カフカにおけるショーペンハウアー

 

中澤英雄

 

一 カフカと哲学

 プラハ出身のドイツ語系ユダヤ人作家フランツ・カフカ(一八八三一九二四)が、『変身』、『訴訟』、『城』などの作品によって、ドイツ文学だけではなく現代文学全体に大きな影響を与えたことはすでによく知られている。周知のように、カフカの作品はたいへん謎めいた内容で、現在でもその解釈をめぐって様々な研究書や研究論文が出版されている。

 そのような中で、哲学的な視点からカフカ作品にアプローチする研究は、かつては盛んに行われたものだが、現在では下火になっている。第二次世界大戦前はあまり有名ではなかったカフカが、戦後、大きなブームを引き起こしたのは、戦後の一時期に流行した実存主義哲学と無関係ではなかった。実存主義哲学では人間が根本的に投げ込まれている不条理な状況を問題とするが、人間が突然昆虫に変身したり、犯罪をしていないのに逮捕されたり、目標に到達したいと努力を重ねながら結局すべてが徒労に終わるというカフカの作品に、戦後の思想家たちは、自分たちが置かれ、また実存主義が問題としている状況を見出したのである。

 カフカ作品に対しては、実存主義哲学以外にも様々な解釈の準拠枠が適用された。しかし、他の学問分野の用語でカフカ作品を解釈する試みは、次第にその恣意性が意識されるようになってきた。たとえば、マルクス主義の用語で、精神分析学の用語で、あるいは神学の用語で、カフカ作品をうまく説明したように見えたとしても、それはカフカ作品の中の、自分のテーゼに都合のよい部分を取りだし、それをもっともらしく利用していることにほかならないことが次第に明らかになってきた。哲学的な解釈もその例にもれない。そして、哲学にも流行があり、実存主義が流行らなくなると、実存主義的なカフカ解釈も流行らなくなった。最近のカフカ研究でそのような解釈にお目にかかることはほとんどない。

 カフカ作品をある特定の解釈枠にはめ込もうとするこのような試みとは異なった、カフカと哲学に関する実証的な研究が、散発的ではあるが時々行われている。本稿はカフカとショーペンハウアーの関係についてそのような方向性の研究を提示する試みである[1]

 まずカフカの哲学一般に対する関係から見ていこう。カフカはプラハ大学では法学を専攻したが、大学では哲学の講義も聴いた。そのときの教授は、フランツ・ブレンターノの弟子のアントン・マルティ(一八四七一九一四)であるが、カフカはマルティの授業にとくに影響を受けた形跡は見えない[2]。しかし、カフカは個人的に何人かの哲学者の著作をよく読んでいたことが、彼の日記、手紙、残された蔵書などから判明している。彼が読んだのは、キルケゴール、ニーチェ、ショーペンハウアー、パスカルなどである。また、カフカの友人・知人のユダヤ人の中にも哲学者は少なくなかった。その中で最も有名なのはマルティン・ブーバー(一八七八一九六五)であるが[3]、ほかにもフーゴー・ベルクマン(一八八三一九七五)、フェーリクス・ヴェルチュ(一八八四一九六四)という哲学者がカフカの友人で、カフカは彼らの著作をよく読んでいた。ベルクマンはカフカの小学校からギムナジウム卒業までの同級生で、カフカの学年の中では最も学業に秀でていた。数学が苦手のカフカは、数学の勉強ではいつもベルクマンの助けを借りたと言われている。ベルクマンはプラハ大学でマルティのもとで学んだあと、カント哲学を専攻し、のちにはパレスチナに移住し、エルサレム大学の学長になった。カフカはベルクマンの『ヤヴネとエルサレム』(一九一九)というユダヤ神学的な著作を読んでいたことは確実である。

 ヴェルチュはマックス・ブロートとともに『観照と概念』という哲学書を一九一三年に共同執筆しているが、カフカはこれを読んで理解困難であった、と告白している[4]。一九二〇年にヴェルチュが出版した『恩寵と自由』という著作もカフカは読んでいる[5]

 ブロート(一八八四一九六八)はカフカの最も親しい友人で、カフカの死後、カフカ作品の編集者となり、カフカを世界的に有名にした人物である。ブロートは、カフカが生きていた時代、カフカよりも有名な作家であったが、同時に宗教哲学者という一面もあり、一九二一年に『異教・キリスト教・ユダヤ教』という宗教哲学書を出版している。

 カフカはこれらの哲学者や哲学書に関するコメントを書き残している――最も多くのコメントが残っているのはキルケゴールに関してである[6]――ので、それらのコメントから、カフカがそれらの著作をどのように読み、どのように解釈したのか、ということを具体的に解明することができる。カフカ作品に関する哲学的研究として今後も学問的に意味があるのはこのような方向性の研究であろう。

 

二 カフカのショーペンハウアー読書

 様々な状況証拠からは、カフカがショーペンハウアーをかなり熱心に読んでいたことがうかがわれる。

 若き日のカフカはニーチェに心酔していた時期があった。オスカー・ポラクというギムナジウム時代の友人がニーチェ主義者で、カフカはポラクの影響を受けてニーチェを読み出したようである。残された記録から、彼が『ツァラトゥストラ』と『悲劇の誕生』を読んだことが判明している[7]

 カフカはプラハ大学に在学中に、生涯の友人となるブロートと知り合いになるが、そのきっかけは、ブロートが大学で一九〇二年十月に行った「ショーペンハウアー哲学の運命と未来」と題する講演を聴いたことである。このころのブロートは熱烈なショーペンハウアー主義者で、講演の中で彼はショーペンハウアーをほめ上げ、逆に、師を裏切ったニーチェを「いかさま師」としてこき下ろした。講演のあと、カフカはブロートに話しかけ、ブロートの議論の粗雑さを批判した、とブロートは彼の『カフカ伝』の中で書いている[8]

 カフカはブロートを通してショーペンハウアーへの関心を呼び起こされたものと思われる。カフカの蔵書[9]にはコッタ世界文学文庫版のショーペンハウアー全集が残されているが[10]、これは大学生当時(一九〇一〇六)に購入したものだと推測される。というのは、ブロートが次のようなエピソードを伝えているからである。ブロートは一九〇六年二月、ベルリンの週刊誌『現代』に「美学のために」という論文を発表したが、彼はその中で、「美しい」というカテゴリーは「新しい」のそれによって置換できる、と主張した。この粗雑な議論に対して、カフカは次のように反論したという。

 

「ただ新しい表象のみが美的な喜びを喚起すると言ってはならない。意志の領域に転落しない各表象が美的な喜びを喚起するのだ。しかし、最初のように言うならば、そのことは、我々はただ新しい表象のみを、我々の意志領域が接触されないような形で受けいれることができる、ということを意味することになるだろう。さてしかし、我々が美的に評価しない新しい表象があることはたしかだ。それでは、我々は新しい表象のどの部分を美的に評価するのであろうか。問題はそのまま残る。」[11]

