カフカにおけるメシアニズム

 

中澤英雄

 

 カフカは19178月に喀血し、9月に結核の診断を受けたのち、妹のオットラが住む北西ボヘミアの農村チューラウで長期静養生活を送るが、そこで八折判ノートと呼ばれる小さいノートに数多くの哲学的・宗教的アフォリズムを書いた。チューラウで書いたアフォリズム全体を、ここでは『チューラウ・アフォリズム(Zürauer Aphorismen)』と呼ぶことにしたいが、『チューラウ・アフォリズム』のほとんど最後に以下のような記述がある (1918225)

 

 家庭生活や、友人関係や、結婚や、職業や、文学など、私に一切のものを失敗させる、いや失敗するところにさえ行かせないものは、怠惰や、悪意や、不器用さ――「害虫は無から生まれる」のだから、これらすべてがその失敗に幾分かは関係しているとはいえ――などではなく、大地(Boden)、空気、掟の欠如である。これらのものを創り出すことが、私の課題である。それは、これまでなおざりにしてきたものをこれから取り戻すことができるようになるためではなく、今まで何ものもなおざりにしてはこなかったのだ、というようになるためである。なぜならば、この課題は他の課題と同じようなものであるからだ。のみならず、この課題は最も根源的な課題でさえもある、あるいは少なくともその残照ではある。それはちょうど、空気の希薄な高山に登っていると、かなたに輝いている太陽の光の中に突如歩み入ることがあるようなものである。それはまた決して例外的な課題でもない。それはきっともう何度も課せられたことがあるに違いない。しかし、これほどの規模であったかどうかはわからない。私が知るかぎりでは、私は人生に必要な要件を何一つたずさえてこなかった。持ってきたのはただ一般的な人間的弱点だけである。この弱点をもって――この点においてはそれは巨大な力なのだ――私は、私にきわめて近く、私には克服する権利はないのだが、いわば代表する権利はあるという、私の時代の否定的なものを強力に取り上げたのである。わずかばかりの肯定的なものや、肯定的なものに転ずる極端に否定的なものは、私は何一つとして遺産相続されなかった。私はキルケゴールのように、もちろんのことすでに重く垂れ下がっているキリスト教の手によって、人生の中に導かれたのでもないし、またシオニストたちのように、飛び去りゆくユダヤ教の祈祷服の最後の端をつかまえたのでもない。私は終わりであるか、初めである。(NSII 97f.)[1]

 

 「終わりであるか、初めである」は明らかに、イザヤ書の「わたし〔=神〕は初めであり、終わりである」(44:6)[2]や、ヨハネ黙示録の「わたしはアルファであり、オメガである」(1:8ほか)や「最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(22:13)が連想されている、ある意味ではきわめて強い自負心の現われとも受け取ることができる表現である。ただし、カフカは「終わり」を先にもってくることによって、終末の意識を強調している。カフカがいる精神史的位置は、過去の伝統から「何一つとして遺産相続されなかった」という否定性の極である。この否定性は「大地、空気、掟の欠如」という事態として描かれている。

 この「大地(Boden)」という隠喩は、未完の断片『万里の長城』(19173)において、語り手の中国人=西ユダヤ人に対する診断にも登場していた。

 

それだけにいっそう奇異なのは、まさにこの弱点が我々の民族の最も重要な統合手段の一つになっているように思えることである。それどころか、思い切った表現をしてよいならば、それこそ我々が生きている基盤(Boden)なのである。(NSI 356)[3]

 

この作品に関する一連の拙論[4]ですでに明らかにしたように、『万里の長城』はカフカのシオニズムへの接近を契機として成立した作品である。鋭い政治意識を持った西欧のユダヤ人として、カフカはシオニズムに無関心ではありえなかった。この作品は、シオニズムと西ユダヤ人の宗教的、歴史的、思想的前提を検討することによって、中国人=西ユダヤ人が、「民衆の想像力あるいは信仰力の弱さ」(NSI 355)という欠如態を「最も重要な統合手段の一つ」としている、という逆説的事態を明らかにしている。当然のことながら、このような否定的事態は、カフカが「必然的な共同生活」と名づける[5]、西ユダヤ人の真の共同性の基盤にはなりえない。

『万里の長城』の約半年後から書きはじめられた『チューラウ・アフォリズム』は、シオニズムも確立できていない共同体成立のための真の基盤を、西ユダヤ人の典型であるカフカ自身の生において検討する試みであった。しかしながら、「基盤」を欠如した西ユダヤ人の病理は、実は自分においてその最悪の典型例となって露呈しているというのが、いわば『チューラウ・アフォリズム』全体の帰結とも見なせる225日の覚書の自己確認である。一種の宗教的真空地帯にいたカフカにとって、キリスト教もユダヤ教も、自分の生をその上に確立できる積極的な基盤=大地(Boden)にはなりえなかったのである。

 さて、『万里の長城』には、その当時マルティン・ブーバーとヘルマン・コーエンの間で行なわれていたメシアニズム論争へ批判的言及が見られる。カフカは、シオニズムがメシアニズムの宗教的情熱を利用しながら、宗教を否定するというジレンマに陥っていることを見逃さなかった[6]。『チューラウ・アフォリズム』の中でカフカは、ブーバーともコーエンとも違ったメシアに関する考察を行なっている。本論はカフカのメシア・アフォリズムを分析の主たる対象とするのであるが、それを解釈するための予備的作業として、最初にメシアニズムに関する一般的理解を確認しておくことにする。

 

メシアとメシアニズム

 

 『ユダヤ事典』はメシアニズムについて以下のように解説している。

 

メシア(ヘブライ語ではMaschiach)とは「油注がれた者」(そのギリシャ語形がChristus)で、元来はイスラエルの王の称号そのものであった。しかし、大祭司もこの名称で呼ばれた。第2イザヤはキュロス王〔ユダヤ人をバビロン捕囚から解放した前6世紀のペルシャ王〕も、神に油注がれた人と呼んでいる。そして詩編105:15では、神に油注がれた人々は、神の特別な庇護を受けた不可侵なる存在として、神の預言者と並んで登場している。

 これらすべての箇所でメシアはまだ、世俗的であれ宗教的であれ、神によって任じられた、民族の支配者を示す類的名称として登場している。キュロス王の場合は、神の道具となって民族を救うべき異教徒の王の名称として使われている。しかし、このようなメシア観と並んで、古き預言者の時代からもう一つのメシア観が流れていて、これが深い宗教的希望の本来の内容を形成しているのである。後者のメシア観にとっては、メシアとは一回きりの特別な形姿であり、それはダビデの家系の理想的な王の出現を意味する。イスラエルを統一し、大国へと高めあげ、外部に対しては勝利し、国内においては情け深く正義をもって統治した最も偉大な民族的指導者へのロマン主義的な回顧が、民族的偉大さのそのような時代が、いつか異民族支配の圧制のすべての悲惨さと、罪のあらゆる汚辱とに取って代わるだろうという憧憬に満ちた信仰と結びついたのであった。そして、このような宗教的・民族的希望が、聖書の宗教に元から血肉の中に流れている普遍的な広がりと溶けあうにしたがって、メシアに対する信仰は、人類全体に向けられた敬虔さの表現となった。〔……

 メシア的信仰の歴史の歩みの中で注目すべきなのは、その全体の中で、もっぱら特殊ユダヤ的な要素の関与する部分と全人類的な要素の関与する部分である。さらには、メシアの形姿自身の性格にも注目しなければならない。それは時おり、本来の人間的・地上的性質を、超感覚的・宇宙的性質と交換してしまう。最後には、「メシアの国」や、彼がもたらすとされる「メシアの時」にも注目しなければならない。イザヤの理想は、知恵と力と神への畏敬の念をもって民族を統治する王を描き出す。彼の支配のもとでは、もはや戦争が諸民族を引き裂くことがなく、それゆえ戦争の道具は文化を豊かにする道具に作りかえられるとされる。そう、猛獣、ライオン、オオカミ、クマはその性質を変え、楽園的な無垢さと善良さの状態がこの地上に回帰し、そこではもはや誰も堕落した行為を取らない。なぜなら、メシア的王の英知あふれる正義にすべての国々が服従するからである。[7]

 

 偉大な救済者=メシアによるイスラエルと人類の最終的救済への願望がメシアニズムである。メシア待望は苦難に満ちたイスラエル民族の歴史の中から生まれた。したがって、メシアはまずもってイスラエルの救済者でなければならないが、イスラエルの救済は人類全体の平和なくしてはありえないので、世界平和の実現者でもある。

 メシアは当初、支配者、解放者、大祭司、王という、偉大ではあるけれども、通常の人間と同じ血肉をもった人間と考えられていた。しかし、メシアは次第に、「超感覚的・宇宙的性質」を備えた一種の天的存在としても表象されるようになった。ダニエル書第7章に描かれる「天の雲」に乗って出現する「人の子」は、そのような超越的なメシア像の典型である。

 ゲルショム・ショーレムはユダヤ教メシアニズムの源泉として、預言書と黙示文学(Apokalyptik)の二つをあげている(J 15)[8]。紀元前8世紀に書かれたホセア、アモス、イザヤなどの預言書には、メシアへの待望が書かれている。旧約聖書の預言書は、分裂王国時代の北イスラエル王国と南ユダ王国の社会腐敗を厳しく批判し、公正な社会への希望を、未来に出現するはずの理想的な王=メシアに託している。これらの預言書ではメシアはまだ肉体の人間である。

 これに対して黙示文学とは、ダニエル書、エノク書、第4エズラ書、バルク書など、西暦紀元前2世紀から紀元後100年くらいの間に書かれた一連の文書のことである[9]。黙示(Apokalypse) とは元来、ギリシャ語で「開示(Enthüllung)、啓示(Offenbarung)」という意味で、これらの文書では神の神秘、とくに未来の世界の運命が幻や夢の形で啓示されるとされている。これらの黙示文学は、ユダヤ民族がセレウコス朝シリアによる異教強制を受けていた危機の時代に、時代の大転換を望んで書かれた文書である。

