通俗的伝説の再論

――ミラン・クンデラのカフカ/ブロート論について――

中澤英雄

 

 ミラン・クンデラの『裏切られた遺言』(西永良成訳、集英社)は、小説家に対する伝記作家や文学研究者や翻訳者の、そしてまた作曲家に対する指揮者や解釈者の様々な「裏切り」をテーマにした刺激的な芸術論である。その数多くの裏切りの中でももっとも中心的に言及されているのは、マックス・ブロートのフランツ・カフカおよびレオシュ・ヤナーチェクへの裏切りである。クンデラはこのエッセイ集を「一つの小説のように」書いたというが、訳者の西永良成氏はこの「小説」を、「主人公がカフカとヤナーチェクであり、同国人であるこのふたりの芸術家の熱烈な擁護者マックス・ブロートが、そのひとりよがりな情念と美学的な無能のゆえにいかなる裏切りを働いたかを辿り、描いた物語だといえるかもしれない」(三二八頁)と要約しておられる(1)。そもそも『裏切られた遺言』という題名からして、死後、自分の原稿はすべて焼却してくれとブロートに依頼したカフカの遺言、ブロートが従わなかった例の有名な遺言をすぐに想起させる。

 私はヤナーチェクの音楽には詳しくはないので、ブロートのヤナーチェクへの裏切りについては、ここで論評する意欲も能力もない。ここで取り上げてみたいと思うのは、ブロートのカフカに対する裏切りについてである。というのは、私はクンデラの芸術論には様々な啓発を受けたのだが、彼のブロートに対する告発には大きな疑問を感じたからである。この疑問について説明する前に、まずクンデラの議論をまとめておこう。彼が列挙するのはブロートの次のような裏切りだ――

(a) ブロートは『愛の魔法の国』というモデル小説の中で、カフカをガルタという名の人物として登場させ、実際には存在しなかった「聖人カフカ」という虚構を作り上げた。そしてその後に書いた数々のカフカ論によって、小説の中で素描したイメージを確認し、さらに発展させた。

(b) このことによってブロートは同時に、カフカの著作をヨーロッパ文学史という大きなコンテクストではなく、ほとんどもっぱら伝記というミクロなコンテクストで検討する「カフカ学」の創始者にもなったのであるが、このカフカ学は、カフカ作品の美的な価値を無視することによって、カフカに対するいわば第二の裏切りを行なっている。

(c) 「聖人カフカ」のイメージに合わせて、ブロートはカフカの日記を公刊する際、性に関する箇所を削除した。その結果、カフカは性的不能の殉教者に見られてしまった(これに対してクンデラはカフカのテクストの性にかかわる箇所の存在と、彼の性描写の実存的な新しさを強調する)。

(d) ブロートのカフカへの最大の裏切りは、破棄してほしいと遺言されたカフカの遺稿を、死者の意志に背いて出版したことだ。その中でもとくに許されないのは、未完の文学的断片ばかりではなく、日記や書簡といったプライベートな文書まで公刊したことだ。これは個人の私生活への侵犯である。

 ブロートはこれまでも多くのカフカ学者によって非難されてきたが、クンデラの論難はそれらにさらに輪をかけた苛烈なものである。ブロートはたしかにカフカの遺言に反して彼の遺稿を公刊した。それはクンデラが言うように裏切りであり、個人のプライバシーの侵害にはちがいない。しかし、この裏切りがまたブロートのカフカへの深い敬愛の念から発していることも周知の事実である。ブロートはカフカの文章を自分の作品以上に崇拝し、その中に限りない価値を見出した。彼はそのような宝をみすみす烏有に帰させるわけにはいかなかった。そしてカフカの原稿に対する彼の判断は――彼のカフカ解釈にかなりの偏向があるとはいえ――正しかった。カフカの遺稿を救い、それを刊行したブロートの献身的努力がなければ、カフカの名前は今日とうに忘却されていたことだろう。なんといっても、カフカを世界的に有名ならしめたものは、彼が生前に印刷したごくわずかの短編作品ではなく、三つの長編小説を含めて、彼の遺言に反してブロートが公表した遺稿作品であるからである。ブロートがいなければ作家カフカは存在しなかった。クンデラがこの書で論じているカフカの作品『失踪者』、『審判』、『城』はすべてブロートの裏切りによってこの世に存在している作品である。ブロートの裏切りがなかったら、クンデラはカフカを読むことも、本書を書くこともできなかったはずである。

 もちろん、この著書は元来カフカ論でもブロート論でもない。本書は第一義的には、他の作家たちへの評価を通してクンデラ自身の創作活動の秘密を書きとめようとする彼の小説論であり、いわば彼自身の芸術的遺言でもあるのだろう。しかし、その中でカフカとブロートへの言及がいわば議論の導きの糸のような役割を演じている以上、本書は一種のカフカ/ブロート論としても読めるのである。本書をカフカ/ブロート論として見た場合、彼の議論は一見もっともらしい形で展開されてはいるが、それは事実の一面的な単純化と歪曲化から免れていない。そのような単純化と歪曲化によって、彼はカフカとブロートにまつわる通俗的な伝説を再び強化し、固定化しているとも言えるのである。以下では、カフカ/ブロート論としての本書の問題点を指摘してみたい。

『愛の魔法の国』という小説

 前項でまとめたクンデラの議論を一つずつ検討してみよう。まず論点(a)の『愛の魔法の国』という作品の中でカフカを聖人にでっち上げたという点に関して。

 「今日多少なりともみなに共有されているカフカ像の基底には、一つの小説がある」とクンデラは述べる。その小説とは、「カフカの死後ただちにマックス・ブロートによって書かれ、一九二六年に出版された」『愛の魔法の国』という作品である(2)。この小説はクンデラも言うように一種の「モデル小説」である。主人公クリストフ・ノヴィは明らかにブロートをモデルに、そしてノヴィの友人であるリヒャルト・ガルタはカフカをモデルにしている。クンデラは、「もしガルタという人物がいなかったら、この小説は書かれる以前に忘れられたことだろう。というのも、ノヴィの親友であるガルタはカフカの肖像だからだ」と酷評する(3)。つまり、「この愚作」になんらかの意義があるとしたら、それはこの小説がカフカの肖像を描いているからなのであり、この小説は作品自体の力によってではなく、そこに登場するガルタという「カフカの肖像」によって今日でも影響力を有している。ところが、その肖像たるや「戯画に近い小説的捏造」なのだ。なぜなら、この小説はガルタ=カフカを「私たちの時代の聖人」というありもしない理想像に祭り上げているからである。そしてこの小説に登場した聖人ガルタが今日に至るまで多くの読者の、そしてカフカ学者のカフカ像を「多少なりとも」支配している。だが、カフカは聖人などではなかった。彼は「性のポエジー」の描写に新境地を開いた作家(クンデラはカフカの長編小説からいくつかの具体例をあげている)、何よりも「小説の歴史」の中で書いた作家なのである。ブロートが作り上げた「聖人カフカ」こそカフカ文学への最大の裏切りだ、とクンデラはだいたいこのようなことを言っている(以上四七〜四八頁)。

 芸術の芸術としての自律性、小説の小説としての独立性を何にもまして擁護しようとする本書におけるクンデラの意図は十分に理解できるし、私としても共感する部分も少なくない。だが、カフカとブロートに関するかぎり、彼の議論は、「戯画に近い」とまでは言えなくとも、かなりの程度の「小説的捏造」であることは、はっきりと指摘しておかなければならない。クンデラという著名な作家の見解がカフカとブロートの関係についての定説として流布したら、まことに困ったことである。なぜなら、この「小説のように」書かれたカフカ/ブロート論は、まさにクンデラが作り上げた一種の「小説」、しかもかなり通俗的な小説であるからである。

 まず第一に、『愛の魔法の国』という作品に登場するガルタが「今日多少なりともみなに共有されているカフカ像の基底」になっているというクンデラの主張には、誇張と歪曲があると私は思う。なぜなら、『愛の魔法の国』という作品はまさに忘れられた作品であり、忘れられた小説がカフカ像の基底などになれるはずがないからである。「この愚作」は、それが出版された時代においてもあまり反響を呼ばなかったが、戦後になってもこの小説に関する事情はさほど変わらなかったと言えよう。この本は今から一〇年ほど前にフィッシャーの新書として一度復刊されたことがあるが、それが大きな反響を呼んだとも、聖人カフカ像を広めるのに力があったとも思われない。この本は復刊されて――そのまま絶版になった。今どきこんな小説を酔狂にも引っぱり出してきて、ガルタにカフカの肖像を探し求めたカフカ学者は、私の知る範囲では、モノマニアックまでに伝記還元主義的なカフカ研究者であるハルトムート・ビンダー以外にはいない。そのビンダーにしても、「仏陀や老子」に比肩される「聖人ガルタ」に関心があるのではなく、ガルタとカフカの間の、細部にこだわる観察力、いつまでも青年じみた容貌、物事を徹底的に考えなければいられず、そのために問題を常に複雑化してしまう思考傾向などの類似性を明らかにするために、この作品を利用しているにすぎないのである(4)

 この小説は文字通り忘れられた小説なのであるが、ただし「ガルタ」という名前だけはブロートの別の著書を通して今日でも知られている。というのは、ブロートが彼の『フランツ・カフカ――一つの伝記』の中で、カフカの思い出を語るためにときどきこの小説から引用しているからである。「私は『愛の魔法の国』という小説の中に、リヒャルト・ガルタという登場人物に託して、私の心に残っているカフカの面影をいっぱい盛り込んだ」と彼は書いている(5)。クンデラが『愛の魔法の国』という小説を再発見したのも、そしてそれを「モデル小説」と断定するのも、ブロートの『カフカ伝』を通してであることは間違いない。『カフカ伝』がなければ、この小説は、ブロートのその他の多くの小説と同じように、その題名さえも忘れ去られていたことだろう。

