民族統合の空虚なる記号

――カフカの『万里の長城』における「皇帝」の形象――

中澤英雄

    曖昧な制度

 フランツ・カフカの『万里の長城が築かれたとき』という作品は、長城建設、謎めいた指導部、そして皇帝という古代中国を統一している三つの「社会的装置」に関する語り手の考察から成り立っている。拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」(1)は長城建設について、「ユダヤの非合理的な伝承」(2)は指導部について、それぞれカフカのシオニズムとの対決という視点から考察を試みたのであったが、本稿では同作品の残された皇帝の問題について論じてみたい。

 形式面から見れば、『万里の長城』は、長城建設ならびにそれとの関連で指導部について論じられている前半部と、皇帝について語られている後半部という二つの部分から構成されているが、この二つの部分は相互に独立していて、明確に区別できる。作品前半部では、「皇帝」という語は、カフカによって抹消されて、原典批判版では異稿扱いされている次の一カ所に出てくるだけである。

「尊敬すべき、[しかし]無邪気な皇帝陛下も、ご自分がその指令〔=長城建設の指令〕を出したものだと信じておられた。工事に従事しているわれわれは、そうではないことを知っているが、口には出さないだけなのだ。」(A 293<62>) (3)

前半部の最後の文章であるこの文章に続いて作品は、

「私は、すでに部分的には長城建設が行なわれていた最中から、またそのあとずっと今日にいたるまで、ほとんどもっぱら比較民族史の研究に従事してきた。ある種の問題はこの方法によってしか急所をおさえられないのである。そしてそのとき私は、われわれ中国人が有している民族的、国家的諸制度は、ある種のものは明晰無比であるが、また別のものは曖昧無比であるということを発見したのである。とくに後者の曖昧な現象の理由を究明することは、いつも私の興味をそそってきたし、今でもそそっている。そして、長城建設もこの問題と大いに関連しているのである。」(348 <62>)

という中間的考察をへて、次に皇帝についての考察である後半部へと移行してゆく。この後半部においては、今度は「長城建設」という語は、

「とくに長城建設のときには、感じやすい私は、多くの人々を材料にして、ほとんどすべての州の人々の魂を旅する機会を得たのであった。」(355<67>)

という箇所に一度出てくるだけである。さらにまたこの後半部では、「指導部」という語は一度も出てこない。前半部では皇帝の問題が扱われなかったのとは対照的に、後半部では長城建設と指導部の問題はすっかり消えてしまったように見える。

 このように、長城建設および指導部に関する前半部の記述と、皇帝に関する後半部の記述は、相互に無関係な独立した二つの部分となっており、前半部から後半部への移行は明白に一種の転調と感じられる。「比較民族史」に関する中間考察は、このような移行を滑らかにするための仕掛けとして挿入されているわけである。それにもかかわらず、前半部と後半部との間には有機的な統一性は感じられない。分裂しそうになる二つの部分をかろうじて一つの作品につなぎ止めているのは、古代中国という作品の舞台装置だけである。

 すでに二つの拙稿でも明らかにしたように、『万里の長城』はユーデントゥームの歴史と現状を取り扱うアレゴリー的な性格の作品であり、そこでは「ユダヤ人」という語が「中国人」という語によってすっかり置き換えられているのであった。作品の前半部は、長城建築=ユダヤ人国家の建設というきわめて時局的な問題を扱っていたのであるが、後半部は「皇帝」と、この皇帝によって成立している「帝国(帝制)」に関する語り手の考察によって占められている。前半部と後半部はやや性格を異にしているとはいえ、中間考察部における「比較民族史」への言及は、後半部もまたやはり「民族」の問題、ということは、カフカにあってはユダヤ民族の問題に照準をすえていることを暗示している。だとすれば、作品後半部の皇帝と帝国という形象も、文字通りの古代中国の皇帝と帝国ではなく、ユダヤ問題との関連において解読されるべき別の何ものかを指し示す隠喩である、と考えなければならないだろう。しかしここでは、この二つの形象が何を意味するのか、ということに性急な結論を下す前に、まず語り手の考察に耳を傾けてみよう。

 語り手の意見によれば、彼が生きている中国という帝国は「曖昧きわまりない制度」(349<62>)である。その曖昧さには色々な原因があるが、それを整理すれば、次の三点にまとめられるだろう。

 その第一は、中国世界が途方もなく広大であり、この広大な国土に生きる「民衆(Volk)(349<62>)がまとまりに欠けることである。中国の広大さは前半部でも述べられていた。そこでは、語り手は中国南東部の村に生活しているのだが、中国は広いので、そこまでは北方の蛮族も侵入してくることはできない、と言われていた(347<60f.>)。後半部では、中国の広大さはいっそう誇張されている。語り手の住む「故郷」は、首都北京から遠く離れた、「もうチベットの高地に手の届きそうな」(350<63>)辺境にある。中国は「五百の州」から成り立ち、「われわれの州には一万の村」がある(355<67>)。「われわれの国土はそれほど大きく、どんなおとぎ話もその大きさには及ばないし、天空すらもその国土を包みかねるほど」(350<63>)である。

 このように広大な国土の各地に住む中国人は、各地方ごとに相違し、お互いに隔絶した生活を送っている。語り手の観察によれば、「隣州の方言はわれわれの地方のそれとはまるで違う。その相違は文章語のある種の形式の中にも表われていて、われわれには古風な文体に思えるのである」(A 298<66>)。そのため、同じ中国人でも隣りの州の言語を理解することは困難である。各州・各地方は他の州・他の地方とは無関係な生活を送り、隣りの州の暴動についてすら正しい情報が伝わってこない。言語的な相違のために、現在の暴動でも過去の出来事と判断されてしまうのである。本来ならば、このように互いにばらばらに分裂しそうな諸地域、諸民衆は一つの帝国と呼べるはずもないのであるが、それにもかかわらず一つのまとまりを維持しているので、語り手は帝国のことを「曖昧きわまりない制度」と呼ぶのである。

 このように広大な地域と多様な人々を、とりあえず一つの帝国にまとめあげている力が皇帝である。広大な地域であれ、多種多様な民族であれ、そこに皇帝という強大な中央集権的な権力が存在し、その権力が地域の隅々にまで浸透していれば、この地域はたしかに一つの帝国と呼びうるであろう。歴史的に存在した古代中国はそのような帝国であり、その皇帝――たとえば秦の始皇帝――は、民衆に賦役を課し、民衆を治水事業や建設事業に駆り立てた絶対的権力者であった。マックス・ヴェーバーの有名な定義に従って、権力(Macht)を「或る社会的関係の内部で、抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性」(4)とするならば、権力者(Machthaber)としての皇帝は、自己の意志を中国全土の隅々にまで貫徹させる支配装置――強力な軍隊や整備された官僚機構など――を持っていなければならないはずである。ところがこの作品では、皇帝の役人は、村人の一生に一度、その村を訪れるか訪れないかという程度である。しかもその役人ですら、現皇帝の支配下にあるのかどうかさえわからない。村人たちは、役人が仕えている皇帝を死んだ皇帝だと考え、役人が立ち去ると、彼の命令はきれいさっぱりと無視される(353<65>)

 作品の皇帝はこのような脆弱な支配機構しか持っていない。いや、脆弱な支配どころか、『万里の長城』の中の枠物語である『皇帝の詔書』(この物語は作品本体と切り離されて、短編集『田舎医者』に収録された)によれば、皇帝の「意志」を示す詔書が民衆のもとに届くことさえないのである。「このような事情をよく表わしているひとつの伝説がある」(351<63>)という文章によって紹介されるこの物語では、瀕死の床にある皇帝が、一臣民である「お前」にメッセージを伝えるために使者を派遣するのであるが、この使者は広壮な紫禁城と巨大な北京の都をいつまでも走り抜けることができない。そこで「お前」は到達しない皇帝の詔書を憧れながら、空しく待つだけである。この枠物語が例証するように、皇帝は自分の「意志」を民衆にまで伝達することさえできないのであるから、まして「抵抗を排してまで自己の意志を貫徹する」ことなどできるはずはない。つまり、この作品に描かれる皇帝は明らかに政治的・軍事的な権力者ではない。皇帝の権力の曖昧さがこの帝国の曖昧さの第二の原因である。

