十九章の物語である。ソドムとゴモラはその悪徳のゆえに神によって絶滅された町である。アフォリズムの文言には直接出てはいないが、カフカがソドムとゴモラの町を、欺瞞であり、悪魔的でもあると見なす現世の提喩として用いていることは明白である。

 カフカはこのアフォリズムで、「お前はいったい欺瞞以外の何かを知ることができないのか?」と自問している。カフカが『チューラウ・アフォリズム』で獲得したのは、世界を神的領域と現世的領域の二重世界として把握する遠近法的二元論の視点であった。とはいっても、この二元論は、現世=欺瞞に関しては完全な認識をなしえたのではあるが、神的領域に関してはただ「予感」だけしかできなかった。カフカの視線は主として現世の欺瞞性を暴き出す視線である。しかし、このような欺瞞を鋭く見抜く眼差し=否定性の認識は、虚偽の世界の中にあっては有効かもしれないが、それだけでは彼を肯定的な世界=神的領域に導くことはできない。もし、虚偽の世界が根絶されたならば、そのとき彼の否定性の視線が見出すべき対象はなくなってしまう。

 ところで、一〇六番の二つのアフォリズムの間には、今までの並記アフォリズムの間に見出されたような類似性や共通性の関係は何もないように思われる。一〇六・一番は「謙虚」、「祈り」、「同胞との関係」という語によって、きわめて宗教的、信仰的、肯定的に響くのに対して、一〇六・二番は懐疑、自己批判、絶望の響きがあり、まさに対照的である。このような対照的関係の萌芽はすでに九九番の二つのアフォリズムにも見られた。そこでも信仰に関する「・一」番のアフォリズムが、「・二」番の欺瞞に関するアフォリズムに代替されている。九九・一番や一〇六・一番のような信仰と謙虚と祈りの道をカフカが進むことができたならば、彼は肯定的な信仰者になることができたであろうが、実際に彼が生きたのは九九・二番や一〇六・二番の認識の世界であった。もとのアフォリズムと新しいアフォリズムの間のこのような相違は、それが成立した一九一八年と一九二〇年という年代の相違、「チューラウとプラハの間の相違」(H 348<3:259>)に対応するだろう。だが、この問題については第五章で詳しく論ずることにしたい。

(八) 一〇九番

 一〇九・一番――「《我々に信仰が欠けているとは言えない。我々が生きているという単純な事実だけでも、その信仰価値においては汲み尽くせぬほどのものがある。》

 《生きていることに信仰価値があるだって? だって、人間は生きないわけにはゆかないではないか。》

 《まさにこの<しないわけにはゆかない>という点に、信仰の途方もない力が潜んでいる。この否定において、信仰はその姿を現わしているのだ。」

 一〇九・二番――「家から出かけることは必要ではない。机に向かって座ったまま、耳をすませ。耳をすますこともない、ただ待て。待つことさえない、ただ完全に静かに、一人でいればよいのだ。そうすれば世界は、自分からその姿をお前にあらわに示す。世界はそうせざるをえず、お前の前で恍惚として身をくねらせるであろう。」(書類束にはこのアフォリズムの原形は見出されない)。

 一〇九・一番の対話的アフォリズムは信仰について論じているが、ここでの信仰は神への信仰ではなく、決然たる生の肯定のことである。この生の肯定の背後には、生を支えている「不壊なるもの」への信頼があるように見える。だが、一〇九・二番はもはや信仰についてではなく、世界の認識について語っている。

 一〇九番の二つのアフォリズムにおいても、九九番、一〇六番で指摘した「・一」番における信仰のテーマと、「・二」番におけるその脱落(そして認識のテーマの登場)という同じ特徴が見られる。ここでも、二つのアフォリズムの関係は類似性の関係ではなく、一〇六番と同じように対立の関係である。このような対立的なアフォリズムによって、『チューラウ・アフォリズム』を置き換えようとしたカフカの意図を知るためには、『考察』編纂の伝記的な背景を検討しなければならないのであるが、そのためにはまず『考察』編纂の時期を正確に推定する必要がある。

(1)  Malcolm Pasley, Franz Kafka Mss: Description and Select Inedita, in: The Modern Language Review, Volume LVII Nr.1 (January 1962), S. 55.

(2)  Malcolm Pasley, Der Schreibakt und das Geschriebene, in: Claude David (Hrsg.), Franz Kafka. Themen und Probleme, Göttingen 1980, S. 18ダヴィッド編円子須永田ノ岡岡部訳『カフカ=コロキウム』法政大学出版局、一九八四年一八頁

(3)  KK2 = Hartmut Binder, Kafka-Kommentar zu den Romanen, Rezensionen, Aphorismen und zum Brief an den Vater, München 1976.