 だが言うまでもなく、単に題名が知られていることと、その小説が読まれていること、あるいはその内容が知られていることとは別の事柄である。ところが、クンデラはこの二つをないまぜにして、『カフカ伝』で言及されている『愛の魔法の国』のガルタをことさらに重大視し、拡大するのである。クンデラの主張に誇張と歪曲がある、と私が考えるは、「今日のカフカ像の基底」であるかどうかはさておき、一般的にブロートのカフカ像の基底と見なされているのは、あくまでも彼の書いた『カフカ伝』(こちらはフィッシャーの新書として今でも版を重ねている)やその他のカフカ論のほうであって、ほとんど読まれることがない『愛の魔法の国』ではないからである。

 この小説から『カフカ伝』には何箇所かが引用されているが、それは、当然のことではあるが、小説のほんの一部である(6)。ブロートがガルタ=カフカの「面影」として引用しているのは、ガルタの貧弱な部屋の様子、ノヴィがガルタと友人になったいきさつ、高貴なもの・純粋なものの存在を信ずるガルタの信念、二人が行なったワイマル旅行に関する記述である。これらはいずれもカフカとブロートの伝記的事実に対応しているが(ただし、ガルタの信念に関する記述は伝記的事実の範囲を超えている)、どちらかという些末な事実である。『カフカ伝』を読んだところで、『愛の魔法の国』という小説の全体像はわからないし、それどころかガルタという人物の人となりさえもはっきりとはしない。もしガルタ=カフカと考えて、ガルタを通してカフカを知ろうとするのであれば、この小説全体を読まなければならない。ところが、今どき「この愚作」を読む人などほとんどいないのだ。ブロートが伝えるカフカ像は、あくまでも『カフカ伝』全体を通してはじめて明瞭なものになるのであって、『カフカ伝』で引用されている『愛の魔法の国』のガルタだけでは、たいしたカフカ像は浮かび上がってこないのである。

『愛の魔法の国』はモデル小説か?

 ところがクンデラは、『愛の魔法の国』というほこりにまみれた小説を、さも重大な発見のように引っぱり出してくる。彼がこの小説から引用しているのは、いずれもブロートが『カフカ伝』で引用しているのとは違う箇所である。クンデラが引用するのは、「ガルタは私たちの時代の聖人である」という文章に代表される、ガルタを聖人として描く箇所である。だが、聖人ガルタは本当にカフカなのであろうか? クンデラがそう断定するのは、彼がこの小説を「モデル小説」と考えるからである。しかし、この小説は本当に「モデル小説」と言えるのであろうか?

 クンデラ自身も認めているように(三〇四頁)、どんな小説にも多かれ少なかれモデルは存在するだろう。そのモデルが登場人物からすぐに推測できるような小説もあれば、すぐにはわからないような形に変更を加えられている小説もある。登場人物が実在の人物にあまりに近すぎて、モデルにされた人間から抗議が寄せられるという場合もある。これは、作者がモデルのプライバシー保護に十分注意を払わなかったか、作者が現実に変容を加える想像力に欠如していたかのどちらかである。だからといって、こういう小説をすぐに「モデル小説」と呼ぶことはできない。なぜなら、語の厳密な意味における「モデル小説(roman à clef; Schlüsselroman)」とは、ただ単に「モデルがいる小説」ではないからである(この意味において、「モデル小説」という訳語はややまぎらわしいところがある)。モデルがいる小説がモデル小説であれば、ほとんどの小説がモデル小説になってしまうだろう。

 ヴィルペルトの文学事典によれば、モデル小説とは、「その中では、現在または過去の現実に存在した人物の、現実の出来事・状態・運命が、別の名前と状況のもとで、歴史的・寓話的な装いを着せたり、多かれ少なかれ容易に見抜ける別の被いを着せて描かれ、そのため消息通には登場人物が再認可能であるか、もしくは現実的連関に対する示唆(鍵)によって実際の事実を十分理解する可能性が開かれている小説」である(7)。つまりモデル小説とは、その中に「現実に存在した人物の、現実の出来事・状態・運命」に対する「鍵(clef; Schlüssel)」が、しかも容易に解読できる「鍵」が埋め込まれている小説である。この鍵を使って、読者はその小説をその「現実的連関」に向かって解読するのである。

 文芸学者のこんな説明が七面倒くさく思われる人は、クンデラ自身の定義を読めばよい。彼によれば、モデル小説とは、「虚構の名前のもとにそれと分からせる意図をもって実在の人物を語る小説」(三〇三頁)である。つまり、モデル小説とはまず第一に「実在の人物」に対する興味から書かれ、読まれる小説なのである。たとえば、ナチス時代の有名な俳優グスタフ・グリュントゲンスをモデルにしたクラウス・マンの『メフィスト』などが代表的なモデル小説である。もっとも、モデル小説においては、モデルは必ずしも有名人物である必要はない。世人の関心を引いた殺人事件などで、警察が犯人として逮捕した人物以外を真犯人として描く小説なども一種のモデル小説と言えるだろう。大切なことは、その小説においては、「鍵」によって実在の興味深い人物・事件が同定されることである。この実在の人物・事件に対する興味がなければ、ある小説が現実の人物・事件をそのまま用いて描いていたとしても、それを文芸学的な意味でモデル小説と呼ぶことはできないであろう。後者の場合、言うまでもなく、モデルにされた人物のプライバシーは別問題であり、非モデル小説の場合、モデルが誰であるかわからないように、「鍵」が難解なものであるほうが望ましいことは当然である。

 このような定義に照らしてみるとき、『愛の魔法の国』を厳密な意味でモデル小説と呼ぶことができるかどうかは疑問である。なぜなら、この小説は第一に聖者ガルタ=カフカを描き出すことを目的とした作品ではなく(ガルタは副次的な登場人物の一人にすぎない)、あくまでも作家ブロート――彼もまた二流とはいえ小説家なのであった!――の作品系列の中で書かれ、そして第一義的にはそのようなものとして読まれるべき作品であるからである。つまり、この小説のテーマは、ブロートの小説と宗教哲学で常に中心的なテーマとして登場してくる、道徳的意志と性的衝動との葛藤の問題であり、世界における悪の役割の問題である。この問題をブロートは『女王エステル』(一九一八年)、『大いなる敢行』(一九一八年)、『異教、キリスト教、ユダヤ教』(一九二一年)、『フランツィもしくは二流の恋人』(一九二二年)、『女神との生』(一九二四年)などの一連の著作の中で首尾一貫して追求している(8)。『愛の魔法の国』がまさにこの延長線上で書かれた作品であることは明白である。その主人公は不条理な悪に巻き込まれるノヴィであり、ガルタは悪を含まない聖性の権化として描かれているが、それは悪の対極的原理としてこの小説の中で要請されているのである。そのモデルとして、ブロートがカフカのイメージを使ったこと、そしてガルタに、自分が記憶にとどめていたカフカの肖像を描き込もうとしたことも事実である。この意味においてこの小説はたしかに「モデルがいる小説」である。この小説ばかりではなく、ブロートの多くの小説が「モデルがいる小説」である。しかし、この小説がまず第一に聖人カフカを宣伝するために書かれたモデル小説であると考えるならば、それは誤りである。たとえブロートがあとになって、『愛の魔法の国』のガルタはカフカそのものだ、と主張したとしても、そのことと、この小説がモデル小説であるかどうかということは一応別問題である。ガルタはあくまでも小説の中で極度に理想化されたカフカなのであって、現実のカフカではない――たとえ、現実のカフカの「面影」を数多くそなえていても。

クンデラが『愛の魔法の国』をもち出す必要性

 そのことはブロート自身もよく自覚していたと思われる。なぜならば、彼は、カフカへの深い畏敬の念にもかかわらず、ガルタを「仏陀や老子」と同一レベルに置く、彼を文字通り聖人化する文章は、『カフカ伝』の中では一箇所も引用していないからである。それどころか、『カフカ伝』に登場するカフカは、その精神的卓越性にもかかわらず、あくまでも人間的な欠点をそなえた一人の人間、悩み苦しむ人間であって、聖者などではない。彼が『カフカ伝』でカフカを比較している相手は、仏陀や老子ではなく、旧約聖書のヨブである。彼のそのほかのカフカ論では、比較の相手はトルストイである。ブロートはカフカ論の中では、カフカを「仏陀や老子」と比肩するような聖者に祭り上げてなどいないのである。

 それにもかかわらず、クンデラはなぜ「ガルタは私たちの時代の聖人である」という、ブロートが引用を避けた文章をあえて引っぱり出してくるのだろうか? それはクンデラが、ブロートはガルタ=カフカを性とは無縁の「去勢された」聖人へと歪曲した、と非難するためである。クンデラはこう述べる。

「《ガルタは私たちの時代の聖人、真の聖人である》。だが、聖人は売春宿に通ってもいいのだろうか? ブロートはカフカの日記を公刊したが、すこしばかり検閲した。彼は売春婦への言及ばかりではなく、性に関するところをすべて削除したのである。」(五五頁)

 『裏切られた遺言』において、クンデラはカフカを性の作家として新たに評価し直すことをもくろんでいる。彼の見方によると、カフカという作家の真の意義は性描写の実存的な新しさにある。ところが、現在一般的に流布しているカフカ像には、この要素が欠如している。カフカが性とは無縁の「去勢された聖者」にされたのは、日記を検閲した上、『愛の魔法の国』という小説で現実とは違うカフカ像を描き出したブロートの責任である――クンデラのブロートに対する主要な非難はこの点にある。

 もしブロートのカフカ像が『愛の魔法の国』という小説でしか描かれていなければ、クンデラの非難も正しかったかもしれない。しかし、先にも述べたように、『愛の魔法の国』をモデル小説と考え、ガルタとカフカを同一人物と見なすことには無理がある。ブロートのカフカ像はあくまで『カフカ伝』全体によって判断すべきである。ところが、クンデラの非難とは違って、『カフカ伝』に登場するカフカは性生活を営んでいるのだ。『カフカ伝』の中でブロートは、若いころカフカが「ハンジーという名前のワイン酒場の女給に夢中になっていたこと」や、旅先で複数の女性と肉体関係を持ったことや、「売春婦とホテルに行った」ことまで、カフカの手紙を引用しながらあけすけに述べて、「不純な女性関係は彼の三大長編小説やその他の作品の中に多くの痕跡を残している」とはっきりと認めている(9)。だが、このことはまさに、クンデラが彼の著書で論証したがっている論点の一つなのである。だから、『カフカ伝』を主要なターゲットにしたのでは、クンデラは、ブロートがカフカを「去勢した」、と非難できなくなる。この点を非難するためには、クンデラはどうしても『カフカ伝』ではなく、『愛の魔法の国』という、ガルタ=カフカが性と無縁の聖人として登場する作品を必要とする。つまり、『愛の魔法の国』という忘れられた小説は、クンデラの戦略上の必要性のために、忘却の淵からあらためて呼び出されることになったのである。

ブロートのカフカ論は今日のカフカ像の基底になっているか?

