カフカの「墓守り」における作家と民族

中澤英雄

 

 

はじめに

 カフカは、19151月に『訴訟』の執筆に行きづまって以来、文学創作力が枯渇していた。彼の執筆意欲が再び湧きあがってきたのは、191611月終わりに、プラハ城のふもとの錬金術師(アルヒミステン)小路(ガッセ)に妹オットラが見つけてくれた小部屋を仕事場にしてからである。この部屋での活発な創作活動は19174月終わり/5月初めまで続いたものと見られている[1]

 この時期の作品は、(やつ)折判(おりはん)ノートという小さなノート数冊に書かれた。それらの中から、カフカによって出版に値すると判断された作品が、短編集『田舎医者』(1919)に収録された。カフカの遺稿には8冊の八折判ノートが遺されており、執筆順にA〜Hの記号で呼ばれている[2]。このほかにも、何らかの事情で失われた八折判ノートがあと2冊存在したと推測されている。事実、カフカは1917419日のオットラ宛の手紙で、暖を取るために原稿を燃やした、と書いている(O 32)。失われた1冊はAとBの中間に書かれ、もう1冊はDとEの中間に書かれた可能性が高い[3]

 最初の八折判ノート、すなわち八折判ノートAは、191611月末〜1214日ころに記入されている(NSIA 79)。このノートの大部分を占めているのは、未完の戯曲断片「墓守り」である。このノートのその他の断片作品にも「墓守り」と似たモチーフが出現しているので、それらの断片も「墓守り」の助走や変奏と見なすことができる。錬金術師小路期の創作活動の発端に位置する八折判ノートAの作品はいずれも未完の断片に終わり、このノートから『田舎医者』に採用された作品は一篇もない。そのため、このノートの記述は従来のカフカ研究ではあまり注目を浴びなかった。しかし、注意深く検討すると、八折判ノートAの断片は、その後の八折判ノートの作品群のモチーフを先取りし、それらのテーマを萌芽的に含んでいることが判明する。本稿は、「墓守り」を中心とする八折判ノートAの断片作品を検討することによって、この時期のカフカの創作の秘密を解明することを目指す。

 

八折判ノートAの記述

 「墓守り」は多くの箇所が削除されたり何度も複雑に書き変えられたりしている。批判版全集(Kritische Ausgabe, Nachgelassene Schriften und Fragmente I = NSI)では、そのような書き変えの跡を追うことが非常に困難である。しかも批判版全集は削除部分をすべて校注巻(Apparatband = NSIA)に入れてしまっている。批判版全集のテクスト巻だけを見ていたのでは、「墓守り」という作品の全体像はまったくわからない[4]

 しかし、最近出版された歴史的批判版全集(Historisch-Kritische Ausgabe, Oxforder Oktavheft 1 = 8°Ox1)では、見開きの頁の片側に手稿のファクシミリが、その向かい側の頁には活字表記が印刷されていて、カフカの執筆状況をじかに参照することができる。本稿では、8°Ox1の活字表記を基本テクストとし、それにNSINSIAの対応頁も併記することにする。

 最初に八折判ノートA全体の記入の概要を冒頭から見ていくことにする。歴史的批判版全集はすべての断片に1〜15の番号を与え、区分している(断片番号は活字表記頁の欄外にある)。本稿もその番号を基本的には踏襲するが、いくつかの修正も加える(筆者の区分は「」で示す)。

 

[1] 壊れない夢(8°Ox1 4, NSI 267)

 最初に書かれているのは、「Unverbrüchlicher Traum 壊れない夢」という題名がつけられた、ノートで半頁ほどの短い断片(彼女は街道を走った〔……)である。この断片はその後の断片に関連する内容は含んでいないので、本稿では取り扱わない。

 

[2] 支離滅裂な夢(8°Ox1 4-7, NSI 267-268)

 その次に「Zerrissener Traum 支離滅裂な夢」という題名がつけられた断片がある。この題名の下には下線が引かれている。断片[1][2]の題名にいずれも「夢」という語が使われていることは興味深い。後述することになるが、カフカの執筆は半覚醒の特殊な意識状態で行なわれていたふしがある。その意識状態の中で浮かび上がってくる文学的イメージをカフカは「夢」と名づけているように思われる。

 この断片は、「昔のある領主の気まぐれによって、霊廟では石棺のすぐそばに番人を置かねばならない、と定められていた」(8°Ox1 4, NSI 267)という文章で開始されている。この番人職にフリードリヒという傷病兵が応募し、宮廷役人に連れられて霊廟に向かう途中で断片は中断している。客観的な語り手によって語られるこの小説断片は、次の「墓守り」の発端になっている。

 

[3] 墓守り@(8°Ox1 8-39)→@(8°Ox1 8-12, NS1 268-270)@(8°Ox1 12-39, NSIA 229-238)@(8°Ox1 39, NSI 270)

 「2 支離滅裂な夢」の次には、頁を改めて「engste Bühne frei nach oben 上方が開いたきわめて狭い舞台(下線つき)というト書きがついた戯曲断片が書きはじめられている。頁の最上部に小さな字で窮屈に書き込まれたこのト書きは、アンネッテ・シュッテルレも指摘するように[5]、明らかにあとから挿入されたものである。この戯曲に「Der Gruftwächter 墓守り(納骨堂の番人)」という題名をつけたのはマックス・ブロートで、カフカ自身はこのような題名を書いていないが、本稿ではこの題名を使うことにする。この断片では「フリードリヒ」は、「支離滅裂な夢」における番人の名前から、霊園の名前、さらにはその霊園に葬られている公爵の名前に変更されている。この断片は明らかに、「支離滅裂な夢」を戯曲形式で発展させようというカフカの試みである。

 ストーリーの紹介はあとで行なうことにして、ここではまず手稿の状態を説明しておく。「墓守り」には三種類の原稿が残されている。第一は「支離滅裂な夢」のあとに書かれているこのテクスト、第二は「ハンスの帰郷」(後述)のあとから八折判ノートAの最後まで書かれているテクスト、そして第三は別の用紙にタイプ打ちされた清書原稿である。第一稿は8°Ox1 8-39、第二稿は8°Ox1 64-151、第三稿は8°Ox1 155-160に掲載されている。本稿では、それぞれ「墓守り@」、「墓守りA」、「墓守りB」と呼ぶことにする。

 まず「墓守り@」。これは三つの部分に分けることができる。カフカがそのままに残している部分(8°Ox1 8-12)と、頁の左上から右下への斜線で削除した部分(8°Ox1 12-39)、そしてそのあとの2本の長い横線で挟まれた1行だけの「Um den Fürsten zu besuchen 領主を訪ねるために」(8°Ox1 39)という語句である。本稿では最初の部分を@aとし、次の部分を@b、そして最後の部分を@cとする。@aと@cは斜線が掛けられていない。批判版全集はカフカのすべてのテクストを、線で削除されているか否かという基準で区別し、線が掛けられていない部分はテクスト巻に、線を掛けられた部分は校注巻に掲載している。@aはNSI 268-270に、@bは校注巻NSIA 229-238に、@cはNSI 270に掲載されている。

 さらに@bの中でも、「どうかお一人で私のそばにいて下さい。あなたのおそばに安らうこと、それが家来に到達できる最大のことなのです」(8°Ox1 28)という4行が斜線を掛けられていない。「bitte, bleib allein bei mir. どうかお一人で私のそばにいて下さい」の文は、斜線がかかっているのかいないのか、微妙である。批判版全集はこの1行は斜線が掛かっていると判断し、次の3行のみをテクスト巻と校注巻の両方に掲載している(NSI 270, NSIA 232)。ちなみに、この文章は左横には縦に2本線が引かれて、カフカによっていわばマークされている(写真1)

 あとでも見るように、カフカが斜線を掛けたか掛けないかでテクストの扱いを区別することは、それなりの妥当性を有しているのだが、ただし@cに関しては上記のような扱いにどのような意味があるのか、やや疑問である。2本の長い横線で挟まれた@cの部分は孤立していて、「墓守り」全体の中でどこにも帰属しない。明らかにカフカは@bの記述に行きづまり、横線を引き、「領主を訪ねるために」という語句から「墓守り」を新たに書き継ごうとしたのだが、それをすぐに中断し、その次の「4 祖父の物語」に移ったものと推測できる。カフカがこの1行に斜線を掛けなかったのは、おそらくは単に忘れたのか、斜線を掛けるまでもなく利用しないと決めたからであろう。

 これに対して、歴史的批判版全集は斜線の有無による区分をせず、上記@a、@b,@cを一つのまとまりとして扱っている。斜線や書き変えの有無は、ファクシミリの手稿を見ればすぐにわかるので、それはそれで理解できる編集方針ではあるが、これにも問題がないわけではない。

 @c以降、カフカは記述を区別するとき、長い横線と短い横線を使っているが、歴史的批判版全集は長い横線のみを区切りとして認め、短い横線は記述の区切りとしては見なさない方針のようである。線の長さだけで判断する一種の機械的区別である。ただし、それならば、長い横線で区切られた@cをなぜ独立の記述として扱わないのだろうか(あとでも見るように、歴史的批判版全集は1行だけの[13]を独立した記述としている)。また、次の[4][5]の間には短い横線しか引かれていないが、歴史的批判版全集はこれを区分線と見なしている。つまり、長い直線による機械的区分の原則も必ずしも首尾一貫して適用されているわけではなく、一部では記述の内容面も区分の指標にされているのである。ところがあとで見るように、[7][15]の記述に関しては、長い横線のみを区分と見なすという形式主義で貫いたために、編集上の過ちをおかしている場合も見られるのである(後述)。残念ながら、批判版全集にも歴史的批判版全集にも欠陥があるが、現在のところ、研究者はこの二つの全集を使うしかない。

 

[4] 祖父の物語(8°Ox1 39-44, NSI 270-272)

 「墓守り@c」の1行のあとには長い横線が引かれ、その下から「Erzählung des Großvaters 祖父の物語」という題名がつけられた断片が書かれている。