これらの黙示書の中で、ヘブル語聖書(旧約聖書)に採用されたのはダニエル書のみで、その他の文書はそれから排除されたが、キリスト教徒の手によって翻訳・保持されたものがある。迫害を受けたという点に関しては、初期キリスト教徒も同じであったので、彼らはユダヤ的黙示書を自分たちの文書として読んだのである。

 そもそも「黙示文学」という名称自体が、新約聖書に採用されている「ヨハネ黙示録」の冒頭に由来するものと言われている。「この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためにキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである」(1:1)

 預言書と黙示文学は関連してはいるが、性格を異にしている。ショーレムはこう述べている。

 

ホセア、アモス、あるいはイザヤの言葉は、その中で終末時の偉大な出来事が起こるただ一つの世界を知っているだけで、彼らの終末論は民族的性格である。それは、滅亡したダビデの家の再建、神に立ち返ったイスラエルの未来の栄光、ならびに永遠の平和とイスラエルの唯一の神への全民族の帰依、異教の祭儀や偶像からの離反について語っている。これに対して黙示文学においては、継起し、対立の関係にある二つのアイオーンに関する教えが出現した。二つのアイオーンというのは、この世界と未来の世界、闇の支配と光の支配である。イスラエルと異教徒との間の民族的対立は、宇宙的対立にまで拡大される。この対立においては、聖の領域と罪の領域、浄と不浄、生と死、光と闇、神と反神的諸力が対立する。終末論の民族的内容に、より広い宇宙的背景が付け加わり、その背景のもとで、イスラエルと異教徒の最終戦が演じられる。それとともに、死者たちの甦り、最後の審判における報償と処罰、楽園と地獄の観念が浮かび上がる。そこでは、民族に対する約束と威嚇と並んで、終末時における個人的応報の約束も現われる。(J 17)

 

 ショーレムは、預言者のメシア観は「民族的性格」だと言うが、諸民族の平和を夢見るイザヤ書の記述にも見られるように、そこには人類普遍的要素も含まれている。ただし、その中心的な関心はやはりイスラエルの栄光の回復である。それぞれの預言者において、民族主義と普遍主義は異なった濃淡で含まれている。

 これに対し、黙示文学では普遍主義的傾向がまさっている。というのは、それは「歴史を単なる民族史として理解」するのではなく、「世界の諸民族の歴史をその視野に入れ」、「普遍的な歴史」を構想するからである[10]

 この普遍的歴史は、「二つのアイオーン」()の宇宙的交代として出現する。すなわち、世界は「聖と罪」「光と闇」の戦いの場であり、時の終わり、終末において破局的事件が起こり、罪深い現在の世は滅亡し、まったく新しい輝かしい世が出現する。この二元論は、バビロン捕囚期にイスラエル人がイラン思想(ゾロアスター教)に触れたことによって、彼らの宗教観念に入ってきたものと考えられている[11]

 預言書と黙示書のさらなる相違点は、預言書が民族的レベルでの集団的救済しか語っていないのに対し、黙示書ではそれと並んで、「終末時における個人的応報の約束」も現われることである。同じユダヤ人でも、義人と罪人の区別が導入される。罪あるユダヤ人は終末においても救われない。

 このような「個人的応報」は個人の生命の永遠性を前提にしてはじめて可能である。この点について平石善司はこう述べている。

 

これは『旧約聖書』のなかで「ダニエル書」に初めて出てくる思想である。すなわち、サタンの王国が滅ぼされると同時に、すべての死者は復活し、彼らの行為のすべてが記録されている「生命の書」に従ってさばかれ、義者は「永遠の生命」を、また不義者は「恥と限りなき恥辱」を受けるのである(ダニエル書12:1-3)。ここにユダヤ教は従来の伝統的な民族宗教の枠を越えて、個人の救霊にかかわる新たな問題と直面することとなるのである。[12]

 

 このような思想が生まれたのは、ユダヤ教迫害の時代に、「敬虔なる者の殉教という不条理を克服」[13]するためであったと考えられる。

 さらに、預言書と黙示書はその言語表現において大きく異なっている。預言者たちはメシア到来の時について明瞭な言語で語り、イスラエル民族に真正面から悔い改めを迫ったが、黙示書では終末予言が「謎の言葉、寓喩、神秘」で語られ、「黙示的幻視」(J 18)によって暗示される。たとえば、ダニエル書の四つの獣の幻、ヨハネ黙示録で繰り広げられる神秘的な幻の数々を想起すればよい。そのため、メシア的終末についての知は、少数者だけが解読し与ることができる「奥義的知識」(J 18)となる。

 このような特異な言語表現が生まれた理由は、異民族の支配のもとで異教を強制されていた時期に、ユダヤ人の宗教者がもはや預言者のように明瞭な言語で語ることができなかったことである。黙示文学の謎めいた言語は、彼らの「間接的抵抗」[14]の表現であったと考えられている。

 

ユダヤ教メシアニズムとキリスト教メシアニズム

 

 ここで、ユダヤ教メシアニズムとキリスト教メシアニズムの違いに簡単に触れておこう。キリスト教メシアニズムはもちろんユダヤ教メシアニズムから派生しているのであるが、そこには性格の違いもある。ショーレムも述べるように、両者の根本的相違は救済概念の違いにある。ユダヤ教は救済を、「公共性」「可視的なものの世界」(J 7)で演じられる出来事と見る。これに対してキリスト教は救済を、「精神的領域および不可視なもの」(J 8)の世界で演じられる過程と見なす。言い換えれば、ユダヤ教におけるメシアとは、イスラエルを再興し、イスラエルの栄光を取り戻すという、誰の目にも明らかな具体的行為を成し遂げる存在でなければならない。ユダヤ史において、このようなメシアを自称する人々は数多く登場したが、それに成功した人物は一人もいない。イスラエルの再興というメシア的使命を果たせなかったイエスは、ユダヤ教においては偽メシアの一人とされる。

 これに対してキリスト教は、ユダヤ教的メシア理解をあまりにも現世中心的であると考える。メシアはむしろ魂の救済者である。キリスト教は、十字架死を遂げ、「公共性」「可視的なものの世界」においては明らかに失敗したイエスをメシア・キリストとして信仰する。そして、メシアたるイエスを信ずることによって、「魂の中で、個々人の中で」(J 8)精神的な救済が成就されるのである。

 しかしながら、キリスト教発生当初、キリスト教のメシア観は必ずしもこのような純粋に精神的なものではなかった。ノーマン・コーンは『千年王国の追求』の中でこう述べている。

 

キリスト教徒たちも、ユダヤ人と同様に、圧制に苦しみながら、不法が正され敵が倒されるメシアの時代の切迫を信じて、これを世間にも自分自身にもますます活発に証言することによって対応した。彼らがこの世の大転換を想い描いたその方法もユダヤ教の黙示文書に負うところが大きく、中にはユダヤ教徒の間よりもキリスト教徒の間に広く流布した黙示文書があったとしても驚くにはあたらない。ヨハネの黙示録として知られている文書には、ユダヤ教的要素とキリスト教的要素とが融け合って大きな詩的迫力に富む終末論的預言を作り上げている。[15]

 

 初期キリスト教徒は、間近に終末が到来し、十字架死を遂げたイエスがメシアとなって再臨すると信じていた。福音書はこう述べている。

 

そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。(マタイ福音書27:51-53)

驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。(ヨハネ福音書5:28-29)

 

 イエスの復活は、終末の時に起こると考えられていたすべての死者の復活の先触れと解釈された。パウロは『コリントの信徒への手紙T』の中でこう述べている。

 

死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。〔……〕しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。(15:16-24)

 

 初期キリスト教徒たちはまぎれもなく、すべての死者が復活するという終末的期待の中に生きていたのである。ヨハネ黙示録は、「すぐにも起こるはずのこと」を書き記したのだと主張している。しかしながら、待望された終末はなかなか訪れなかった。そこで、3世紀になると、

 

オリゲネスが、千年王国とは時間・空間の世界に現前するものではなく、信者の心の中にのみあらわれる現象である、と説きはじめたのである。〔……〕五世紀の初頭に至ると、聖アウグスティヌスがこの新しい状況に見合う教理を提出した。その著『神の国』によれば、ヨハネ黙示録は心的寓話として解すべきもので、千年王国はすでにキリスト教発生とともに始まっており、教会の中に実現されているというのであった。[16]

 

 もちろん、イエスやパウロの教え自体の中に、「神の国」を精神的な領域と理解させる要素があったわけだが、終末の遅延がキリスト教における精神的・霊的メシア理解を決定づけたのである。

 ただし、終末と千年王国への期待は中世ヨーロッパにおいても消え去ることはなく、様々なメシア主義運動となって噴出したことは、コーンの著書が詳しく叙述しているとおりである。その際、キリスト教は、ユダヤ教メシアニズムにおける「イスラエルと異教徒との間の民族的対立」を「(義しき)キリスト教徒と異教徒との間の宗教的対立」へと換骨奪胎した。キリスト教はたしかにユダヤ教メシアニズムの民族主義的性格を取り払ったが、そこには別の宗教的差別と「新しい選民意識」[17]を持ち込んだとも言える。

 この節の最後に、終末と千年王国の関係について簡単な補足説明をしておきたい。

 ヨハネ黙示録のみならず、多くの黙示書において、終末は二段構造になっている。終末には、死者の復活と神の審判が行なわれ、悪のアイオーンが滅び去り、光明のアイオーンが始まる。しかしながら、この宇宙論的終末に先立ち、「メシア的な中間王国」が一時的に出現する。

 

この中間王国は時の終りに臨んで、四十年、四百年、あるいは千年の間、地上を支配する。その間、悪の諸力は縛り付けられている。そしてその後に初めて、サタンとの最後の戦いが始まる。死者が甦えり、審判が下り、この堕落した世界が滅び新しい創造がはじまる。この千年王国説は、ユダヤ教的黙示文学にもキリスト教的黙示文学にも同じように認められる。[18]

 