 『愛の魔法の国』という作品は、小説それ自体として読まれ、今日のカフカ像に影響を与えているわけではない。それでも、ブロートの小説に描かれたガルタ=聖人としてカフカというイメージは、彼の『カフカ伝』やその他の著作にも幾分かは入り込んでおり、その後のカフカ解釈に大きな影響を与えた、いわばブロートのカフカ論の原形がこのガルタである、だからこの小説を批判して聖人カフカという「小説的捏造」を破壊しておかなければならないのだ、とクンデラは言いたいのかもしれない。私はこのような主張であれば、それはそれなりに認めることができる。ブロートはたしかにカフカに関して一面的なイメージを作り上げたからである。

 クンデラが言うように、ブロートのこれらのカフカ論においては、「『愛の魔法の国』で素描されたイメージが確認され展開され」(五一頁)たと言えよう。『愛の魔法の国』のガルタが文字通りの聖人であるとしたら、『カフカ伝』その他のブロートのカフカ論に登場するカフカは、求道者あるいは宗教的人間と呼べるであろう。クンデラは、ブロートの四つのカフカ論に登場するカフカを「宗教思想家(der religiöse Denker)」と呼んでいる(五一頁)。彼は、聖人としてのカフカばかりではなく、ブロートのこのような宗教的解釈も全部ひっくるめて、「ガルタ」という名前で代表させたいのであろう。

 ではそのとき、ガルタという名前に象徴されるブロートのカフカ論、聖人あるいは宗教的思想家としてのカフカというイメージは、「今日多少なりともみなに共有されているカフカ像の基底」になっているというクンデラの主張は正しいと言えるであろうか? この命題は「多少なりとも」という程度に関する曖昧な表現と、「みな」というやはり指示対象が曖昧な語によって、きわめて曖昧である。「みな」というのは誰のことであろうか? 一般読者のことか、それとも世界中のカフカ研究者やドイツ文学研究者のことか、それともクンデラ自身も含むカフカを読みながら自分たちでも小説を執筆する作家たちのことか? 一般読者がどのようなカフカ像をいだいているかはアンケートでも取らないかぎり確認しようがないから、ここでは「みな」を、専門のカフカ研究者ばかりではなく、小説家や哲学者やエッセイストなどがこれまでカフカに関して繰り広げてきた言説、広い意味でのカフカ論と理解しておくことにしよう。

 カフカの死後、今日に至るまで七〇年間に行なわれたカフカ論の歴史の中で、ブロートのカフカ論が大きな影響を及ぼした一時期があったことは事実である。なんといっても、ブロートはカフカの原稿の所有者であり、編集者であり、もっとも親しい友人であり、そのような立場から一種の権威を自認したし、読者層も当初はそれを承認せざるをえなかったからである。しかし、ブロートのカフカ解釈はすぐに数々の批判に直面した――とくにカフカ学者たちの批判に。彼らはまずカフカのテクストに対するブロートの恣意的な取り扱いに痛烈な批判を向けた。カフカ学者たちのブロートへの批判は主として次の二点にあった。その第一はブロートがカフカのテクストにほどこした改竄であり、その第二はブロートがカフカに加えた宗教的解釈である。

 ブロートによるカフカ・テクストの改竄の疑惑は、戦後、カフカの名前が有名になるにしたがってすぐに現われてきた。その問題を最初に指摘したのは、著名なヘルダーリン学者であるフリードリヒ・バイスナーであった。彼は「物語作家フランツ・カフカ」(一九五二年)という論文で、『判決』の三つの版を比較対照し、ブロートの版がいかにいい加減なものであるかを明らかにした。一九一二年九月にカフカが一晩で書き上げた『判決』には、一九一三年に雑誌『アルカディア』に発表された版と、一九一六年に「最後の審判叢書」の一冊として出版された版の二つの版(正確に言えば、さらにこの叢書の第二版も含めると三つの異なった版)が存在するのであるが、これらは一応カフカ自身によって校正されオーサライズされた版である。これらの版をブロート編纂の全集版のテクストと比較したところ、ブロートはこの二つの版を適当にミックスして、さらには自分自身でもカフカの文章を適切と思われるものに「修正」していたことを、バイスナーは動かぬ証拠を突きつけて証明したのである。専門の文献学的訓練を受けたことがなく、自分自身は作家であるブロートのカフカ・テクストの扱い方はたしかに不注意であり、杜撰なものであった。カフカの生前に雑誌や本として出版されたテクストでさえこの有り様なのであるから、ましてや生前には出版されず、ブロートが原稿を管理していて、カフカ学者たちが近づくことができないその他の遺稿作品については、ブロートの編纂作業には当初から多大の疑惑の念が向けられた。ブロートがカフカのテクストになんらかの修正=検閲を加えたのではないか、という疑惑である。その後、とくに『審判』の章編成がはたしてブロート版の通りでよいのかという議論が持ち上がり、この点をめぐってブロートとカフカ学者たちの間で激しい論争が繰り広げられた。ブロートがカフカの日記のテクストを改竄したというクンデラの非難は、実はカフカ学者たちのブロートに対する第一の非難と基本的に同じなのである。

クンデラとカフカ学者の同質性

 ここで、カフカ学者たちのブロートへの第二の批判に移る前に少し寄り道をして、テクストへの忠実さを強調する点において、クンデラの批判とカフカ学者たちの批判がいかに同質のものであるかを示しておこう。クンデラは彼の著書の中で、カフカ作品のフランス語翻訳者たちがカフカの原文に対して行なった「裏切り」についても告発し、こう述べている。

「翻訳者にとって、最高権威とは作者の個人的な文体であるはずだ。しかし大部分の翻訳者たちは別の権威、すなわち《美しいフランス語》(美しいドイツ語、美しい英語等)、つまり中学・高校で教えられるようなフランス語(ドイツ語・英語等)の共通の文体という権威に従う。」(一二七頁)

 この学校的文体という理想に従って、翻訳者たちはたとえば原作における同一語の繰り返しを別の語で書き換えようとする傾向がある、とクンデラは指摘する。しかし、翻訳文をこのような学校的文体という理想に従って書き換えることは、原文の文体に対する裏切りなのだ。「いくらかの価値のあるどんな作者も《美しい文体》に違反するのであり、その違反の中にこそ彼の芸術の独創性(したがって存在理由)があるのだ。翻訳者の第一の努力はその違反の理解であるべきだろう」(一二八頁)。だから、同一語の繰り返しは繰り返しのまま原文に忠実に直訳されねばならない、とクンデラは主張する。

 だが、これと同じことを、クンデラが告発するカフカ学者の代表者バイスナーはブロートに向かって非難しているのである。前掲論文でバイスナーはこう述べている。

「編者〔ブロート〕は、自分の考えに従って初版の《読みやすさの度合い》を楽にする権限と、ときにはそうする義務さえ自分にあるつもりでいる。のちに彼はこうした介入を撤回したが、たとえば『審判』の第二版ではまだ、《句読、正書法、文章論的構造を一般のドイツ語用法と同じものにしようと努めた》のである〔……〕。彼は彼のあとがきのその前の文章で、カフカのドイツ語を正当にもJ・P・ヘーベルやクライストのドイツ語に比肩してはいるのだが、この詩的言語の《文章論的構造》をあえて侵害したというわけだ! 『審判』の第二版では初版とは違い、《多くの箇所において(それゆえ全部の箇所においてではない!)配語法および同じ文章における同一語の二度またはそれ以上の繰り返しは原文を正確に踏襲した》とブロートは報告しているが、これでは、ブロートの言う《一般のドイツ語用法》なるものが、学校教師流の味気ない正確さとさしたる相違がないのではないか、と邪推したくなる。」(10)

 クンデラのフランス語翻訳者たちに対する非難は、バイスナーのブロートに対する非難とまったく同じなのである。

ブロートの宗教的解釈への批判

 さて、カフカ学がブロートに加えた第二の批判も、クンデラのブロートに対する非難と同じで、彼の宗教的解釈に向けられている。ここでも証人としてバイスナーに登場してもらおう。