 「祖父の物語」では、「レオ五世領主」(「レオ領主」という名前は「墓守り@」にも「墓守りA」にも登場する)の時代に霊廟の番人をしていた祖父が、自分の経験を孫に語るという形式を採っている。祖父は子供のころ、フリードリヒ霊園の番所に牛乳配達にやられた。おそらくそれがきっかけになって、語り手である祖父も成人してから霊廟の番人になったのであろうが、断片はそれを物語る以前で中断している。「祖父の物語」は、墓守りの仕事を「私 Ich-Erzähler」の視点から描こうとする試みである。カフカは「墓守り@」の戯曲形式で行きづまり、同じテーマを再度、小説形式で書こうとしたのであるが、それもうまく行かず、結局、あとでまた「墓守りA」の戯曲形式に戻ることになるのである。

 

[5] 屋根裏部屋にて(8°Ox1 44-52, NSI 272-274)

 そのあとに、短い横線で区切られて書かれているのは、「Auf dem Dachboden 屋根裏部屋にて」という題名がつけられた物語である。歴史的批判版全集は「短い横線+題名」を記述区分の指標にしたのである。ここでは、弁護士の息子のハンスが屋根裏に行くと、そこでハンス・シュラークと名のる猟師に出会う。これも中断。

 

[6] ハンスの帰郷(8°Ox1 52-64, NSI 274-276)

 「屋根裏部屋にて」のあとには長い横線が引かれ、別の物語が書かれている。この断片には題はないが、かりに「ハンスの帰郷」と名づけておく。父親と不仲になって異国に行ったハンスが、父の訃報を受けて、遺産整理のために故郷に戻ってくる。家には、祖父の代から仕えている老管理人、その娘、ハンスの叔父が住んでいる。これも中断。

 

 「ハンスの帰郷」のあとには長い横線が引かれ、「墓守りA」がノートの最後まで書かれている(8°Ox1 64-151)。その内容からして、「墓守りA」は@bの書き変えおよび継続であるが、このAは何度も複雑に書き変えられている。歴史的批判版全集はこの部分を7(8°Ox1 64-71)、8(8°Ox1 72-73)、9(8°Ox1 75-132)、10(8°Ox1 132-135)、11(8°Ox1 135-139)、12(8°Ox1 139-147)、13(8°Ox1 147)、14(8°Ox1 147)、15(8°Ox1 147-151)というように区分しているが、私見によればこの区分のしかたには過ちがある。その過ちは、「墓守り」という作品の内容に対する理解の欠如によって――あるいはあえて内容の読解には立ち入らない形式主義に立脚することによって――生じているものと思われる。カフカの執筆意図を正しく追跡すれば、決してこのような区分にはならないはずである。以下では歴史的批判版全集の問題点を指摘しながら、筆者の区分を提示したい。

 

[7] 墓守りA(8°Ox1 64-71)→A1

 [7]は歴史的批判版全集が「ハンスの帰郷」のあとからスケッチ頁(後述)までの箇所に与えている区分であるが、本稿ではこれをA1と名づける。

 A1は、

 

侍従 もちろん、閣下がご命じになることはすべて実行に移されます、ご指示の必要性が理解できない場合でさえも。

 

で始まっている。この箇所は、

 

侍従 もちろん、閣下がご命じになることはすべて実行に移されます。ただ、お許し願いたいのでありますが、私には閣下のご指示の必要性がまだ理解できないのであります。(8°Ox1 12-15)

 

で始まる@bの書き変えである。したがって、@aは@bと@cを飛び越えてA1にスムーズに接続する。

 カフカは、ノートで3頁半(8°Ox1 64-71)進行したところで、すぐに一時的に執筆に行きづまった。A1の最後の部分がノート1頁以上にわたり、斜めの線で削除されている。削除されたのは、墓守りが寝椅子に横たわる次の場面である。

 

領主 カストール! カストール!

番人(返事をしようと努力する。ハンカチを引っ張り出し、顔をぬぐう。しかし、あまりに困憊して、しゃべることができない。)

領主 <こんな見張りをつけさせて、死者に対する畏敬か>〔この部分は削除されている〕番人! 番人!

侍従 あまりにひどいです。それは知りませんでした。宮内長官と話しましょう。

領主 宮内長官の罪ではない。

侍従 私もまさにそのことを言うつもりでした。非常に多くの配慮と結びついている巨大な営みにおいては、どんなにその気になって精密きわまりない監視をしていても、時たま局部的な混乱が生じるのは不可避です。そういう混乱はまた全体を傷つけることもありません。全体が混乱なく進行している場合、個別のことを<とくに>鋭く目にとめ、それがいわばここの寝椅子の上のこの人間によって管理されているのを見出すときは、人はしばしばもちろんそれだけ余計にびっくりするのです。

領主 あるいは、だめにされているのを見出すときにな。

侍従 たしかに。(8°Ox1 68-71, NSIA 245)

 

 これは@bの次の箇所の書き変えである。

 

領主 カストール!

番人 ご命令ですか、閣下?

領主 お前の最期の時が来たようだな。

番人(苦労して何とか笑う) ただ見かけだけでございます、じきに気分がよくなります――まだかなり元気でございます――比較的元気で――まだ務めを果たしております。

領主 信じられんな。ほとんど歩くことも話すこともできないではないか。(8°Ox1 19-20, NSIA 230)

 

 A1の記述は@bのそれよりも長くなっているし、ニュアンスも異なっている。「巨大な営み」に関する侍従の言葉は、おそらく宮廷という組織の運営について語っているのであろうが、その意味するところは曖昧である。「それがいわばここの寝椅子の上のこの人間によって管理されている」という文章は、宮廷は番人の想像によって生みなされている領域だ、という意味に解釈することさえできる。「非常に多くの配慮と結びついている巨大な営みにおいては、どんなにその気になって精密きわまりない監視をしていても、時たま局部的な混乱が生じるのは不可避です」という一文は、『訴訟』の裁判所の性格にそのまま当てはまる[6]。カフカはここでおそらく、作品を『訴訟』的な方向に展開させるべきか否かという迷いが生じ、一時的に書き進むことができなくなったものと思われる。彼の執筆の停滞を示しているのは、ノートの次の頁に書かれている「墓守り」と関係のない短い記述とスケッチである。

 

[8] 断片とスケッチ(8°Ox1 72-73)

 この短い断片と、その下に描かれた絵は「墓守り」の流れを中断している。まずその断片を訳出しておこう。

 

 馬が前に引かれてきた。男は躊躇した。女は同意のしるしとして両目を閉じた。街道からは一群の騎手がやってきた。人々は互いに挨拶した。(8°Ox1 72-73, NSIA 245)

 

 カフカの執筆の一つの特徴は、ある物語の執筆中に、それとは関係のない物語が突然書かれることである。その代表例は、「ある学会への報告」の途中に書かれている「翼をもった老人」の断片であるが[7]、「墓守り」でも似たようなことが起こっているわけである。この断片はおそらく「墓守り」の執筆中にカフカに浮かんできた文学的イメージなのであろう。

 鉛筆がきのスケッチは批判版全集には掲載されていないし、その絵柄についての説明もない。批判版全集は文字テクストだけを掲載すればよいと考えたのであろうか? 絵を掲載しなかったのは批判版全集の重大な欠陥である。

 この絵では、馬車を引く馬が、勾配が50°から60°もある急な斜面を登っているようである。馬の体は線のように長く伸びている。馭者が馬に鞭を振るっている。馬車を後ろから4人の人間が押しているようである。馬車の屋根には×形のものが立っている。かたわらに両手を万歳した二人の人間がいる(写真2)

 アンネッテ・シュッテルレは、この絵に驚くほど対応する記述が1912820日の『日記』に書かれていることを指摘している。

 

 今朝、(から)の干し草用荷馬車と、それを引いている痩せた大きな馬。両者は斜面を登るためにあらんかぎりの努力をしており、体が異常に伸びている。見ている人たちにとっては斜めの位置にある。馬は前脚を少しあげ、首を斜めと上方に伸ばしている。その上に振るわれる馭者の鞭。(T 431)

 

 この記述はたしかに絵とよく合う。この記述はカフカがプラハの町で実際に見た光景なのだろうか、それとも彼の内面に浮かんできたイメージあるいは夢の描写なのだろうか? カフカは明け方近くまで執筆することがあったから、後者の可能性も捨てきれない。

 いずれにせよ、1916年に記入された八折判ノートAに、1912年の日記帳にある記述と対応する絵がなぜ描かれているのだろうか。シュッテルレは、八折判ノートAを執筆するとき、カフカが昔の日記帳を読み返していたのではないか、と推測している[8]。そもそもカフカのいわゆる日記帳は、単なる日記帳ではなく、創作ノートでもあった。カフカは過去の創作断片を利用し、それを変容させながら新しい作品を書いていったふしが見られる。

 馬に関する記述がある同じ820日にカフカは、その1週間前の813日にブロートの家で初めて出会ったフェリス・バウアーのことを思い出しながら、彼女の容貌を書きとめている(T 431f.)。馬の記述を読んだとき、彼は当然フェリスに関する記述も読み返し、それから4年あまりたった現在の両者の関係に想いをはせたはずである。カフカは19147月にフェリスとの最初の婚約を解消したあと、19151月に彼女と再会し、交際を再開していた。「墓守り」執筆中の1916年終わりの時点で、カフカは彼女と結婚すべきかどうかいまだに決断できないでいた。これに対し、フェリスはカフカとの結婚に積極的であったが、彼女の結婚への意欲は「精神的結婚不能者」(NSII 208)であるカフカの本性への盲目性から生まれていたのかもしれない。「男は躊躇した。女は同意のしるしとして両目を閉じた」という記述は、「墓守り」執筆時点のカフカとフェリスの関係を要約しているのかもしれない。