 シュミットハルスによれば、このメシア的中間王国(千年王国)の有無が、預言文学と黙示文学を区別する指標の一つであるという。「預言者的な終末論は、その後期の形態においても、創造の完成、歴史の目的の達成、善による悪の克服を目標とする」。預言者は、世界を善なるものとして創造したヤハウェの世界創造への根本的な信を有している。現在の世界はたしかに悪に満ちているが、それはやがて克服されうる、という「世界にむけての希望」を預言者は持っている。不完全な世界は神によって善きものに造りかえられるのであって、全面的に滅び去るのではない。しかしこれに対し、「黙示文学は、歴史に対しては望みを失い、創造を見放し」ている。この世(アイオーン)は終末における大災厄によって滅び、その滅びの中からしか新たなるアイオーンは生まれない、とされる[19]。これはこの世に対する徹底した拒否である。歴史的には、このような悲観主義は激しいユダヤ教迫害から生じたものと考えられている。

 しかしながら、黙示文学の徹底した世界拒否、このような「現存在理解」(シュミットハルス)は、神は世界を善なるものとして創造したというユダヤ教の基本的「現存在理解」とは相容れない。それはむしろ、世界を悪神デミウルゴスの創造と見なし、この世には善なるものは何ひとつ存在せず、救済は彼岸にしかないと考えるグノーシス思想のそれにきわめて近い。ただし、ユダヤ教の中から生まれた黙示思想は、グノーシスのようにヤハウェの世界創造の根底的な否定にまで突き進むことはできない。そこに生まれたのが、メシア的中間王国という解決策であったと思われる。

 すなわち、黙示思想は、古きアイオーンの没落の直前に、このアイオーンの中に「悪の諸力は縛り付けられ」た千年王国を用意し、義しき人々にいったんこの楽園を経験させたあとに、すべての人間が死滅し復活する終末と新しきアイオーンの開始を設定する。終末の前に一時的ながら出現する千年王国は、ヤハウェがこの世界を善なるものとして創造したことの証明となる。これがなければ、黙示思想はユダヤ教から完全に逸脱し、グノーシスになってしまうだろう。黙示思想はこの二段構造によって、ユダヤ教的世界肯定とグノーシス的世界否定を両立させたということになろう。

 

ルーリアのカバラー

 

 本論はメシアニズムの全般的叙述を目指すものではないので、ディアスポラ期におけるユダヤ教メシアニズムの諸相については、ここではカフカと関連する部分についてのみ触れることにする。

 ユダヤ人がパレスチナから追放され、離散の生活を強いられた期間に、カバラーと呼ばれるユダヤ教神秘主義が発生した。カバラーもメシアについて様々な思弁を展開した。本論の関連でとくに注目すべきなのは、イサーク・ルーリアの後期カバラーである。ここではまずリッチー・ロバートソンの解説を引用しよう。

 

ルーリア派のカバラーとは、イサーク・ルーリア(1534-72)の教説に与えられた名称である。〔……〕ルーリアが教えるところでは、十のセフィーロートという神から発する光は、本来特別な容器の中に保持されていた。しかし、七つの下位のセフィーロートの光は、一度に噴出してしまったので、容器が耐えられるよりも強い力を及ぼし、容器を破壊してしまった。この容器の破片が、我々が悪と呼ぶものの起源である。神的な光の一部はその源泉に帰還したが、残りの光は悪の力にとらえられ、今でもとらえられたままである。そして宇宙的プロセス(ティックーン)が目的としているのは、これらの火花を解放し、本来の神的な秩序を回復することである。この発展のプロセスは人間の歴史と宇宙の中で生起する。この宇宙的プロセスの成就はメシアの出現である。[20]

 

 ルーリアのカバラーは、1492年のスペインからのユダヤ人の追放の直後という民族的危機の時代に出現し、ユダヤ人の生き方に一つの指針を与えた。

 ルーリアによると、世界は、容器の破壊を伴う神の創造から、神的光の神のもとへの帰還という壮大な宇宙的修復過程=ティックーンの中にある。ユダヤ人にはこのティックーンにおいて果たすべき特別な使命が与えられている。ショーレムはこう述べている。

 

修復過程には人間に任せられた部分がある。悪しき力の牢獄の中に落ちた光が、必ずしもすべてひとりでに上昇するわけではない。だから別な言葉で言えば、人間こそが神の顔に画龍点睛を与え、神を万物の王ならびに神秘的創造者として初めて本来的に天上の王国に即位させ、この形成者自身に最後の形姿を付与するのである。神的存在と人間的存在とは、世界の出来事の中のいくつかの特定の点において互いに絡み合っているのである。〔……〕歴史的過程とその最も内密な魂、すなわちユダヤ人の宗教的行為とが、物質の流謫地へ送り込まれたすべての散乱した光と火花の最終的な修復を準備するのである。したがって、この修復過程を促進させるか遅延させるかは、トーラーと、掟の遂行と、祈りとによって、神的生命との親密な結合に入るユダヤ人の自由な決断に任されている。人間のいかなる行為も、神が被造物に課したこの究極の課題に関係しているのである。

 それゆえ、メシアの出現はルーリアにとって、こうした回復、つまりティックーンの過程の最後に置かれる封印にほかならない。救済の真の本質はこのように神秘主義的性質を持つものであり、その歴史的・民族的な局面は、かのより深い出来事の付随現象でしかなく、いわば、その出来事の完成の目に見える象徴なのである。イスラエルの救済は万物の救済を含んでいる。あらゆるものがその正当な場所に置かれ、万物の欠陥が修復されるとき、その状態こそがまさに「救済」なのである。(JM 300f.)[21]

 

 すべてのユダヤ教徒と同じようにルーリアも、選民であるユダヤ人は神との特別な関係にあると見る。彼によれば、ユダヤ人は神の世界救済を担う存在であり、ユダヤ人の宗教的行為は、外的な「歴史的過程」の「最も内密な魂」として、「物質の流謫地へ送り込まれたすべての散乱した光と火花の最終的な修復を準備する」。ユダヤ人が「トーラーと、掟の遂行と、祈り」によってその宗教的使命を達成し、あらゆる光を悪(物質)から解放し、世界の一切をそのあるべき場に戻したとき、ティックーンが完成する。

 ルーリアのカバラーにおいては、メシアニズムがいわば「他力救済」から「自力救済」へと転換されている。ただし、「自力救済」といっても、人間の武力や知力による救済ではなく、あくまでも祈りや戒律の遵守などの宗教的な努力による救済である。それまでのユダヤ人は、いつ出現するかわからないメシアを受動的に待つしかなかった。そして、時おり出現する自称メシアに偽りの希望を託し、その度ごとに裏切られてきた。しかし、ルーリアはメシアの出現をユダヤ人の神秘的・宗教的努力と結びつけた。ルーリアにおいては、ユダヤ人一人ひとりがメシアの出現を準備するいわば小メシアとなるのである。メシアの出現は、無数の小メシアたちによるティックーンの完成という神秘的事象の「付随現象」とされる。これは、いわばティックーンというプロセス自体がメシアとなった、メシアなきメシアニズムとも呼べる。ルーリアの教義においては、「トーラーと、掟の遂行と、祈り」という正統派ユダヤ教の根幹はそのまま保持され、それに神秘的意義が付与され、ユダヤ人の宗教的努力に世界救済の意義が吹き込まれたのである。ユダヤ人をいわば世界救済の主人公にしたルーリアのカバラーは、ユダヤ民衆の人気を博し、彼らの間に急速に広まった。

 

サバタイ主義とハシディズム

 

 ショーレムの考察によれば、ルーリアのカバラーはその後、サバタイ主義とハシディズムに受け継がれていった。

 ルーリアはメシアの出現をティックーンの完成の「付随現象」としたのであったが、ユダヤ民衆はやはりメシアの到来を待望する心性から離れることはできなかった。ティックーンが完成されたあかつきに、メシアが出現し、イスラエルの苦難が終わるのであれば、それをできるだけ早く完成させたい、という期待が生ずるのは自然の成り行きであった。「ルーリアと弟子たちは、当時の多くの人々と同じく、救済が迫っており、彼らの生前にメシアが現われるかもしれない、否、現われるべきであると信じていた」[22]。彼らもまた、西暦紀元前後のユダヤ人や初期キリスト教徒たちと同じように、終末的期待に生きていたのであった。そのため、ルーリアの教義は「甚だしく常軌を逸した贖罪行」(JM 316)の蔓延を引き起こした。ルーリアに従えば、ユダヤ人の禁欲的苦行によってティックーンのプロセスが短縮され、メシアの出現もそれだけ早まることになるからである。

 そこに、スペインからの追放に次ぐ、大きなユダヤ人迫害が起こった。1648年、フメルニツキーに指導されたコサック人の反乱が、ウクライナ地方のユダヤ人を大量虐殺したのである。この大災厄はユダヤ人に再び終末が近いことを予感させた。それは当然、終末の時に出現するはずのメシアへの期待感も高めた。そこに登場したのが、サバタイ(シャブタイ)・ツヴィという奇妙な青年であった。

 

シャブタイ(1626-76)はスミルナ出身の教養あるユダヤ人であったが、激しい躁鬱病的な精神異常に苦しんでいた。1665年までは彼は田舎の変わり者と考えられていたが、この年、ガザのナータンという若いラビが、彼はメシアであるというビジョンを見、シャブタイが躁の発作の最中に示す奇妙な仕草は神的な霊感に発するものだ、とシャブタイに言い聞かせた。自分をメシアとして保証する予言者を得て、我はメシアなり、というシャブタイの主張は広く受け入れられ、一年の間、ヨーロッパとアジアのユダヤ人共同体は黙示録的なヒステリーに席巻された。そのときの様子はアイザック・バシェヴィス・シンガーの小説『ゴライの悪魔』に活写されている。数多くのユダヤ人は家と職を捨て、パレスチナに出発する準備をした。しかしながら、16669月に彼はアドリアノープルのスルタンの前に引き出され、メシアとして殉教死するか、自分の主張を撤回してイスラム教徒に改宗するか、という選択を迫られた。彼は後者の道を選び、その報償としてスルタンの宮殿の門の監視人という閑職を与えられた。[23]

 