 それでは、権力者でもない皇帝がなぜ支配者の地位にあるのであろうか。それは、この皇帝が民衆の心をつかみ、集める一種の求心力をそなえているからである。彼はいわば民衆の崇敬の対象となることによって、この帝国の統合の中心点となっている。語り手は作品中の別の箇所で「統合手段」(356<67>)という言葉を使っているが、彼が究明するのはこの帝国統合の謎である。彼の観察によれば、『万里の長城』の中国世界は、中心に位置する皇帝に帰一し、皇帝を憧れる民衆の求心力によって、かろうじて統合されている。換言すれば、皇帝の支配力とは、民衆の帰一性が転倒されたものである。この皇帝は権力があるから支配者なのではなく、民衆が皇帝に憧れ、皇帝に帰一するからこそ、支配者の地位にあるのである。

 しかしながら、中国民衆が皇帝に強く憧れるのは、皇帝の善政や人徳のためではない。なにせ皇帝は中国民衆にとっては、はるか遠い首都にいる一度も見たことのない存在であり、しかも具体的な支配機構も持っていないのであるから、民衆はその統治を感知することもできない。したがって、彼の統治が善政であるのかどうかさえ判断できない。さらにまた、民衆が皇帝を憧れるのは、長年一つの家系が皇帝の座を継承することによって生ずる権威や威信や尊厳といったもののためでもない。皇帝は普通の人間のように死に、交替し、時には王朝自体も変わってしまうことを民衆は知っている。したがって、民衆の皇帝への憧れは、こうした家柄への尊敬の念に起因しているわけでもない。

 語り手の観察によれば、民衆は現皇帝を知りたいと望み、現皇帝に関する知識を獲得することこそ、「われわれの心を満たしている唯一の好奇心」(349<62>)なのであるが、現皇帝に関する情報――名前、王朝、人柄、統治のあり方などの具体的属性――はまったく入手不可能である。人々が手に入れることができるのは、せいぜい皇帝に関するあやふやな風評――それも過去の皇帝に関する風評――だけである。そのため人々は、「今はどの皇帝の御代であるかを知らず、王朝の名前すらあやしい」(352<64>)という状態にある。では、名前さえ知ることもできない存在を、民衆はどうして憧れるのであろうか。それとも、民衆はその不可知性のゆえに皇帝を憧れるのであろうか。語り手は彼の考察の最終的結論として、「われわれは皇帝を持っていない」(354<66>)とさえ述べている。語り手のこの言葉を信ずるならば、民衆は存在しないものを憧れ、存在しないものによって帝制という制度を維持している、という奇妙なことになる。そして、この点に、つまり皇帝の不可知性、あるいは皇帝の空虚さに、この帝国の曖昧さの第三の、そして最も重大な原因がある。

 皇帝のこのような不可知性の結果、奇妙というか、滑稽な事態が生ずることになる。それは、過去の皇帝が現在の支配者に祭り上げられ、数千年前の情報が現在の生活に影響を及ぼすということである。語り手の報告によれば、「とっくに死んだ皇帝が、われわれの村々では新しく帝位につけられ、歌にしか名前の残っていない皇帝が最近詔勅を発して、それを神官が祭壇の前で読み上げる」(353<64>)というようなことが起こる。また、数千年前の皇后が夫の皇帝の血を飲みほしたというニュースが、村人たちを驚愕させたりする。これとは反対に、現皇帝のほうは死者と混同される。皇帝の役人が「現在の統治者」の名において村人に何がしかの要求をすると、村人たちは、「この役人は、死んだ人のことを生きている人のように話している。この皇帝はとっくに死んだのだから」と考えるのである。そして、役人がいなくなるが早いか、「もう粉々に砕けた骨壷の中からたまたま選び出された者が、威風堂々と村の支配者の地位につく」のである(353f.<65>)。この時代錯誤性こそ、村人たち、つまり中国民衆の特徴である。

 こうした事態は現実の帝制とはだいぶ異なる。たしかに現実の帝制においても、一般民衆には皇帝に関する具体的情報を得ることは困難であろう。彼らが皇帝に関して手に入れることができるのは、確実な知識というよりは、大部分があやふやな風評であろう。そしてまた、古代中国の一般民衆が「今はどの皇帝の御代であるかを知らず、王朝の名前すらあやしい」という事態も、大いにありうることかもしれない。しかし、それは皇帝に無関心な民衆の場合であって、この語り手のように、いやしくも皇帝について知りたいという好奇心をもって探求する人間が、現皇帝の名前さえ知らない、いや原理的に知りえない、ということは普通では考えられない。しかし、語り手が考察するこの皇帝については、彼に関するいかなる具体的な知識も入手不可能とされているのである。

 この奇妙な帝国は、ある面において、カフカが生きていたハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国を思わせるところがある。第一次世界大戦前、この多民族・多言語国家は、さして強大な権力者であるとは言えない皇帝フランツ・ヨーゼフの威信によって、帝国としての統合を保っていた。時代の高まりゆく民族主義の風潮の中でかろうじて生き延びていたこの多民族国家もまた、たしかに曖昧な帝国と呼ぶことができたであろう。クリス・ベッツェルが主張するように、この帝国のあり方と、六八年もの長きにわたる統治ののち一九一六年一一月二一日に死んだばかりの皇帝フランツ・ヨーゼフが、『万里の長城』に、とくにその中の『皇帝の詔書』に、一定の影響を与えたものと見ることができなくもない(5)。しかし、それもあくまでも物語の外面的な枠組みの面での影響にすぎないだろう。なぜなら、ハプスブルク家の皇帝は、その存在を確認しうる現実の皇帝である点において、存在するかしないかわからない『万里の長城』の皇帝とは、本質的に異なっているからである。それに、ハプスブルク帝国の臣民が、『万里の長城』の中国民衆のように、現皇帝の名前さえ知らない、ということは考えられないからである。

    「統治」・「支配」の二つの意味

 この帝国の曖昧さは結局のところ、皇帝の曖昧さによって引き起こされている。この皇帝は歴史上に存在した皇帝とはまったく違った実に奇妙な皇帝である。この奇妙さは、皇帝が権力なしに民衆を支配しているということと、皇帝が不可知であるという二点から生じている。以下においては、この二点をどのように解釈することができるかを検討してみたい。

 まず、この皇帝が権力なしに支配しているという点。語り手は皇帝のことを「統治者(der Regierende)(353<63>)や「君主(Herr)(351<63>, 354<65>)などとも呼んでいる。皇帝は文字通り「統治する(regieren)(352<64>)者である。辞書によれば、《regieren》という語は《Herrscher sein; herrschen》という意味である(6)。換言すれば、皇帝とは「支配者(Herrscher)」であり、「支配する(herrschen)」者である。しかし、作品の皇帝が支配するからといって、彼はヴェーバー的な意味における権力者でないことは、先に指摘したとおりである。皇帝という支配者でありながら、権力を持たないという事態の奇妙さは、どのように理解できるであろうか。

 ここで考えなければならないことは、そもそもドイツ語の《regieren》や《herrschen》という語には、二つの意味があるということである。《regieren》の第一の意味は、《die Regierungs-, Herrschaftsgewalt innehaben; Herrscher sein; herrschen(統治・支配権力を保持する。支配者である。支配する)》という意味である。また《herrschen》という語は《regieren und über Land und Leute Befehlsgewalt haben(統治し、領土と民衆に対して命令する力を持っている)》という意味である。皇帝が「統治者」や「支配者」であるという場合、「統治」や「支配」という語はこの意味で用いられている。しかし、《regieren》や《herrschen》という語には、第一の意味と無関係ではないが、第二の比喩的な意味もある。《regieren》の比喩的な意味は、《et. herrscht, ist sehr verbreitet(あるものが支配的である、非常に広まっている)》で、この意味では理性や、嘘や、悲惨さや、残酷さや、腐敗や、平和などが《regieren》できる(7)。同様に、《herrschen》の比喩的な意味は、《in einer bestimmten, auffallenden Weise verbreitet, vorhanden, deutlich fühlbar sein(特定の顕著なあり方で広がり、存在し、明白に感知できる)》である。この第二の意味としては、《die herrschende Meinung(支配的な意見)》という用法がある。この意味では、意見も、世論も、社会通念も、イデオロギーも、価値観も、時代の精神も、人々を「支配」することができるのである。