 

 ブロート自身も述べているように、カフカの反論は明白に、意志に束縛されない美的観照というショーペンハウアーの美学に基づいている。カフカは一九〇六年までにショーペンハウアーをかなり読みこなしていたことがうかがわれる。

 カフカはショーペンハウアー全集のほかにも少なくとも二冊、ショーペンハウアー関係の本を読んでいた。一冊は彼の蔵書に含まれているグヴィナーの『身近に接したショーペンハウアー』(Wilhelm Gwinner, Schopenhauer's Leben. Zweite, umgearbeitete und vielfach vermehrte Auflage der Schrift: Arthur Schopenhauer aus persönlichem Umgange dargestellt, Leipzig: F. A. Brockhaus, 1878)である。もう一冊は、蔵書には残されていないが、パウル・ヴィーグラーの『ショーペンハウアー。書簡、素描、会話』Paul Wiegler, Schopenhauer. Briefe, Aufzeichnungen, Gespräche, Berlin/Wien 1916)である[12]。カフカの知人の文芸批評家の手によって編纂されたこの本は、ショーペンハウアー自身の手紙、自伝的手記、同時代人との会話などを集めたアンソロジーで、ショーペンハウアーの人間的側面を紹介する内容になっている。

 カフカがショーペンハウアーをかなり高く評価していたことは、妹のオットラとグスタフ・ヤノーホの証言からも裏づけられる。オットラは一九一六年に兄と一緒にショーペンハウアーを読んだと手紙に書いている[13]。また、カフカの晩年の年下の知人ヤノーホは、彼からインゼル文庫版のÜber Schriftstellerei und Stil(著述と文体について)を送られたと証言している[14]

 

三 カール・クラウスとショーペンハウアー

 蔵書などからはショーペンハウアーに対するカフカの強い関心がうかがわれるのだが、カフカが日記や手紙の中で実際にショーペンハウアーに言及しているのは実は非常に少なく、二箇所しかない。一箇所は一九二一年六月のブロート宛の手紙に出てくる。そこでは、カフカがユダヤ系の文芸批評家カール・クラウスを批判するときに、ショーペンハウアーの名前を引き合いに出している。

 クラウスは自分自身がユダヤ系(カトリックに改宗)でありながら、ドイツ語系ユダヤ人作家を痛烈に批判したことで有名である。カフカはこの手紙の中で、

 

〔K1〕「このドイツ語系ユダヤ文学の世界で、彼〔クラウス〕は本当に君臨している〔……〕。このドイツ語系ユダヤ人の世界では、ほとんど誰もがマウシェルン〔イディッシュ語なまりのドイツ語〕しかしゃべれないにもかかわらず、クラウスほど巧みにマウシェルンできる者はいないのだ。」(Br 336)

 

と書いている。カフカの批判の最後でクラウスとショーペンハウアーが比較されている――「ちなみに、それ〔クラウスのユダヤ性に対する態度〕にはある種の正当さがあるが、それはショーペンハウアーが、自分が認識した絶え間なき地獄落ちの中で、けっこう陽気に暮らしたのと同じ正当さなのだ」(Br 337)

 つまりカフカは、クラウスが自身もユダヤ人でありながらユダヤ人を批判している正当さと、人生が地獄であることを認識しながら、その人生をある程度楽しく過ごしたショーペンハウアーの正当さは同じだ、と皮肉を言っているのである。クラウスに対するコメントから、カフカがショーペンハウアーにおける哲学と実人生との乖離を皮肉な目で見ていたことがうかがわれるのであるが、カフカのこのような見方は、グヴィナーやヴィーグラーの伝記的著作がもとになっているものと推測される。

 

四 覗きからくり

 カフカがショーペンハウアーの名前をあげているもう一箇所は、ミンツェ・アイスナーという若い女性に宛てた手紙の中である。そこでのショーペンハウアーへの言及はたいへん興味深いので、少し詳しく扱ってみよう。この手紙は一九二一年三月下旬に書かれたものであるが、この中でカフカは以前に読んだショーペンハウアーの文章を記憶から次のように再現している。

 

〔K2〕「それ以外では、ミンツェ、私があなたの現在の生活をとびきり素晴らしい(schön)と思っているのは誇張だ、というのは、あなたがおっしゃる通りです。でも、そう思わないわけにはいかないのです。哲学者のショーペンハウアーはこの問題について、どこかでこんな所見を述べていました。今はごく大まかにしか再現できませんが、こんなことです。「人生を素晴らしいと思う人たちは、そのことを一見じつに容易に証明できる。彼らは世界を、たとえばバルコニーの上から指さしてみせる以上のことは、何もしなくていい。何はともあれ、晴れた日であろうと曇った日であろうと、世界は、人生は常に素晴らしい(schön)だろう。その土地は、多様であろうと単調であろうと、常に美しい(schön)だろう。民族の生活、家族の生活、個人の生活、それらが容易だろうと困難だろうと、常に注目に値するし、また素晴らしいものだろう。けれども、それで何が証明されたというのだろうか? 証明されるとしても、世界は、もしそれが覗きからくり(Guckkasten)にすぎないのであれば、実際に無限に素晴らしいだろうに、ということにほかならない。しかし残念ながら、世界は覗きからくりではない。美しい世界におけるこの素晴らしい生活は、また実際にいかなる瞬間のいかなる細部に至るまで、生き抜かれることを欲しており、そのとき人生は、もはやまるで素晴らしいものではなく、辛苦以外の何ものでもない」。こんなふうにショーペンハウアーは言っています。〔……〕外では雪が降っていて、濡れて寒い。明日はまたつらい一日がやってくる――それはすべて、タトラの保養所のバルコニーから見れば素晴らしいのです、〔中断〕」(Br 310)

 

 まず、この手紙の背景を紹介しよう。カフカは一九一九年終わりにミンツェと知り合いになった。ミンツェは、裕福なユダヤ人家庭の出身であったが、親元を離れ、自活しながら放浪的な生活を送っていた。彼女は自分の生活の様子を時々手紙でカフカに報告していたが、カフカは彼女に落ち着いた生活をするようにアドバイスしていた。

 この手紙に先立つ一九二一年一月終わりか二月初めの手紙で、カフカはミンツェに対して、「あなたがしたことは立派で、勇敢で、誇るべきもののように思えます」(Br 300)と書いている。カフカの共感と激励の手紙に対してミンツェはおそらく、「自分の人生は決してそんな素晴らしいものではない。つらくて惨めなものだ」と返答してきたのであろう(ミンツェの手紙は残されていない)。それに対して、カフカはK2のような手紙を書き、その中でショーペンハウアーに言及したのである。