 それでは、断片と絵はどのように関連しているのだろうか。両者の共通点は「馬」である。男が躊躇し、女が同意する馬は、二人がともに乗るべき結婚という人生行路の乗り物を象徴しているのかもしれない。急勾配の坂を苦労して登っている馬、そしてその馬に鞭を振るっている馭者は、結婚に向かうべき二人の関係の困難さを象徴しているのかもしれない。そしてそれはまた、「様々な不可能と格闘」(F 746f.)しながら「墓守り」を何とか前進させようとしている執筆の困難さと重なっているのかもしれない。

 さらに興味深いのは、この断片が短編「田舎医者」の発端になっているように見えることである。カフカが短編集の表題として選んだこの短編作品には、手稿が残されていない。それはおそらく、八折判ノートAとBの中間に使用され、現在では失われた八折判ノートAB(191712月半ば〜19171月半ば)に書かれていたものと推測される[9]。「田舎医者」でも八折判ノートAの断片と同じように、田舎医者の前に馬が引かれてくる。田舎医者は女中のローザのことが心配で、診療に出かけることを躊躇する。両方の記述の類似性は看過できない。

 また、断片の「騎手Reiter」というモチーフは、八折判ノートABに書かれたと推測される「隣村」(この作品の最初の題は「騎乗者Ein Reiter」であったと推測されている[10])にも、八折判ノートBに書かれている「バケツの騎手Der Kübelreiter」にも出現する。

 8°Ox1 72-73の断片とスケッチは、カフカの謎めいた創作の秘密の一端を示していて、様々な連想が浮かぶが、謎のすべてを解明することは困難である。

 

[9] 墓守りA(8°Ox1 75-132)→A2(8°Ox1 75-115)A(8°Ox1 115-132)

 スケッチ頁のあとからは、8°Ox1 132の長い横線まで、記述がかなり滑らかに続いている。歴史的批判版全集はこれを一つの記述[9]としてまとめているが、このようなとらえ方には問題がある。というのは、8°Ox1 115の半ばで短い横線が引かれ、それ以降の部分はカフカによって左上から右下に向けての斜線で削除されているからである。したがって、この[9]は、カフカによって削除されていない箇所 (8°Ox1 75-115)と、カフカによって削除された箇所(8°Ox1 115-132)に分けることができる。批判版全集は両者を区別して扱っている。本稿では、前者をA2、後者をAbとする。

 A2はスケッチ頁の次から以下のように開始されている。

 

領主(再びひじかけ椅子にすわって) <カストール> 聞こえるか?

番人(答えようと努力をするが、できない。あまりに困憊している。また後ろに沈み込む。)

領主 気をしっかり持て。待ってやる。

侍従(領主のほうに身をかがめて) この男が何について報告できましょうか。ましてや信頼がおける情報や重要な情報は無理です。召使いはこやつをベッドに寝かせておくべきでした。

領主 彼はベッドにいなかった。

番人 ベッドにはいませんでした、ベッドにはいませんでした――まだ元気でございます――比較的元気で――まだ務めを果たしております。

 

 これはA1の最後の削除部分(8°Ox1 68-71)の書き変えである。つまりカフカは、「墓守り」を『訴訟』の方向に導きかねない箇所を削除し、ストーリー展開を再び@bの流れに沿った執筆に戻したのである。したがって、A1は、削除部分とスケッチ頁を飛び越えて、そのあとのA2(8°Ox1 75-115)の部分にスムーズにつながる。本稿ではA1A2A(8°Ox1 64-115)としてまとめる。Aaは部分的に削除や書き変えもあるが、基本的にはカフカによって斜線で削除されていない箇所である。批判版全集はこの箇所を一つのまとまりとして扱っている(NSI 276-288)Aaは@bとストーリー的に重なり、明らかに@bの書き変えである。カフカは「墓守り@」を読み直し、@b部分に不満を感じ、それをAaとして書き変え、@aに接続させたのである。

 これに対し、短い横線から開始されるAbでは、宮内長官という新しい人物が登場し、宮廷内の陰謀という「墓守り@」にはなかった新しい展開が始まる。Ab全体の中でも部分的に書き変えがなされているが、ストーリーの流れはほぼ一貫している。斜線を掛けられたAbの部分は批判版全集では校注巻に掲載されている(NSIA 253-261)AaとAbではストーリー的に切れ目があり、カフカも両方の部分を明らかに異なった扱い方をしているが、歴史的批判版全集にはそういう内容面に関する配慮がない。

 

 8°Ox1 132の途中で長い横線が引かれ、Abの宮内長官が登場する場面が最初から書き直されている。8°Ox1 147まで続くこの書き直しは滑らかに進まず、書き直し自体が書き直され、最終的には全部が斜めの線で削除されている。本稿ではこの部分をAcとする。Acは批判版全集では校注巻に掲載されている(NSIA 262-264)Acを歴史的批判版全集は以下のように[10][12]に区分している。

 

[10] 墓守りA(8°Ox1 132-135)→A1(8°Ox1 132-135, NSIA 261)Ax(8°Ox1 135, NSIA 261)

 歴史的批判版全集は8°Ox1 132の長い横線から8°Ox1 135の長い横線までをひとまとまりとして扱っている。この部分は、宮内長官が登場するAbの冒頭部分の書き変えであるが、すぐに中断している。

 8°Ox1 135の長い横線の前に、短い横線で区切られた次の4行の記述がある。

 

私はそれをもはや恐れていません。それどころか、あなたに私の計画を詳細にお話しすることが重要です。あなたが計画を妨害なさろうとしているので、計画を知ることがあなたにとっても重要に違いありません。

 

 これはAbの宮内長官の言葉(陰謀計画を侍従に伝える)への追加であるが、8°Ox1 132の長い横線から8°Ox1 135の短い横線までのストーリー展開とはまったく無関係である。[10]は短い横線によって明らかに二つの部分に区分けされる。本稿では、Abの冒頭部分の書き変え部分をA1とし、Abへの4行の追加部分をAxとする。

 

[11] 墓守りA(8°Ox1 135-139)→A2i

 8°Ox1 135の長い横線から8°Ox1 139の長い横線まで。この部分は、宮内長官が登場するA1の書き変えであるが、これをA2iとする。

 

[12] 墓守りA(8°Ox1 139-147)→A2ii

 歴史的批判版全集は8°Ox1 139の長い横線から、8°Ox1 147の「Luigi」の文字までをひとまとまりとして扱っているが、これが歴史的批判版全集で最も問題のある区分である。

 8°Ox1 139の長い横線のすぐ下には、挿入記号がつけられた以下の6行の記述がある(写真3、3b)

 

《挿入記号x》[11] <会話の知らせに>領主のいちばん最近の気まぐれについてお知らせ下さったことに、感謝申し上げます。

侍従 あなたがお尋ねになったことです。

宮内長官 たしかに。

 

 歴史的批判版全集はこの挿入を、Abの初め近くの部分である8°Ox1 116の《挿入記号1》に関連づけている。

 

番人(<幽霊に出会ったように>寝椅子の背後に駆け込み、身をかがめ、両手を振る)

《挿入記号1》 そいつがいることをお知らせ下さったことに、感謝申し上げます。

侍従 あなたがお尋ねになったことです。

宮内長官 たしかに。ところで

宮内長官 領主は出ていかれましたか?

侍従 あなたの<命令>助言に従って、いま領主夫人がお呼びになりました。

宮内長官 けっこうだ。(突然向きを変え、寝椅子のうしろに身をかがめる) この幽霊野郎め、よくもこの領主様のお城にまで入り込んできたものだな。したたか蹴飛ばされて、門からおっぽり出されるのが恐くはないのか。

番人 私は、私は――

宮内長官 黙れ、まずは黙るんだ。そしてここの隅っこにすわっておれ。黙っていろ。(侍従に) 《挿入記号2》 ここだけの話ですが、わざとこいつの前でお話しましょう。

 

という箇所がある(写真4、4b)。たしかに8°Ox1 1396行は8°Ox1 116と内容的に関連していて、前者は後者の書き変えである。

 しかしながら、8°Ox1 116には挿入記号が二つあって、二つの《挿入記号1》と《2》は互いに関連している。《挿入記号1》のあとの

 

そいつがいることをお知らせ下さったことに、感謝申し上げます。

侍従 あなたがお尋ねになったことです。

宮内長官 たしかに。ところで

 

の部分を、《挿入記号2》に挿入すれば、全体のストーリーが以下のように滑らかに進行する。

 

番人(<幽霊に出会ったように>寝椅子の背後に駆け込み、身をかがめ、両手を振る)

宮内長官 領主は出ていかれましたか?

侍従 あなたの<命令>助言に従って、いま領主夫人がお呼びになりました。

宮内長官 けっこうだ。(突然向きを変え、寝椅子のうしろに身をかがめる) この幽霊野郎め、よくもこの領主様のお城にまで入り込んできたものだな。したたか蹴飛ばされて、門からおっぽり出されるのが恐くはないのか。

番人 私は、私は――

宮内長官 黙れ、まずは黙るんだ。そしてここの隅っこにすわっておれ。黙っていろ。(侍従に)そいつがいることをお知らせ下さったことに、感謝申し上げます。

侍従 あなたがお尋ねになったことです。

宮内長官 たしかに。ところでここだけの話ですが、わざとこいつの前でお話しましょう。

 

 批判版全集はこの箇所を上のように読解し、整理している[12]

 それではA2ii8°Ox1 139の《挿入記号x》はどこに挿入されるのであろうか? それは、その前の頁8°Ox1 136にある《挿入記号y》の位置としか考えられない(写真5、5b)

 

宮内長官 領主は出ていかれましたか?

侍従 いま領主夫人がお呼びになりました。あなたの助言どおりです。

宮内長官 《挿入記号y》 (突然番人のほうを向いて)まずこいつを追っ払う。(召使いに向かって)こいつをフリードリヒ霊園に連れて行け。こいつのそばにいて、次の命令までこいつをもう外に出すな。

 

 《挿入記号y》に《挿入記号x》の6行を挿入すると、

 

宮内長官 領主は出ていかれましたか?