 ここで、ひとつの思考実験を行なってみよう。第二の比喩的な意味で、あるものが《regieren》したり《herrschen》しているとする。それはあるものが広く広まっている状態を指す。例として、ある意見が「支配」している状態を考えてみよう。そのとき、「支配的な意見」という用法に含まれる「意見」という語を、「皇帝」として擬人化してみる。ドイツ語では意見(Meinung)は女性名詞であるから、この皇帝は「女帝(Kaiserin)」のほうがふさわしいかもしれない。そのとき、この「支配的な意見」は「支配する女帝(die herrschende Kaiserin)」として擬人化される。この擬人的なイメージを用いれば、人々が「支配的な意見」をいだいている状況は、女帝(=意見)が人々を支配し、人々がその女帝に服従している状態として描かれるであろう。この擬人化されたイメージにおいては、この「支配する」という語は、当然、第二の意味から第一の意味のほうにずらされてしまう。ではそのとき、この擬人的な女帝は、どのような支配装置によって支配しているのであろうか。彼女(支配的な意見)は実際の皇帝のように、軍隊や官僚の力によって、つまり権力によって、「ある社会的関係の内部で、抵抗を排してまで自己の意志を貫徹」しているわけではない。なぜなら、人々は別に強制されたから、その支配的意見をいだく(女帝に服従する)ようになったわけではなく、むしろ逆に、人々のほうがこの女性を女帝として承認し、女帝に進んで服従しているからこそ、彼女は女帝なのである。しかし、人々がこの女性を支配者として認めなくなれば、その瞬間にこの女性は皇帝の座から失脚するだろう。つまり、この意見は支配的な意見ではなくなるだろう。すなわち、この擬人的な女帝(意見)の支配力の源泉は、人々がみずから進んでこの女帝に服従する服従の意志にあることになる。人々がみずからこの女帝に服従するということは、人々の思念がたえずこの女帝に向けられ、この女帝に帰一志向することである。女帝の支配力は、人々の帰一志向の転倒されたものである。だが、この状況は、『万里の長城』の後半部に描かれる皇帝と中国民衆の関係になんとよく似ていることであろうか。

 私見によれば、この作品の語り手は、皇帝=支配者(der Regierende, der Herr)という語を、表面的には第一の意味で用いていながら、その実、彼が真に問題にしているのは、第二の比喩的な意味の「支配するもの(das Regierende, das Herrschende)」なのである。ここでは、右の思考実験で行なったように、この作品の皇帝を「意見」の擬人的形象というように即断することは避けるが、中国民衆といわず、すべての人間集団は、常に何らかの意見、見解、価値観、生き方、通念、文化、言語、宗教などといったものに「統治」あるいは「支配」されていることは事実である。そして、このような「支配者」は、その集団に属する人々が、その支配者を支配者として――意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ――承認し、それに進んで服しているからこそ、支配者であるわけである。『万里の長城』の皇帝は、実はこのような意味での比喩的な、一種観念的な支配者なのである。

 作品の中国民衆は言語も風習も居住地域も違う多様な人々である。これらの人々が中国帝国という一つのまとまりを形成しているのは、彼らが皇帝に支配されているからである。しかし、上で見たように、この皇帝は現実の権力者ではなく、比喩的な意味での「支配するもの」である。このことを言い換えれば、中国民衆はこの「支配するもの」を広く承認しているからこそ、みずからを一つのまとまりとして維持できるのである。「学校では色々な王朝の名前や多くのそうしたことが時代順に学ばれる」(352<64>)。人々はそれを正しい情報として承認し、こうした情報によって、多種多様な民衆は帝国としてのある種のまとまりを維持している。こうした事態を、語り手は「統治し、支配するする皇帝」という比喩的イメージで描き出す。つまり、皇帝は中国民衆を一つの帝国に統合する上で重要な役割を演じている情報、いわば「統合的情報」と呼ぶことができるであろう。

    皇帝の不可知性

 この作品における皇帝と中国民衆の関係を、このような比喩的な支配関係と解釈すると、一切の権力や支配装置なしに支配している皇帝の謎は、一応解けたことになる。しかし、この皇帝にはまだ別の謎が残っている。その謎とは、中国民衆の思念が向けられているこの「支配者」が不可知だということである。

 上述したように、人間集団は色々なものに統治され、支配されることがある。しかし、それらのものが「支配的な○○」と言われるかぎり、それらのものが不可知であるということは、一般的には考えづらいことである。すでに「支配的な○○」と名指すことができるという点において、それらは可知的領域に入っている。たとえば、ある特定の問題に関する「支配的な意見」の場合であれば、それは明確な形で知ることができる。明確な形で知られないものであれば、それは「支配的な意見」とはなりえない。支配的な世論でも、支配的な言語でも、支配的な宗教でも、それは明確に知りうる。

 しかし、社会通念や時代の雰囲気のような、もっと漠然とした「支配者」であれば、それは人間自身の生み出した観念的力でありながら、人間自身にははっきりととらえることが難しいものとなるであろう。このような「支配者」はいわば空気のように人々を包み、その中で人々を操り、文字通り人々を「支配」していながら、人々が現在自分たちを支配しているその「支配者」の本質を把握しようとすれば、それはそれこそ空気のように、つかみ取ろうとする手から逃れてしまう。それが把握しづらいのは、それがあまりにも身近にあり、自分自身がいわばその一部であるために、対象化しづらいからである。しかしこの場合でも、これらのものを十分に意識化し、それを客観化することに努めれば、それらのものを把握することは、原理的には不可能ではないと思われる。空気は、手でつかまえることが難しくても、十分に精巧な装置を用いれば、とらえ、その成分を分析することができるのである。だが、『万里の長城』の皇帝は、そうした身近にあるがゆえに把握困難な存在ではなく、はるか遠方に位置するために見ることも感知することもできない何ものかとして描かれている。

 皇帝のこのような超越性は、皇帝を神のような存在にも思わせる。『皇帝の詔書』に描かれる皇帝は、「お前」の憧れの対象として、さらにまた「太陽の紋章」の持ち主として、一種の神的なアウラをそなえているようにも見える(8)。ところが、語り手は皇帝を神とする考えをきっぱりと否定している。

「しかし、生身の皇帝はわれわれと同じ人間であり、われわれと同じように寝椅子に寝そべっている。この寝椅子はもちろんゆったりとした寝台ではあるが、やはりただの比較的狭くて、短い家具にすぎない。われわれと同じように、皇帝陛下もときどき手足を伸ばし、大変お疲れのときには、上品なお口で欠伸をする。」(350<63>)

 この文章は、皇帝をただの人間として描いている。つまり、語り手は皇帝を神格化しておらず、現世的領域の存在として表象している。そして、皇帝はやがて死に、別の皇帝と交代するのであるから、有限の存在であって、この点においても神の超越性や永遠性をそなえているとは言いがたい。

 このように、皇帝は実にとらえがたい存在なのであるが、ここで、もう一度この皇帝の性格を振り返ってみると、こういうことである。中国民衆は皇帝に支配されているのであるが、民衆はこの皇帝の具体的な名前も、具体的な統治のあり方も知らない。つまり、民衆がこの皇帝について知っているのは、皇帝という名目だけであって、その具体的な属性となると何も知っていない(知りえたとしても、それは実は過去の皇帝のことであって、それは現在の民衆の生活とは無縁である)。皇帝が不可知だということは、換言すれば、皇帝の具体的属性が知りえない、ということである。語り手は最終的には、皇帝が存在しないという結論に到達するが、それは皇帝という語には具体的属性はないということと同じである。

 ところで、この支配関係は実は比喩的な支配関係であるから、「支配する皇帝」という比喩をその本質に還元すれば、一応「支配的な○○」となるであろう。この「支配的」ということの内実は、人々がそれを広く承認し、それに帰一志向しているということである。先にわれわれは皇帝を「統合的情報」と呼んだ。すると『万里の長城』の状況は、人々が、その具体的な内容については何も知らない情報を承認し、それに帰一志向している、という状況である。言い換えれば、皇帝は中国民衆が帝国という制度を維持する上で重要な統合的情報なのであるが、その情報の具体的内容は空虚なのである。

 具体的内容が空虚な情報によって人間が支配されるという事態は、人間世界で起こることだろうか。――実は、きわめて頻繁に起こりうるのである。たとえば、人々がある種のスローガンを信奉している状況を考えてみよう。人々はそのスローガンを全面的に承認し、誰もそれに疑問をはさまないとする。そのとき、人々はこのスローガンに支配されているわけである。だが、そのスローガンは言葉としては、つまり名目としては明白であるが、その内容を検討してみると、人々が具体的には何をどうすべきなのか、一向に明らかでないという場合がある。この場合、人々はスローガンという皇帝に支配されながら、その皇帝の具体的な内容については何も知らない、ということになる。『万里の長城』の皇帝は、まさにこうした内容空虚なスローガンに似てはいないだろうか。