 カフカの引用の典拠は明らかに、『意志と表象としての世界』続編第四六章「人生の空虚と苦悩について」の次の箇所である。

 

〔S1〕「そしてこの世界は、苦痛と不安にさいなまれている生物が、一方が他方を食らうことによってのみ生をつないでいる修羅場であり、したがって猛獣はいずれも他の数知れぬ動物たちの生ける墓場であり、猛獣の自己保存は拷問死の継続であり、やがて認識とともに苦痛を感ずる能力が増大し、したがってこの能力は人間において最高度に達し、人間の知性が進むにしたがって、いっそう高度なものとなる。――人はこのような世界に楽観主義の体系を合致させようとし、この世界がおよそ可能な世界の中で最善の世界であることを我々に証明してみせようとするのである。その不合理たるやはなはだしい。――ところが、ある楽観主義者が私に命じていわく、眼を開いてこの世界を覗きこんでみよ、山あり、谷あり、川あり、草木あり、動物等々あり、陽光に照り輝くこの世界はかくも美しい(schön)ではないか、と。――しかしながら、世界はいったい覗きからくり(Guckkasten)であろうか。これらのものはいかにも見るのには美しい。しかし、これらの事物であることはまったく別ものである。」(訳文の傍点部は原文の隔字体。Bd. 3, 667)

 

 カフカがショーペンハウアーのこの一節を記憶にとどめ、ミンツェに引用したのはおそらく、世界を「覗きからくり Guckkasten」にたとえる巧みな比喩のためであろう。ショーペンハウアー全集の中で、彼が「Guckkasten」という単語を使っている箇所はこの章しかない。

 ただし、カフカのこの引用は、ショーペンハウアーの原著というよりも、ブロートの『異教・キリスト教・ユダヤ教』の記述に基づいているのではないか、とT・J・リードは指摘している[15]。カフカは一九二〇年八月にこの著作をゲラの段階で読んでいるが[16]、その中でブロートは、「ところが、ある楽観主義者が私に命じていわく〔……〕しかし、これらの事物であることはまったく別ものである」の部分を正確に引用している[17]。後述するように、カフカは一九一八年に『意志と表象としての世界』続編を読んでいたので、そのときの記憶がブロートの著作によって再度よみがえったものと推測される。

 ここでまずGuckkastenについて説明しておこう。Guckkastenというのは、その名称のとおり、「gucken 覗く」ための穴のついた「Kasten 箱」である。箱の内部の底には透明な紙に描かれた絵が設置されていて、その絵が背後から日光、ロウソク、ランプなどの光で照らされている。その絵の像は四五度の角度に設置された鏡に反射されて覗き穴に到達する。覗き穴には拡大レンズがはめ込まれていて、遠近法を強調した特殊な描き方の絵ともあいまって、絵が立体的に見えるように工夫されている。のちには、ハンドルで巻きとることによって複数の絵を示し、一種の動きの効果(たとえば日の出の様子)も出せるようになった。こうなるともうアニメ映画の初期の形態である。Guckkastenに描かれた絵は、自然の風景、町の景観、ギリシャ・ローマの神話の場面、聖書の場面、戦争、火事、火山爆発の様子など様々であった[18]

 Guckkastenの原理は一七世紀に発明されたが、一八世紀の半ばから全ヨーロッパ的にポピュラーになった。各地の「Jahrmarkt 年の市」では人気のアトラクションであった。その魅力は、自分の町から出ることもないまま一生を終え、絵といっても教会の絵しか見たことのない一般民衆に、自分たちが知らない世界の様子を映像として伝えたことにあっただろう。Guckkastenはヨーロッパで最初の映像的マスメディアであった。ショーペンハウアーも年の市でGuckkastenを覗いて楽しんだことがあったに違いない。

 カフカの時代になると映画が発明され(カフカも映画を観ている)、Guckkastenは時代遅れの装置になりつつあった。ただし、映画はプラハのような大都会であったからこそ観賞可能であって、田舎ではまだGuckkastenが庶民の娯楽の一つであった。それはまた、センセーショナルな事件のいわば「再現ドラマ」のメディアでもあった。

 一八九九年四月一日、復活祭の前日にボヘミアのポルナという村で、一九歳の娘が殺されているのが発見された。レオポルド・ヒルスナーというユダヤ人が、ユダヤ教の儀式目的のために殺人を犯した、と告発された。中世の迷信がよみがえったこの事件は、世紀転換期におけるヨーロッパの反ユダヤ主義の抬頭を象徴する事件であった。ヒルスナーは死刑の判決を受けたが、のちにチェコスロバキア大統領となるトマーシュ・マサリクが興したキャンペーンによって、再審を受けることができた。一九〇一年に終身刑に変更され、最終的には一九一六年に恩赦された。この「儀式殺人事件」はボヘミア庶民の猟奇的関心を煽り、Guckkastenでも取りあげられたという[19]

 ここでカフカの引用に戻ってみよう。カフカが記憶から引用した文章と、ショーペンハウアーの原文とはかなり異なっている。

 まずショーペンハウアーにおいては、覗きからくりの比喩は、楽観主義(Optimismus)に反論するために使われている。ショーペンハウアーがこの続編第四六章で論じているように、Optimismusとは、現存の世界は、可能なあらゆる世界の中で最善の世界であるという、ライプニッツに発する世界観である。ショーペンハウアーはこの章で、ライプニッツ流のOptimismusを否定し、その反対に、現存の世界は可能なあらゆる世界のうちで最悪の世界であるという悲観主義(Pessimismus)を主張している。その論証のために彼は覗きからくりの比喩を持ち出す。世界は外から眺めれば、自分がいわば覗きからくりの覗き手であれば、美しいかもしれないが、「これらの事物であること」、つまり自分がその世界の一員であり、当事者であるならば、「それはまったく別の事態だ」とショーペンハウアーは言う。「これらの事物である」というのは、自分自身がその世界の一員となり、その中で弱肉強食の修羅場を生きるということを意味している。

 S1においてショーペンハウアーは、世界の美しさを主張するオプティミストに、山、谷、川、草木、動物、陽光という要素を指摘させているが、これらはいずれも自然界の存在である。これらの存在は「schön」だと言われているが、この「schön」は「美しい」と訳すことができる。

 カフカの引用はショーペンハウアーの論旨を基本的には正しく把握している。「残念ながら、世界は覗きからくりではない。《schön》な世界におけるこの《schön》な生活は、また実際にあらゆる瞬間のあらゆる細部に至るまで、生き抜かれることを欲しており、そのとき生活は、もはやまるで《schön》なものではなく、辛苦以外の何ものでもない」というカフカの文言は、ショーペンハウアーの「これらの事物であること」の敷衍である。