(4) Gero von Wilpert, Sachwörterbuch der Literatur, Stuttgart 61979, S. 36f.

(5)  『考察』八六番――「堕罪以来、我々は善悪の認識能力においては、本質的には同じである。それにもかかわらず、我々はまさにこの点に、我々の特別な長所を求めようとする。しかし、この認識を越えた地点ではじめて、真の相違が始まるのである。[認識能力に長所を求めるという]このような逆しまな光景は次の事態によってひき起こされるのである。誰も認識だけでは満足できず、それに従って行動しようと努めざるをえない。しかし、彼にはそうするだけの力が与えられていないので、自分自身を破壊せざるをえない。自己破壊によって[行動のために]必要な力をなくしてしまう、という危険をおかしてまでそうするのである。しかし、彼にはこの最後の試み以外には何も残されていないのだ。(このことが、認識の木の実を食べることを禁じた際、神が死ぬといって脅したことの意味でもある。おそらくこのことは、自然死の根源的な意味でもあろう。)ところが、彼は今やこの試みを恐れる。彼はむしろ善悪の認識を取り消してしまおうとする(「堕罪」という呼び方もこの不安にその起源を持つ)。しかし、いったん生じてしまったことはもはや取り消すことはできず、ただ曖昧化することができるだけだ。この目的のために諸々の動機づけが発生する。世界全体は動機づけで充満している。いや、可視的世界の全体は、ひょっとしたら、一瞬の安息を求める人間の動機づけ以外の何ものでもないのかもしれない。認識したという事実をごまかす試みの一つが、認識自体をまず目的にすることである。」

(6)  「いかなる瞬間にも超時間的なものが対応している。此岸のあとに彼岸が続くのではない。なぜなら、彼岸は永遠的であり、したがって此岸とは時間的に接触することはできないからである」(H 94<3:71>)とカフカは書いている。

(7)  Gerhard Kurz, Der neue Advokat. Kulturkritik und literarischer Anspruch bei Kafka, in: W. Schmidt-Dengler (Hrsg.), Was bleibt von Franz Kafka? Positionsbestimmung. Kafka-Symposion Wien 1983, Wien 1985, S.115-127.

(8)  Gustav Janouch, Gespräche mit Kafka. Aufzeichnungen und Erinnerungen. Erweiterte Ausgabe, Frankfurt/M. 1968, S. 35f.ヤノーホ著吉田訳『カフカとの対話・手記と追想・増補版』筑摩書房、昭和四二年、一七頁。ヤノーホの『カフカとの対話』はその多くが創作(偽作)である可能性があるので、本稿ではこの著作からの引用は極力ひかえている(vgl. Eduard Goldstücker, Kafkas Eckermann? Zu Gustav Janouchs Gespräche mit Kafka, in: Claude David (Hrsg.), Franz Kafka. Themen und Probleme, Göttingen 1980)

(9) Johann Wolfgang von Goethe, Faust, in: Werke. Hamburger Ausgabe. Bd. 3, München 101976, S. 359, Z. 11954.

(10) 『考察』八五番――「悪とは特定の移行段階における人間の意識の一つの放射体である。元来、感覚的世界が仮象であるのではなく、感覚的世界における[放射された]悪が仮象なのである。しかしながら、我々の目に対しては、もちろんその悪が感覚的世界を構成しているわけではあるが。」

(11) 『考察』六三番――「我々の芸術とは、目も眩むばかりの真理の光に照らされている状態だ。後ろにそむけるしかめ面に当たる光は真実である。それ以外には何もない。」

(12)  真理の隠喩としての光については、たとえばブルーメンベルク著(生松/熊田訳)『光の形而上学』(朝日出版社、昭和五二年)を参照のこと。

(13)  佐藤信夫『レトリック感覚』(講談社、昭和五三年)、二二九頁。

(14)  Johann Wolfgang von Goethe, Zur Farbenlehre, in: Werke. Hamburger Ausgabe. Bd. 13, München 71975, S. 324.

(15)  Vgl. Walter Sokel, ibid., S. 75.

(16)  M = Franz Kafka, Briefe an Milena. Hrsg. von Willy Haas, Frankfurt/M. 1965 (10. bis 14. Tausend).

(17) 厳密に言うと、カフカは「ある」(存在)と「する」(行為)とを区別し、前者を後者より高く価値づけている。八折判ノートG十二月十三日の「捜す者は見出さず、捜さぬ者は見出される」というアフォリズム(H 94<3:72>)や、八折判ノートH二月五日の「活動者の真理」と「安息者の真理」に関するアフォリズム(H 109<3:82>)にそうした観念が見られる。

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