侍従 いま領主夫人がお呼びになりました。あなたの助言どおりです。

宮内長官 <会話の知らせ>領主のいちばん最近の気まぐれについてお知らせ下さったことに、感謝申し上げます。

侍従 あなたがお尋ねになったことです。

宮内長官 たしかに。(突然番人のほうを向いて)まずこいつを追っ払う。(召使いに向かって)こいつをフリードリヒ霊園に連れて行け。こいつのそばにいて、次の命令までこいつをもう外に出すな。

 

となる。批判版全集も上のように読解し、整理している(NSIA 262)

 ところが、歴史的批判版全集は8°Ox1 136の《挿入記号y》については何の説明もしていない。というか、8°Ox1 139の《挿入記号x》を誤った箇所に関連づけたために、《挿入記号y》について説明できなくなったのである。

 この過ちのために、歴史的批判版全集はさらにもう一つの過ちをおかしてしまった。

 8°Ox1 139の《挿入記号x》が付せられた6行の下には、あと12行書ける余白が残っている(写真3)。ノートのほかの頁を見ると、カフカは通常このような余白を残さず、頁の最後まで記入している。ところで、これとほぼ同じ幅の余白は8°Ox1 6の「2 支離滅裂な夢」の最後にもある(写真6)。その次の「3 墓守り@」は、横線で区切られることなく、次の頁の冒頭から書き始められている。ということは、カフカは記述を区別するときには、原則として長い横線か短い横線を用いるのだが、8°Ox1 6の最下部のこの余白は、横線こそ引かれていないが、明らかに区切りのためのスペースと見なされるし、歴史的批判版全集もそう見なしている[13]。それと同じように、8°Ox1 139頁の最下部の余白も区切りスペースと考えられる。したがって、8°Ox1 140の冒頭から始まる記述は、8°Ox1 1396行とは一応別の記述と見なされるべきである。もし8°Ox1 139の空白を区切りスペースと見なさなければ、8°Ox1 1396行は次の頁8°Ox1 140の記述に連続することになる。その場合、8°Ox1 139の《挿入記号x》は8°Ox1 147までかかってしまうことになる。8°Ox1 139-1478°Ox1 116に挿入したら、ストーリー進行が支離滅裂になってしまう。

 歴史的批判版全集の過ちを訂正するにはどうしたらよいであろうか? それには、8°Ox1 139の長い横線は、あくまでも6行の挿入のためだけに引かれたのであって、その挿入が終わったあとは、8°Ox1 140の冒頭から、8°Ox1 139の横線に至るまで続いていた元のストーリー進行に戻ったと考えるべきである。つまり、歴史的批判版全集が「11 8°Ox1 135-139」と「12 8°Ox1 139-147」というように二つの部分に分断した箇所は、本来は一連の展開なのであって、そこに6行の部分的な追加挿入が行なわれているだけだ、と見なしたほうが自然なのである。作品をそのような流れで読むと、ストーリー進行が一貫するし、批判版全集もそのように読んでいる。

 本稿では歴史的批判版全集とは異なって、「11 8°Ox1 135-139」と「12 8°Ox1 139-147」を分割することなく、A2iA2iiをひとまとまりのA2(8°Ox1 135-147, NSIA 262-264)とする。先にも述べたように、A2A1の書き変えであり、A1の記述はほぼA2に取り込まれている。

 

[13] Luigi(8°Ox1 147)

 8°Ox1 147に「Luigi」という文字(二重下線付き)が書かれていて、その下には長い横線が引かれている。Luigiは人名と思われるが、詳細は不明[14]

 

[14] 墓守りA(8°Ox1 147)→A(8°Ox1 147, NSIA 264)

 8°Ox1 147の「Luigi」の下には長い横線が引かれ、その下に@aの「つまり、必要な制度というわけだ」(8°Ox1 12, NSI 269)に続く領主の言葉が9行書かれている。本稿ではこれをAdとする。内容的にはAdは@aへの追加である。この記述も斜めの線が掛けられ、批判版全集では校注巻に記載されている。

 AbからAdまではカフカによってすべて削除されている。

 

[15] 墓守りA(8°Ox1 147-151)→A(8°Ox1 147-151, NSI 288-289)

 Adの下には長い横線が引かれ、別の記述が始まり、それがノートの最後まで続いている。この箇所はカフカによって斜線で削除されていない。内容的にはこの部分はAaから接続し、領主がいったん退室させた侍従を再び部屋に呼び戻し、侍従の顔を見た番人が卒倒する場面を描いている。批判版全集ではこの箇所はテクスト巻に掲載されている。

 批判版全集は、カフカによって斜線を掛けられなかった@a、@bの一部、@c、Aa、Aeをテクスト巻に掲載し、斜線を掛けられた部分はすべて校注巻に掲載している。

 

別紙タイプ原稿 墓守りB(8°Ox1 155-160, NSI 290-303)

 カフカはのちに、八折判ノートの手稿から「墓守り」の原稿をタイプで清書している。このタイプ原稿も8°Ox1にファクシミリで掲載されている。タイプ原稿には若干の手書きの修正も加えられている。これはカフカが朗読用に作成したものと見られている(NSIA 80)。ただし、カフカはこの作品を親しい友人たちにも朗読しなかった。オスカー・バウムは、

 

戯曲が完成したとき、彼はそれを朗読することを拒んだ。〔……〕「この作品の唯一ディレッタント的でない点は、それを朗読しないことなんだ」と彼は言った。[15]

 

と証言している。

 

 歴史的批判版全集と対応させながら筆者の区分をまとめると、八折判ノートAの記述は以下のようになる。

 

[1] 壊れない夢(8°Ox1 4, NSI 267)

[2] 支離滅裂な夢(8°Ox1 4-7, NSI 267-268)

[3] 墓守り@ (8°Ox1 8-39)

   @(8°Ox1 8-12, NS1 268-270)

   @(8°Ox1 12-39, NSIA 229-238)

   @(8°Ox1 39, NSI 270)

[4] 祖父の物語(8°Ox1 39-44, NSI 270-272)

[5] 屋根裏部屋にて(8°Ox1 44-52, NSI 272-274)

[6] ハンスの帰郷(8°Ox1 52-64, NSI 274-276)

[7][15] 墓守りA (8°Ox1 64-151)

   A(8°Ox1 64-115, NSI 276-288+ NSIA 245)

     途中:断片とスケッチ(8°Ox1 72-73)

   A(8°Ox1 115-132, NSIA 253-261)

   A(8°Ox1 132-147)

     A1(8°Ox1 132-135, NSIA 261)

     Ax(8°Ox1 135, NSIA 261)

     A2(8°Ox1 135-147, NSIA 262-264)

   Luigi(8°Ox1 147)

   A(8°Ox1 147, NSIA 264)

   A(8°Ox1 147-151, NSI 288-289)

別紙タイプ原稿 墓守りB(8°Ox1 155-160, NSI 290-303)

 

 この一覧表だけでも、「墓守り」の手稿がいかに複雑な状態であるかがわかるだろう。

 

「墓守り」の各稿の内容

 以下では、筆者の区分に従って「墓守り」の各稿の内容を簡単に紹介しよう。

 

@(8°Ox1 8-12, NS1 268-270)

 小さな書斎に領主(Fürst)と副官(Adjutant)がいる。カフカは最初、領主の対話相手を「Kammerherr 侍従」と書き、それを次に「Hofbeamter 宮廷役人」に直し、最後に「副官」にした。ところが、「A 副官」という語は途中でまた「K 侍従」に変更され、今度は最後まで「K 侍従」という語が使われている。領主と副官=侍従はフリードリヒ霊園の霊廟(Mausoleum)の地下納骨堂(Gruft)に番人(Wächter)を置くべきかどうかを議論している。上の霊園、つまり霊廟にはすでに番人がいるが、領主は地下の納骨堂にも番人が必要だと考えている。

 

@(8°Ox1 12-39, NSIA 229-238)

 @bは@aに続く部分であるが、八折判ノートでは斜線を引かれている。内容的にはAaと重なる部分が多いが、相違点もまた少しある。ここでは、Aaと違う部分を主に取り上げながら、@bの粗筋を紹介しよう。

 領主は霊園の番人を部屋に呼ばせる。番人はよぼよぼな老人で、寝椅子に寝かされる。領主は番人に「カストール!」と呼びかける(8°Ox1 19, NSIA 230)。つまり、領主は番人の名前を知っているわけである。番人は、自分は夜ごと亡霊と格闘していると語り、そのうち泣きだす。領主は両手で番人の頭をはさみ、「我々はお前に好意を持っている。私自身、お前の官職が簡単ではないと思っている。お前の努力を評価しているぞ」と言って、番人を慰める(8°Ox1 23, NSIA 231)。どういうわけか番人が侍従を恐れているので、領主は侍従を部屋から退出させる。侍従がいなくなると、番人は急に元気になる。領主は、「私は今日まで、お前が私の腹心の者だということを知らなかったよ。今日まで、私たちはほとんど話をしなかったな」と言う(8°Ox1 24, NSIA 231f.)。この記述によれば、領主は今日までは番人の名前しか知らなかったのだが、会ってみて番人が「腹心の者」だとわかった、ということになる。番人は、自分の仕事が「最も重要な宮内職」であることを領主が知っていて、その証拠に「真紅」のメダルを授与してくれた、と述べる。領主は「もっと多く表彰してやるぞ」と約束するので(8°Ox1 27, NSIA 232)、墓守りの主張を認めていることになる。

 次に番人が領主に侍従について悪口を言う。そのあと、領主は番人に「昨夜はどのように勤めたのか?」と尋ねる。番人は領主の質問に答えて、フリードリヒ公爵の亡霊の出現の様子について詳しく語る。番人の語りの中で、亡霊フリードリヒは番人に霊園の門を開けるように命ずる。フリードリヒは番人の鍵を取り上げ、レオ領主に会うために駆けてゆく(@bではAaのような格闘の場面はない)。マチルデ王女という亡霊が出てきて、フリードリヒに呼びかけるところで@の記述は終わっている(8°Ox1 27-39, NSIA 232-238)。なお、Aの記述でレオが領主の名前であることがわかる。