 カフカはショーペンハウアー哲学を正しく把握していたが、ショーペンハウアーを記憶から再現するときに、原文に大幅な改変を加えている。ショーペンハウアーが世界の美しさを述べるに際して自然界を引き合いに出しているのに対し、カフカは世界の「Schönheit」を、「土地 Gegend」だけにとどめるのではなく、さらに「民族の生活、家族の生活、個人の生活」にまで、すなわち自然界のみならず人間の生活全般にも拡大している。ここには、哲学者の理論的一節をより具体的に展開し、物語を紡ぎ出そうとする文学者の傾向を見出すことができる[20]。さらに、カフカが使う「schön」という言葉はもはや「美しい」とだけは訳せない。「民族の生活、家族の生活、個人の生活、それらが容易だろうと困難だろうと、常に注目に値するし、また《schön》なものだろう」というときの「schön」は、美的範疇にはおさまりきらないので、ここでは「素晴らしい」と訳しておいた。

 カフカのショーペンハウアー引用は、自分の生活は素晴らしいものではなく惨めなものだ、と書いてきたミンツェに同意するためになされている。ところが、ショーペンハウアーの引用で開始されたカフカの手紙は途中で中断しているが、この中断には理由がある。

 この頃のカフカは、肺結核の療養のために、北スロヴァキアのタトラ山地の保養所に滞在していた。カフカは、生活のつらさを訴えるミンツェに同意するために、ショーペンハウアーの覗きからくりの比喩を思い出したのであるが、ショーペンハウアーの文章を紹介しているうちに、結局、「それはすべて、タトラの保養所のバルコニーから見れば素晴らしいのです」という正反対の結論に到達してしまう。ショーペンハウアーが「世界は美しく見えるかもしれないが、本当は悲惨だ」と述べるのに対し、カフカは「あなたの人生はその悲惨さも含めてやっぱり素晴らしい」と言うのである。カフカがなぜショーペンハウアーと異なった結論に到達したのかといえば、治る見込みのない病気をかかえて保養所に閉じこもっている中年男から見れば、若いミンツェの生活は、たとえどれほど困難なものであっても、その困難さもひっくるめて、やはり素晴らしいものだと思わざるをえなかったからである。カフカはショーペンハウアー引用が不適切であることに気づき、手紙を中断した。

 

五 チューラウ・アフォリズムとの関連

 カフカのこの手紙でもう一つ興味深いのは、「その土地は、多様で(mannigfaltig)あろうと単調で(einförmig)あろうと、常にそれは美しいだろう」という箇所である。なぜかというと、この文章はカフカの次のアフォリズムを想起させるからである。

 

〔K3〕「Aは次のような錯覚にとらわれている――自分はこの世界の(dieser Welt)単調さ(Einförmigkeit)に我慢できない、という錯覚に。さてしかし、世界というものは、周知の通り、途方もなく多様である。それは、ひとにぎりの世界を手に取ってとくと眺めてみれば、いつでも確認できることである。だから、世界が単調だという嘆きは、実のところ、世界の多様さ(Mannigfaltigkeit)と十分に深く混ぜ合わされていないという嘆きにほかならない。」(NSII 104f.)

 

 ここでカフカが「A」と頭文字だけで書いているのは、Abrahamの略である。アブラハムというのは聖書創世記に出てくるユダヤ民族の始祖である。このアフォリズムは、カフカが一九一八年二月にキルケゴールの『おそれとおののき』を読んで、キルケゴールを批判するために書いた八篇のアフォリズムの中の一つである。周知のように、キルケゴールの『おそれとおののき』は、アブラハムが息子イサクを殺そうとした聖書創世記のエピソードに関する解釈である。カフカがキルケゴールの著作をどのように読み、どのように批判したのかということについてはここでは省略するが[21]、このアフォリズムで興味深いのは、「Einförmigkeit 単調さ」と「Mannigfaltigkeit 多様さ」という語が登場することである。この二つの名詞の形容詞形は、K2の手紙に「mannigfaltig oder einförmig 多様であれ単調であれ」という形で出現している。このことは、ミンツェへの手紙でショーペンハウアーを引用するとき、カフカの想念の中にキルケゴール・アフォリズムの記憶が混入したことを示唆している。

 このことは決して偶然ではない。それは以下の理由による。

 キルケゴール・アフォリズムは、カフカが一九一七年十月から一八年二月末にかけて書いた数百篇のアフォリズム群の中の一部である。カフカは一九一七年八月に肺結核を発病し、勤務先の労働者災害保険局から長期休暇を取り、九月からチューラウというボヘミアの農村で半年以上の静養生活を送った。この期間、彼は八折判ノートという小さなノート二冊に数多くのアフォリズムを書いている。それまでもっぱら文学的創作活動を行ってきたカフカが、この期間には哲学的・宗教的な内容のアフォリズムを数多く書いた。のちにカフカは、これらのアフォリズムの中から百篇あまりを選んで、アフォリズム集を作成しようとした[22]。ブロートはこれらの抜粋アフォリズム集に『罪、苦悩、希望、真実の道についての考察』という題を付けたが、カフカ自身はそのような題を付けていない。また、抜粋アフォリズム集のテクストと八折判ノートに書かれた元のアフォリズムのテクストは、若干異なっている。最近のカフカ研究においては、八折判ノートのアフォリズムは、それが書かれた場所にちなんで「チューラウ・アフォリズム」と呼ばれている。

 「チューラウ・アフォリズム」を注意深く読むと、その中にショーペンハウアーの名前こそ出てこないが、カフカがこの時期、キルケゴールの著作とならんで、ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を読み、それに影響を受けていたことが推測できる。キルケゴールとショーペンハウアーの両者の影響のもとで書かれたと推測できるアフォリズムも何篇か存在する[23]。だから、ミンツェへの手紙でショーペンハウアーとキルケゴール・アフォリズムが同時に出てくるのは、カフカにとってはきわめて自然なことだったわけである。

 八折判ノートの中には、ショーペンハウアーの影響を思わせる次のようなアフォリズムがある。

 

〔K4〕「苦悩はこの世の肯定的(positive)要素である。いや、それはこの世と肯定的なもの(dem Positiven)との間の唯一の結びつきである。ただこの世においてのみ苦悩は苦悩である。それは、この世において苦悩する者は、この苦悩のゆえにどこか別の場所で高められることになっている、というような意味でではない。そうではなく、この世で苦悩と呼ばれるものが、別の世界においては、そのまま、ただその対立からは解放されて、至福なのである。」(NSII 83)

 