 ここでさらにソシュールの用語を借りて、皇帝にまつわる混乱した事態を整理してみると、こういうことになるであろう。語り手の考察は、中国の民衆がその存在のゆえに中国人としての民族的統合=帝制を維持している、皇帝という記号(シーニュ)をめぐって行なわれている。これまでは皇帝を中国民衆の「統合的情報」と呼んできたが、以下では皇帝を「統合的記号」と呼ぶことにしよう。語り手の考察は、中国の民衆が自明のものとしているこの記号の内実=シニフィエを確認する作業であると言える。民衆は皇帝というシーニュ(言語記号)があるから、それが指し示すシニフィエ(言語内容、概念、意味)も実在する、と信じている。これは、言語記号は言語内容をそのまま指し示す、と考える素朴な言語観である。しかし、語り手は民衆のこのような言語観に揺さぶりをかける。彼はまず、皇帝という記号が距離的に非常に遠方に位置すること、すなわちそのシニフィエが民衆の現実生活に縁遠いものであることを指摘する。次に彼は、皇帝が交替すること、つまりシニフィエが時代とともに変化する不安定なものであることを指摘する。そして彼は、民衆は実はこのシニフィエの交替すらも認識できない(できたとしても過去における交替だけである)と主張する。彼がその次に確認するのは、シニフィエの内実が無であること、すなわち人々は皇帝というシーニュを用いているが、その実体は空虚である、ということである。そして語り手の最終的な結論は、シニフィエが存在しない以上、民衆は実は皇帝という記号も本来は持っていないのだ、ということなのである。

    カイザートゥームとユーデントゥーム

 語り手の議論をここまで整理した上で、われわれはこのあたりで、『万里の長城』がユーデントゥームの歴史と現状を取り扱った作品である、というこの作品の基本的性格を想起することにしよう。皇帝の謎を解くためのヒントになるのは、この皇帝が中国人=ユダヤ人の民族問題との関連で解釈されなければならない特殊な形象であるということである。ここで、作品後半部の中の「中国人」や「村人」や「民衆」という語を、「ユダヤ人」という語に置き換えてみよう。すると、そこに浮かび上がるのは、紛れもなくユダヤ人の民族的アイデンティティの問題である。広大な地域に住み、言語も風習も違いながら、それにもかかわらず、みずからを一つのまとまりと見なす民族――それはまさに、世界中に離散し、それぞれの土地の言語や文化に同化して生きるユダヤ民族に似てはいないだろうか。語り手は中国を「地上最古の国家」と呼んでいるが、ユダヤ民族もまた地上最古の民族の一つであることは間違いない。広大な中国世界に生きる中国人は、リッチー・ロバートソンも言うように、まさにディアスポラのユダヤ人の比喩であろう(9)。そうであるならば、帝国(帝制)=「カイザートゥーム(Kaisertum)」とはまさに「ユーデントゥーム(Judentum)」=ユダヤ民族を指し示す隠喩ということになりはしないだろうか。

 これまでこの作品にユダヤ問題を見出したカフカ研究者は決して少なくはなかったが(10)、管見するところ、「カイザートゥーム」と「ユーデントゥーム」という二つの語の明白な類似性に注意を向けた論者が、今まで一人もいなかったということは奇妙なことである。この類似のもとになっているのは、二つの語に含まれる《-tum(トゥーム)》という接尾語(英語の《-dom》に相当する)であるが、これは主に名詞(まれには動詞・形容詞)に付加して別の中性名詞をつくる接尾語で、「特徴的な性質・行為」、「宗教・文化・思想」、「(集合的に)人・もの・階層」、「身分」、「支配領域」などを示す、と辞書には解説されている(11)。この二つの語の語義を比較対照してみれば、単なる単語の音声面での類似性以外にも、カフカが「カイザートゥーム」を「ユーデントゥーム」の比喩として用いた理由が明らかになる。

 まず《Kaisertum》であるが、この語はもちろん《Kaiser(皇帝)》からつくられた派生語で、辞書によれば《Kaisertum》には、

(1) monarchische Staats-, Regierungsform mit einem Kaiser an der Spitze(頂点に皇帝をいだいた君主的な国家・統治形態――これは「帝制」と訳すことができる)

(2) Kaiserreich; Reich, das von einem Kaiser regiert wird(帝国。皇帝によって統治される国)

という二つの意味がある。カフカは『万里の長城』において、カイザートゥームという語をこの二つの意味で用いているが、実質的には彼はこの語を「皇帝によって統治される民族(Volk, das von einem Kaiser regiert wird)」の意味でも用いている、と言えよう。なぜなら、語り手は作品後半部の最初で、「私見によれば、まさに帝国(Kaisertum)の問題は、まずもって民衆(Volk)に尋ねてみるべきであろう。なぜなら、民衆こそ帝国を支える究極の支柱だからである」(349<62>)と述べているからである。語り手が問題にしているのは、常にこの民衆=民族(Volk)のあり方の問題である。そしてすでに述べたように、この民衆(民族)は、言語も、風習も、居住地域も多種多様な人々が構成する特殊な集まりである。

 次に《Judentum》という語であるが、これは《Jude(ユダヤ人)》からつくられた派生語で、辞書には次のように記述されている。

(1) Gesamtheit der Juden in ihrer religions- und volksmäßigen Zusammengehörigkeit; das jüdische Volk  (宗教的、民族的一体性をもったユダヤ人の総体。ユダヤ民族)

(2) Religion [Kultur, Geschichte] der Juden; Geist und Wesen der jüdischen Religion; Judaismus(ユダヤ人の宗教[文化、歴史]。ユダヤの宗教の精神と本質。ユダヤ教)

(3a) Gesamtheit der für den Juden typischen Lebensäußerungen, der durch Religion, Kultur, Geschichte geprägten jüdischen Eigenschaften, Eigenheiten; jüdisches Wesen(ユダヤ人に典型的な生の表出の総体、宗教、文化、歴史によって刻印されたユダヤ的性質、ユダヤ的特徴の総体。ユダヤ的本質)

(3b) Zugehörigkeit, Gefühl der Zugehörigkeit zum jüdischen Volk, zur jüdischen Religion; das Judesein (ユダヤ民族、ユダヤ教に帰属すること、その帰属感。ユダヤ人たること。――(3a)(3b)はまとめて「ユダヤ的アイデンティティ」と呼ぶことができよう)

 辞書的には、ユーデントゥームは一応明確に定義されているように見える。しかし、その内実を検討すると、ユーデントゥームという語の意味は曖昧である。それは、以下でも述べるように、「ユダヤ人」や「ユダヤ的」という語の意味が明確でないからである。上の定義で比較的はっきりしているのは、第二の「ユダヤ教」(Judaismus; die jüdische Religion)という説明だけであろう。ユダヤ教はタナハ(聖書)とタルムードという聖典を持ち(さらにユダヤ神秘主義にはゾーハルという教典がある)、モーセ以来数千年の歴史を有する宗教である。その中にももちろん多種多様な分派は存在するが、ユダヤ教はキリスト教ともイスラム教とも区別しうる、輪郭のはっきりした宗教である。

 しかし、第一の意味のユーデントゥーム、すなわちユダヤ民族(das jüdische Volk)は、辞書では「宗教的、民族的一体性をもったユダヤ人の総体」と定義されているが、実はきわめて曖昧である。カフカが生きていた時代に、「宗教的、民族的一体性をもったユダヤ人」なるものが存在したかどうかが、まず問題となるであろう。ユダヤ人の中には、ユダヤ教という宗教を信じないユダヤ人もいた。カフカ自身をはじめ、西欧の同化したユダヤ人の中には、ユダヤ教信仰には縁遠くなっていた者も少なくなかった。ユダヤ教を信ずるか否かということは、その人がユダヤ人であるかどうかを決定しない。次に「民族的一体性」といっても、何をもって民族の指標とするかが問題である。人種的特徴か、言語か、文化か、居住地域か。そのいずれをとってみても、カフカの時代、世界中に離散したユダヤ人には共通する民族的特徴と言えるものは存在しなかったであろう。つまり、ユーデントゥームを「宗教的、民族的一体性をもったユダヤ人の総体」と言葉の上で定義してみても、ユーデントゥームの実態はきわめて曖昧であり、これら多種多様な人々の集まりがユーデントゥームを構成していたのである。

 以上の比較から明らかになるように、作品中の「カイザートゥーム」、つまりこの帝国に生きる民衆(Volk)と、「ユーデントゥーム」の第一の意味、すなわちユダヤ民族の間には、その構成員が多種多様で曖昧である民族集団という、単なる語形以上の意味的な類似性が存在する。私見によれば、「カイザートゥーム」とは、カフカが「ユーデントゥーム」の問題を考察するために採用した卓抜した比喩であったのである。