「ごく最近、カフカはただ――文字通り――《ただ諸宗教の信仰的背景からのみ理解されるべきである》と声高に主張されたばかりであるが〔これは宗教哲学者ハンス・ヨアヒム・シェップスのカフカ論のことをさしている〕、本当は、カフカを宗教的人間として扱うべきでもないのだ。〔……〕正当にもハインツ・ポーリツァーは、《真摯なカフカ研究》(したがって、ポーリツァーの意見によるとこれはいまだ存在していないことになる)の冒頭ではまず、詩的なものを《実存哲学、危機神学、精神分析学といった目下流行中の方言のひとつにあまりに安易に翻案すること》への断念が行なわれねばならない、と要求している。《あらゆるカフカ解釈の原=害》、すなわち浅薄な《翻案》、詩的なヴィジョンを《神学的ないしその他の暗号的概念によって》解読することは、彼、マックス・ブロートに始まるとする、ハインツ・ポーリツァーのブロートに対する非難はまじめに考えてみなければならないであろう。ポーリツァーによれば、ブロートは――すでに『城』の初版のあとがきにおいて――《フランツ・カフカの作品から標題音楽を作った》のである。そして実際のところ、あの宗教史学者〔シェップス〕の前掲の論文の中で、《小説『城』では、城(天)と村(人間界)との間の中間審級が決定的な役割を演じている》などという判で押したような文章を読まされて腹が立たないであろうか? すべてについてかくも迅速に答えを出すことを知っている恐るべき単純化を、これ以上行なうことはもはや不可能である。まるでこれでは、芸術の秘密のすべては、神学的ないしは哲学的教説をできるだけ風変わりで滑稽な物語へと暗号化することの中にあるかのようではないか!」(11)

 文学作品の「神学的、哲学的教説への翻案」を峻拒するバイスナーの姿勢は、文学の文学としての自律性を擁護しようとするクンデラの議論と少しもかわらない。そして、この「翻案」という「あらゆるカフカ解釈の原=害」の張本人をブロートに求める点においても両者は完全に一致する。つまり、クンデラの議論とカフカ学の議論とはその主要部分において同一なのである。ところがクンデラは、ブロートをカフカ学の創始者にすることによって、ブロートを切る刀でカフカ学をも切り捨てる。だが、クンデラのブロートへの非難の根拠がカフカ学のそれと同じである以上、クンデラのカフカ学批判には根拠がない。

葬り去られたブロート

 このようして、ブロートはすべてのカフカ学者の共通の敵、攻撃しても誰もそれに対する反論を心配する必要のない手軽な標的になった。カフカ学者の批判に直面して、ブロートはますます頑なに「宗教的思想家カフカ」という自説にこだわり、批判に耳を傾けようとはしなかった。当然のことであるが、ブロートの独断的なカフカ論は、次第にまともなカフカ学の議論の対象にならなくなっていった。それはブロートが生きていた時代でもそうであり、ブロートが死んでからはますますそうである(ブロートが死んだのは一九六八年)。『愛の魔法の国』が再刊されたところで、ブロートのカフカ論が復活するわけではないのである。今日のカフカ学者たちはいかなる意味でもブロートの『愛の魔法の国』や彼の書いた数多くのカフカ論をカフカ学の範疇に加えることを拒否するだろう、たとえブロートの著作――とくにその『カフカ伝』――を、伝記的事実を明らかにするための重要な資料として批判的に利用することがあっても。なぜなら、ブロートの著作には、あらゆる「学」の前提たるべき、執筆主体と執筆対象との間の客観的な距離がまさに見事なまでに完全に脱落しているからである。彼の著作においては、事実の記述と彼の主観的解釈とがまさに渾然一体となっている。『カフカ伝』の翻訳者である辻ひかる(王へんに星)氏は、ブロートの著書についてこう述べている。

……ブロートのカフカ伝は、同時にまた強烈な短所をも合わせもっている本である。必然的に半ばブロート自身の伝記ともなってしまっている本書は、この両者の関係について、まことによく語り得ているのは当然であるが、それと同時に、ブロートのカフカ観――それを色濃く、あまりにも色濃く反映しすぎてしまっているのだ。自分だけがよく知っていた人物、自分だけが当初からその価値を認めていた天才――こうした自信と愛着が災いして、ブロートはこの本でもっぱら自分の解釈を推しすすめようとする。その上さらにブロートは、本来的に論難を好む性格と思われる。つまりブロートの仲介者としての能力は、客観的な描写や論述によるというよりも、あえて言えば、思いこみよろしく対象に切り込み、これを愛したりあがめたりしながら擁護し、反論にはしゃにむに食ってかかって、我田引水にはまるで気づかないといった、党派性まるだしの主観的なものなのである。」(12)

このような著作をいかなる意味においても「学」と呼ぶことは不可能である。カフカ学者のブロートへの非難はまさにそこから生じている。カフカ学とはいわばブロートへの批判から生じたものであり、ブロートの批判者であったバイスナーこそカフカ学の本来の創始者と呼べるであろう。バイスナーはカフカ作品を神学的、哲学的、精神分析学的、マルクス主義的……という文学作品の外側にある言説システムから解釈することを拒否して、もっぱら文学作品としての固有の価値を論じようとした。これは文学作品の内在的解釈として知られるアプローチであり、この研究方向はカフカ研究の中で現在でも根強い一派を形成している。

 だが、クンデラに言わせれば、「カフカ学者たちはその創始者〔=ブロート〕と距離を置きたがるとはいえ、創始者が彼らのために確定した土壌のそとに出ることはけっしてない」のだそうである。ここでクンデラは、ブロートが「彼らのために確定した土壌」という隠喩を用いているが、この隠喩が何をさすのかは、はなはだ曖昧である。それはブロートが行なった宗教的解釈のことを意味しているか? カフカ作品を神学的、哲学的、精神分析学的、マルクス主義的……という文学作品の外側にある言説システムから解釈=「翻案」しようとする傾向のことか? それともカフカ作品をもっぱら彼の伝記的事実と結びつけて解釈しようとする実証主義的傾向か? 私はそれらの傾向が今日でもカフカをめぐる言説、いわゆるカフカ論の中に存在する、しかもかなり強く存在することを認めるのにやぶさかではないが、それがカフカ論のすべてだと言うならば、それはカフカ論の単純化であり、歪曲化である。ましてや、「聖人ガルタ」が「今日多少なりともみなに共有されているカフカ像の基底」になっているというクンデラの議論は、端的に誤りであると言わざるをえない。なぜなら、カフカを聖人あるいは肯定的な信仰者と解釈するブロートは、カフカ学によって完膚無きまでに批判され、非難され、そして今日ではすでにいわば完全に葬り去られているからである。

 私が不審に思わざるをえないのは、ブロートのカフカ論がすでにまともなカフカ研究の論議の対象にすらならない今の時代にあって、クンデラがわざわざ『愛の魔法の国』という忘れられた小説とともにブロートの時代遅れのカフカ論を引っぱり出し、それを厳しい批判の俎上に載せるのはなぜかということである。今日誰かが批判に値するとすれば、それはその人物が良きにつけ悪しきにつけなんらかのアクチュアリティを持っていなければならないはずである。ところが、ブロートのカフカ論にはそのようなアクチュアリティはまったくないのである。

カフカ学とは何か?

 そのようなことはクンデラは先刻ご承知なのであろう。そこで彼は、ブロートをカフカ学の創始者に祭り上げることによって、自分のブロート批判にアクチュアリティを付与しようと試みる。カフカ学なら現在でも大盛況で、この意味においてアクチュアリティは十分にある。本書におけるクンデラの主要な論点の一つは、カフカ学はまさにブロートに端を発しているために、その創始者と同じ弊をまぬがれておらず、カフカ文学の真の偉大さ(彼が「小説の歴史」の中で行なった美学的革新)をとらえそこねている、というものである(冒頭に掲げた論点(b))。彼のブロート批判は同時にカフカ学批判でもあるのだ。

 クンデラのカフカ学批判が根拠のないものであることはすでにかなり明らかになったと思うが、ここでは彼の議論をさらに細かく検討してみよう。クンデラはこう述べる。

「マックス・ブロートはカフカと彼の作品のイメージを創りだしたが、それと同時にカフカ学をも創りだした。カフカ学者たちはその創始者と距離を置きたがるとはいえ、創始者が彼らのために確定した土壌のそとに出ることはけっしてない。カフカ学はそのテクストの天文学的な量にもかかわらず、無限のヴァリエーションの形で、常に同じ言説、同じ思弁を展開し、その言説、思弁はだんだんカフカの作品から独立してゆき、自分で自分を養うほかはなくなっている。」(五二頁)

 まず用語の問題から始めよう。「カフカ学(Kafkologie)」と「カフカ学者(Kafkologe)」は、「カフカ研究(Kafka-Forschung)」や「カフカ研究者(Kafka-Forscher)」とはニュアンスの違った言葉である。それが指し示す対象(カフカに関する学問的研究、研究者)は同じものであるが、それに対する話者の評価が異なる。周知のように、カフカに関する学問的研究は膨大な数にのぼり、しかも年々量産され、どんなカフカの専門家でも、毎年書かれる世界中のカフカ関係のすべての論文や著書に目を通すことは不可能である。カフカ学とは、このようにあまりにも膨大で、あまりにも精緻な議論へと肥大化し、自己増殖したドイツ文学研究の一分野を皮肉を込めて指す用語である。私は「天文学的な量」に膨れ上がったカフカ学を皮肉るクンデラの指摘に共感をおぼえるものである。

 だが、この膨大なカフカ文献を目の前にして注意が必要である。クンデラによれば、カフカをめぐる言説すべてがカフカ学になるわけではないのだ。では、カフカ学とはいかなる言説か。クンデラはこれを次のように定義している。

「カフカについて書かれるものすべてが、カフカ学になるわけではない。それでは、カフカ学をどのように定義すればよいのだろうか? 一つの同語反復によってである。すなわちカフカ学とはカフカをカフカ学化するための言説、カフカをカフカ学化されたカフカに代える言説である、と。」(五三頁)