 『意志と表象としての世界』続編には次のような記述がある。

 

〔S2〕「あらゆる満足、すなわちあらゆる享楽とあらゆる幸福の非在性(Negativität)と、それに対する苦痛の実在性(Positivität)を本文で示しておいたが、まず第一に、この指摘をさらに次の叙述によって確証する必要がある。/我々は苦痛は感じるが、しかし苦痛のないことは感じない。心配は感じるが、心配のないことは感じない。恐怖は感じるが、安全は感じない。我々は、飢えや渇きを感ずるように、願望は感じる。しかし、願望が満たされてしまえば、食べてしまった食物と同様で、腹の中におさまった瞬間、我々の感情にとっては存在することをやめるのである。享楽や喜びは、それがなくなるやいなや、我々はそのことを痛切に嘆くが、苦痛は、長く存在していたあとになくなっても、直接的に気づかれることはなく、せいぜいその苦痛は反省によって意図的に思い出されるにすぎない。というのは、苦痛と欠乏だけが実在的に(positiv)感じられるものであり、したがって自分自身の存在を告げ知らせるものだからである。これに対して、安楽というものは単に非在的(negativ)にすぎない。」(Bd. 3, 659f.)

 

 「苦悩はこの世のpositiveな要素である」というカフカの文章は、苦痛のPositivitätについて述べるショーペンハウアーとよく似ている。ショーペンハウアーのこの文章は『意志と表象としての世界』続編の第四六章に、まさに「覗きからくり」の比喩が出ている章にある。このことから、苦悩のPositivitätに関するカフカのアフォリズムが続編第四六章に触発されたことは確実である[24]

 ところがカフカのアフォリズムは、ショーペンハウアーの文章と言葉づかいの上では似ているにもかかわらず、思想内容には大きな違いがある。

 ショーペンハウアーはpositiv-negativ Positivität-Negativitätという対概念を用いているが、positivという語にはいくつかの意味がある。その中の一つは存在のカテゴリーに関わり、「wirklich vorhanden 実際に存在している」という意味で、独和辞典では「現実の」とか「実在の」と訳されている。positivのもう一つの意味は価値のカテゴリーに関わっていて、「bejahend, wünschenswert」という意味で、独和辞典では「肯定的」とか「都合のよい」と訳されている。

 ショーペンハウアーが用いているpositivという語は言うまでもなく「wirklich vorhanden 実際に存在している」という意味であり、negativとはその反対の「nicht wirklich vorhanden 実際には存在していない」という意味である。ショーペンハウアーの文脈では、positivは実在的、negativは非在的と訳すことができる。

 これに対して、カフカのpositivはそのような意味に解釈することはできない。カフカの「das Positive」とは「diese Welt この世」と対立的にとらえられる何ものかである。ヨーロッパの思想史的文脈で、一般的に「diese Welt この世」と対立するものといえば、「jene Welt あの世」や「Jenseits 彼岸」である。しかし、Jenseits――ニーチェの指摘をまつまでもなく――wirklich vorhanden 実際に存在する」ものということはできないので、カフカのpositivは「実在的」と訳すことはできない。ここでは詳しく論ずる余裕はないが、カフカのその他のアフォリズムから推測して、カフカが「diese Welt」に低い価値しか認めていないことは確実である。一例として、K3のアフォリズムに「diese Welt」という語が出現することを指摘しておこう。カフカのdas Positiveは、価値の低いdiese Weltに対立するものであるから、価値的に高いもの、すなわち「肯定的なもの」と訳すことができるのである。

 「苦悩はこの世の肯定的要素である」という苦悩に関するカフカのとらえ方は奇妙なものである。ショーペンハウアーにとっては、苦悩、苦痛はあくまでも忌むべきもの、避けるべきものであり、価値的には否定的(negativ)なものである。苦悩、苦痛は生への意志の肯定から生じてくるのだから、人は、そのような苦悩、苦痛を避けるために、意志を否定し、平安な死を迎えなければならないとショーペンハウアーは言う。ところが、カフカにとっては、苦悩は避けるべきものではなく、むしろ価値的にpositivなもの、肯定されるべきものなのである。

 キリスト教もある意味では苦悩を肯定的にとらえている面がある。キリスト教では、この世のあとにあの世という世界を設定し、一種の時系列の中で、「この世において苦悩する者は、この苦悩のゆえにどこか別の場所で高められることになっている」という形で、苦悩を肯定もしくは説明する。しかし、カフカはそのような考え方を否定する。カフカは、「この世で苦悩と呼ばれるものが、別の世界においては、そのまま、ただその対立からは解放されて、至福なのである」と述べる。

 このアフォリズムを理解するために、カフカの別のアフォリズムを参照しよう。K4のアフォリズムの少し前に、このアフォリズムとほぼ表裏一体をなすもう一篇のアフォリズムを彼は書いている。

 

〔K5〕「この生の(dieses Lebens)喜びはこの生そのものの喜びではなく、より高次の生(ein höheres Leben)に上昇することに対する我々の不安である。この生の苦悶はこの生そのものの苦悶ではなく、かの不安のゆえに我々が行う自虐である。」(線はカフカ。NSII 81)

 

 このアフォリズムでは、「この生の喜び」が、「より高次の生」への上昇を妨げる一種の妨害として見られている。「dieses Leben この生」はK4のアフォリズムの「diese Welt この世」に対応し、「ein höheres Leben」は「das Positive」に対応する。このK5のアフォリズムでは、「この生」と「より高次の生」は一種の上下関係でとらえられているが、このような見方にはグノーシス主義的な趣がある。

 それに対して、苦悩の肯定性に関するアフォリズムK4は、この世とあの世のキリスト教的な時系列的継続を否定し、そしてまたグノーシス主義的な上下関係も否定して、「この世で苦悩と呼ばれるものが、別の世界においては、そのまま、ただその対立からは解放されて、至福なのである」と、「即時的反転」の論理によって苦悩の肯定性を主張している。

 ヴァルター・ゾーケルは、カフカにおけるこの世と別の世界との関係はサイエンス・フィクションのパラレル・ワールドの関係に似ている、と述べている[25]。この二つの世界の間では、いわば価値符号のプラスとマイナスが逆転する。この世におけるプラスは別の世界ではマイナスに、この世のマイナスは別の世界ではプラスになる。そこで、この世において否定的なものと見なされる苦悩は、別の世界の視点から見ればプラス=至福になる。逆に、この世で肯定的に評価される「喜び」は、「より高次の生」からは否定的に評価されることになるのである。

 

六 死に関するアフォリズム

 苦悩の肯定性の背後にカフカのどのような存在理解があるのかはあとで考察することにして、カフカに対するショーペンハウアーの影響を示す別のアフォリズムを紹介しよう。カフカはチューラウで一九一八年二月二五日から二六日にかけて一連の死に関するアフォリズムを書いている。