    「ユダヤ人」という言語記号

 カイザートゥームがユーデントゥームの比喩であるならば、皇帝(カイザー)は何の比喩であろうか。次にはこの問題を考えてみたい。

 カイザートゥーム(Kaisertum)がユーデントゥーム(Judentum)に対応するならば、「皇帝(Kaiser)」は当然「ユダヤ人(Jude)」に対応することになるだろう。なぜなら、

 《Kaisertum : JudentumKaiser : X,  X=Jude

というのは、ごく単純な対応関係であるからである。しかし、皇帝がユダヤ人に対応するということは、具体的には何を意味するのであろうか。この場合、皇帝を肉体をもったユダヤ人、たとえば、ユダヤ人の歴史に登場したダビデやソロモンのような、皇帝的・王侯的ユダヤ人のことを指すと解釈することには無理がある。なぜなら、作品中の皇帝は、時代から時代へと交替しながら次々と出現し、カイザートゥーム=ユーデントゥームを現在も支配している存在であるからである。ユダヤ人の歴史において、こうした皇帝的人物が実在したのは、ごく短かな期間にすぎなかった。あるいはまたこの皇帝を、未来のいつかある時点に出現して、ユダヤ人を救済することになっているユダヤ人の王=メシアと考えることもできない。ユダヤ人の歴史において、メシアはいまだかつて出現したことがないからである。

 すでに見てきたように、そもそも皇帝はそうした肉体を持った具体的人物とは考えられない。皇帝はいるかいないかわからない存在、不可知の存在、民衆の思念の中にしかいない存在、内容空虚な記号であった。そうすると、先の対応関係式において、「皇帝」という語はむしろ《Jude(ユダヤ人)》あるいは《jüdisch(ユダヤ的)》という言語記号そのものに対応する、と考えられる。

 作品中の皇帝は中国民衆の統合的記号であるが、その内実は空虚である。つまり、民衆が持っているのは「皇帝」という言語記号だけであって、その具体的内容、そのシニフィエは曖昧である。いや、空虚でさえある。しかし、この空虚な記号なしには、中国民衆は帝制を維持できない。だが、これと同じ関係はユダヤ民族の「ユダヤ人」や「ユダヤ的」という言語記号に対する関係についても当てはまるのである。

 つまり、こういうことである。ユーデントゥーム=ユダヤ民族とは、身体的特徴も、言語も、文化も、居住地域も多種多様な、ユダヤ人と呼ばれる人々が構成する曖昧な人間集団である。それでは、ユダヤ人は何故に自己をユダヤ人として意識するのであろうか。具体的に言えば、カフカのようにユダヤ教やユダヤ的伝統から切り離され、西欧文明の中で生きるユダヤ人は、それにもかかわらず自己をどうしてユダヤ人であると見なすのであろうか。それは、彼らが、自分たちが何らかの形でユダヤ人(Jude)であり、自分たちの中に何らかの形のユダヤ性(jüdisches Wesen)を持っているがゆえに、ユーデントゥームに属する、と信じているからに違いない。つまり、ユーデントゥームとは自己を「ユダヤ人」あるいは「ユダヤ的」と見なす人々がつくる人間集団である。しかし、その「ユダヤ人」や「ユダヤ的」という語の実質的内容、そのシニフィエは何か。先にも見たように、宗教も、身体的特徴も、言語も、文化も、民族としてのユダヤ人を特徴づけるのには不十分である。つまりユダヤ人は、シニフィエが曖昧な「ユダヤ人」という言語記号によってはじめて、ユーデントゥームというまとまりを維持していることになる。

 ここで、帝国と皇帝、ユーデントゥームとユダヤ人の関係を表に示しておこう。

人間集団          統合的記号   記号のシニフィエ

Kaisertum(帝国)       Kaiser    Kaiserのシニフィエ=曖昧

Judentum(ユダヤ民族)  Jude       Judeのシニフィエ=曖昧

  「ユダヤ人」という語のシニフィエは、さらにまた「ユダヤ的アイデンティティ(jüdische Identität)」、「ユダヤ的本質(jüdisches Wesen)」などと名づけることができるであろう。これは先にあげた《Judentum》という語の辞書的意味の第三の意味に相当する。別言すれば、語り手の問いかけは、《Judentum》の第三の意味、ユダヤ的アイデンティティの内実に向けられている。彼がそのとき見出したのは、ユダヤ的アイデンティティが実に曖昧である、という事態である。

 語り手は、皇帝が次から次へと交替することを指摘する。それは皇帝=「ユダヤ人」あるいは「ユダヤ的」という言語記号は同一でも、その内容=シニフィエが、時代とともに変化することを意味している。このことはたとえば、「日本人」や「日本的」という言葉の内実が、歴史的にどのように変遷してきたかということを考えてみれば、すぐに理解できることであろう。明治時代の日本人、戦争中の日本人、そして現在の日本人は、すべて同じ「日本人」という言語記号で呼ばれるが、その内実はかなり異なるであろう。それは、各時代の日本人が生物学的に異なる個体であるという意味ではなく、それぞれの時代の日本人の生き方やものの考え方、つまり「日本人らしさ」のあり方が異なるという意味である。同様に、「日本的」という同一の言語記号のもとで理解されるシニフィエも、時代によって決して同じではないだろう。戦争中の「日本的」は現代の「日本的」ではないし、現代の「日本的」は明治の「日本的」でもない。日本人の民族的アイデンティティは、カフカの時代のユダヤ人のそれほど曖昧ではないだろうが、それでも「日本人」や「日本的」という語のシニフィエは変化する。それと同じように、過去から現在まで首尾一貫して変わらないユダヤ人らしさやユダヤ性などは存在しない、と語り手は考えているように思われる。

 しかも語り手の主張では、人々はその「ユダヤ人」や「ユダヤ的」という言語記号の具体的内容を、自分が生きているその時代に同時的に知ることはできない、とされている。人々が知ることができるのは、常に過去の皇帝に関する情報、つまり過去において何がユダヤ的であったか、ということだけである。言い換えれば、ユダヤ人は過去の民族的アイデンティティを現在に受け継ぎ、過去に拘束されているのではあるが、現在の皇帝、すなわち現在生きている自分たちの真の民族的アイデンティティの具体的ありように関しては、人々は確固としたことを何も知りえない。現在における民族的アイデンティティの欠如こそ、中国民衆=ユダヤ人の特徴である。民族的アイデンティティが欠如しているからこそ、人々はそれだけ熱心にそれを求める。民衆の思念は「ひたすら皇帝に向けられ」、彼らは「生き生きとした形の現在の帝国を臣下たるおのれの胸に引き寄せ、このような抱擁の実感を味わうことを無上の喜びと憧れ、そのためには死んでもよいとすら思っている」(355<67>)が、それはかなわぬ夢である。このような生き生きとした民族的アイデンティティは獲得できないので、人々はせいぜい「ユダヤ人」や「ユダヤ的」という内容空虚な言語記号によって、民族的統合を維持してゆくほかはない。

 民族的アイデンティティの核心が時代とともに変化する不安定なものであり、しかも手にすることができるのは、せいぜい過去の死んだそれであるという語り手の見解は、ユダヤ人がユダヤ教という民族宗教に強く規定されてきた民族であることを考えると、かなり大胆な見解であると言えるかもしれない。このことは、おそらくすべてのユダヤ人、とくに熱心なユダヤ教徒が認めることではないだろう。ユダヤ教徒は、ヤーコプ・クラツキンが主張したように、ユダヤ教は生きた宗教であり、ユダヤ人の民族的アイデンティティの不変の核心である、と考えるだろう(12)。だが、語り手の立場は、長い伝統と明確な輪郭をもったユダヤ教をユダヤ的アイデンティティの核心と見なす、熱心なユダヤ教徒のそれではない。彼は、過去のユダヤ性――ユダヤ教は過去から伝えられたユダヤ性の一部である――は「死んだ皇帝」だと考えるからである。

 そのような立場から語り手は、ユダヤ人の過去に対する関係を批判する。彼は、彼の郷里の村人たち=ユダヤ人たちの皇帝=ユダヤ性との関係が、死んだ過去に支配された関係であることを強調する。「とっくに死んだ皇帝が、われわれの村々では新しく帝位につけられ、歌にしか名前の残っていない皇帝が最近詔勅を発して、それを神官が祭壇の前で読み上げる」という箇所は、過去のユダヤ性が相変わらず現在のユダヤ的アイデンティティの核心として錯視されている事態を物語っている。もちろん、ユダヤ人のみならず、いかなる民族の民族的アイデンティティの形成においても、その民族の過去あるいは歴史は重要な役割を演ずると思われるが、しかしまた同時に、過去の宗教や過去の文化や過去の歴史が、現在に対してあまりにも強い影響力をふるうことは、その民族が現在という時代に適応して、生き生きと生きることを妨げる作用を及ぼす危険性もある。ニーチェの言葉を借りれば、生に対して歴史は功罪相半ばする影響を及ぼすのである。そして、ユダヤ民族のような、数千年にわたる長い歴史とユダヤ教という古い宗教を持つ民族の場合、この危険性は常に大きなものであった。すでに前稿「ユダヤの非合理的な伝承」でも引用したアイザック・ドイッチャーの文章の一節は、過去の皇帝に支配される『万里の長城』の状況を見事に言い当てていて、両者の類似性は驚くほどである。