 サバタイは、裏切りと背教という、ユダヤ教において最も恥ずべき罪を犯したのだが、逆説的にも彼の追随者たちは、それゆえにこそ彼をメシアと認めたのである。それはある意味では、十字架上で殺されたイエスがメシアとされた事情と似ていた。

 ティックーンの教義によれば、ユダヤ人は、悪の領域に散乱した光を拾い集め、神のもとに復帰させる使命を持っている。サバタイ主義者たちはこの教義をさらに以下のように拡張したのである。

 

敬虔な行為と祈祷によって火花を物質の牢獄から、いわゆるケリーポースあるいは「殻」の領域から救済するためには、聖徒の引きつける力だけでは必ずしも十分ではない。聖徒や敬虔者が悪の外側に立ち、幽閉されている火花を自分のところに引き上げるだけでは十分ではないのだ。偉大なティックーンの過程には諸々の段階が存在し、しかもその最後の最も困難な段階では、メシアは、この過程を真に終了させるために、悪と不浄の国に下降していかねばならない。〔……〕メシアもまた世の終わりに己の使命を成就すべく、闇の国へのこの最も困難な道を歩みはじめねばならない。この道程の終わりにいたって初めて完全な救済が出現し、そのときにはすべての世界においても、外面的な世界においても、この完全な救済が可視的になるのである。(JM 341)

 

 メシアの背教は、ティックーンの最終段階でのメシアの「悪と不浄の国への下降」と解釈された。そしてそれは、キリスト教国やイスラム教国でみずからも背教せざるをえず、良心の呵責に苦しんでいたマラーノたちに、「無理強いされた背教を正当化する一種の口実」(JM 339)をも提供したのであった。

 サバタイの改宗にならって、トルコの数多くのユダヤ人はイスラム教に改宗した。彼らは「デンメー」(トルコ語で「背教」の意味)と呼ばれた。18世紀のサバタイ主義者ヤーコプ・フランクは自分の信者一党を引き連れてカトリックに集団改宗した。ユダヤ教にとってサバタイ主義は、キリスト教と同じく、メシアニズムから生まれた異端宗派であり、正統派のユダヤ教に破壊的な影響を及ぼした。その後のユダヤ教はメシアニズムを危険な要素と見なし、排除するようになる。

 18世紀の初めに今日のウクライナ南西部で生まれたイスラエル・ベン・エリエゼルは、イエスと同じように、治病をはじめ様々な奇跡現象を現わし、「バール・シェム・トーヴ(良き名の師)」と呼ばれた。彼の創始した宗派ハシディズムは、東欧のユダヤ人民衆の心をつかんだ。ルーリアのカバラー説はハシディズムにも継承された。ブーバーによれば、「後期カバラーの火花の教えは、バール・シェム・トーヴの手で倫理的な教えとなり、そして人間の全生活を包む使命へと拡大されたのである」[24]

 ハシディズムにおいては、ツァディク(義人)という、神と人間の仲介者たる霊的指導者が、ユダヤ民衆の救済において重要な役割を演じた。ツァディクはユダヤ人コミュニティのいわば小メシアとなった。しかし、彼が救済するのは個々のユダヤ人の日常生活の困難であって、ユダヤ民族全体ではないし、ましてや彼は黙示書が描く「新しいアイオーン」をもたらすわけではない。ハシディズムは、サバタイ主義が説いていた「宇宙全体にわたる完全な変化」という黙示的メシアニズムを、日常生活の救済に転化したのであった[25]

 ショーレムはこう述べている。

 

私の理解するかぎり、ハシディズムは、大衆的な働きかけが可能であるカバラーの内実を生き生きと維持しようとする試みを表わしているのであるが、しかし、それ以前の時代にカバラーが大衆的な影響力を持ってきた最も持続的な理由である、あのメシアニズムの要素を受け継ぐことはしない。緊急的な力としてのメシアニズムの除去、きわめて広範囲に及ぶけれども危険でもある力ということが判明した神秘主義と黙示思想との結合を再び解消しながら、それにもかかわらず、後期カバラーに指し示されていた大衆への道をあくまでも諦めまいとする努力――これこそハシディズムを理解するための本来決定的な点であるように思われる。おそらくメシア的要素の除去ということよりも、その「中和化」について語るほうがよいであろう。私は誤解されたくないのであるが、メシア的な希望と救済への信仰がハシド派の人々の心から消え去ったなどと言うつもりはない。(JM 361)

 

 東欧の民衆ユダヤ教ハシディズムにおいて、メシア的な衝動はひとたび「中和化」されて、東欧ユダヤ人は近代を迎えることになるが、それは「消え去った」わけではなかった。

 

民族主義と同化主義――ヘルツル、コーエン、ブーバー

 

 17世紀の終わりから西欧世界は徐々に啓蒙主義の時代に入っていった。ごく単純化して述べれば、啓蒙主義とは、合理的理性を人間生活の中心的原理として打ち立て、キリスト教という宗教的権威の支配から人間を解放しようとする思想運動である。理性は、民族や宗教を超えた、人間すべてに内在する普遍的な働きであるとされるので、啓蒙主義の立場からは、宗教の違いによって人間を差別することは許されないことになる。宗教は、公的な社会生活を律する制度的原理から徐々に引きずり下ろされ、個人の私的な信条へと限定されてゆく。このような政教分離が行なわれてはじめて、ユダヤ教を信奉するユダヤ人も、ユダヤ教を捨てることなく西欧社会に参画する道が開けるのである。

 啓蒙主義が進展した18世紀の後半から、西欧のユダヤ人は徐々にゲットーから解放されはじめたが、フランス革命とナポレオン戦争がこの解放を決定的に押し進めた。時代の政治的変化はユダヤ人を近代国民国家の一員として統合することを求めた。ナポレオンは、ユダヤ人の最高法院であるサンヘドリンを召集させ、「モーセの法は本来宗教的な法であって世俗的な法ではないこと、ユダヤ人は国家に忠誠をもたねばならないこと」[26]などを認めさせた。これはいわば、キリスト教社会の側からユダヤ人側に突きつけられた政教分離の要求であった。ユダヤ人は、フランスやプロイセンの中に住む異国民ではなく、別の宗教を持った同国民とならなければならなかったのである。

 このことはユダヤ人に民族性の放棄を迫る危機的事態ではあったが、ある意味では希望に満ちた変化の開始でもあった。西欧諸国の中で社会的解放が実現されれば、もはやメシアニズムが夢見ていたイスラエル国の再興などしなくても、ユダヤ人の苦難は終わるはずであったからである。そこで、「ユダヤ人が彼らのメシアを、彼らを他のすべての市民と平等にし、あらゆる市民権と責任の完全な履行を成し遂げる希望を与えてくれる善良なる国王の中に見い出しても、誰も彼らを非難することは出来ない」[27]という意見まで現われた。このようなメシア観は、キュロス王をメシアとした旧約聖書時代のメシア観と似ているが、そこには根本的な相違がある。キュロス王はユダヤ人を集団としてイスラエルに帰還させたのであるが、近代国民国家の中における平等な市民権の付与は、ユダヤ人の社会的同化を進め、ユダヤ民族性の消滅につながりかねない可能性を含んでいた。

 ユダヤ人が完全に平等な市民権を獲得できれば、それはそれでユダヤ人問題の一つの解決となったのかもしれない。しかしながら、ユダヤ人の西欧社会への進出が進めば進むほど、各地で反ユダヤ主義が高まってきた。またロシアでは、ユダヤ人は遅れた社会体制の矛盾のはけ口にされ、ポグロムが凶暴に荒れ狂った。このような動向はユダヤ人を、同化したくても同化させてもらえないという深刻なジレンマに直面させた。メシアニズムはユダヤ民族の危機の時代に、その民族の魂の奥から噴出してきた。近代の危機もユダヤ民族のメシアニズムに火をつけたとしても不思議ではない。

 メシアニズムは元来、メシアという特別な個人への信仰がその根幹になければならない。しかし、ルーリアのカバラーでは、メシア個人の出現はティックーンの完成の「付随現象」という形に格下げされた。サバタイ・ツヴィという偽メシアの出現に直面して、東欧のハシディズムはメシアニズムを「中和化」した。啓蒙主義を経過した西欧のユダヤ人はもちろん、預言書や黙示書、あるいはカバラーなどの宗教的メシアニズムを、もはやそのままの形で信奉することはできなかった。ルーリア以降のユダヤ・メシアニズムは、メシアへの信仰を解体する流れの中にあったと言えるだろう。しかしながら、メシアニズムの本質的構成要素であるユートピア的理想――それがユダヤ人国家の再建であれ、人類の普遍的平和の実現であれ――は消えることはなかった。

 神やメシアという超人的・超越的力に頼ることなく、人間の力でメシア的理想を実現しようとする運動を世俗的メシアニズムと呼ぶことができる。その代表は共産主義運動である。すでに古き預言者の時代から、ユダヤ教メシアニズムには民族主義的要素と人類普遍的要素の二つの要素が含まれていたのであるが、近代の世俗的ユダヤ・メシアニズムもこの二つの方向で出現した。

 ドレフュス事件(1894)に衝撃を受けたテーオドール・ヘルツルは、ユダヤ人の同化の願望が空しい夢であることを思い知らされ、1896年に『ユダヤ人国家』を発表した。ヘルツのシオニズムは、神の力に頼らず、人間の努力によってユダヤ人の民族国家を創ろうとする試みであり、まさに民族主義的な方向の世俗的メシアニズムと見なすことができる。彼が理想とするユダヤ人国家は、ドイツやフランスのような西欧諸国をモデルにした世俗的・非宗教的国家で、そこではユダヤ教は重要な役割を演じてはならなかった。伝統的なユダヤ教の立場からすれば、ユダヤ人国家の再興は終末にメシアの手によってなされることになっている。神という超越的な力をたのまず、人間の力によってユダヤ人国家の建設を企図したヘルツルは、ユダヤ教のラビからは「偽メシア」と非難された[28]

 実際、ヘルツル自身が一種メシア的な妄想に駆られていたふしがある。

 