 

〔K6〕「(1) ひとりの人間の死後、地上においてさえ、死者に関してはしばらくの間、特別に心地よい静けさがおとずれる。現世の熱気はやみ、死が続くのはもはや見えなくなり、ひとつの誤り(Irrtum)が取り除かれたように思われ、生きている者たちにさえも一息つく機会がやってきて、それゆえ臨終の間の窓は開けられるのであるが――しかしやがて、一切はただ見せかけ(Schein)にすぎないことがわかり、苦痛と悲嘆が再び始まるのである。

 (2) 死の残酷さは、死が終わりの本当の(wirklichen)苦痛をもたらしながら、終わりをもたらさないところにある。

 (3) 死の最大の残酷さ――見せかけの(scheinbares)終わりが本当の(wirklichen)苦痛をひき起こす。

 (4) 臨終の床のそばでの嘆きは、実は、ここでは真実の意味で死が死なれたのではないということに対する嘆きである。いまだに我々はこのような死に甘んじざるをえず、いまだに我々はこの遊びを続けるのである。

 (5) 人類の発展――死ぬ力の成長。

 (6) 我々の救いは死であるが、この死ではない。」(NSII 100f.)

 

 この六篇のアフォリズムでカフカは二種類の死を区別している。通常の死は実は「見せかけの死」であって、苦痛をもたらしはするが、「終わり」そのものはもたらしてくれない。これに対して、このような死ではなく、「我々の救い」となるような死、「真実の意味」での死がある。これは「見せかけの死」のように、苦痛だけをひき起こして、「終わり」をもたらさない死とは違って、真の「終わり」をもたらす死である。ただし、救いとなるような死がどのような死であるかは、それ以上詳しくは論じられていない。

 これら一連の記述は、『意志と表象としての世界』続編第四一章「死および、死と我々の本質自体の不壊性との関係について」の次の箇所に触発されている、とリードが指摘している[26]

 

〔S3〕(1)「個体性の不死を要求することは、本来ひとつの誤り(Irrthum)を無限のものへと永続化しようとすることである。なぜならば、どの個体性も根本的にはやはりひとつの特殊な誤り、逸脱、あらずもがなであり、そこから我々自身を引き戻すことこそ、生の本来の目的だからである。」(Bd. 3, 563)

(2)「通常、どの善人の死も安らかで穏やかである。だが、快く死ぬこと、すすんで死ぬこと、喜びをもって死ぬことは諦観者、すなわち生への意志を放棄し、否定した者の特権である。なぜなら、彼のみが単に見せかけ(scheinbar)ではなく、本当に(wirklich)死ぬことを欲するからであり、その結果、彼は自己の人格の存続を必要ともしないし望みもしない。」(訳文の傍点部は原文の隔字体。Bd. 3, 583 )

 

 ショーペンハウアーのテクストには、「Irrtum誤り」、「scheinbar見せかけ」、「wirklich本当に」というカフカのアフォリズムで使われた単語が登場している。カフカがショーペンハウアーに触発されたことは明らかである。

 ショーペンハウアーはこの続編第四一章で、キリスト教的な霊魂不滅観、すなわち人間の人格、個体としての永続性を説く人間観の愚かさを論じている。それでは、人間は死によって無に帰して消滅するのかといえば、そうではない。ショーペンハウアーはキリスト教とは別の形で人間存在の永遠性を確保しようとする。彼によれば、人間存在の永続性、不壊性は、生への意志に基づく。人格、個体性は生への意志という大海から生じた一つの波であり、いずれは消滅する「ひとつの誤り」であり、「あらずもがな」でしかない。しかし、たとえ死によって個体性が消滅しても、人間存在そのものは根源の意志の大海に戻り、消滅することはないので、死は少しも恐ろしいことでも悲しむべきことでもない、とショーペンハウアーは論じる。

 K6 (1)においても、ショーペンハウアーと同じように、生には否定的評価が与えられ(「誤り」、「苦痛と悲嘆」)、死によって「ひとつの誤りが取り除かれたように思われ」る、と述べられているが、この一文だけに限れば、これはショーペンハウアーの思想ときわめて近い。ところが、ここでもカフカはショーペンハウアーを微妙にずらしている。カフカの六篇のアフォリズム全体を見るならば、カフカの主張は、死によって「誤り」が取り除かれたように見えはするが、死は「見せかけ」にすぎないから、やがて「苦痛と悲嘆」という同じ「誤り」がふたたび繰り返される、というところに力点がある。ショーペンハウアーが一般的世界観を逆転し、生よりも死が望ましく、死は恐ろしいものではない、と主張するのに対し、カフカのアフォリズムはショーペンハウアーの主張をその論理的帰結にまでもってゆき、死が本来存在しないがゆえに死の苦痛が永遠に反復されることになる、という死の残酷さを語っているのである[27]

付箋

七 不壊なるもの

 ショーペンハウアーの「死および、死と我々の本質自体の不壊性(Unzerstörbarkeit)との関係について」の章は、カフカの別の一連のアフォリズムにも影響を与えているように思われる[28]。カフカは八折判ノートに「不壊なるもの das Unzerstörbare」に関するいくつかのアフォリズムを書いている。

 

〔K7〕(1)「信仰するとは、自らの内なる不壊なるものを解放することである。あるいはより正しくは、自らを解放することである。あるいはより正しくは、不壊であることである。あるいはより正しくは、あること、である。」(NSII 55)

(2)「人間は、何か不壊なるものへの持続的な信頼なしには、生きてゆくことができない。その際、その不壊なるものも、そしてその信頼も、彼にはたえず未知のままであることがありうる。この隠蔽状態の様々の可能な表現形態の一つが、人格神への信仰である。」(NSII 58)

(3)「不壊なるものは一つである。個々の人間はそれであり、同時にそれは万人に共通である。それ故、類例のないほど分かちがたい人間どうしの結びつき。」(NSII 66)

 

 カフカの「不壊なるもの」はその名称からしても、続編第四一章の標題を想起させる。「不壊なるもの」は個々の人間の存在根拠であり、同時にそれは万人に共通だと言われているが、「不壊なるもの」のこのような存在性格は、まさに個々の人間がそれであり、万人に共通のショーペンハウアーの生への意志と同じである。

 そして、人間相互の結びつきを存在根拠における人間の一体性に基礎づけている点も、両者において同じである。ショーペンハウアーは、人間は通常「個体化の原理」に目をくらまされて、個々の存在に分断されているように錯覚しているが、個体化の原理を突破することができる人間は、生への意志における自他一体性を認識し、もはや自分と他人を区別することなく、他の個体の苦しみを自分のそれと同じように感じるのだ、と述べている(正編第六八節)。倫理はまさにこのような人間存在の一体性に基礎づけられるのである。それと似ているが、カフカは、人間はお互いに「不壊なるもの」において分かちがたく結びついている存在だ、と述べる。