 

A(8°Ox1 64-115, NSI 276-288)

 「4 祖父の物語」、「5 屋根裏部屋にて」、「6 ハンスの帰郷」を挟んで「墓守りA」が書かれている。削除されていないAaの個々の文章表現は@bと少し違うが、途中まではストーリー的には重なる部分が多い。目立つ違いは、ここでは@bよりも番人と領主の親密さの度合いが幾分薄くなっていることである。Aaでも元来、領主が番人に「カストール!」と呼びかける場面が書かれていたが、その箇所は削除されている(8°Ox1 68, NSIA 245)。それ以後も、「カストール」という名前はすべて線で削除されている。「我々はお前に好意を持っている」という文章はAaにもあるが、@bにあった「お前の努力を評価しているぞ」というその次の文章はなくなっている(8°Ox1 79, NSI 279)。領主は、「私たち二人は、今日はじめて会ったが、腹心どうしというわけだ」と述べているので(8°Ox1 73, NSI 280)、ここでも領主は番人を一応「腹心の者」として認めてはいる。ただし「真紅」のメダルについて言えば、領主は、それは単に宮廷勤続25周年のメダルであって、しかも自分ではなく、祖父が与えたものだ、と訂正する(8°Ox1 84, NSI 280)。「もっと多く表彰してやるぞ」という約束もなくなっている。

 番人は領主に30年間仕えてきたと主張するが[16]、領主は自分の統治はまだ1年しかたっていない、と番人の勘違いを訂正する(8°Ox1 84, NSI 280)。領主は番人の仕事についてこれまで一度も報告も受けたことがないので、その内容について尋ねる。番人は夜ごとのフリードリヒ公爵との格闘について語る。番人は、30年前からフリードリヒ公爵と格闘していると言うが、領主は、フリードリヒは15年前に死んだと言う(8°Ox1 100, NSI 284)。この点でも、番人の主張は領主の言葉とくい違っている。

 番人の語りの中で、亡霊のフリードリヒは扉を開けるように番人に命ずるが、番人は、自分は「現在統治なさっている領主様に雇われている」と言って拒否する(8°Ox1 103, NSI 285)。これに対してフリードリヒは、自分はレオ領主に招待されているのだ、と反論する。@bの最後の部分ではフリードリヒが鍵を奪って駆けていったが、Aaでは屋外で番人とフリードリヒの格闘になり、そのうち朝が来てフリードリヒは姿を消す(8°Ox1 108, NSI 286)

 そのあと、番人は領主にイザベラ伯爵令嬢という、レオ領主と結婚したがっている別の亡霊について語る。彼女は墓守りの体中をなでさすりながら、自分だけは外に出してくれと頼むという。領主はイザベラのことをいぶかしく思って窓辺に立つ(8°Ox1 115, NSI 288)

 

A(8°Ox1 115-133, NSIA 253-261)

 ノートではそのあとに短い横線が引かれて(8°Ox1 115)Abの新しい展開が始まっているが、この部分は最終的に斜線が掛けられている。

 召使いがやってきて、領主夫人が領主を呼んでいると伝える。領主は部屋を出ていく(8°Ox1 115, NSIA 253)。そこに今度は軍服姿の宮内長官(Obersthofmeister)が登場する。侍従と宮内長官のやりとりで、領主が領主夫人に呼ばれたのは、宮内長官の策略であることが判明する。宮内長官は墓守りを敵視しており、「この幽霊野郎め」と罵倒する(8°Ox1 116, NSIA 254)。そのあとは宮内長官と侍従との間の長い対話になる。この対話で、宮内長官と領主夫人が半年前に別の宮廷からこの宮廷に来たばかりであることがわかる (8°Ox1 120, NSIA 255)。宮中には「様々な流れ」(8°Ox1 119, NSIA 254)が渦巻いている。宮内長官の見解によれば、領主は「二重の姿」をもっているが、一方の姿に傾いて正道を見失いかけているのだという(8°Ox1 123f., NSIA 255)。宮内長官は侍従を「反対派」に色目を使っていると非難し(8°Ox1 116, NSIA 254)、彼を自分の仲間に引き入れようとするが、侍従は宮内長官の陰謀に恐れをいだき、宮中の勢力争いには関わりたくないようである。対話の最後に宮内長官は、部屋の片隅にいた墓守りの存在を思い出し、墓守りを「悪の手先であるばかりではなく、まったく一本立ちした悪党」だと罵倒する(8°Ox1 132, NSIA 257)

 

A(8°Ox1 132-147, NSIA 261-264)

 ノートではここで長い横線が引かれ、Acの記述が始まるが、それはAbの書き変えである。Acの記述はA1AxA2に分けられる。A1の記述はごく短く、その内容はA2に取り込まれている。カフカはAbの書き変えとして最初にA1を書いたのだが、それがうまく行かなかったので、A1の書き変えとしてA2を書いたのである。こちらが比較的まとまった記述になっているので、以下ではA2に従う。この部分は、Ab冒頭の、領主が領主夫人に呼ばれて部屋から出て行った場面に接続する。なおAxは、宮廷の陰謀計画について述べるAbの宮内長官の言葉への追加であり、Acでは入る文脈がない。

 侍従と宮内長官が部屋の中に入ってくる。領主夫人が領主を呼び出したのは、宮内長官の策略であったことが判明する。領主がいないうちに、宮内長官は召使いに命じて、番人を霊園に連れ戻させようとする。しかし侍従は、番人は「どういうわけか領主にとって大切な人間」なので、いたわって扱うように、と主張し、さらには、馬車で運んでやれ、とまで言う(8°Ox1 136-139, NSIA 262)。番人はドアに向かう途中で叫び声をあげて倒れる。そこに領主が領主夫人を伴って戻ってくる。領主は墓守りの脈を調べ、担架で彼を医者のところに運ぶように命じる。領主は墓守りを非常に気づかっている。領主が墓守りと一緒に退場したあと、領主夫人と宮内長官が対話するが、領主夫人が宮内長官と仲間であることがうかがわれるところで、この記述は終わる。Acでは領主の「二重の姿」に関する対話は完全に消滅している。

 

A(8°Ox1 147, NSIA 264)

 Adは非常に短いが、これは@aの「必要な制度」についての領主の感想をやや膨らませているだけの記述である。この記述はタイプ原稿「墓守りB」で利用されている(8°Ox1 155, NSI 292)

 

A(8°Ox1 147-151, NSI 288-289)

 AdのあとにAeが書かれている。Ab、Ac、Adは最終的には線を引かれ、AaはAeに接続させられている。窓辺に立つ領主は、先ほど退室させた侍従を呼び戻す。侍従が部屋に入ってくるのを見るなり、墓守りは叫び声をあげて寝椅子からころげ落ちて気を失う。領主があわてて担架で彼を運ばせようとするところに宮内長官が登場し、もうじき医者が来ると告げる。領主が担架に付き添って部屋を出ていくところで、戯曲断片は終わっている。Aeでは宮中の陰謀というプロットは完全に消滅している。

 

B(8°Ox1 155-160, NSI 290-303)

 タイプ原稿Bは、@aとAaという、斜線を引かれなかった稿をもとにして作成されているが、テクストの若干の相違もある。とくに登場人物の身振りや表情を示すト書き部分が簡略化されている。このタイプ原稿は、Aaの途中の、フリードリヒ公爵は15年前に死んだ、と領主が語る途中で途切れていて、そのあとの部分は残されていない。Bは、@a〜Aeと比較してとくに新しい内容は含まれていないので、本稿では扱わない。

 

揺れ動く人物像

 何度にもわたる書き変えの跡からは、カフカがこの作品に非常に苦労したことがうかがわれる。彼は19161214日のフェリス宛の手紙で、「私の家で、私は様々な不可能と格闘していますが、それは自分がある日つくったもので、別の日には、それをつくったときよりも十倍も大きな力を使って削除するのです」と書いている(F 746f.)。批判版全集が解説するように(NSIA 79)、この一文は「墓守り」の執筆のことを指しているに違いない。カフカがこの作品に苦労したのは、主人公である番人(墓守り)と、彼をめぐる登場人物たちとの関係を明確に規定することができなかったからであろう。そのため、各稿において、領主、侍従、宮内長官の人物像がかなり揺れ動いている。以下では、これらの登場人物の役柄がどのように変動しているかを見てみよう。

 

・領主

 領主は番人に対して基本的には好意的ないしは同情的である。番人を「腹心の者」と見なしている。ただし、@bとAaを比較すると、@bでは「カストール!」と名前を呼ぶほど番人に親しく振る舞っているが、Aaでは番人に対してやや距離を置いていることが見てとれる。

 「カストール」という番人の名前は、ギリシャ神話のカストールとポリュデウケースの双子の兄弟のことを想起させる。@bの領主は番人と双子の兄弟ほどの親しい間柄なのかもしれない。しかしAaでは、領主が名前を呼びかける箇所はすべて削除されている。Aaでは、@bでは見られなかった番人と領主の間のくい違い、すれ違いも目立つ。しかし、AcやAeになると、番人が倒れたあと、領主は番人に対して再び非常に同情的になる。Aeでは、領主は、番人を自分の寝室の隣に運んでもよい、とまで述べている(8°Ox1 148, NSI 288)

 

・侍従

 @aと@bでは侍従は番人に対して冷淡である。侍従は領主に対し、「番人をおっぽり出せという命令をいただけたら嬉しいのですが」と言う(8°Ox1 20, NSIA 230f.)。番人のほうも侍従を恐れている。両者は明らかに対立関係にある。Aaでも両者の関係は基本的には同じである。「召使いはこやつ〔墓守り〕をベッドに寝かせておくべきでした」と侍従は言う(8°Ox1 75, NSI 277)