「われわれはタルムードを学び、ハシディズムの神秘主義の教えをいやというほどうけている。そうしたものをいかに理想化してみても、それはわれわれにとって眼をくもらせるごみでしかなかった。われわれはそうしたユダヤ的な過去の中で育った。十一世紀、十三世紀、十六世紀のユダヤ人の過去はすぐ隣り、いや、わが家の中にすらそのまま生命を保っていた。われわれはそれからのがれて二十世紀に生きたいと思ったのである。」(13)

「すぐ隣り、いや、わが家の中にすらそのまま生命を保って」いる「十一世紀、十三世紀、十六世紀のユダヤ人の過去」は、「過去の骨壷の中から選び出された皇帝」と何とよく似ていることであろうか。こうした過去の束縛は『万里の長城』のほかの箇所でも述べられている。

「私は方々旅行してみたが、私の故郷ほど潔癖な道徳にお目にかかったことはほとんどない。しかし、それはいかなる現在の掟にも従わず、ただ古い時代からわれわれに伝えられた教えや訓戒のみに聴従する生活なのである。」(354f. <66>)

という箇所は、ロバートソンも言うように(14)、道徳的潔癖性というユダヤ教の理想、そしてタルムードという伝統を重視するユダヤ教の特徴との類似性を強く想起させる。そうすると、「歌にしか名前の残っていない皇帝が最近詔勅を発して、それを神官が祭壇の前で読み上げる」というのは、まさに毎週シナゴーグでトーラー(モーセ五書)を読み上げるユダヤ教の儀式をほのめかしていることになるだろう。

 語り手の見解では、過去は本来死んだものであって、現在の時代には通用しないし、また通用してもならないものなのである。「数千年前」の情報――聖書はまさに数千年前の情報であろう――が相変わらず現在を支配しつづけることを、語り手は時代錯誤的と判断する。彼もまた、「そうしたものをいかに理想化してみても、それはわれわれにとって眼をくもらせるごみでしかなかった」というドイッチャーの立場にかなり近いところにいる。語り手の観察では、中国民衆=ユダヤ人が憧れ、それを獲得することを無上の喜びとしているのは、本来、「生き生きとした形の現在の帝国をおのれの胸に引き寄せる」ことである。それは、ユダヤ人が、死んだ過去の伝統を現在の民族共同体の核心とするのではなく、現在の生きた民族的アイデンティティをしっかりと把握し、確固とした民族感情をもって生きる、ということである。それは言い換えれば、現在のユダヤ人を生きた民族共同体として把握する、ということなのである。

    『皇帝の詔書』と『一枚の古文書』

 こうした語り手の意見は、当然、作者たるカフカ自身の見解を相当色濃く反映しているであろう。西欧文明に同化した彼はユダヤ的な伝統から切り離され、とくにユダヤ教の中に生きた力をもはや感じとることはできなかった。彼は子供時代から青年時代にかけて、父親に連れられてシナゴーグの礼拝に出かけたが、彼はユダヤ教の儀式にただ死ぬほど退屈しただけであった。彼は一九一九年の『父への手紙』の中でこう書いている。

「私の見るところでは、あなた〔=父〕の信仰は実際のところ、ただの無、茶番、茶番ですらありませんでした。あなたは年に四日、会堂〔=シナゴーグ〕へ行かれました。そこでは少なくとも、信仰を真剣に受けとめている人々よりも、無関心派に近く、祈りを儀式として辛抱強く果たしていただけでした。〔……〕ですから、そこ〔会堂〕では私は、何時間も欠伸をしたり、夢想にふけったりしながら時間をつぶし(あんなに退屈したのは、その後、ダンスの教習時間のときだけだと思います)、そこにあった二、三のささやかな変わった事柄を見つけては、できるだけ楽しもうとしました。たとえば、契約の櫃が開けられるときなどは、それはいつも射的場を思い出させました。射的場でも、標的に命中すると、箱の扉が開いたからです。ただし、射的ではいつでも何か面白い景品が出てきたのに、契約の櫃からは、いつでもただ頭の取れた古ぼけた人形しか出てこないのです。〔……〕お父さんはあるとき何気なく、私もトーラーを朗読するために呼び出されるかもしれない、とおっしゃいました。私はその後何年も、そのことを恐れおののいていました。〔……〕会堂でさえこうであったのですから、家庭ではユダヤ教は、もしかしたらもっと希薄だったかもしれません。それは最初のセデルの夕べ〔過越の祭りの最初の夕べの祭り〕に限られていました。子供たちの成長に影響されてのことではありましたが、それは次第に、思わず吹き出さずにはいられない喜劇になっていきました。」(15)

 カフカにとっては、神聖なはずのトーラーの巻物は「頭の取れた古ぼけた人形」でしかなく、会衆の前でトーラーを朗読するという、ユダヤ人にとって本来は名誉ある仕事も、「恐れおのの」いて忌避したいだけの迷惑にすぎなかった。彼はユダヤ教の中に、自分の生を根拠づける生きた信仰を見出すことはできなかった。このような死んだ宗教が、どうして西ユダヤ人である彼の生の基盤となるだろうか。

 カフカが求めたのは、古いユダヤ教の復活による民族意識の高揚ではなく、現在に生きるユダヤ人が、そうした過去の拘束によらないで、民族としての一体性を獲得することであった。だが、西欧のユダヤ人にはそのような民族的生活の基盤が欠如していた。彼はすでに一九一三年七月の日記に、「一般的な交わりの中で同じ近しさの感情を常に持ち、享受しているキリスト教徒の非常な有利さ。たとえばキリスト教徒のチェコ人の間におけるキリスト教徒チェコ人」(16)と記している。彼の考えでは、民族共同体を持つチェコ人は、「一般的な交わりの中で同じ近しさの感情を常に持ち、享受」するという恵まれた状況に生きていた。そしてまた、独自の言語(イディッシュ語)と独自の宗教(ハシディズム)を持つ東欧のユダヤ人もまた民族共同体を形成していた。しかし、異民族の国家の中で、キリスト教的ヨーロッパ文化への同化を強いられている西欧のユダヤ人は、民族的ルーツから切り離されて、互いに孤立し、この近しさの感情を共有しえない。カフカは自分自身を西ユダヤ人のこのような病理の典型例として理解した。彼の見解によれば、彼の結婚の試みの失敗すらも、彼の個人的な問題というよりも、他者との生き生きとした交わりを可能にする共同体感情の欠如という、西ユダヤ人の一般的問題の個別的ケースにすぎないのであった(17)。『万里の長城』が曖昧な皇帝という形象によって描き出すユダヤ的アイデンティティの欠如という事態は、西ユダヤ人が「一般的な交わりの中で同じ近しさの感情を常に持ち、享受」できるような民族共同体を持っていないという事態の別の表現なのである。

 だが、西ユダヤ人に対するこうした病状診断は、実はカフカ独自のものではなく、カフカの友人のブロートやブーバーなどの文化シオニストに共通する見解でもあった(18)。たとえばブーバーはこう述べている。

「精神的探究に心を奪われ、知性によって空中に連れ去られた若者ほど、民族性との救済的な結びつきを必要とする者はいない。しかし、このような性向の、またこのような運命の若者たちの中にあって、ユダヤ人の若者ほどそれを必要とする者はいない。他の国民は、何千年来受け継いできた、生来深く根ざした、故郷の大地(Boden)とのつながりと民族的な伝統によって、解体から守られている。ユダヤ人は、昨日以来獲得した自然感情と、たとえばドイツの民族芸術や風習に対する養われた理解力をもっている場合でも、じかに解体の危険にさらされており、彼が共同体に帰らないかぎり、解体にゆだねられているのである。」(19)

民族共同体を持たない西ユダヤ人は「解体の危機にさらされて」いる。そして民族共同体が欠如しているからこそ、西ユダヤ人はそれを強く求め、ユダヤ的アイデンティティの確認を求める。これはまさに、『万里の長城』において中国民衆が、皇帝が存在しないがゆえに皇帝に強く憧れるのと同じ事態である。