 ここでクンデラはまず、「カフカについて書かれるものすべてが、カフカ学になるわけではない」と注意深く記すことを忘れない。この文章によって彼が言外にほのめかしていることは、彼、クンデラがここでカフカについて書くものはカフカ学の範疇に入れられるべきではない、ということである。もし彼の文章までもカフカ学に含まれるのであるとすれば、彼はカフカ学を攻撃することによって自分自身を攻撃するという矛盾に陥ってしまうことになる。そこで、こうした自家撞着を避けるためにも、まずもって自分自身の言説をカフカ学から除外しておかなければならないわけである。

 その次に彼は、「カフカ学とはカフカをカフカ学化するための言説、カフカをカフカ学化されたカフカに代える言説である」と述べる。これは彼も言うように「同語反復」であって定義にはならないが、カフカ学とは要するにカフカの作品、あるいはカフカという文学者に関する「学(Wissenschaft)」の一種であるということであろう。カフカ学はそのようなものとして、文学作品あるいは文学者に関する学の一種、すなわち文芸学(Literaturwissenschaft)の一分野である。だが、クンデラは文芸学としてのカフカ学を否定しているのであろうか? もしそうであるならば、それはカフカ学の否定を通して、文芸学それ自体の否定につながるであろう。文学作品との関わりという営みにおいて、文芸学という学的なアプローチそのものが無用である、さらには文学それ自体の歪曲である、という立場も当然存在しうる。その場合、文学をめぐってなされる言説は、学的ならざる文芸批評、いわばいかに気のきいた感想を述べるかというという印象批評に限定されることになるであろう。その典型的な例が、「フランツ・カフカは私たちのために生き、そして苦しんだのだ!」(五三頁)という、クンデラが引用する一九六三年のローマン・カルストの、主体と客体との差を無視した感情的惑溺であって、その元祖がまさにブロートなのである。そしてまた、このような主観的感想文が文芸学の名でまかり通っていた時代があったことも事実である。だが、このような学的ならざる文章をカフカ学の、あるいは文芸学の典型的な言説として引用するならば、それはある意図をもった歪曲としか言いようがない。その上、クンデラが引用するのはいつでも今から三〇年以上も前のカフカ論であって、それによって現在のカフカ論を弾劾するのは公正とは言いがたい。今日、カフカに関してこのような文章を書くカフカ学者はおそらく一人も存在しないであろう。私に言わせれば、現在のカフカ研究の問題点は、ブロートやカルストが行なったようなカフカの「聖者化」や対象との感情的一体化にあるのではなく、むしろ議論の過度の精密化と抽象化にあるように思われる。この意味で、「カフカ学はそのテクストの天文学的な量にもかかわらず、無限のヴァリエーションの形で、常に同じ言説、同じ思弁を展開し、その言説、思弁はだんだんカフカの作品から独立してゆき、自分で自分を養うほかはなくなっている」というクンデラの指摘には、たしかに耳を傾けなければならないものがある。

クンデラのカフカ学批判は正しいか?

 クンデラ自身は自分のカフカ論をカフカ学から除外してはいるが、彼のエッセイそれ自体が単なる印象批評ではなく、そこにはかなり強引とはいえ一貫した論理の流れと論証、つまり学そのものの精神が存在している。クンデラはカフカをヨーロッパ文学史という大コンテクストの中で美学的に検討することを要求するが、文学に対するそのような美学的な考察それ自体がまさに文芸学の一分野である。クンデラがいかに否定しようが、クンデラの言説も立派にカフカ学なのである。ということは、クンデラが非難するのは実はカフカ学全体ではなく、その一部である、ということになるのだが、クンデラはカフカ学全体を味噌も糞もいっしょに否定しにかかるので、彼の議論はどうしても一方的な単純化と歪曲的な誇張に満ちてくることになるのである。

 彼は自分のカフカ学の定義が「同語反復」になることを避けるために、その次にはその特徴を次のようにあげている。これが彼が具体的に念頭に置いているカフカ学なのである。

(1) カフカ学はカフカの著作を、ヨーロッパ文学史という大きなコンテクストではなく、ほとんどもっぱら伝記というミクロなコンテクストで検討する。

(2) カフカ学者たちは、ブロートと同じように、カフカの伝記を聖者伝にしてしまう。

(3) カフカ学はカフカの作品の美学的な検討を等閑視する。カフカの哲学者との関係は研究されるが、他の小説家や詩人たちとの関係は無視される。そのため、小説よりも書簡や日記などの私的な著作が好んで引用される。

(4) カフカ学はカフカと現代芸術との関わりを無視する。

(5) カフカ学は文学批評(作品の美的な評価)ではなく、注釈学である。カフカ学は作品の中に、宗教的、哲学的な寓話しか見出さない(以上五三〜五五頁)。

 クンデラの主張が正しいかどうか、一つずつ検討してみよう。

(1) この命題は肯定することも否定することも難しいという意味において曖昧な命題である。なぜなら、「伝記的なミクロコンテクスト」を重視するカフカ研究が存在する――しかも数多く存在する――ことは事実であるが、それと同時に伝記的事実を無視する、あるいは伝記的事実によって作品を解釈することに反対するカフカ論もまた少なくないからである。クンデラはボワデッフル/アルベレスのカフカ論を例にあげているが、これはたしかにその種の伝記的事実に基づく評伝的カフカ論である。このカフカ論は一九六〇年にフランスで発表されたが(例によって今から三〇年以上前のカフカ論!)、この同じ年にやはりフランスでマルト・ロベールのすぐれた著作『カフカ』が刊行されている。ロベールのカフカ論は、付録として年譜的な短い伝記がついているとはいえ、ボワデッフル/アルベレスのカフカ論とは正反対に、その本論ではカフカを徹頭徹尾、伝記とは切り離して作品内在的に論じている。彼女の次のカフカ論『古きものと新しきもの』(一九六三年)は、カフカの『城』をセルバンテスの『ドン・キホーテ』と対比するという意欲的な試みを行なっている(ヨーロッパ文学史という大コンテクスト!)。今日でも読む価値のあるカフカ論は明らかにロベールの著書である。こちらを無視して、今日では意義を失ったボワデッフル/アルベレスのカフカ論をカフカ論の典型として引き合いに出すことは、明らかに不公正である。

(2) この命題も怪しい。カフカ学者たちはカフカ伝を「聖者伝」にしてしまう、とクンデラは主張するが、カフカを「仏陀や老子」と並ぶ文字通りの「聖者」にしたのは、無数のカフカ学者やカフカ論者がいる中でブロートただ一人であろう(それもカフカ論ではなく、小説の中でしただけだ)。だが、クンデラがいう「聖者」とは、どうやらそのような文字通りの意味ではなさそうなのだ。彼は「聖者伝」という言葉を拡張して用いて、「宗教的な聖者伝」のほかに、「孤独の殉教者カフカといった世俗的な聖者伝」、カフカは社会主義や共産主義のシンパだったという「極左的な聖者伝」などの「さまざまな種類の聖者伝」があると言う。「さまざまな種類」というにしてはあまりにも種類が少ないことはさておき、彼の「聖者」とは、論者にとって都合の良いイデオロギー・主張の体現者という意味のようである。そうであるならば、文学を文学としてもっぱらヨーロッパ文学史という大コンテクストの中でのみ書き、性描写に新境地を開いた小説家カフカというクンデラのカフカ像も、クンデラ版の「聖者伝」だと言えないこともない。下手な肖像画家が描く肖像画は、描き出されるべきモデルよりも、いつでも描いている画家自身に似てしまうというが、クンデラが描くカフカ像もクンデラ自身となんとよく似ていることか。

(3) この命題も怪しい。クンデラは、「ブロートにならって、カフカ学は一貫してカフカを審美的なものの領域から立ち退かせる。あるいは《宗教思想家》として、あるいは左翼においては《その理想の図書館が技師または機械操作者、そして法廷法律家たちの書物だけしか含まないような》(ドゥルーズ=ガタリのカフカ論)、芸術への異議申し立て者として」と述べる。ドゥルーズ/ガタリは、自分たちのカフカ論が「ブロートにならった」ものだなどと批判されたら、さぞかしびっくりすることだろうが、「カフカを審美的なものの領域から立ち退かせる」という点においては両者は同罪だ、とクンデラは言いたいのであろう。その主張は一応認めることとしよう。たしかにそういうカフカ論も多いのだから。だが、「カフカ学はカフカとキルケゴール、ニーチェ、神学者たちとの関係を飽くことなく調べるが、小説家や詩人たちは無視する」というその次の文章は間違いである。カフカと他の文学者たちとの影響関係の研究や比較研究は決して少なくない。ゲーテ、クライスト、E・T・A・ホフマン、ディケンズ、フローベール、ドストエフスキー、トルストイなどの古典的作家との関係ばかりではなく、ブロートがそんな対比に抗議したとクンデラが言うベケットや、さらにはデュレンマットやボルヘスなどの現代作家との対比研究も盛んに行なわれている。カフカ論のこうした多様性を無視して、伝記的なカフカ研究や神学的・哲学的なカフカ論のみによってカフカ学を代表させるのであれば、それは意図的な歪曲化である。クンデラは自分の独断的な論旨にあわないカフカ論はまったく目に入らないようなのである。彼はさらにその次にはガローディーのカフカ論――これも一九六三年という三〇年前のカフカ論である(クンデラはヤナーチェクのレコードを調べるためにはレコード店に行くのに、カフカ論を調べるためには、書店ではなく、図書館でできるだけ古い本を探すようである)――を例に、カフカ学では文学作品よりも書簡や日記のような私的な著作のほうが愛好される、と数字をあげて論じているが、これもガローディーの場合がそうだというのであって、それを一般化することは誤りであることは言うまでもない。先にはロベールのカフカ論を例としてあげたが、最近もあるカフカ学者はこう主張している。