 ところがAbでは、侍従は番人に対して、冷淡ではあるが、敵対的とまでは言えない。番人に最も敵対的なのは宮内長官である。宮内長官は領主に対しても叛意をいだいているようである。ここは、「領主+番人」対「宮内長官」という対立図式が描けるが、侍従はその局外に立って中立的であろうとしているようにも見える。

 Acになると、侍従は番人に対して非常に好意的である。番人が倒れて気を失うのは宮内長官のためである。侍従は倒れた番人をかばい、馬車まで呼ぼうとする。

 Aeでは、番人に対する侍従の直接のコメントはないが、番人は侍従を非常に恐れ、その姿を見ただけで気絶する。ここでは両者の対立関係は@a、@b、Aaと同じレベルか、それ以上になっている。

 

・宮内長官

 Abで初めて登場する宮内長官は、番人に対して侍従よりもはるかに敵対的である。Acでは、彼の態度は番人に対する身体的な排除にまでなる。しかし、Aeでは宮内長官はただの連絡係で、番人に対してどういう立場にあるのかはわからない。

 

・領主夫人

 最後にほんのわずかしか登場しない領主夫人は、宮中陰謀において宮内長官の同盟者であるので、番人に対する敵対者であることは確実である。

 

 このように、登場人物の役柄が各稿で揺らいでいることは、カフカが、主人公である番人に対する領主、侍従、宮内長官の関係や態度について、明確な見取り図を描けなかったことを示している。とくに侍従は、番人に敵対的なのか好意的なのかよくわからないほど、カフカの記述は揺れ動いている。

 

「万里の長城」との関連

 このような作品の解釈はきわめて困難であるが、解釈の手がかりがまったくないわけではない。それはこの作品に出現するいくつかの特徴的な単語である。

 @aの冒頭に「責任 Verantwortung」という語が出現する。

 

領主 この件でお前を戸惑わせている唯一の点は、ひょっとすると、私が単刀直入に指示を出さずに、例外的に前もってお前に知らせたという点にあるのかもしれないな。

副官 もちろん、お知らせいただければ、私にはより大きな責任が課せられますし、その責任にお応えできるように努めねばなりません。

領主(腹をたてて) 責任など関係ない。(8°Ox1 11, NSI 269)

 

 副官(侍従)は霊廟の番人の件について何らかの「責任」を感じているのであるが、この責任がいかなる内容であるのかは、@でもAでも明確化されない。ただし、カフカが何かの「責任」について語りたかったのだ、ということだけはうかがわれる。

 「責任」という語が注目に値するのは、この語が短編集『田舎医者』の当初の題名だったからである。錬金術師小路の創作期は、カフカがマルティン・ブーバーの文化的シオニズムに接近した時期と重なる。19174月、彼が最近成立したばかりの12の短編作品を雑誌『ユダヤ人』への掲載のためにブーバーに送付したとき、彼は、「これらすべての作品とさらにほかのものも合わせて、いずれそのうち、全体の表題を『責任 Verantwortung』とする本として出版するつもりです」と書いている[17]。『責任』という題名は、『ユダヤ人』の創刊号(19164)に発表されたブーバーの「標語」を意識している。ブーバーはその中で、ユダヤ人に向かってユーデントゥーム=ユダヤ民族共同体への責任を感じるように呼びかけていた[18]。『責任』という表題は、カフカが短編集をブーバーの呼びかけに対する応答として構想したことをほのめかしている。

 カフカが八折判ノートの中で民族的「責任」の問題について言及している作品は、八折判ノートCの未完の作品「万里の長城が築かれたとき」(19173)である[19]。興味深いことに、戯曲断片「墓守り」には、「責任」という語以外にも、「万里の長城」と関連する語句がいくつも出現している。

 Abで宮内長官と侍従が領主をめぐって対話をかわすが、宮内長官の見解によれば、領主は「邪道」に逸脱しかかっているという(8°Ox1 119, NSIA 254)。宮内長官は領主の問題点を以下のように記述する。

 

 領主は二重の姿を持っています。一つの姿は統治(Regierung)にかかわり、民衆(Volk)の前で放心状態で揺れ動き、自分自身の権利を無視しています。他方の姿は、誰しも認めているように、非常に精密に基礎(Fundament)の強化を求めています。それを過去に求め、しかもますます深い過去に求めているのです。事態の何たる誤認でしょうか! 偉大さがないとはいえない誤認ではありますが、しかし、その過ちは見かけよりもはるかに巨大なのです。〔……

 領主は実際のところ、<彼の基礎の>強化など必要ないのです。彼は現在の権力手段のすべてを用いればよいのです。そうすれば、神と人間に対する途方もなく重大な責任が彼に要求することができるすべてのことを果たすのには、現在の権力手段で十分だ、ということが彼にもわかることでしょう。ところが、彼は人生の均衡をはばかり、独裁者への道を歩んでいるのです。〔……

 一方の姿が謙虚なのは、彼がすべての力を第二の姿のために使うからです。第二の姿は、たとえばバベルの塔(den Babylonischen Turm)にも十分なほどの基礎をかき集めています。このような意図は妨害されねばなりません。それは、自分の個人的な存在、領邦、領主夫人、ひょっとしたら領主ご自身のことさえも気にかけているすべての人々の唯一の政治でなければなりません。(8°Ox1 123-128, NSIA 255f.)

 

 統治、民衆、基礎、バベルの塔――これらはいずれも、「万里の長城」に出現し、重要な役割を演じている語である。ついでに言えば、「責任」という語も、上の宮内長官の言葉の中に出現している。さらに言えば、「万里の長城」においても北京の宮中における廷臣たちの陰謀について言及されている。

 「墓守り」が「万里の長城」の重要なモチーフを先取りしていることから、両作品は基本的には類似の問題を扱おうとした作品ではないか、という推測が可能になる。ただし、「歩きながら書く作家」であるカフカは、あらかじめ設定した明確な構想に従って作品を書くのではなく、「内面の湖」に浮かんできた漠然としたイメージを膨らませて書くので[20]、登場人物像に揺らぎが生じ、「墓守り」は「万里の長城」ほどの明確さで問題を扱うことはできていない。逆に言えば、「墓守り」がまだ曖昧な萌芽状態としてしか書くことができず、「様々な不可能」のために途中で放棄した問題を、「万里の長城」がもう一度取り上げ、より明確な形に仕上げたのだとも言える。つまり、「墓守り」は「万里の長城」の前駆的作品であり、「万里の長城」は「墓守り」の書き直しとして成立したと見ることができるのである[21]。以下では、完成度がより高い「万里の長城」から「墓守り」の内容を測定してみよう。

 その前に、「万里の長城」に関する筆者の解釈の要点をここに記しておこう。古代中国を舞台にするこの未完の作品は、長城建設をめぐる前半部と、皇帝をめぐる後半部という、大きく分ければ二つの部分から構成されている。作品の語り手は、前半部では長城建設と、長城建設を命ずる指導部、後半部では皇帝という、中国社会を統合している三つの「社会的装置」について考察を行なっている[22]。一見、古代中国について語っているように見えるこの作品は、実は「ユダヤ人」という語を「中国人」という語に、「Judentum ユーデントゥーム=ユダヤ民族」という語を「Kaisertum カイザートゥーム=帝国」という語に置き換えて、ユダヤ人問題について寓意的に物語っているのである。「長城建設」はユダヤ人国家の建設というシオニズム的事業の隠喩であり、「バベルの塔」は理想的なユダヤ教の隠喩である。民衆を長城建設に駆り立てる謎めいた「指導部」は、パレスチナの地にユダヤ人国家の建設を命ずる、ユダヤ教の宗教的伝承、あるいは民族の集合的()意識に対応する。「Kaiser 皇帝」は、「Jude ユダヤ人」という言語記号もしくはユダヤ人の民族的アイデンティティを指しているのである[23]

 ここで「墓守り」と「万里の長城」を対比すると、

 

「墓守り」

「万里の長城」

隠喩の内実

領主 Fürst

皇帝 Kaiser

ユダヤ人 Jude

領邦 Fürstentum

帝国 Kaisertum

ユーデントゥーム Judentum

 

という対応関係が浮かびあがる。この対比から、「領邦=フュルステントゥーム Fürstentum」とは「ユーデントゥーム Judentum」の、「領主 Fürst」とは「ユダヤ人 Jude」という言語記号もしくは「ユダヤ的アイデンティティ」の隠喩ではないか、という推測が可能になる。以下ではこの推測を検証してみよう。

 

領主の二重の姿

 宮内長官によれば、領主は「二重の姿 Doppelgestalt」を持っている。一方の姿は「統治 Regierung」にかかわっているが、他方の姿は「基礎の強化」をはかり、しかもそれを「ますます深い過去」に求めているという。

 「統治」にかかわる第一の姿は、「民衆の前で放心状態で揺れ動」いている、と述べられているが、これは「万里の長城」における、その権力が民衆の末端にまで届かない、曖昧な統治を行なっている皇帝の形姿、曖昧な帝国の制度に似ている。「万里の長城」ではその曖昧さの原因についてはこう書かれている。

 

このような見解がいだかれるようになった主要な責任はなるほど政府(Regierung)にある。今日にいたるまで、政府はこの地上最古の国家において、帝国という制度を、それが国の最辺境にいたるまで、直接的に、絶え間なく行き渡るほど明確な形に築き上げることができなかった、あるいは、何よりもそれを怠ってきたのである。(NSI 355)

 

 「万里の長城」において、「政府」=「統治」とは、ユダヤ人の民族的アイデンティティの統治状態のことである。存在するのか存在しないのかわからない皇帝、統治状況が曖昧な帝国とは、ユダヤ人の民族的アイデンティティの曖昧さの隠喩である。「統治」が「民衆の前で放心状態で揺れ動」いている領主の第一の姿は、まさにユダヤ人のアイデンティティの不明確さに対応している。