 『万里の長城』の中に挿入されている『皇帝の詔書』は、民族共同体の核心となるべきユダヤ的アイデンティティが欠如しているがゆえに、それをいっそう強く憧れるという、西ユダヤ人の典型であるカフカの置かれた状況を見事に描き出している。この枠物語において、皇帝は瀕死の床にあるが、瀕死の皇帝は解体しつつあるユダヤ的アイデンティティを表わしていると見ることができる。西ユダヤ人である「お前」は、民族共同体を憧れ、その核心である民族的アイデンティティを獲得したいと願っている。もし彼が「皇帝の詔書」を手にすることができたなら、彼は民族的アイデンティティを確固として把握し、民族共同体を獲得したことになるだろう。しかし、皇帝の使者はどんなに懸命に走っても彼のもとに到達することができない。彼と皇帝=民族的アイデンティティとの距離は、無限とも思えるほど離れている。この無限の距離は、民族的アイデンティティを獲得する際の途方もない困難さを表わしている。そしてまた、たとえ彼が何かの偶然で皇帝の詔書を手にしたとしても、受け取った時点で、その皇帝はすでに死んでいるだろう。つまり、彼が受け取った詔書は死んだ過去からの詔書にすぎず、現在の皇帝の詔書ではないだろう。では、現在の皇帝は別の皇帝なのだろうか、それとも皇帝はもう存在しないのだろうか。そのことすら彼は知ることができない。

 だが、たとえ死者の詔書であっても、もしそれを受け取ることができたなら、それはそれである程度は満足すべき事態かもしれない。なぜなら、そのとき彼が正統派ユダヤ教徒のような伝統主義者であれば、彼は死者の詔書を現在の皇帝の詔書と錯覚し、死んだ過去の伝統を現在の民族的アイデンティティの核心と思い込むことができるからである。しかし実際には、彼はキリスト教的ヨーロッパ社会の中で、ユダヤの宗教もユダヤの伝統も教えられずに教育され、民族的伝統とのつながりすらも完全に失っている。ユダヤ教は彼にとってはただ退屈を催させるだけの死んだ形式でしかない。そこで第二の困難さとして、彼はそうした過去の皇帝の詔書すらも受け取ることができず、ユダヤ的伝統に復帰する道も見失っている。こうして西ユダヤ人は、現在の民族的アイデンティティを失い、過去とのつながりも見出すことができないという、二重の欠如の状態にある。この喪失のゆえに、彼はいっそう強く皇帝を憧れ、「夕暮れになると、窓辺にすわり、死んだ皇帝の詔書を夢見るのである」(352<64>)

 また、『万里の長城』の直後に書かれ、独立した作品として『田舎医者』に収録された『一枚の古文書』という短編も、ユダヤ人の民族的アイデンティティの問題の文脈の中で解釈できるであろう。この作品では、首都を占領し、「皇帝の宮殿」を取り囲む凶暴な遊牧民の群が描かれている。この作品は、「われわれの祖国の防衛に関しては、多くの手抜かりがあったように思われる」という文章で開始されている。「われわれ」=西ユダヤ人は祖国の防衛、言い換えれば民族共同体の保持を怠ってきた。彼らが専念してきたのは、ただ「自分たちの仕事に励む」こと、すなわち、ヨーロッパ世界に同化して、商売なり、学問なり、文芸なりの分野で業績を上げ、ヨーロッパ世界の一員として認められることだけであった。だがそのつけとして、今や皇帝、すなわちユダヤ人の民族的アイデンティティは、邪悪な破壊的な力に取りまかれているが、これはまさにブーバーが指摘する「解体の危機」を示しているのであろう。このような危機的状況の中で、「祖国の救済はわれわれ職人や商売人に任されている」、つまり解体の危機を回避するのは、一般のユダヤ人の責任であり、一人ひとりのユダヤ人の生き方にかかっている。しかし彼らは、「われわれにはそのような課題は手に余る」として、その責任を引き受けようとはしないのである(358-361)。カフカは『田舎医者』の短編作品群を最初『責任』という題名で出版しようとしたが(20)、『一枚の古文書』はまさにこのタイトルにふさわしい作品と言えるであろう。

    生の「基盤」

 われわれは最後に『万里の長城』本体の結末部(21)を検討することにしよう。語り手は様々な考察を重ねたすえ、最終的には、「とどのつまり、われわれは皇帝を持っていない」という結論に到達する。つまり、語り手の結論は、ユダヤ人は民族的アイデンティティの核心を持っていない、ということなのである。では、ユダヤ人は自分たちの民族的アイデンティティに関して、なぜかくも曖昧になってしまったのだろうか。

「このような考え方が行なわれるようになった主要な責任は政府にある。今日にいたるまで、政府はこの地上最古の国家において、帝国という制度を、それが国の辺境にいたるまで、直接的に、絶え間なく行き渡るほど明確な形に築き上げることができなかった、あるいは、何よりもそれを怠ってきたのである。」(355<67>)

しかし、ディアスポラのユダヤ民族にはもちろん「政府」なるものは存在しなかった(22)。これは、古代中国の帝制に合わせて語っている言葉であり、語り手が真に言いたいことは次の一節だろう。

「しかし他面では、その原因は民衆の想像力あるいは信仰力の弱さ(Schwäche)にあるのだ。」(355<67>)

 ユダヤ人の民族的アイデンティティの解体の原因は、「民衆の想像力あるいは信仰力の弱さ」にある、と語り手は見る。この「想像力の弱さ」はまさに、民族というものは想像力に基づく共同体である、というベネディクト・アンダーソンの議論を思わせるところがある(23)。事実、二〇世紀の初頭、ヨーロッパ社会への同化を目指していた西欧のユダヤ人にあっては、みずからを一つの民族共同体として想像する「想像力」がきわめて低下していた。そして、この「想像力」は「信仰力」、すなわち宗教の問題と関連している、と語り手は述べているようである。カフカは一九二〇年に『ミレナへの手紙』の中で、「今日では宗教的共同体は失われており、宗教宗派は無数にあり、それらが信じられるのは個々人に限定されています」(24)と書いている。宗教共同体の喪失が「解体の危機」を生み出す、と彼は言う。チェコ人が「一般的な交わりの中で同じ近しさの感情を常に持ち、享受」できるのも同じキリスト教という宗教を共有しているからであった。彼は共同体の形成において、宗教が重要な役割を演ずると考えていたように思われる。だが、『父への手紙』の一節にも示されているように、西欧のユダヤ人はユダヤ教を生きた宗教としては感じられなくなっていた。この「信仰力の弱さ」とユダヤ民族共同体の解体とは深く関連しあっているのだろう。

 語り手の意見では、信仰の喪失と、それに起因した民族的アイデンティティの希薄化は、明らかに一つの「弱点(Schwäche)」なのである。ところが現在では、逆説的にもこうした弱点、欠如が民族統合の手段とされている、と彼は言う。

「それだけに奇異なのは、まさにこの弱点がわれわれの民族の最も重要な統合手段の一つになっているように思えることである。それどころか、思い切った表現をしてよいならば、それこそわれわれが生きている基盤(Boden)なのである。」(356<67>)

カフカが語り手の口を通してここで批判しているのは、カフカの父親に代表されるユダヤ人の同化主義であろう。ゲットーで成長した父の世代は、まだなにがしかのユダヤ教を保持していたが、それは西欧世界への同化に際して、すっかり実質を欠いた空虚な形式に堕していた。だが、ユーデントゥームが解体の危機にあることは、必ずしもすべてのユダヤ人が危惧するところではなかった。いや、むしろユーデントゥームの民族性も宗教性も捨て去ったほうが、西欧世界への同化と、西欧社会内部での世俗的成功への道が平坦化されると大部分の同化主義者は考えたのである。たとえばカフカの父にとっては、せっかく大学教育を受けさせた息子が、イディッシュ語を話す東欧ユダヤ人の俳優イツハク・レヴィや、シオニストのブロートなどとつき合うことは、我慢ができないことであった。自分がせっかくそこから抜け出してきた古いユダヤ的世界に息子がなぜ関心を抱くのか、父には理解できなかった。ユダヤ教を捨て、民族的アイデンティティを捨てること、つまり民族的自己否定を目指す同化主義こそ、カフカが生きた時代の西ユダヤ人全体を包み込む大きな潮流であった。だが、同化主義の行き着く先は、ユーデントゥームに含まれる民族性も宗教性も失った、西欧社会の内部での単なる世俗主義であろう。『万里の長城』の語り手は、民族性と宗教性の欠如という基本的にはネガティブな事態が、西ユダヤ人の「最も重要な統合手段」、西ユダヤ人が生きる「基盤(Boden)」とされている、という逆説的現状を指摘する。この指摘をもって、『万里の長城』の語り手は彼の考察を一応締めくくる。