「詩の国は詩人の国と一致しない。詩人のことがわかるからといって、それによって彼の詩のことがわかるというものではない。この二つの国に解釈学的諸学問が関心を持つのは正当なことだが、しかしそれは、それらの学問が詩人の人生のコンテクストと《詩》のコンテクストを混同しないかぎりでの話である。詩のコンテクストとは、テクスト自体の持つ特殊性《と》文学的伝統の中で作品が占める位置のことである。詩人の国が詩の国と等しいものでないならば、また実際等しいものではないのであるから、カフカ研究においてとくに蔓延しているもの、つまり《因果論的テクスト解釈》、すなわち詩人の人生とそのテクストとを《直接》互いに結びつけうるという誤った考えは厳禁されねばならない。」(13)

 クンデラの著書に出てきてもおかしくないようなこの文章は、カフカ研究においてはたしかに伝記的事実から作品を解釈する「因果論的テクスト解釈」が「蔓延している」ことを物語っているが、それと同時に、そうした解釈に反対するカフカ論の系譜(これはバイスナー以来のカフカ学の伝統である)も根強く存在することも示している。カフカ学とはこのような多様なアプローチの総体をいうのであって(そのためにカフカ学が「天文学的な量」に膨れ上がっているのだ)、その一部を取り上げて全体を弾劾するというのでは、まったく「ためにする議論」と言うほかはない。

(4) 「カフカ学は現代芸術の存在を無視する、あたかもカフカがいずれも同じように一八八〇年と一八八三年のあいだに生まれたストラヴィンスキー、ウェーベルン、バルトーク、アポリネール、ムージル、ジョイス、ピカソ、ブラックらの偉大な変革者たちの世代に属していないとでもいうように」とクンデラは言う。だが、カフカを現代芸術、現代文学の最大の変革者の一人と考えないようなカフカ研究者がいるであろうか? もっとも、カフカをクンデラがあげるような芸術の他の分野の「偉大な変革者たち」と並べて論ずるということは、カフカ学はたしかにあまり熱心ではなかったかもしれない(ただし、ムージルやジョイスのような文学者との比較研究なら存在する)。しかし、カフカをストラヴィンスキーやヤナーチェクのような音楽家、ピカソのような画家と対比して「現代芸術」という枠の中で論ずることをカフカ学に要求しても、それはない物ねだりではなかろうか。そんなことができるのは、クンデラのように現代芸術のさまざまな分野に通暁した偉大な批評家か芸術家だけである。文芸学というものはその性格からして、どうしても重箱の隅を突っついたものになりがちである。だからこそ、文芸学的な地道な研究と並んで、奔放な想像力と鋭い洞察力に支えられた学的ならざる文学批評がその存在意義を獲得するのである。このような文学批評を行なっているクンデラの著書は、たしかにカフカ論の中でも異彩を放っており、その議論の一面性と事実の歪曲化にもかかわらず、私もその価値を大いに認めたいと思う。

(5) カフカ学は文学批評(作品の美的な評価)ではなく、注釈学である――この命題は多くのカフカ研究において妥当する。しかし、だからどうだというのだろうか。文芸学と文学批評との相違は上で述べたとおりである。そしてまた、カフカ学は作品の中に宗教的、哲学的な寓話しか見出さない、というクンデラの批判も多くのカフカ研究に妥当するだろう。しかし、ここでも一般化は間違っている。何度も述べてきたように、カフカ作品に文学外的な寓話を見る解釈に反対する研究もカフカ学の中の強い一支流なのである。今日では、ブロート流の素朴な寓話的解釈を行なうカフカ学者は僅少であろう。

 ただし、ここであえて私見を述べさせてもらえば、いくつかのカフカ作品には寓話的要素が含まれていることは否定できないように思われる。私がいう寓話性とは、ブロートやシェップスをはじめとする過去のカフカ論者が行なったような、解釈者自身の宗教的・哲学的な言説システムが先にあって、カフカの作品をそれに当てはめて解釈するという単純な「翻案」作業の可能性のことではない。寓話(アレゴリー)とは、そのギリシア語の原義に戻るならば、「比喩的に語る」ということであるが、カフカがある事態を別の形象を用いて比喩的に物語っていることはたしかである。たとえば『万里の長城が築かれたとき』や『ある犬の探究』や『歌姫ヨゼフィーネ』などの作品を、ユダヤ民族の歴史と現状およびそれに対するカフカ自身の態度をめぐる一種の寓話として解釈する方向は、いくつかのカフカ論の中できわめて強い説得力をもって提示されている(14)。このような寓話性を見出すためには、あとでも述べるように、カフカ作品を個人的伝記というミニ・コンテクストでもなく、またクンデラ流の普遍的ヨーロッパ文学史という大コンテクストでもない、一種中間的なコンテクストにおいて考察することが必要なのである。

ブロートの改竄の罪

 次に冒頭にあげたクンデラの論点(c)に移ろう。

 ブロートがカフカのテクストを改竄したこと――これはクンデラばかりではなく、カフカ学者も許すことのできない罪である。この罪を非難する点においては、クンデラもカフカ学者も同じ立場に立っている。ブロートの改竄に対するバイスナーの非難はすでに上で見た。クンデラは日記の性にかかわる箇所の削除をあげているが、ここではさらに別の箇所におけるブロートの改竄の手口を紹介しよう。それはカフカがチューラウというボヘミアの農村で結核静養中に書いたノートの一節である。ブロート版全集によれば、そのノートには次のような文章が書かれている。

「家の守り神に対する信仰より愉快なものがあろうか!

 それは真の認識の下を綱くぐりして、子供っぽくうれしそうに立ち上がることである。」(15)

 このノートには短かな思索的文章=アフォリズムが次々と書かれているが、段落と空白行によって区別されるアフォリズムは相互の関連がない場合が多い。注意してほしいのは、ブロート版では二つの文章が切り離され、その間に空白行が置かれていることである。そのことによって、この二つのアフォリズムが互いに無関係であるような印象が生じている。ところが、最近刊行された原典批判版全集によれば、このアフォリズムの本来の形は、

「家の守り神に対する信仰より愉快なものがあろうか――それは真の認識の下を綱くぐりして、子供っぽくうれしそうに立ち上がることである!」(16)

となっているのである。つまり、これは無関係な二篇のアフォリズムではなく、まとまった一篇のアフォリズムなのであった。ブロート版と原典批判版ではアフォリズムの意味が大きく異なってくる。ブロート版では「それ」が何を指すか明白ではない。原文では「それ」は「家の守り神に対する信仰」である。ブロート版では信仰は文字通り「愉快なもの」として肯定される。原文では「愉快なもの」という語は皮肉な意味で使われている。ブロートの改竄の意図は明白である。ブロートは神を信ずる信仰者であった。そして彼は友人カフカも肯定的な信仰をもった宗教思想家として描き出したかった。そのカフカが神信仰を嘲笑するようなアフォリズムを書くとはブロートは信じたくなかった。そこで彼は、カフカのアフォリズムの文言それ自体は変更することなく、二つの文章を切り離すことによって、このアフォリズムが持つように見える信仰否定的な印象を弱めようとしたのである(17)。ブロート編纂の全集には、バイスナーが指摘したような単なる杜撰さによるオリジナル・テクストからの逸脱ばかりではなく、このような意図的と思える改竄も少なくない。彼が日記の例の箇所を削除したのも同じ意図からであることは明白である。この点において、ブロートの行為にはいかなる弁解の余地もない。

プライバシーの侵害

 しかし、この問題を非難するに際して、クンデラの議論にはある種の矛盾が含まれているように思われる。私は、クンデラがブロートの改竄を非難するとき、なぜ無神経にもカフカの日記の、しかも性にかかわる箇所を引用してはばかることがないのかが理解できない。なぜなら、クンデラが彼の著書で主張している重要な論点の一つは、作家の私生活や著作権をもっと尊重せよということで、彼はそのような立場から、日記や書簡といったプライベートな文書まで公刊したブロートを非難しているからである(論点(d))。だが、ブロートがカフカの性にかかわる箇所を公表しなかったのは、友人の性生活を人目にさらしたくないという、彼なりのプライバシーへの配慮からのことであろう。ところが、日記の公刊に反対するクンデラは、ブロートでさえ遠慮して隠した箇所をわざわざ引っぱり出してくるのだ。これはカフカの私生活への侵犯ではないのだろうか? カフカはもう死者だから何をしてもかまわないのか? だが、クンデラがこの著書で主張していることは、死んだ著者の意志とそのプライバシーの尊重ではなかったのか?

 いわゆる実証的カフカ研究者がこのような箇所をあげつらって、カフカは性的不能者ではなかった、ということを論証してみせようというのなら話はわかる。彼らはどのみち人間カフカの実像を追い求めて、カフカの文学作品すらも彼の人生を解明するための材料としか見ないのであるから。だが、クンデラの批判はそのような伝記還元主義的な文学研究の方法に向けられていたはずである。ところが、ここで彼が採用しているのは、まさに彼自身が批判している方法そのものなのである。彼はまず例の日記の箇所をあげて、カフカが売春宿に通ったらしいことを示し(18)、ブロートが作り上げた「去勢された聖人カフカ」像を破壊する。そして、その次には、ブロートのエロティックな想像力は「良家の既婚夫人」というロマンティックな源泉から由来するのに対し、カフカのそれは「下層階級の女たち」に由来し、この相違のために、ブロートはロマン主義者になったが、カフカは反ロマン主義者になった、と述べる(五六〜五七頁)。私はクンデラの議論は基本的に正しいと思う。だから、彼の議論の内容それ自体を否定するのではない。私はただ、彼の議論は、彼自身が否定しているはずの、伝記によって文学作品を説明するカフカ学そのものの議論だ、ということを指摘したいだけである。彼が伝記と作品との混同を行なうカフカ学を非難し、カフカ学が見過ごしてきたカフカ文学の性のポエジーを強調したいのであれば、あくまでもカフカの文学作品だけを素材にしてそれを論じるべきなのである。ところが彼は、人間カフカを性の作家というクンデラ版の「聖人」に近づけるために、カフカのプライベートな文書まで引き合いに出すのである。

 作家のプライバシーの尊重という観点から、カフカのみならず、すべての作家の日記や書簡はいっさい公表すべきでないかどうか――これは大いに議論の余地がある案件であろう。ここではそうした問題に立ち入ることはしないが、カフカ自身は他の作家の日記や書簡というプライバシーに触れる文書を読むことを大変好んだ、ということは指摘しておこう。彼はヘッベルの日記、キルケゴールの日記、トルストイの日記、ゴッホの書簡集などを熱心に読んでいる。それは別にのぞき見趣味からの関心ではなく、彼はこれらの作家の人生のなまの記録に、自分自身の人生問題との関連を見ていたのである。さらにまた、彼は文学作品をしばしばその作家の人生問題と関連づけて解釈することも好んだ。彼はキルケゴールの哲学書にキルケゴールの結婚問題の反映を見出している。彼はブロートの小説の多くはブロートの人生問題の反映だと見なしている。カフカ自身が、文学作品を作家の伝記という「ミニ・ミニ・ミニ・コンテクスト」(三一〇頁)の中で読むという、きわめて「カフカ学的」な読み方をしていたとも言えるのである。

ブロートはカフカの付録か?