私は精神的な遺産を遺すのだ。誰に? すべての人間に。私は人類の偉大な恩人の一人に数えられるだろうと思う。それとも、このような見解がすでに誇大妄想なのだろうか?[29]

 

と彼は日記に書いている。

 しかしながら、シオニズムというユダヤ民族主義の出現は、西欧社会への同化を目指していた多くのユダヤ人にとっては迷惑な事態であった。シオニズムは、ユダヤ人は国家の中の別民族であるという反ユダヤ主義の主張に論拠を与え、同化をますます困難にする可能性があるからである。そのとき、シオニズムに反対し同化を推進する陣営も、メシア主義的な用語を用いてみずからを正当化した。先に、ユダヤ人の社会的解放と同化をメシアの名において認める議論を見たが、それを最も極端な形で押し進めたのが、すでに「指導部」論文でも触れた、カント哲学者ヘルマン・コーエンであった。

 コーエンは人類の進歩のはてに「一神教における人類の統一および一神教に基づいた道義性の統一」というメシア的ユートピアを夢見る。そこでは、民族としてのユダヤ人は人類諸民族の中に同化して消滅する。ユダヤ民族性が消滅すれば、ユダヤ人問題もなくなる。すなわち、これがユダヤ民族の真の解放ということになる。諸民族の民族性の消滅を先導することこそ、国家を持たない特異な民族であるユダヤ民族の比類なきメシア的使命なのである。これは進歩という歴史過程そのものをメシアと見なす、メシアなきメシアニズムである。これはある意味ではルーリアのティックーンの教義に似ていないことはない――ただし、ルーリアにおける神秘主義的要素はすべて捨象され、一切が世俗的次元に限定されているのであるが。

 このコーエンのメシアニズム解釈に異議を唱えたのが、独自のシオニズムを展開したマルティン・ブーバーであった。ブーバーはヘルツルの政治的シオニズムを批判したが、それは、シオニズムは単なる領土獲得運動であってはならないと信じたからであった。ブーバーが目指したのは、ディアスポラの中で希薄になったユダヤ精神の復活であった。そしてそのユダヤ精神の復活によって、「人間精神の救済と世界の救済」が達成され、「メシア的な人類」が実現されるはずであった。したがって、彼のシオニズムは、ヘルツルのシオニズムに比べると、より精神的・宗教的で、かつ普遍主義的要素も含んでいる。しかしながら、ユダヤ精神の復活はパレスチナにおけるユダヤ人国家の建設によって初めて可能になる、と考えている点においては、彼もまた明白に民族主義的である。民族主義と普遍主義の尺度で測れば、ブーバーはヘルツルとコーエンの中間に位置することになろう。

 ただし、コーエンとブーバーは、人類普遍的要素を強調するか、民族的要素を強調するか、という相違はあるものの、メシアの時の到来を、いずれも超越的な力の歴史への介入に依拠することなく、人間的な努力の延長線上に見ているので、本来のユダヤ教のメシアニズムを世俗化している点においては相違はないのである[30]

 以上が、カフカのメシア・アフォリズムを解釈していくための宗教的かつ時代的文脈である。

 

メシアに関するアフォリズム

 

 カフカが婚約者フェリス・バウアーを通じて、ブーバー的シオニズムの理念で運営されていた「ユダヤ民族ホーム」に接近を試みたのは19167月である。ブーバーがシオニズムの雑誌『ユダヤ人』を刊行したのは19164月であり、その雑誌にコーエンとの論争の論文「概念と現実」を発表したのは同年8月号である。カフカが『万里の長城』を書いたのは19173月で、この作品はまさに、ブーバーとコーエンの間で行なわれていたシオニズム/メシアニズム論争への文学的応答のテクストとして読み解くことができる[31]

 同年9月から書きはじめた『チューラウ・アフォリズム』は、カフカが「究極の事物」[32]と名づける生の根拠に関する考察であるが、その中にメシアに関する興味深いアフォリズムが二篇含まれている。

 

 信仰の最も拘束なき個人主義が可能になるとき[33]――誰もがこの可能性を否定せず、この可能性の否定に甘んずる者が一人もなくなるとき、つまり、すべての墓が開くとき、メシアは到来するであろう。ひょっとしたらこれがキリスト教の教えでもあるのかもしれない、見倣われるべき実例、すなわち一つの個人的な実例の具体的な描写の中にも、また個々人の中における仲保者の復活という象徴的記述の中にも示されているキリスト教の教えであるのかもしれない。(NSII 55. おそらく1917121)

 メシアは、彼がもはや必要でなくなったときに初めて到来するであろう。彼は彼が到着した一日後にはじめて出現するであろう。彼は最後の日にではなく、最後の最後の(allerletzten)日に到来するであろう。(NSII 56f. 1917124日)

 

 第一のアフォリズムはユダヤ・キリスト教的な終末イメージを活用している。すでに見たように、「すべての墓が開くとき、メシアは到来するであろう」というのは、ダニエル書や新約聖書に共通する黙示的終末の記述である。ただし、カフカはもちろんそれを文字通りの意味では受け取ってはいない。カフカによれば、これはある精神的事態の神話的記述なのである。

 その事態は、「見倣われるべき実例、すなわち一つの個人的な実例の具体的な描写」と同時に、「個々人の中における仲保者の復活という象徴的記述」として描かれているという。前者について言えば、これは福音書の中に描かれたイエス・キリストという個人の事績の描写である。後者は、「使徒言行録」で記述されているような、「個々人」=弟子たちの「仲保者」=キリストとの霊的出合いのことであろう。たとえば、弟子たちに聖霊が下って異言を話しはじめたり(2)、ペテロがイエスと同じように足の不自由な男を癒やしたり(3)、キリスト教徒を迫害していたサウロ(パウロ)がイエスの光に打たれて回心したり(9)といった出来事である。なかんずく「ガラテヤの信徒への手紙」の「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(2:20)というパウロの自覚であろう。

 しかしながら、メシアに関するこのような解釈は、通常のキリスト教における理解からはかなり逸脱している。何よりもその冒頭には、「信仰の最も拘束なき個人主義が可能になるとき」という謎めいた文章がある。このアフォリズムについてヨースト・シレマイトは、「これはユダヤ・旧約的なメシア予言の非常に奇妙な解釈であるばかりではなく、きわめて伝統からはずれた、まずもっておそらくは違和感を与えるようなキリスト教解釈である」と述べている。彼はこの「違和感を与える」キリスト教解釈の背後にトルストイのキリスト教理解の影響を見ている[34]

 次に第二のアフォリズムを検討しよう。このアフォリズムは驚くほどルーリアのメシア観に似ている。ルーリアのカバラー説では、メシアは、ティックーンが成し遂げられ、世界に神的秩序が回復されたときに初めて出現する。つまり、メシアがユダヤ民族を救うのではなく、ユダヤ民族全体の正しい信仰生活によってティックーンが完成したときに、メシアが出現する。ティックーンが成就すれば、そのときは世界には神的秩序が回復されているので、実はもはやメシアさえ必要ない。これを言い換えれば、メシアはまさにメシアが必要でなくなったときに出現するとも言える。

 カフカははたしてルーリアを意識してこのアフォリズムを書いたのだろうか? カフカの作品、手紙、日記などにはルーリアへの直接的言及は見出せない。ただし、カフカはブーバーの著作を数多く読んでいたが、ハシディズムの紹介者であるブーバーはカバラー的観念についても解説している。カフカはまた191112年には、ガリツィアのレンベルクから来たイディッシュ語劇団を足繁く訪問して、東ユダヤ人の精神世界に触れている。第一次世界大戦中には友人のゲオルク・ランガーやマックス・ブロートと一緒に、東欧から難民となって逃げてきたハシディズムの指導者「奇跡のラビ(ツァディク)」にも会っている(ただし、ラビに対するカフカの評価は低かった)。ガリツィアの都市ベルツでハシディズムの修行を積んできたランガーは、カバラーに詳しかった。1922116日の日記では、カフカは自分の文学をカバラーと比較している。カフカが何らかの文献、演劇、対話などの情報源からルーリアのカバラーについて知っていた可能性は排除できないが、直接的影響関係を指摘できるような資料も存在しないようである。いずれにせよ、そのような影響関係の有無はともかくとして、カフカのメシア・アフォリズムにはティックーン的な観念が見られることをここでは指摘しておくにとどめる。

 

カフカとキリスト教

 

 カフカは聖書(旧約、新約)以外にも、キリスト教関係の思想家もよく読んでいた。その中にはパスカル、アウグスティヌス、キルケゴールらがある。カフカの作品にその影響の跡が見られるトルストイやドストエフスキーも、キリスト教色の強い作家である。チューラウでは彼はトルストイの日記を読み、とくにキルケゴールの著作と対決している[35]。カフカはキリスト教についてよく理解していたが、自分自身としては、知人のフランツ・ヴェルフェルのようにキリスト教を信奉する意志は持っていなかった。すでに本論の冒頭に引用した1918225日の覚書では、彼はキリスト教からもユダヤ教からも明白に距離を置いている。

 しかし、カフカにとっては、「キリスト」は「究極の事物」に関する考察において、やはり無視することのできない存在であった。彼は1918219日には以下のように書いている。

 

 我々の周囲のすべての苦悩を、我々もまた苦悩しなければならないであろう。キリストは人類のために苦しんだが、人類はキリストのために苦しまねばならない。我々すべては一つの体を共有してはいないが、一つの成長を共有するのであり、この成長は、我々をあれこれの形のすべての苦痛を通して導いてゆくのである。ちょうど子供があらゆる人生の諸段階を経て、老人へ、そしてさらに死へと向かって発展して行くように――そのときどの段階も、それ以前の段階にとってみれば、望んでいるにせよ恐れているにせよ、根本的には到達不可能なものに思われるのだが――、それと同じように我々は――我々自身に結びついている以上に人類と深く結ばれて――、この世のあらゆる苦悩を通して、すべての同胞とともに発展するのである。このような関連においては、公平さなどという観念が入り込む余地はないし、苦悩に対する恐れや、苦悩をある種の功労などと解釈する余地もない。(NSII 93f.)