 ところで、われわれは本稿において、すでに「基盤(Boden)」という語を一度、目にしている。それはカフカのテクストではなく、解体の危機について述べるブーバーの文章に出現していた。ヘルツルの死後、中欧のシオニズム運動の指導者となったブーバーは、西ユダヤ人のユダヤ教信仰と民族的アイデンティティがともに希薄なものになっていることを危惧した。彼は民族性を薄めたヘルマン・コーエン流のユダヤ教解釈は、決してユダヤ人の生の基盤にならないと主張した(25)。彼はそれを、キリスト教に妥協した、「より安易で、よりエレガントで、よりヨーロッパ的で、より社交的な形式」(26)のユダヤ教として退けた。彼が求めたのは、より民族的な形のユダヤ教であるが、しかしそれは硬直した伝統的ラビ主義であってはならなかった。彼はラビ主義をユダヤ人の精神的発展を抑圧してきた桎梏と見るからである。そこで彼は「ユダヤ教の革新」(これは彼の講演の題の一つである)をめざし、その結果、東欧のハシディズムを現代的に再解釈し、それを彼の宗教的・民族的イデオロギーの「基盤」とした。ブーバーのシオニズム・イデオロギーの中では、「基盤=大地(Boden)」という語には、生の宗教的根拠と、そしてパレスチナの大地という、二重の意味が同時に込められている。

 だが、『万里の長城』の語り手は、作品前半部においてブーバーのこのようなイデオロギーを「曖昧模糊とした」ものとして批判した。語り手、あるいはカフカは、西ユダヤ人の生が「基盤」を欠いたものであるという病状診断の点においてはブーバーと同じ見解なのであるが、彼のイデオロギーを、西ユダヤ人としての自己の、あるいは民族としての西ユダヤ人一般の生の「基盤」として受け入れることはできない。シオニズムとの関わりにおいて彼にできるのは、せいぜい「地団太を踏みながら小舟に飛び乗った船頭」のように、シオニズムという民族的事業の記録者となり、報告者となることである(27)。だが、それによっては彼自身の生の「基盤」の不確かさという問題は解決されない。この「基盤=大地(Boden)」という語は、カフカが一九一七年一〇月からボヘミアの農村チューラウで開始したアフォリズム的考察の中で、「弱点」という語と一緒に再び出現する。このアフォリズム的考察は、『万里の長城』、そして短編集『田舎医者』で行なった考察をさらに深化させた、西ユダヤ人の生の「基盤」に関するカフカ独自の探求の試みと見ることができるのである。

(1) 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」(『思想』第七九六号、一九九〇年一〇月)。以下ではこの論文を「民族、国家、宗教」と呼ぶ。

(2) 拙稿「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」(『思想』第八一六号、一九九二年六月)。以下ではこの論文を「ユダヤの非合理的な伝承」と呼ぶ。

(3) 以下においては、『万里の長城』のテクストは論文中に頁数をもって示す。使用テクストは原典批判版のカフカ全集である。

 Franz Kafka, Nachgelassene Schriften und Fragmente I. Hrg. von Malcolm Pasley, Frankfurt/M. 1993.(テクスト本体。これから引用するときは、頁数をただ数字のみで示す)

 Franz Kafka, Nachgelassene Schriften und Fragmente I. Apparatband. Hrg. von Malcolm Pasley, Frankfurt/M. 1993.(校注巻。こちらから引用するときは、頁数の前にAと記す)

 なお、対応する日本語訳は『決定版・カフカ全集』(新潮社)第二巻の頁数を< >内に示す。ただし、訳文は原典批判版から筆者が訳したもので、新潮社版とは必ずしも一致しない。

(4) マックス・ヴェーバー『社会学の根本概念』(岩波文庫、一九九二年)八六頁。

(5)  Chris Bezzel, Mythisierung und poetische Textform, in: K. E. Grözinger/S. Moses/H. D. Zimmermann, Kafka und das Judentum, Frankfurt/M. 1987, S. 199f.<『カフカとユダヤ性』[教育開発研究所、一九九二年]三〇九頁以下>

(6) Duden. Das große Wörterbuch der deutschen Sprache in 6 Bänden, Mannheim 1977.  以下においても、断わりのないかぎり、単語の語義はこの辞書による。

(7) Wörterbuch der deutschen Gegenwartssprache. Hrsg. von R. Klappenbach und W. Steinmetz, Berlin 1978.

(8) ギュンター・アンダースは皇帝を神と解釈し、「皇帝の死」に「神の死」を見ている(Günther Anders, Kafka. Pro und Kontra, München 1972, S. 85<アンダース『カフカ』彌生書房、一九七一年一五〇頁)。これに対してペーター・バイケンは、カフカのテクストを引き合いに出して、皇帝は普通の人間にすぎない、と主張している(Peter Beicken, Franz Kafka. Eine kritische Einführung in die Forschung, Frankfurt/M. 1974, S. 312)。この作品のようにきわめてアレゴリー的な性格の強い作品において、カフカの描写を文字通りに解釈するのは的外れであるが、皇帝の神性を否定する点においてはバイケンは正しい。

(9)  Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, S. 175.

(10) これまで二つの拙稿で言及してきたアンダース、シレマイト、ロバートソンの他に、マルト・ロベールもこの作品にユダヤ問題を見出している(マルト・ロベール『カフカのように孤独に』〔人文書院、一九八五年〕、三四頁以下)

(11)  小学館独和大辞典。

(12)  「民族、国家、宗教」一一九頁。

(13)  アイザック・ドイッチャー『非ユダヤ的ユダヤ人』(岩波新書、一九七〇年)六〇頁。

(14)  Robertson, ibid., S. 174.

(15)  Franz Kafka, Nachgelassene Schriften und Fragmente II. Hrsg. von Jost Schillemeit, Frankfurt/M. 1992, S. 186f. <『決定版・カフカ全集』第三巻、一五〇頁以下>

(16) Franz Kafka, Tagebücher. Hrsg. von H.-G. Koch, M. M ller und M. Pasley, Frankfurt/M. 1990, S. 563 <『決定版・カフカ全集』第七巻、二二一頁>

(17) 拙稿「カフカにおける《ユダヤ人》問題」(『へるめす』[岩波書店]第二五号、一九九〇年五月)

(18) 興味深いことに、これはまた社会学者ヴェーバーのユダヤ人に対する診断とも軌を一にしている。彼はこう述べている。「こういう感情〔共通の事情やその結果に対する感情〕が基礎になって、彼ら〔人々〕が互いに相手を意識して行動するようになって初めて、彼らの間に〔・・・・〕ある社会関係が生まれ、この社会関係が一体感を含むようになって初めて、共同社会が生まれるのである。例えば、ユダヤ人の場合、シオニズムを奉じるサークルや、ユダヤ人の利益を守るための若干の利益社会関係の行為を別にすると、共同社会はあまり見られないし、彼ら自身、これを明らかに拒否することが多い」(ヴェーバー前掲書、六九頁)

(19)  Martin Buber, Mein Weg zum Chassidismus, in: Martin Buber, Werke, Band 3, M nchen/Heidelberg 1963, S. 966. <ブーバー『祈りと教え』(理想社、昭和四四年)一七頁以下>

(20) 「民族、国家、宗教」一一四頁。

(21) ブロート版では作品本体とは別の遺稿として扱われていた「船頭」の段落は、原典批判版では作品の一部にされている。本稿でいう「結末部」とは「船頭」の段落の直前の段落のことである。

(22)  「政府」(Regierung)とは「統治=支配」(Regierung)のことであるから、カフカがここで述べているのは、皇帝に関して曖昧な見解が支配するようになったのは、その見解の支配力が弱かったからだ、という一種のトートロジーである。

(23)  ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(リブロポート、一九八七年)

(24)  Franz Kafka, Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe. Hrsg. von Jürgen Born und Michael Müller, Frankfurt/M. 1983, S. 293 <『決定版・カフカ全集』第八巻、一八九頁>

(25) ブーバーとコーエンの論争については「ユダヤの非合理的な伝承」一〇一頁以下を参照されたい。

(26) Martin Buber, Die Erneuerung des Judentums, in: Der Jude und sein Judentum, Gerlingen 1993, S. 30.

(27) 「民族、国家、宗教」一二四頁。

inserted by FC2 system