 結論的に述べるならば、私はクンデラのカフカ/ブロート論に、これまでのカフカ学の議論とは違った本質的に新しい論点は何も見出せなかった。新しく見える点といえば、彼がカフカ学が問題にさえしていない『愛の魔法の国』という忘れられた小説を引っぱり出してきてブロートを非難していることと、ブロートをカフカ学の創始者に祭り上げて、ブロートに対する非難をそのままカフカ学にも向けていることである。『愛の魔法の国』について言えば、もしクンデラがこの小説のことをもち出さず、ただブロートのカフカ論を批判しただけであれば、それはこれまでのカフカ学者によるブロート批判の二番煎じ以上の印象を与えることはできなかったであろう。自分のブロート批判になんらかの新味を持たせるために、彼は誰も読んでいないようなこの作品に言及しなければならなかったのであろう。それにこの小説はクンデラの主張を裏づけるのに絶好の美学的に二流の作品であった。だが、そのようにして展開された彼のブロート批判の内容は、これまでのカフカ学のブロート批判とほとんど同じである。また、彼のカフカ学批判に関して言えば、それは三〇年前のカフカ論批判であり、きわめて一面的である。

 ところで、まず最初にブロートを槍玉にあげ、その次にその他のカフカ論を批判し、しかるのちにおもむろに自分のカフカ論を展開するという論法は、ポーリツァーやバイスナーなどをはじめとして、一時期行なわれたカフカ論の典型的な手法なのである。谷口茂氏は「彼〔ブロート〕のカフカ解釈の極端さと、その解釈に基づくカフカ全集編集の身勝手さや杜撰さを非難することによって終るブロート評価の仕事は、いまや殆どすべてのカフカ論考の開始の儀式と化しているほどである」と述べている(19)。この意味でも、クンデラの議論は典型的なカフカ学なのである。ただし、今日のカフカ論はブロート非難の儀式をもはや行ないさえしないのであるが。

 もっとも、最初にも述べたように、クンデラの著書は本来カフカ論でもなければブロート論でもない。本書は、芸術の芸術としての自律性、小説の小説としての独立性を擁護し、小説という芸術ジャンルをあくまでもヨーロッパ文学史という「大コンテクスト」の中で考察するように呼びかける芸術論である。この芸術論の文脈の中で、小説の美学的価値からの逸脱・離反・裏切りの例として、ブロートのカフカのテクストに対する態度が引用されているわけである。だがしかし、そのような議論のためにクンデラによって呼び出されたカフカとブロートは、まさに従来からカフカ学の中で語りつくされ、ほとんどステレオタイプ化されたカフカ/ブロート伝説を再強化し、定着するという以外の効果を持っていない。言い換えれば、クンデラは彼の芸術論をこのステレオタイプに寄りかかって展開しているのである。私がクンデラのカフカ/ブロート論でもっとも不満なのはこの点なのである。

 この伝説の内容を要約するならばこういうことである――ブロートはカフカの友人であり、カフカの遺言不執行人であり、カフカの作品の杜撰な編集者・意図的な改竄者であり、カフカの伝記作家であり、カフカ作品の独断的な解釈者である、要するにカフカという本体に付属した付録、どちらかというと余計な付録である。こうした見解を私はあえて通俗的伝説と呼びたい――その伝説を作り上げた張本人がブロートその人であるとしても。過去のカフカ/ブロート論は常にこの伝説の繰り返しであった。クンデラが自分の議論をどれほどカフカ学から「距離を置きたがるとはいえ」、それさえもカフカ学が作り上げた伝説を踏襲しているだけなのである。そのことによってクンデラはまさに「ブロートが彼のために確定した土壌のそとに出ることはけっしてない」。この意味において、彼もまた今なおブロート伝説に呪縛されている、と言えるのである。

 もちろん、この通俗的伝説はそれ自体で間違いではない。しかし、私が問題にしたいのは、そうしたあまりにも有名な伝説の陰に隠れて、ある重要な事実が見落とされてしまってきたということである。それは、ブロートはただカフカの友人・カフカ作品の編集者・カフカの独断的な解釈者、つまりカフカの付録だけではなかった、という当たり前の事実である。ブロートもまたカフカと同じく一人の作家であり、さらに宗教哲学者でもあった。彼の作品はカフカのそれと比較すればたしかに二流であり、どうしようもなく甘ったるい。だが、カフカと比較して見劣りがしないような二〇世紀作家がそれほどたくさんいるとも思えない。ブロートの散文をカフカのそれと比較するのはあまりにも酷というものである。

「西ユダヤ的時代」の歴史的資料

 ブロートは数多くの作品を書いたが、彼の作品それ自体はカフカほどの大きな今日的な意義を持たないであろう。この意味でブロートが作家であることが忘れられたことは理解できる(作家であることが思い出されるとしても、せいぜい悪名高き『愛の魔法の国』によってでしかない!)。しかし、カフカ研究においては、ブロートの作品は忘却することのできない重要性を持っているのだ。カフカにとってブロートは、友人であったばかりではなく、いわば文学上のライバルでさえあった。カフカがまだ無名であったころ、ブロートはすでに大出版社から何冊もの本を出し、『ノイエ・ルントシャウ』のような一流雑誌に文芸批評を発表していた売れっ子作家であった。カフカはブロートの作品すべてを――もちろんカフカの生前に発表されたものだけだが――熱心に、そしておそらくは多少の妬みの気持ちが入り交じった賛嘆とともに読んだ(20)。カフカのような大作家がブロートのような二流作家の作品を賞賛することは不可解なことであろうか? それが不可解に思えるのは、私たちが現在という視点から両者を比較しているからである。彼らが生きていた時点では、両者の文学的関係は本体とその付録という関係ではなかった。カフカは自分の作品にブロートの作品によって影響された部分があることを認めてさえいる。一九一二年に『判決』を書いたとき、カフカは日記の中で自分の作品に対する影響源を数え上げているが、その中にはブロートの『アルノルト・ベーア』(一九一二年)も含まれている。この小説は、人生の目的を見失った若い西欧ユダヤ知識人が、ユダヤの伝統と接触することによって、生への意欲を再発見してゆく過程を描いた一種の教養小説である。もちろんこの小説の主人公のモデルは、のちにシオニストになるブロート自身である。

 ブロートはシオニストとしての立場から、カフカを宗教思想家としてばかりではなく、シオニストとしても描き出そうとした。カフカを積極的なシオニストと見るブロートの解釈は例によって偏向しているが、カフカがシオニズムと微妙な関係にあり、それが彼の執筆にも影響を与えていたことは事実である。その証拠としては、彼が『ジャッカルとアラビア人』と『学会への報告』を『二つの動物物語』という共通の題のもとで、マルティン・ブーバー主催のシオニズムの雑誌『ユダヤ人』に発表したことをあげるだけで十分であろう。ところが、カフカをもっぱら言語芸術家として見ようとするドイツの文芸学者、とくにバイスナーに端を発する作品内在的解釈派は、カフカ作品の宗教的解釈ばかりではなく、そのユダヤ問題との関連をも黙殺した。彼らにとっては、ブロートが憎ければ、彼の主張のすべてが誤りなのである。だが、彼らのブロートに対する一見学術的な非難の背後には、谷口氏が鋭く指摘しているように、実はドイツ人とユダヤ人の間の「血腥いドラマが渦巻いて」(21)いたことも事実であると思われる。しかし、今日のカフカ研究は、過去のカフカ学が避けてきたカフカとユダヤ問題の関連を積極的に解明しようと試みている。カフカに対するこのようなアプローチは、時代や社会背景なども含めた広い意味での伝記的研究の一種である。

 クンデラは、これまでカフカがもっぱら「フェリーツェ、父親、ミレーナ、ドーラ」という伝記的な「ミニ・ミニ・ミニ・コンテクスト」で論じられてきた、と言う(三一〇頁)。それに対して彼は、カフカをヨーロッパ文学という大コンテクストに位置づけることを要求する。これは正当な要求である。ところが、個人的伝記というミニ・コンテクストと、ヨーロッパ文学という普遍的な大コンテクストの間には、もう一つ中間的なとでも呼べるコンテクストも存在するのだ。それはカフカが生きた時代、彼が生きたプラハという都市、彼が読み、影響を受け、そして批判的に克服しようとした作家たち、さらには彼のユダヤ人としての存在などというコンテクストである。今日のカフカ研究はこのようなコンテクストの解明に力を注いでいる。だが、クンデラは中間的コンテクストを一気に飛び越えて大コンテクストにたどり着き、そこからそれよりも小さな(と彼が考える)コンテクストにこだわるカフカ学者たちを見おろし、罵倒する。しかし、こういう中間的コンテクストは、カフカ文学の理解のためにどうでもいい問題なのだろうか? 目を対象に近づけすぎると、細部ばかりを見て全体を見失うし、あまりにも遠方から眺めると、全体的輪郭はわかっても、細部が見えなくなる。遠近二つの視点の間の中間的距離から見えるものもたしかに存在するにちがいないのである。私には、カフカとブロートの関係も、この中間的コンテクストに含まれる問題であるように思われる。クンデラ流の大コンテクストからのみ眺めれば、ブロートは歯牙にもかからない二流、三流の文学者というレッテルを貼っておしまいにされるだけである。しかし、両者を同じ歴史的コンテクストにおいて考察すれば、そこからは別のカフカ/ブロート関係が見えてくる。