 

 『チューラウ・アフォリズム』を貫く根本思想の一つは、人類の一体性という観念である。カフカは19171019日に「精神的な戦いにおいて、自他を区別することの無意味さ」「すべての人はただ一つの戦いを戦っている」(NSII 29)と書いている。この観念が上記のアフォリズムではキリストに託して述べられている。

 ロバートソンは、「我々すべては一つの体(Leib)を共有してはいないが、同じ一つの成長を共有する」という文章の背後には、新約聖書の「わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体(Leib)を形づくっており、各自は互いに部分なのです」(ローマの信徒への手紙12:5)や、「体(Leib)は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」(コリントの信徒への手紙T12:12)が念頭に置かれているものと見ている[36]

 このように、このアフォリズムにはキリスト教的な観念が見られるものの、そこに微妙な違いがあることもまた看過しえない。すなわち、カフカは新約聖書の「一つの体」を「一つの成長(Wachstum)」へと変更している。ロバートソンによれば、人類の一体性というカフカの神秘的観念は、一つの「体」というキリスト教的な意味ではなく、ルーリアのティックーンの意味で言われているという。

 ティックーンは、ユダヤ人の宗教的努力による神的秩序の回復という宇宙的プロセスである。それはユダヤ人すべてが関わっている一つの霊的上昇の過程である。カフカのアフォリズムも、人類の運命を、人類すべてが関わる一つの「成長」「発展」としてとらえている。ただしそれは、ヘルマン・コーエンが描くような楽天的な進歩ではなく、「苦悩を通して」の成長・発展なのである。私にはロバートソンは『チューラウ・アフォリズム』に対するユダヤ神秘主義の直接的影響を過大評価しているように思えるが、結果的にはカフカの思惟とユダヤ神秘主義が類似の人間観を見せていることは否定できない。

 このアフォリズムでカフカはイエス・キリストの意義を「苦悩」に見ている。パスカルは、「イエスは世の終わりまで苦悶されるであろう。そのあいだ、我々は眠ってはならない」[37]と述べているが、カフカはパスカルを超えて、「人類はキリストのために苦しまねばならない」とまで言う。そこには、カフカがこの時期読んだキルケゴールの『瞬間』の影響もある[38]

 カフカは191824日に「苦悩」に関して次のようなアフォリズムを書いている。

 

 苦悩はこの世の肯定的要素である。いや、それはこの世と肯定的なものとの間の唯一の結びつきである。ただここにおいてのみ苦悩は苦悩である。それは、ここで苦悩する者は、この苦悩のゆえにどこか別の場所で高められることになっている、というような意味でではない。そうではなく、この世で苦悩と呼ばれるものが、別の世界においては、そのまま、ただその対立関係からは解放されて、至福なのである。(NSII 83)

 

 ここでは苦悩の意義は、「一つの成長」に関するアフォリズムよりもさらに先鋭化されている。先のアフォリズムでは、苦悩は成長・発展の契機とされていたが、このアフォリズムでは、この世の苦悩は別の世界ではそのまま至福であるとされる。その前提になっているのは、「この世」と「別の世界」の奇妙な二元論である。以下では、カフカのメシア・アフォリズムを解釈するために、彼の独特の二元論について分析する。

 

人間存在の二重性

 

 ヴァルター・ゾーケルは、カフカにおける「この世」と「別の世界」との関係は、サイエンス・フィクションのパラレル・ワールドの関係に似ている、と述べている[39]。この二つの世界の間では、いわば価値符号のプラスとマイナスが逆転する。この世におけるプラスは別の世界ではマイナスに、この世のマイナスは別の世界ではプラスになる。そこで、この世において「否定的なもの」と見なされる苦悩は、別の世界の視点から見れば「肯定的なもの」=「至福」になる。逆に、この世で肯定的に評価される「喜び」は、「より高次の生」からは否定的に評価される。

 

 この生の喜びはこの生そのものの喜びではなく、より高次の生に上昇することに対する我々の不安なのである。この生の苦悶はこの生そのものの苦悶ではなく、かの不安のゆえに我々が行なう自虐なのである。(NSII 81. 下線はカフカ。191822)

 

 苦悩を肯定的に見るこのような記述は、単なる自虐趣味、いわゆるマゾヒズムとは異なっている(カフカにその傾向があったことはたしかだが)。これは彼の二元論的な人間観から生まれている。

 『チューラウ・アフォリズム』を特徴づけるのは、楽園と現世、善と悪、真理と虚偽、永遠と時間、存在と所有、生命の木と認識の木などと、カフカが様々な用語で記述する二元的対立である。表現こそ異なっているが、これらの対立はいずれも、人間が二つの領域に属し、その間にあって引き裂かれているという同じ事態を指し示している。カフカはその事態を主として聖書創世記第3章の堕罪神話の解釈によって述べている。彼はのちにミレナに、「時おり私は、私ほど堕罪についてよく理解している者はいない、と思うことがあります」(M 217)[40]と書いているように、堕罪神話の解釈には並々ならぬ自信をもっていた。

 聖書によれば、神ヤハウェは人間が善悪の認識の木の実を食べて「神のようになり」(創世記3:5)、「我々〔=神々〕の一人のように」(3:22)なることを恐れていた。そこで神は人間に認識の木の実を食べることを禁じた。しかし、人間は蛇にそそのかされてこの禁を破り、神と等しい善悪の認識能力を獲得してしまった。神は、人間がさらに生命の木の実も食べて永遠に生きることを恐れて、人間を楽園から追放した。この記述によれば、人間の罪は神の禁止命令に対する人間の違反=反逆にあることになる。通常の聖書解釈でも、楽園での人間の罪の本質は「神に逆らう不従順」[41]にあると見られている。

 ところがカフカは、神への反逆もしくは不従順を人間の主要な罪とは考えていない。彼は1918120日に罪の本質に関する一連のアフォリズムを書いている。

 

 我々は二つの面で神から隔てられている――堕罪が我々を神から隔て、生命の木が神を我々から隔てる。

 我々が罪深い(sündig)のは、認識の木の実を食べたためばかりではなく、生命の木の実をまだ食べなかったためである。

 罪過(Schuld)とは無関係に、我々が現にあるこの状態が罪深い(sündig)のである。(NSII 71f.)

 

 八折判ノートではこれらの文章は横線によって区切られているが、内容的には密接に関連しており、一つのまとまりとして読むことができる。

 カフカによれば、罪の本質は神への不従順にあるのではなく、むしろ人間の神からの「隔たり」にある。すなわち、「堕罪」(=認識の木の実を食べたこと)によって人間は神から隔たり(楽園から追放され)、また「生命の木の実」をいまだ食べていないことによっても、神から隔たっている(楽園に戻れないでいる)。こうして人間の罪は二重である。

 この罪は認識能力の獲得によって生じた、とカフカは考える。楽園は当初、罪も悪もない世界であった。そこには悪が存在しなかったので、当然、悪の認識も不可能であった。しかし同時に、そこではまた善の認識も存在しなかった。なぜなら、光()一元の世界にあっては、光は光として認識できないからである。そこに闇があってはじめて、光は光として認識できる。楽園に住していた人間は善そのものの人間であり、このような人間には善の認識もなかったのである。

 しかし、人間はあるとき「認識の木の実」を食べて、「神のように善悪を知るもの」(創世記3:5)となった。善悪の判断を行なえるようになったということは、善一元、光一元の世界に、善ならざるもの、光ならざるもの、つまり悪=闇が侵入したことを意味し、この悪という夜空を背景にして、善という星の光もはじめて認識できるようになったのである。「悪は善の星空である」(NSII 57)というカフカのアフォリズムは、このような意味で解釈できる。

 とはいえ、善と悪との対立が生まれ、そしてそれに基づいて善悪の認識が可能になったのは、善一元の楽園にどこか外部から悪が侵入してきたから、というわけではない。それでは、楽園以外のどこに悪の世界があったのか、ということが謎となるであろう。カフカによれば、むしろ人間の認識能力の目覚めが、対立のなかった善一元の世界に内部亀裂を引き起こし、そこに悪を生み出したのである。すなわち、楽園は善一元、光一元の世界として、不可分の一体性の世界であり、不可分の善と一体になっていた楽園の人間には、当初、自分自身の善の認識はなかった。そのような人間が自分自身に反省的にかかわり、自己認識を開始した瞬間、彼は不可分の善から分裂し、善ならざる存在者になってしまった。というのは、認識は距離=分裂があってはじめて可能だからであり、自己認識とは楽園の善なる自己から分裂し、それに対して距離を取ることだからである。この善なる自己に対する距離の中に悪が生まれた。次のアフォリズムは認識にかかわるこのようなメカニズムを説明している。

 

真理と虚偽という二つのものしか存在しない。真理は不可分であり、したがって、真理自身を認識できない。真理を認識しようとする者は、虚偽とならざるをえない。(NSII 69)

 

 このアフォリズムは、真理=善、虚偽=悪として読むことができる。そこで「自己認識は悪だけしか持たない」(NSII 48)、「罪を引き起こすものと、罪を認識するものとは同一である」(NSII 66)ということになる。認識=分裂が罪の源泉なのである。

 近世の認識論は認識主体と認識される客体との距離を常に前提としているが、ゾーケルは上記のアフォリズムに表われているカフカの認識論に、距離=分裂を前提とするベーコン、デカルト、カントに由来する近世哲学の認識論との対決を見ている。古代のグノーシス主義や聖書の伝統においては、悪は精神性に対する物質性の勝利、光に対する闇の勝利の中にあったのであるが、カフカにおいては悪は認識論的な領域に定位される。そこで、ベーコンにあっては自然を支配し、第二の楽園をつくるための道具とされた「観察」が、カフカにおいては悪の原理へと逆転される、とゾーケルは述べる[42]

 カフカは「観察」については以下のように考察している。

 