 さらにショーペンハウアーは、意志(物自体)の一体性に関する哲学的真理は一般民衆には理解しがたいものなので、その代用品として神話や宗教が作られたのだ、と述べているが(正編第六三節)、カフカも人格神信仰は、「不壊なるもの」に関する「隠蔽状態の様々の可能な表現形態の一つ」であると述べている[29]

 このように、カフカの思索はショーペンハウアーの哲学と非常に近いのではあるが、そこには根本的な違いがある。それは「不壊なるもの」の存在性格にある。

 ここでは詳しく述べる余裕はないが、カフカの「不壊なるもの das Unzerstörbare」は実は「肯定的なもの das Positive」と同じものを指している。ショーペンハウアーにおける存在根拠である生への意志が、究極的には苦悩であり、最終的には否定されねばならない、価値的にnegativなものであるのに対して、カフカの「不壊なるもの」は価値的に最高度にpositivなものである。したがって、カフカにおいてはK7(1)にあるように、「自らの内なる不壊なるものを解放すること」が人間にとって最も望ましいあり方となるのである。ショーペンハウアーにおいては、生への意志を「解放する」というあり方は考えられない。生への意志はあくまでも否定すべきものであるからである。

 ただし、この「不壊なるもの」という肯定的なものが解放されるためには、「この世」や「この生」が破壊されねばならない[30]。そこには必然的に苦悩、苦痛が生じてくる。カフカが、苦悩はこの世の肯定的な要素である、と言うのは、苦悩が「この世」や「この生」を破壊することによって、「不壊なるもの」を解放するからなのである。ただし、この世の破壊、この生の破壊は、この世の生を不可能にするだろう。そこに、価値的にはpositivなはずの「不壊なるもの」が、ショーペンハウアー以上の人生に対する否定的な見方、最極端のPessimismusを引き起こすという逆説が生じてくるのであるが[31]、カフカは生涯、この逆説から逃れられなかった。

 

八 城と「不壊なるもの」

 以上、カフカの手紙やアフォリズムにおけるショーペンハウアーの影響について述べてきたが、最後に、ショーペンハウアーの影響が見られるカフカの文学作品について紹介しておこう。それはカフカ晩年の長編小説『城』である。『城』では、主人公の測量士Kが城に入ろうとして様々な努力を重ねながら、ついに城に入れないまま挫折する。この城というイメージの源泉の一つにショーペンハウアーがある、とリードが指摘している[32]。ショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』正編第一巻「表象としての世界の第一考察」の第一七節でこう述べている。

 

〔S4〕「早くもここでわかることであるが、外から事物の本質に近づくことは決してできない。どんなに研究しても、手に入るのは形象と名前にすぎないのである。それは、無益にも入り口を求めつつ、その間に正面をスケッチしながら、城の周囲を歩き回るのに似ている。しかし、これが私以前のすべての哲学者が歩んだ道なのである。」(Bd. 2, 118)

 

 ショーペンハウアーのこの比喩において、城は事物の本質、すなわち生への意志(物自体)を表わしている。外からは事物の本質を把握することができない、という事態を、城に入ることができず、その周囲をうろつき回ることにたとえているわけだが、これは、城に入ろうと努力しながら、結局城に入ることができない測量士Kの試みとよく似ている。

 城の周囲を歩き回るというイメージがショーペンハウアーに由来するという直接的証拠はないが、カフカがショーペンハウアーの「覗きからくり」というイメージにひかれたように、ショーペンハウアーの「城」のイメージに触発されたということはありうることだと思う[33]。私の推測では、カフカ作品の謎めいた城は、まさにチューラウ・アフォリズムの「不壊なるもの」に相当する。ただし、このような主張を正当化するためには、周到な論証を展開する必要があるが、それは今後の課題である。

 ただし、ここで注意しなければならないのは、カフカは決して、自分の「不壊なるもの」に関する哲学的な命題や、ましてやショーペンハウアーの哲学を、物語という形で展開するために『城』という作品を書いたのではないということである。『城』という作品の執筆それ自体が、カフカの「不壊なるもの」の探究の一プロセスなのである。カフカの場合、「不壊なるもの」という明確な概念が先にあったのではなく、「不壊なるもの」を解明する途上において『城』という作品が書かれたのである。この意味で、ショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』続編の「芸術の内的本質について」で次のように述べているのは、カフカの場合にもそのまま妥当するのである。

 

〔S5〕「それゆえ、その構想が単なる明瞭な概念から生じた芸術作品は、つねに贋物である。〔……〕我々が芸術作品に感銘し、完全に満ち足りた思いをするのは、我々がいかに考えぬいても明瞭な概念に達しえない何ものかを、その芸術作品が余韻として残すときにかぎられる。」(Bd. 3, 466f.)

 

 カフカの作品は、ショーペンハウアーをもその中に取り込みながら、ショーペンハウアー哲学だけでは説明しきれない謎を残しつつ、読者を迷宮の中へと誘惑し続けるのである[34]

 

・ショーペンハウアーの引用は、Arthur Schopenhauer/Sämtliche Werke. Hrsg. von Arthur Hübscher, Wiesbaden 1972の巻数とそのあとのページ数によって示す。

・カフカの引用は、以下の略号とそのあとのページ数によって示す。

Br = Briefe 1902-1924. Hrsg. von Max Brod, Frankfurt am Main 1966 (7. bis 9. Tausend).

NSII = Nachgelassene Schriften und Fragmente II. Kritische Ausgabe. Hrsg. von J. Schillemeit, Frankfurt am Main 1992.



[1] 「カフカとショーペンハウアー」というテーマに関しては、イギリスのゲルマニストT・J・リードによるすぐれた先行研究、T. J. Reed, Kafka und Schopenhauer. Philosophisches Denken und dichterisches Bild, in: Euphorion 59, 1965, S. 160-172がある(以下ではReedと表記する)。本稿は彼の研究を一部修正し、さらに深化させたものである。

[2] クラウス・ヴァーゲンバッハの研究(Klaus Wagenbach, Franz Kafka. Eine Biographie seiner Jugend, Bern 1958, S. 106ff.)の影響によって、一時期、カフカに対するブレンターノ哲学の影響が過度に強調されたことがあった。たとえばPeter Neesen, Vom Louvrezirkel zum Prozeß, Göppingen 1972など。

[3] カフカは未完の断片「万里の長城が築かれたとき」の中で、ブーバーのシオニズム・イデオロギーを批判している。これについては、拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」(『思想』[岩波書店]第七九六号、一九九〇年十月、一一二一二七頁)を参照されたい。

[4] Franz Kafka, Briefe an Felice und andere Korrespondenz aus der Verlobungszeit. Hrsg. von Erich Heller und Jürgen Born, Frankfurt am Main 1967 (6. bis 7. Tausend), S. 317.