 カフカとブロートは同じプラハに生まれた一歳違いのユダヤ人であった(カフカが一歳年長)。カフカの父は周知のようにプラハの中心部に店を構える商人であり、ブロートの父は銀行家であった。二人の父はともにユダヤの伝統から離れ、ドイツ語文化圏への同化を志向していた。このため二人の息子は民族的伝統から切り離され、西欧文明に同化し、しかもチェコ人大衆に取りまかれたプラハの町で、ドイツ語を母語とするユダヤ人として生きた。両者は自分たちが生きる複雑な状況の中で、同じ困難な文明的・民族的問題に直面し、その状況の中で執筆した。だから、両者の文学作品は共通の問題に対する異なった文学的応答の試みとして読むこともできるのである――たとえ彼らの作品の美学的価値に雲泥の差があったとしても。

 彼らの作品傾向は彼らの資質の相違に応じてかなり異なっている。どちらかというと受動的・女性的な性格のカフカに対して、ブロートは能動的・男性的で、文学上の論争や政治問題では戦闘的でさえあったが、そのような性格上の相違が両者を友人として結びつけたのである。一九八九年に公刊された『カフカ/ブロート往復書簡集』は、これまではブロートの『カフカ伝』やカフカの『書簡集』(カフカの手紙しか掲載されていない)から間接的にしかわからなかった両者の交友関係が手に取るようにわかる貴重な資料である。この書簡集の中で、両者は彼らの直面する問題について相手に助言を求めたり、忌憚のない意見を交わしたりしている。その文脈の中で、ブロートの作品もしばしば論議されている。それらの作品には、ブロートの個人的な問題が反映していると同時に、西欧のユダヤ人問題に対するブロートの見解も示されている。そのような作品はカフカにとっても深い関心を呼び起こすものであった。だから、もし今日ブロートの作品に言及するのであれば、カフカの死後にブロートが書き始めたカフカ解釈=カフカ伝説よりも、カフカの生存中にブロートが書いて、それについてカフカが興味深いコメントを残しているブロートの作品を論ずるべきなのである。カフカはたとえばブロートの『大いなる敢行』の主人公ドクトル・アスコナスを「われわれの西ユダヤ的時代」の典型的人物と呼び、さらにこう語っている。

「この意味で、つまり社会精神的とでもいった意味で、この小説はおそろしくあからさまな言葉であり、もしそうであるとすれば、遠くに影響を及ぼす間にはじめて、その本来の意義を明らかにするだろう。こうした確認、時代との比肩以上のものではそれはないかもしれないが、それでもそれは大いなる開始ともなりうるのだ。僕たち〔カフカと友人オスカー・バウム〕は最初のふた晩、この小説について、あれこれのことを証明するために用いる歴史的資料のように語り合った。」(22)

 この評言が興味深いのは、カフカは別の箇所で自分のことを「もっとも西ユダヤ的な人間」と呼んでいるからである。彼はミレナにこう書いている。

「私たちは二人とも西ユダヤ人のきわめて特徴的な典型を何人も知っていますが、私の知るかぎり、私は彼らの中でもっとも西ユダヤ的な人間です。というのは、誇張して言えば、私には一刻たりとも安らかな時間が与えられていないということです。私には何一つ与えられているものはなく、すべてを自分で獲得しなければならないのです。現在や未来だけではありません。過去すらもそうなのであり、どんな人間でもおそらく生まれながらに持っているもの、それすら自分で獲得しなければならないのです。」(23)

 カフカの文学もブロートの作品も、「われわれの西ユダヤ的時代」に関する「歴史的資料のように」読めるのである。それが唯一の読み方であると主張するつもりは毛頭ないが、そのような読み方によって、これまでの通俗的なカフカ/ブロート伝説では見落とされてきた重要な問題が見えてくることだけはたしかなのである。

(1)  以下においてもクンデラからの引用は西永氏の翻訳に依拠する。

(2)  この小説が出版されたのは一九二八年であるから、「カフカの死後ただちにマックス・ブロートによって書かれ、一九二六年に出版された」というクンデラの記述は誤りである。

(3)  西永氏は《Nowy》を「ノウィー」としておられるが、ブロートは作品の中で、《w》の発音はドイツ語式だとして、この名前の読み方を「ノヴィ」と紹介している。Max Brod, Zauberreich der Liebe, Berlin/Wien/Leipzig 1928, S. 14.

(4)  Hartmut Binder, Kafka in neuer Sicht, Stuttgart 1976, S. 58, 438, 451.

(5)  Max Brod, Über Franz Kafka, Frankfurt/M. 1966, S.61. ブロート『フランツ・カフカ』辻・林部・坂本訳、みすず書房七一頁。以下ではこの著作のことは『カフカ伝』と略称する。ただし、原文に基づいて訳文は変更してある。邦訳文献については以下同様。ブロートは『カフカ伝』の五カ所でこの小説に言及したり、作品から引用したりしている。あとの四カ所は、S. 54, S. 62-64, S. 72, S. 109f.(邦訳の六二頁、七二〜七五頁、八五〜八六頁、一三七〜一三九頁)である。

(6)  自分の作品や、印刷もされていない自分の日記からさえも引用するのは、ブロートの癖であって、『カフカ伝』では『愛の魔法の国』のほかに『シュテファン・ロット』からもときどき引用している。

(7)  Gero von Wilpert, Sachwörterbuch der Literatur, Stuttgart 1979, S. 731.

(8)  ブロートの文学的・哲学的発展については、拙稿 Die Problematik der Willensfreiheit bei Kafka und Brod東京大学教養学部外国語科研究紀要第三五巻第一号、一九八八年を参照されたい。

(9)  Über Franz Kafka, S. 104-106. 『カフカ伝』、一三〇〜一三三頁。

(10)  Friedrich Beißner, Der Erzähler Franz Kafka, Frankfurt/M. 1983, S.47f. バイスナー『物語作者フランツ・カフカ』粉川哲夫訳、せりか書房一三〜一四頁。

(11)  A. a. O., S. 21f. バイスナー、前掲書、九〜一〇頁。

(12)  『カフカ伝』、三四四〜三四五頁。

(13)  Chris Bezzel, Mythisierung und poetische Textform bei Franz Kafka, in: Grözinger/Mosés/Zimmermann, Kafka und das Judentum, Frankfurt/M. 1987, S. 193. ベッツェル「フランツ・カフカにおける神話化と詩的作品形式」、グレーツィンガー他『カフカとユダヤ性』(清水健次他訳、教育開発研究所)、二九九〜三〇〇頁。

(14)  たとえばマルト・ロベールの『カフカのように孤独に』(人文書院、一九八五年)がそうである。作品内在的解釈から出発したロベールが、広い意味での伝記的研究の成果を積極的に取り入れるようになったのは興味深いことである。

(15)  Franz Kafka, Hochzeitsvorbereitungen auf dem Lande und andere Prosa aus dem Nachlaß, 7.-9. Tausend, Frankfurt/M. 1966, S. 96. 決定版カフカ全集第三巻、七三頁。

(16)  Franz Kafka, Nachgelassene Schriften und Fragmente II. Kritische Ausgabe, Frankfurt/M. 1992, S. 65.

(17)  すでにリチャード・グレイが同じことを指摘している。Richard T. Gray, Constructive Destruction, Tübingen 1987, p. 230.

(18)  クンデラが引用する(五六頁)「私は恋人の家の前を通るように売春宿の前を通った」という文章は、原典批判版全集の『日記』ではもちろん復活されている(Franz Kafka, Tagebücher. Kritische Ausgabe, Frankfurt/M. 1990, S. 13.)。この日記の記述は、クンデラが書いているように一九一〇年のものではなく、原典批判版の編集者によって一九〇九年と推定されている。ところで、この文章は本当にカフカ自身の生活の記述なのであろうか? カフカの日記は、単に通常の日記としての機能以外に、文学的創作ノートの性格も持っている。この文章は私にはむしろ文学的な表現練習のように思われる。クンデラが、カフカは売春宿に通ったということを主張したいのであれば、事実か創作かわからないこの文章よりも、ブロートの『カフカ伝』を引用するべきであろう。

(19)  谷口茂『フランツ・カフカ論――ユーデントゥームとの関係を中心に』(明星大学出版部)、七頁。

(20)  ただし時おりカフカは、自分のブロートに対する過大評価が彼のブロートへの友情に発するものであることを意識している(Franz Kafka, Briefe an Felice. Hrsg. von E. Heller und J. Born, Frankfurt/M. 1967, S. 300. 決定版カフカ全集第一〇巻、二七三頁)。

(21)  谷口茂、前掲書、一四頁。

(22)  Brod/Kafka, Eine Freundschaft. Briefwechsel. Hrsg. von Malcolm Pasley, Frankfurt/M. 1989, S. 227. 決定版カフカ全集第九巻、二四六頁。

(23)  Franz Kafka, Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe. Hrsg. von J. Born und M. Müller, Frankfurt/M. 1983, S. 294. 決定版カフカ全集第八巻、一九〇頁。

 

inserted by FC2 system