汝自身を認識せよ(Erkenne)、とは、自分を観察せよ(Beobachte)、という意味ではない。自分を観察せよというのは蛇の言葉だ。汝自身を認識せよという言葉が意味するのは、お前をお前の行為の主人たらしめよ、ということだ。ところがしかし、お前はすでにそうである、つまりお前の行為の主人である。したがってこの言葉は、お前を否認せよ(Verkenne)、お前を破壊せよ(Zerstöre)、ということ、すなわち悪いことを意味することになる。そして、ただ深々と身を屈めるときだけ、この言葉に含まれる善も聞こえてくるのである。それは、「そうするのはお前を自分自身にするためなのだ」と語っている。(NSII 42)

 

 このアフォリズムにおいては、「認識」と「観察」という言葉が対立的に用いられている。ここにおける「認識」は、堕罪の原因となった自己分裂をはらんだ認識ではなく、デルフォイの神託「汝自身を知れ(=認識せよ)」に由来する、神的・本来的な認識である。堕罪を引き起こす分裂的認識は、ここでは「観察」と呼ばれている。

 真理が知的な認識対象であるならば、認識に必要な主体と客体との距離も、認識を成立させるための条件として許容されよう。しかし、真理が倫理的・実存的なもの、すなわち「善」と同じであるならば、距離・分裂を前提とする認識は、きわめて重大な問題を生じせしめる。なぜなら、認識が認識対象からの距離を前提とするならば、認識作用自体が人間を本来の自分自身=真理=善から遠ざけることになるからである。「真理は不可分であり、したがって、真理自身を認識できない。真理を認識しようとする者は、虚偽とならざるをえない」。

 しかし、デルフォイの神託が真に神託であるならば、認識によって虚偽となることを勧めているとは考えられない。そうであるならば、「汝自身を知れ(認識せよ)」という言葉が意味するのは、「自分を観察せよ」(これは虚偽へ導く)という意味ではなくて、実は「お前をお前の行為の主人たらしめよ」ということでなければならない、とカフカは考える。そのとき、この高次の意味における「認識」(erkennen)は、自己を「自分自身にするため」に、現にある自分を「否認する」(verkennen)こと、すなわち自己破壊(zerstören)を意味する、という逆説が生じてくることになる。

 「自分自身(Dich, der Du bist)」とは、楽園にいたころの、分裂を知らない善そのもの、光そのものの自己であろう。それをここでは神的自己と呼ぶことにすると、この神的自己を解放するためには、現にある自己を破壊しなければならない、というのがデルフォイの神託の真の意味である、とカフカは解釈する。

 しかしながら、自己破壊は恐ろしいことであるので、自己破壊を伴う真の認識を人は恐れた。

 

堕罪以来、我々は善悪の認識能力においては、本質的には同じである。それにもかかわらず、我々はまさにこの点に、我々の特別な長所を求めようとする。しかし、この能力と認識を超えた地点でこそはじめて、真の相違が始まるのである。〔認識能力に長所を求めるという〕このような逆しまな光景は次の事態によって引き起こされるのである。誰も認識だけでは満足できず、それに従って行動しようと努めざるをえない。しかし、彼にはそうするだけの力が与えられていないので、自分自身を破壊せざるをえない。自己破壊によって必要な力をなくしてしまう、という危険をおかしてまでそうするのである。しかし、彼にはこの最後の試み以外には何も残されていないのだ。(このことが、その瞬間、お前は死ななければならない、と神が脅したことの意味でもある。)ところが、彼は今やこの試みを恐れる。彼はむしろ善悪の認識を取り消そうとする。「堕罪」という呼び方もこの不安にその起源を持つ。〔……〕しかし、いったん生じてしまったことはもはや取り消すことはできず、ただ曖昧化することができるだけだ。この目的のために諸々の補助構成(Hilfskonstruktionen)が発生する。世界全体はそれらで充満している。いや、可視的世界の全体は、ひょっとしたら、一瞬の安息を求める人間の補助構成以外の何ものでもないのかもしれない。認識したという事実をごまかす試みの一つが、認識自体をまず目的にすることである。 (NS II 74f. 1918122)[43]

 

 堕罪、すなわち認識能力の獲得によって、人間は二つの領域に属し、その間に引き裂かれる存在となってしまった。その二重性を解消しようと思えば、自己否認=自己破壊を行なうしかない。それが自己を「自分自身にする」手段である。しかし、人はそれを恐れ、自己破壊を回避する手段として「補助構成」=「動機づけ」を編み出した、とカフカは言うのである。

 カフカのこのような人間観に照らしてみると、彼がなぜ苦悩を肯定的に評価するのかが理解できる。苦悩とは、この世あるいはこの世的な自我の破壊であり、この世的なものが破壊されれば、それだけ楽園もしくは神的自己が解放されることになるのである。

 

不壊なるもの

 

 神的自己は、現世的な自我の破壊のあとにも破壊されずに存続する自己なので、この神的自己をカフカは別のアフォリズムでは「不壊なるもの(das Unzerstörbare)」とも呼んでいる。

 

 人間は、自分の中の何か不壊なるものへの持続的な信頼なしには、生きてゆくことができない。その際、その不壊なるものも、そして不壊なるものへの信頼も、彼にはたえず隠蔽されたままであることがありうる。この隠蔽状態の様々の可能な表現形態の一つが、人格神への信仰である。(NSII 58. 1917127)

 

 カフカによれば、人間はみな自分の中に「不壊なるもの」という神的な核心を持っている[44]。これはルーリア派やハシディズムで言えば、人間の内部にある神的な火花に対応する。しかし、人間は自分の内部の神的自己を認識することなく、それを人格神という形で外部に投影してしまっている。言い換えれば、ユダヤ教やキリスト教における人格神という観念は、この「不壊なるもの」の隠蔽状態である、というのである。

 ゾーケルも指摘するように[45]、人格神観念に対するこのような批判は、宗教とは人間が自己の類的本質を外界へ神という形で実体化して表象している自己疎外の形態にすぎない、とするフォイエルバッハの宗教批判とも相通ずるところがある。しかし、カフカは神という概念を社会関係へと唯物論的に解消してしまうわけではない。彼は神を、人間の外部にあるユダヤ・キリスト教的な超越的人格神から、人間の内部の神的本質である「不壊なるもの」へと移しかえるのである。

 カフカはまたこうも書いている。

 

 不壊なるものは一つである。個々の人間はそれであり、同時にそれは万人に共通である。それゆえ、類例のないほど分かちがたい人間どうしの結びつき。(NSII 66. 19171223)

 

 人間は肉体的に見れば個々に分断されているように見えるが、この「不壊なるもの」は各人に共通の存在基盤である。人類の一体性は「不壊なるもの」によって根拠づけられている。「すべての人はただ一つの戦いを戦っている」のも、人類が「一つの成長を共有する」のも、この「不壊なるもの」のゆえである。

 カフカのメシア・アフォリズムの意味は、「不壊なるもの」の「神学」によってはじめて完全に理解できるものとなる。

 「信仰の最も拘束なき個人主義(der zügelloseste Individualismus des Glaubens)」というのは、各人が各人の勝手気ままな神を信ずるという意味での個人主義ではないだろう。そのような宗教的自由放任主義では、とうていメシアの時の前提である人類の統一は実現されえないからである。カフカは1920年にミレナに対して、「今日では宗教的共同体(die religiöse Gemeinschaft)は失われており、宗派(Sekten)は無数にあり、〔それらを信じるのは〕個々人に限定されています」(M 293)と書いている[46]。カフカにとっては宗教の分裂は明らかに否定的に評価される事態であった。

 もちろん、このような宗教的分裂状態がなくなることは、人類の統一のための必要条件ではあろう。しかしそれは、すべての個人が一つの宗教組織に包含されればそれでよい、ということではない。キリスト教の手は「すでに重く垂れ下がっている」し、ユダヤ教の祈祷服は遠くへ「飛び去り」つつある。

カフカは19171025日に次のようなアフォリズムを書いている。

 

 昔、ならず者の共同体(Gemeinschaft)があった。ということは、彼らはならず者ではなく、普通の人間だったということである。彼らはいつも結束していた。そこでたとえば、彼らの中の一人が、誰かよそ者を、彼らの共同体に入っていない男を、いくらかならず者めいた手口で不幸にしたが、これもまたならず者じみたことではなく、通常の、ありふれたことなのであった。この男が次に共同体の前で懺悔すると、彼らはそれを調査し、判定し、罪をあがなわせ、赦す、などのことをした。それは悪意があってのことではなかった。個々人と共同体の利益が厳重に守られたのであった。懺悔者が洗いざらい話していわば地の色を示すと、それには補色がつけ加えられた。こうして彼らはいつも結束していた。死んだあとでも共同体を解散せず、輪舞を踊りながら天に昇っていった。彼らが飛翔するさまは、全体として見れば、子供のように純粋無垢な光景であった。しかし、天の前ではすべては個々の元素へと打ち砕かれるので、彼らは本物の岩の破片となって落下したのであった。(NSII 42f.)