 これに対して、領主の第二の姿は「過去」の中に「基礎(Fundament)の強化」を求めているという。「万里の長城」の中では「基礎」という語は、「バベルの塔」という語とともに、ある学者によって書かれた本の内容の紹介の中に出現する。この学者は、ベストセラーになったという彼の著書において、バベルの塔は「一般に主張されているような原因」のためにではなく、「基礎の弱さ」のために失敗したのだと語っている。さらに、

 

〔その学者の主張では〕まず偉大な長城が完成されてこそ、それは人類の歴史においてはじめて、新しいバベルの塔(einen neuen Babelturm)のためのしっかりとした基礎(Fundament)をすえることになるだろう、ということであった。つまり、最初に長城、次に塔、というわけである。その本は当時広く読まれた。しかし、私は正直に告白するが、彼がこの塔建設をどのように考えていたのか、今もってよくわからないのである。(NSI 343)

 

 「万里の長城」では、「バベルの塔」は人々の形而上的・宗教的努力、具体的には理想的なユダヤ教のことを指し、これに対し、「基礎」である長城はユダヤ人国家に対応する。ブーバーをほのめかしている「学者」は、「最初に長城、次に塔」、すなわち、まず長城=ユダヤ人国家が建設されて、その国家的・民族的基礎の上に天に達するバベルの塔=理想的なユダヤ教が実現される、と論じているのである[24]

 「墓守り」では、「基礎」は過去への遡及による領主の立場の強化を指している。領主の第一の揺れ動く姿が「現在」の状況であるとするならば、第二の姿は「過去」の重視である。この過去重視は「バベルの塔」という宗教的・形而上的イメージと関係しているので、「墓守り」では「基礎」という語は、ユダヤ教という宗教的伝統に対応しているものと見ることができる。ここでは「基礎」という語は、「万里の長城」におけるようなユダヤ人国家を指してはいない。そもそも「墓守り」ではユダヤ人国家の建設に対応するイメージを見出すことはできない。つまり、「墓守り」と「万里の長城」では、同じ「基礎」という語が使われていても、そのニュアンスが若干異なっているのである。

 

ユダヤ的アイデンティティの危機

 私見によれば、領主の「二重の姿」は、「墓守り」という作品をユダヤ的アイデンティティをめぐる同化主義と民族主義の対立の文脈に置くことによって、その意味を十全に理解することができるのである。

 カフカが生きた19世紀の終わりから20世紀の初めにかけては、ユダヤ人の西欧社会への進出が頂点に達すると同時に、全欧的に反ユダヤ主義が高まってきた時代であった。18世紀の終わりころから徐々にゲットーから解放された西欧のユダヤ人は、自分たちの宗教(ユダヤ教)を希薄化し、母語(イディッシュ語)を捨てて、西欧社会への同化を目指した。ドイツ語圏の各地では1860年代終わり〜1871年に、ユダヤ人のキリスト教徒との法的平等が達成された。ところが、ユダヤ人解放の進捗はユダヤ人への社会的差別の解消にはつながらず、中世の宗教的理由によるユダヤ人差別とは異なった、人種論的な反ユダヤ主義をもたらした。反ユダヤ主義の高まりは、それまでもっぱら西欧社会への同化を目指してきたユダヤ人の側においても、民族主義の発生を促した。1894年のドレフュス事件をきっかけに、テーオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』(1896)を出版し、シオニズムを唱導した。しかしながら、同化が進んだ大部分の西ユダヤ人にとっては、遠いパレスチナの地にユダヤ人の祖国を再興しようとするシオニズムは、非現実的な夢想でしかなかった。それどころか、ユダヤ人は国家内の異民族であるという反ユダヤ主義に論拠を与え、せっかく成功しかかっている西欧社会への同化を危うくする危険思想でさえあった。ウォルター・ラカーによれば、シオニズムは当初、少数の若い知識人たちによる「幾分風変わりな運動」にすぎなかったのである[25]

 学生時代にウィーン大学で反ユダヤ主義に遭遇し、新聞特派員として赴いたパリでドレフュス事件を目撃したヘルツルにとっては、民族としてのユダヤ人が存在することは自明の事実であった。彼の目的は、そのユダヤ民族を収容する国家という容れ物を作ることであった。しかしながら、シオニズムに参加した多くのユダヤ知識人は、自分たちも含め、西欧の大部分のユダヤ人が同化の中で、国民の基盤となるべき民族的アイデンティティをすでに大幅に失っていることを認めざるをえなかった。ユダヤ教もイディッシュ語もヘブライ語も、近代西欧文化の中で生育した彼らにとっては、学習によって再獲得しなければならない縁遠い精神財でしかなかったのである。

 カフカの親友フェーリクス・ヴェルチュの従兄弟で、第一次世界大戦前にはプラハのシオニスト協会「バル・コホバ」の活動的メンバーであり、のちに週刊新聞『ユダヤ展望 Jüdische Rundschau』の編集長を務めたローベルト・ヴェルチュは、「ユダヤ的アイデンティティの忍び寄る危機」という論文で以下のように回顧している。

 

 ユダヤ的に見れば、18901914年の歴史期間は、我々の世紀〔20世紀〕のユダヤ的アイデンティティの巨大な危機の序幕であった。ユダヤ的生存の、周囲のドイツ的世界との絡まり合いは、この時代に頂点に達した。この関連において我々はユダヤ人の「解放」の実現について口にする。ユダヤ人解放は、上昇と下降、成功と後退、論争と立法という変動を伴いながら、ユダヤ人と非ユダヤ系市民〔……〕の間の関係の政治的、精神的雰囲気に影響を及ぼしつつ、ほぼ1世紀を要したのである。〔……

 このように言ってよいであろうが、この時代のユダヤ人のユーデントゥームに対する関係には、ある種の内的な不安定さが見出される〔……〕。より深い魂のレベルにおけるこの出来事に対して、多くの人々が答えを求めたが、とりわけ宗教的思想家がそうであった。彼らは、同化したユダヤ人層の大部分におけるユダヤ的教養の衰退、精神財の加速度的な喪失、そう、そのような事物に対する関心の漸進的な消滅に狼狽したのである。たとえ漠然としていて、内容的に不明確ではあるが、それにもかかわらず民族的に感得されていた伝統に対する責任を感じていた、社会的な立場にある人々もまた同様の不安をいだいていたのであった。[26]

 

 「宗教思想家」や「社会的な立場にある人々」が感じていた「内的な不安定さ」とは、まさにユダヤ人のアイデンティティの希薄化という事態であった。

 1904年のヘルツルの死後、中欧のシオニズムが、国土獲得を目指す政治的シオニズムから、内面性重視の文化的シオニズムへと重心を移動したのは、まさにこの「内的な不安定さ」に起因していた。文化的シオニズムは、近い将来のユダヤ人国家樹立の展望が開けないディアスポラの現実の中で、風化しかかっているユダヤ的アイデンティティの再発見・再強化を目指す活動であった[27]。その代表者であるブーバーは、東ユダヤ人の民衆宗教であるハシディズムの伝説や説話をドイツ語に翻訳し、実存主義的な解釈とともに西欧社会に紹介した。ブーバーは西欧の同化したユダヤ人に、西欧的教養と両立しうる形のユダヤ教精神を提供したのである。彼はこれを「宗教性」と名づけ、硬直的な「宗教」=正統派ユダヤ教と対置した。彼の翻訳と著作は、反ユダヤ主義の猖獗の中でユダヤ的アイデンティティの支えを求めていた西欧の若いシオニストたちに熱狂的に歓迎された。ブーバーの周囲にいたブロートやフーゴー・ベルクマンらの文化シオニストもユダヤ教を独自に解釈して、ユダヤ的アイデンティティの核心にすえようとした。また、ブーバーの「宗教性」の立場に反発したゲルショム・ショーレムはユダヤ神秘主義の研究に向かった[28]。ブーバーをはじめとするこれらの「宗教的思想家」は、ユダヤ的アイデンティティを何らかの形でユダヤ教に基礎づけようとしたのであるが、彼らの知的努力は宗教的な民族主義と呼ぶことができよう。

 「墓守り」という作品をこのような思想的文脈に置いて読むならば、宮廷もしくは領邦(フュルステントゥーム Fürstentum)は、その当時のユダヤ人世界、つまり「ユーデントゥーム Judentum」を表わしていると考えることができる。宮中の「様々な流れ」とは、ユダヤ人社会内部における様々な思想的潮流のことである。宮廷の中心にいる領主は、「万里の長城」の皇帝と同じように、「ユダヤ人」という言語記号、もしくはユダヤ的アイデンティティを表わしている。「民衆の前で放心状態で揺れ動」いている領主の第一の姿が、同化主義の中で希薄化しつつあるユダヤ的アイデンティティに対応するとするならば、「ますます深い過去」に「基礎の強化」を求める第二の姿は、ユダヤ教との結びつきによってユダヤ的アイデンティティの強化を企図する宗教的民族主義に対応するのである。

 

戯曲の中心人物

 以上では「万里の長城」との類似点に着目しながら「墓守り」を分析してきたが、両作品の違いもまた大きい。「墓守り」は決して出来そこないの「万里の長城」ではない。「万里の長城」の前駆的作品以上の意味をもっているのである。

 領主の「二重の姿」に関する宮内長官と侍従の対話は、削除されたAbで行なわれている。ここでは、@a〜Aaまで戯曲の中心人物であった墓守りの形姿はほとんど消えてしまっていて、最後にようやく宮内長官の罵倒の対象としてもう一度姿を現わすだけである。Abの削除とAcの書き変えは、このような展開に対するカフカの不満を示している。