[5] 拙著『カフカとキルケゴール』(オンブック、二〇〇六年)、二三七頁以下。

[6] 前掲拙著はカフカのキルケゴールとの対決を詳細に解明している。

[7] 同書、一一八頁、二二〇頁以下。

[8] 同書、一一七一一八頁。

[9] Jürgen Born, Kafkas Bibliothek. Ein beschreibendes Verzeichnis, Frankfurt am Main 1990.

[10] Arthur Schopenhauers sämtliche Werke in zwölf Bänden. Mit Einleitung von Dr. Rudolf Steiner. Stuttgart: Verlag der J.G. Cotta'schen Buchhandlung Nachfolger, o.J. [1894-96].

(1. Band, Über die vierfache Wurzel des Satzes vom zureichenden Grunde.)

Zweiter Band. Die Welt als Wille und Vorstellung. 1. und 2. Buch.

Dritter Band. Die Welt als Wille und Vorstellung. 3. und 4. Buch.

Vierter Band. Kritik der Kantischen Philosophie. Ergänzungen zum 1. Buch der "Welt als Wille und Vorstellung".

Fünfter Band. Ergänzungen zum 2. und 3. Buch der "Welt als Wille und Vorstellung".

Sechster Band. Ergänzungen zum 4. Buch der "Welt als Wille und Vorstellung".

(7. Band, Die beiden Grundprobleme der Ethik)

Achter Band. Parerga und Paralipomena. I. Teil.

Neunter Band. Parerga und Paralipomena. II. Teil.

Zehnter Band. Parerga und Paralipomena. III. Teil.

Elfter Band. Parerga und Paralipomena. IV. Teil.

(12. Band, Farbenlehre; Aus dem Nachlaß.)

括弧に入れた1. Band, 7. Band, 12. Bandの三巻が欠けているが、これはカフカが買わなかったのか、買ったのに何らかの理由で失われたかのどちらかである。私の推測だが、おそらく最初から買わなかったのだろうと思われる。というのは、カフカがショーペンハウアー哲学で関心があったのは、主著『意志と表象としての世界』とその続巻、および『余録と補遺』であることが推測され、そのすべてが残された蔵書に入っているからである。カフカがショーペンハウアーの色彩論に興味をいだいたとは思われない。

[11] Max Brod, Der Prager Kreis, Frankfurt am Main 1979 [Neudruck], S. 110f. これはブロートが古い書類の中から見つけたカフカの原稿だという。

[12] 『カフカとキルケゴール』、八五頁以下。

[13] Hartmut Binder, Kafka und seine Schwester Ottla, in: Jahrbuch der Deutschen Schiller-Gesellschaft, Band XII, 1968, S. 432. 兄妹が一緒に読んだのは『生活の知恵のためのアフォリズム』だと思われる。

[14] Gustav Janouch, Gespräch mit Kafka, Frankfurt am Main 1968 [Erweiterte Ausgabe], S. 140.

[15] Reed, S. 161.

[16] 『カフカとキルケゴール』、二一七頁。

[17] Max Brod, Heidentum Christentum Judentum, Band II, München 21922, S. 279.

[18] Wojciech Sztaba, Die Welt im Guckkasten. Fernsehen im achtzehten Jahrhundert, in: Harro Segeberg (Hrsg.), Die Mobilisierung des Sehens. Bd. 1, München 1996, S.97ff.

[19] Christoph Stölzl, Kafkas böses Böhmen. Zur Sozialgeschichte eines Prager Juden, München 1975, S. 67f.

[20] このことはReed, S. 161も指摘している。

[21] 詳しくは『カフカとキルケゴール』第三章を参照されたい。

[22] キルケゴール・アフォリズムは抜粋アフォリズム集には採用されなかった。カフカがアフォリズムの抜粋と推敲の作業を行ったのは一九二〇年一一月終わり〜一二月半ばと推定される。アフォリズム集編纂作業のきっかけのひとつは、同年八月にブロートの『異教・キリスト教・ユダヤ教』を読んだことである(前掲同書、第七章)。この時期にカフカは二冊の八折判ノートを綿密に読み直したので、ミンツェへの手紙が書かれた一九二一年三月にはキルケゴール・アフォリズムをよく記憶していたことは確実である。

[23] 前掲同書、一〇二頁以下。

[24] リードは、カフカのアフォリズムは『余録と補遺』第一二章一四九節(Bd. 6, 309f.)に影響されたものだと主張している(Reed, S. 165)。『余録と補遺』の記述も『意志と表象としての世界』続編第四六章と同じ趣旨のことを語っているが、カフカのアフォリズムの直接的源泉は、Guckkastenとの関連でやはり後者であろう。

[25] Walter Sokel, Zwischen Gnosis und Jehovah. Zur Religions-Problematik Franz Kafkas, in: Franz-Kafka-Symposium <1983, Mainz>, Mainz 1985, S. 51.

[26] Reed, S. 163f.

[27] 興味深いことにカフカは一九一四年八月六日の日記に、「執筆は残念ながら死(Tod)ではなく、死にゆくこと(Sterben)の永遠の苦悶である」と書いている。彼にとって執筆は擬似的な死の体験であった。

[28] Reed, S. 165f.もこのことを指摘している。

[29] 「不壊なるもの」にはさらに、カフカがチューラウで読んでいたトルストイの神観が影響を与えているが、トルストイの「非人格的な神」にはショーペンハウアー哲学の影響がある(『カフカとキルケゴール』、八八頁)。

[30] 前掲同書、一一〇頁以下。

[31] 「不壊なるもの」においてカフカはショーペンハウアーとは逆の信仰の肯定的イメージに到達したとするリードの見解(Reed, S. 166)は短絡的で、カフカの逆説性を見のがしている。

[32] Reed, S. 168.

[33] ついでに述べるならば、『城』には、測量士Kが小さな覗き穴から隣室のクラム氏を覗くという場面があるが、この様子は覗きからくりを想起させる。

[34] ペーター・ツェルゾフスキーはカフカの戯曲断片「墓守り」(一九一六)を、ショーペンハウアー哲学の文学的形象化だと見なしているが(Peter Cersowsky, Kafkas philosophisches Drama: “Der Gruchtwächter”, in: Germanisch-Romanische Monatsschrift 40, 1990, S. 54-65)、カフカは自立した思想家であって、ショーペンハウアー哲学の解説者ではない。

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