 

ここでは、「罪」「あがない」「赦し」「懺悔」「天」などの語によって、この「共同体(Gemeinschaft)が「宗教的共同体(die religiöse Gemeinschaft)」であること、おそらくはキリスト教会であることがほのめかされている。特定の宗教的共同体に属することが個人の救済を保証するものではない。どのような宗教に属していようと、「天の前ではすべては個々の元素へと打ち砕かれる」、すなわち個々人は個別者として神の前に立たなければならない――ちょうど短編『掟の前』における田舎から来た男のように。

 ブロートは『異教、キリスト教、ユダヤ教』(1921)という宗教哲学的著作の中で、カフカの『掟の前』に言及してこう述べている。

 

ユダヤ教の見解によれば、各人に対して救済機構(Heilskonstruktion)は新しく、ただ彼に適した形でのみ準備される(フランツ・カフカの伝説『掟の前』を参照されたい。ちなみにこの作品は、いかなるドグマ的な意図もなしに、作家の無意識的ユダヤ性から生まれたものである……)。〔……〕神はただ個人的(individuell)にのみ体験されうるのである。[47]

 

カフカはユダヤ教にも距離を置いているので、ブロートがカフカをユダヤ教の陣営に取り込もうとしている点は受け入れられないが、『掟の前』を、神は個人的に体験するしかないという「信仰の個人主義」を扱った作品と見る視点は正しいであろう。

しかし、カフカの「信仰の最も拘束なき個人主義」は、ブロートが言うような個人主義さえも超えているように思われる。Individualismusという言葉に含まれているIndividuum(個人)という語は、元来「分割不可能」という意味である。「真理は不可分である」というアフォリズムにも示されているように、カフカにおいては「分割不可能」は真理の属性である。つまり、Individualismusとは、各人が分割不可能なものとなること、すなわち真理となることを意味する。「分割不可能」とはまた「不壊」と同じ意味である。したがって、「信仰の最も拘束なき個人主義」とは、人間各自が自分のあり方において「不壊なるもの」という神的自己を解放することを意味すると考えられる。それは、『掟の前』でいえば、各人が掟の前に佇むだけではなく、掟の中に入ることを意味するであろう。

 カフカによれば、イエス・キリストはこの「不壊なるもの」を解放した具体的な一つの実例である。そして新約聖書に記載されているイエスとの霊的出合いという記事も、弟子たちの中における「不壊なるもの」の解放の「象徴的記述」なのである。終末、メシアの時とは、「信仰の最も拘束なき個人主義」の実現、すなわち人類すべてが各人の「不壊なるもの」を解放した状態のことなのである。カフカにおいては、キリストはもはやイエスという個人ではなく、「不壊なるもの」の象徴となる。

 人類すべてが「不壊なるもの」を解放したとき、人間の本質には本来的には存在していながら隠蔽されていた「類例のないほど分かちがたい人間どうしの結びつき」は、具体的な実現の中へと入ることになる。そこには統一された「メシア的な人類」という理想が現出するであろう。メシアという特別の人間がこの理想を実現するのではない。各人の「不壊なるもの」の解放が成就されたときに、いわばその完成のしるしとしてメシアが登場する。「メシアは、彼がもはや必要でなくなったときにはじめて出現するであろう」。

 カフカのこのようなメシア理解は、ティックーンの完成の時にメシアが出現するというルーリアのカバラー説と、まさに同じ構造になっている。

 ただし、ルーリアにあっては、ティックーンはユダヤ人(ユダヤ教徒)の宗教的実践によって達成される事象であったが、カフカにおいては、「不壊なるもの」の解放のプロセスは、ユダヤ人だけではなく、人類すべてがかかわる「成長」である。彼はすでにキリスト教やユダヤ教という宗教的相違を超えた地点、まさに「終わりであるか、初めである」地点に立っている。それは、彼が過去からの宗教的伝統を失い、拠り所とするべき「大地、空気、掟」を持たない宗教的真空地帯にいたからである。「不壊なるもの」に関するカフカの「神学」は、諸宗教が空洞化しつつある時代に、人間存在の神性と共同性を新たに根拠づけようとする試みであった。

 それでは、この「不壊なるもの」は実現可能なのであろうか? キリストはその苦悩によって自己の内なる「不壊なるもの」を解放した。人類が「不壊なるもの」を解放するためには、人類もまた「キリストのために苦しまねばならない」。各人が各人の「不壊なるもの」を解放する手段は「苦悩」、すなわち現世的な自己の破壊である。人類はしかし、自己破壊を恐れ、その代わりに「補助構成」=「動機づけ」を開始してしまった。「世界全体はそれらで充満している。いや、可視的世界の全体は、ひょっとしたら、一瞬の安息を求める人間の補助構成以外の何ものでもないのかもしれない」。

 このような世界の中にあって、個々人の「不壊なるもの」の解放によるメシアの時の到来は、アフォリズムの中で遠望するしかない、実現不可能な願望にとどまらざるをえなかったのである。



[1] NSII Franz Kafka, Nachgelassene Schriften II, Frankfurt/M. 1992の略号で、その後ろの数字によってページを示す。

[2] 聖書の引用は新共同訳による。「44:6」は446節を示す。以下同様。

[3] NSIFranz Kafka, Nachgelassene Schriften I, Frankfurt/M. 1993の略号で、その後ろの数字によってページを示す。

[4]「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」(思想[岩波書店]第796号、199010月)、「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」(思想〔岩波書店〕第816号、19926)、「民族統合の空虚なる記号――カフカの『万里の長城』における「皇帝」の形象」(思想〔岩波書店〕第854号、19958)。とくに、「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」は以下では「指導部」論文と呼ぶことにする。

[5] 中澤英雄「カフカにおける「ユダヤ人」問題」(へるめす〔岩波書店〕第25号、19905)56頁。

[6]「指導部」論文、87頁以下。

[7] Jüdisches Lexikon, IV/1, Frankfurt/M. 1987 (2. Auflage), S. 134f.

[8] JGershom Scholem, Judaica 1, Frankfurt/M. 1963の略号で、その後ろの数字によってページを示す。

[9] イザヤ書、ゼカリヤ書などの預言書にも、後世に書かれた黙示文学が預言者の名前で付け加えられた部分があると見られている。

[10] W・シュミットハルス『黙示文学入門』(土岐/江口/高岡訳、教文館、1986年)、18頁。

[11] ゾロアスター教には、善神と悪神との闘争、天国と地獄、終末、救世主(サオシュヤント)など、黙示思想に近い観念が多く含まれている。

[12] 平石善司「ユダヤ教におけるメシア理念」、岩波講座『ユダヤ思想2(1988)234頁。

[13] 山我哲雄『聖書時代史・旧約篇』(岩波書店、2003)243頁。

[14] 平石、前掲書、231頁。

[15] ノーマン・コーン『千年王国の追求』(江河徹訳、紀伊國屋書店、1990)1213頁。

[16] コーン、前掲書、1819頁。

[17] 大貫隆「古代黙示文学の終末論」、『地中海 終末論の誘惑』(蓮實/山内編、東大出版会、1996)23頁。

[18] シュミットハルス、前掲書、148頁。

[19] 同、148-149頁。

[20] Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, S. 195f.

[21] JMGershom Scholem, Die jüdische Mystik in ihren Hauptströmungen, Frankfurt/M. 1980の略号で、その後ろの数字によってページを示す。

[22] ヨセフ・ダン「ユダヤ神秘主義――歴史的概観」、岩波講座『ユダヤ思想2(1988)175頁。

[23] Robertson, ibid., S. 229f.

[24] マルティン・ブーバー『ハシディズム』(平石善司訳、みすず書房、昭和44)92頁。

[25] ダン、前掲書、208頁。

[26] マックス・ディモント『ユダヤ人:神と歴史のはざまで()(藤原和子訳、朝日新聞社、1984)110頁。

[27] デイヴィッド・ビアール『カバラーと反歴史』(木村光二訳、晶文社、1984年)、202頁。

[28] 「指導部」論文、92頁。ただし現在では、正統派ユダヤ教もシオニズムによるイスラエル建国を「救いの始まり」として是認している(平石、前掲書、251)

[29] Alex Bein, Theodor Herzl, Frankfurt/M. 1983, S. 106.

[30] 「指導部」論文、102頁。

[31] 「指導部」論文を参照のこと。

[32] Max Brod, Über Franz Kafka, Frankfurt/M. 1966, S. 147.

[33] カフカは「信仰の最も拘束なき個人主義が可能になるまで(bis)」と書いているが、これはカフカがよく行なう文法的間違いである。

[34] Jost Schillemeit, Tolstoj-Bezüge beim späten Kafka, in: Literatur und Kritik, Heft 140 (November 1979), S. 606-619. カフカにおけるトルストイの影響は本論の論述の範囲を大きく逸脱するので、ここでは扱わない。

[35] トルストイとの関係は拙著『カフカとキルケゴール』(オンブック、2005年)、87頁以下を参照されたい。キルケゴールとの関係はこの拙著で詳論している。

[36] Ritchie Robertson, Kafkas Zürau Aphorisms, in: Oxford German Studies 14 (1983), S. 80.

[37] パスカル『パンセ』(前田陽一訳、中央公論社、1978) 553番。

[38] 前掲拙著、66頁以下。

[39] Walter H. Sokel, Zwischen Gnosis und Jehovah. Zur Religions-Problematik Franz Kafkas, in: Franz-Kafka-Symposium <1983, Mainz>, Mainz 1985, S. 51.

[40] MFranz Kafka, Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe, Frankfurt/M. 1983の略号で、その後ろの数字によってページを示す。

[41] レオン-デュフール編『聖書思想事典』(小平/河井田訳、三省堂、1973)603頁。

[42] Sokel, ibid., S. 74.

[43] Hilfskonstruktionen」という語は、ブロートの小説『大いなる敢行』(1918)から借用されている。のちに1920年にアフォリズム集を作成するために清書したとき、カフカはこの語を「Motivationen(動機づけ)」に書き変えた(NSII 133)。これについては拙稿「二つの文化の間の架空の国――ブロートの小説『大いなる敢行』に対するカフカの批評」、「言語・情報・テクスト」東京大学言語情報科学専攻、Vol.6(19993)44頁を参照されたい。

[44] カフカの「不壊なるもの」という名称は、ショーペンハウアーの「不壊なる生への意志」から由来している。T. J. Reed, Kafka und Schopenhauer. Philosophisches Denken und dichterisches Bild, in: Euphorion Nr.59 (1965), S. 165f.

[45] Sokel, ibid., S.37, 66.

[46] この手紙はボルン/ミュラー編纂の『ミレナへの手紙・増補改訂版』(=M)によって11月のものと推定されているが、ヨースト・シレマイトによって1020/21日と訂正推定されている。拙稿「『ミレナへの手紙』の新しい日付と1920年後半のカフカ」(東京大学教養学部外国語科研究紀要第41巻第1号、1993)35頁を参照されたい。

[47] Max Brod, Heidentum Christentum Judentum, Band II, München 21922, S. 71f. Heilskonstruktion」という語は、『大いなる敢行』の「Hilfskonstruktion」という語と、カフカが『大いなる敢行』を批評するブロート宛の手紙の中で使った「Heilanstalt」という語(Max Brod/Franz Kafka, Eine Freundschaft II. Briefwechsel. Hrsg. von Malcolm Pasley, Frankfurt/M. 1989, S. 220)を組み合わせたものであろう。

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