 Acでは、墓守りの形姿が再び戯曲の中央に押し出されている。ここでは、宮内長官は最初から墓守りへの敵意を露わにし、言葉で侮辱するだけでなく、身体的にも墓守りを排除しようとする。これに対して侍従は、墓守りは「どういうわけか領主にとって大切」なので、彼をいたわって扱うようにと主張し、@a〜Aaの冷淡な態度から、同情的な態度に転向している。しかし、このような展開では、侍従と墓守りの対立関係がほのめかされていた@a〜Aaの部分と矛盾をきたす。さらに、墓守りをどのように処遇するのかという案件が、いわば宮中の権力闘争の焦点になっている。墓守りは、それまでその存在が忘れられていた、取るに足りない老人であるとされていたにもかかわらず、彼の処遇が重大な問題になるというのは、やや説得力に欠ける。カフカはこの改稿部分にも満足できず、それも抹消して、別の展開を書いたが、これがAeである。Aeでは@a〜Aaにおける墓守りと侍従の対立関係が整合的に保持されて、ストーリー的な矛盾は解消されているが、領主の二重の姿に関する議論が完全に消されてしまった。

 「万里の長城」は、長城建設と帝国統合の謎に関する、「私」という語り手の「比較民族史」(NSI 348)的考察として構成されている。つまり、長城と帝国こそが作品の主題なのである。「万里の長城」には墓守りに相当する人物像は登場しない[29]。これに対して「墓守り」では、なんといっても墓守りという人物が主役であり、作品の主題なのである。領主の二重の姿やバベルの塔に関するAbの議論は、この作品ではどちらかというと周縁的な話題であり、改稿によって簡単に消される程度の重要性しか有していなかったのである。言い換えれば、削除されたAbの部分が独立したテーマとして大きく展開されたのが「万里の長城」という作品だと見ることができる。両作品の根本的な相違は、まさに墓守りという登場人物にある。以下では墓守りの人物像を検討してみよう。

 宮廷における陰謀劇、すなわちユダヤ人のアイデンティティをめぐる葛藤の中で、墓守りはいかなる役割を演ずるのであろうか。彼は亡霊フリードリヒに向かって、自分は「現在統治なさっている(regierenden)領主様に雇われている」と主張している(8°Ox1 103, NSI 285)。このことは、ユダヤ的アイデンティティの問題が彼にとって重大な関心事であることを示している。彼が領主のために行なう仕事は霊廟もしくは納骨堂の管理である。

 Aaで領主は、「この納骨堂はわが一族において、人間的なもの(dem Menschlichen)と他のもの(dem andern)の境界であり、この境界に私は見張り(Wache)を置こうと思うのだ」(8°Ox1 67, NSI 276)と述べている。侍従も、それは「人間的なものから遠ざかった非現実的な事物の現実的な警護ということになりましょう」(8°Ox1 67, NSI 276)と応じている。

 「人間的なもの」とは通常の生、現実生活である。これに対して、番人が立つ境界線の向こう側に広がる「他のもの」、「人間的なものから遠ざかった非現実的な事物」とは死の世界であるが、この作品ではその領域は現実世界と完全に無縁なのではなく、ことあらば現実世界に侵入しようとしている。墓守りの役目は、フリードリヒに代表される亡霊たちを監視し、彼らの現実世界への侵入を食い止めることである。真夜中になると、フリードリヒが番人の部屋に現われ、霊廟の門を開けるように要求するが、墓守りは「勤務規定」をたてに拒否する(8°Ox1 103, NSI 285)。墓守りと格闘するフリードリヒは巨大な姿に膨れあがる。そのうち朝が来てフリードリヒは姿を消す。

 フリードリヒという名称には、フリードリヒ・バルバロッサとフリードリヒ大王への連想が利用されているとアンネッテ・シュッテルレは指摘しているが[30]、その通りであろう。

 カフカはまた明らかに、幽霊が登場する様々な文学作品も利用している。その第一は『ハムレット』である。オスカー・バウムの回想によれば、カフカが錬金術師小路の小部屋を仕事場にしていたころ、近くの書店のショーウィンドウにはシェイクスピアの新版が展示されており、彼がよく立ち止まって『ハムレット』の冒頭部分を読んでいたという[31]。カフカは『ハムレット』の独訳も持っていた[32]

 ペーター・ツェルゾフスキは、『ハムレット』以外にもカフカが影響を受けた可能性がある作品をあげている。1911年に観たイディッシュ演劇の『野生の人』、イプセンの『幽霊』、ストリンドベリの『幽霊曲』、ホーフマンスタールの『痴人と死』、ブロートの『死後の最初の1時間』などに幽霊が登場する[33]。彼がとくに重視するのはショーペンハウアー哲学の影響である。ショーペンハウアーは、『余録と補遺』に収められている「視霊とこれに関連するものについての試論」で、幽霊現象を「物自体=意志」から説明しているが、カフカはこの著作や主著『意志と表象としての世界』を読んでいたことは確実である[34]。しかしながらカフカは、一時期のブロートのようなショーペンハウアー哲学の受け売り作家ではない[35]。地下納骨堂をショーペンハウアー哲学の「意志」の領域と同一視するツェルゾフスキの解釈は、明らかに行きすぎている[36]

 

作家としての墓守り

 墓守りの亡霊との格闘はむしろ、カフカの深夜の執筆を連想させる。そもそもこの劇が演じられる場は殺風景な「小さな書斎」(8°Ox1 8, NSI 268)で、そこにあるのは机、椅子、そして寝椅子という家具だけある。これはまさに作家カフカの錬金術師小路の小部屋を思わせはしないだろうか。

 リッチー・ロバートソンはこう指摘している。

 

これらの夜間の戦いは、まず第一にカフカ自身の執筆のことを暗示している。彼は恋人フェリス・バウアーへの自分の手紙のことを「地下世界からの通知」と称している。他方また日記の中では、自分の創作力があまりに変動が激しくて信頼がおけず、そのため執筆は「残念ながら完了した死の安息ではなく、永遠の死の責苦である」と不満を述べている。亡霊が墓守りのシャツの裾をいじくることは、明らかに性的な刺激の婉曲的表現であり、執筆中に恥ずべきファンタジーを解放することと関係づけることができるかもしれない。カフカは彼の執筆のことを、「諸々の暗黒の力に向かってのこの下降、本性的には縛られている霊どものこの解放」と呼んでいる。[37]

 

 「亡霊が墓守りのシャツの裾をいじくる」というのは、Aaの以下の箇所を指している。

 

二人のまわりを彼〔フリードリヒ〕の仲間が円く取り巻き、私を嘲笑します。たとえば私のズボンのうしろを切り裂くやつがいて、私が戦っている最中に、みんなが私のシャツの裾をいじくります。彼らがなぜ笑うのか理解できません。だって、これまでいつも私が勝ってきたのですからね。(8°Ox1 107, NSI 286)

 

 性的なほのめかしは、イザベラ伯爵令嬢が墓守りの体中をなで回すところ(8°Ox1 112, NSI 287)にも示されている。

 ロバートソンの指摘に、さらにいくつかの傍証を付加してみよう。「シャツの裾」と「イザベラ伯爵令嬢」の間には、次のような記述がある。

 

領主 そして、お前が勝つのはいつだ?

番人 朝が来たときです。すると彼は私を投げ出し、私に向かってつばを吐きます。それが彼の敗北のしるしです。私はしかし、呼吸がもとに戻るまで、あと一時間横になっていなければなりません。

……

番人 ひょっとするとこれも申し上げておくべきかと思いますが、早朝、私が息もたえだえに寝ていて、あまりに衰弱して目を開けられないころに、時々、華奢な霊が私のところにやってきます。湿っていて、髪の毛の感触がします。遅れてやってきたイザベラ伯爵令嬢です。

 

 明け方に亡霊との格闘が終わると、墓守りは息も絶え絶えになるほど疲労困憊しているのであるが、これと奇妙に似た記述がフェリス宛の手紙に見出される。カフカは1912111日の手紙で自分の執筆の日課について次のように報告している。

 

……10時半に(11時半にさえなることもよくあります)執筆のために机にむかい、そのときの力、意欲、幸運次第で1時、2時、3時、時には朝6時まで。〔……〕それから、眠るためのあらゆる努力、つまり不可能を達成する努力をします。というのは、寝られないからです。〔……〕そういうわけで、夜は二つの部分、目覚めた部分と眠りのない部分から成り立っています。〔……〕もちろんのこと、私が朝、事務所で働き始めるときに、私の力がほんのわずかしか残っていないことは、特別不思議なことではありません。しばらく前、廊下に〔……〕書類や印刷物を乗せて運ぶ台(Bahre)が置いてありました。そこを通るたびに、それはとりわけ私にふさわしく、私を待っているように思えたものです。(F 67f.)

 

 墓守りの夜間の格闘とカフカの夜間の執筆の類似性は看過できない。

 カフカにとって執筆とは、「頭の中にもっている途方もない世界」を解放する行為であった。

 

私が頭の中にもっている途方もない世界。しかし、引き裂くことなしにどのようにして自分を解放し、その世界を解放するか。そして、それを自分の中に抑圧し、埋めておくよりも、引き裂くほうが千倍もましだ。そのために私はここに存在するのであり、それはまったく明白なことだ。(1913621日、T 562)

 

 「墓守り」における亡霊たちの世界は、カフカが頭の中にもっている「途方もない世界」に似ている。

 カフカは1913616日にフェリスにこう書いている。

 

書くことに対する私の関係、人々に対する私の関係は変更不可能であり、一時的な状況にではなく、私の本質に根ざしているのです。私は自分の執筆のために孤独を必要としますが、それは「隠者のように」ではありません。それでは不十分で、死者のように、なのです。このような意味における執筆は、より深い眠り、つまり死なのです。死者を墓から引き出さないであろうし、引き出すことができないように、私も夜の書きもの机から引き離すことはできないのです。このことは人々との関係などとは直接何の関連もなく、私はただこうした規則正しい、集中的な、厳しいやり方でのみ書くことができ、したがって、そうしてのみ生きることができるのです。(F 412)

 

 ここでカフカは自分の執筆行為を死への接近になぞらえている。彼が執筆のためにひとり閉じこもる彼の書斎、とくに錬金術師小路の極端に狭い部屋は、まさに墓あるいは納骨堂に似ている。墓守りの朝まで続く亡霊との格闘は、まさにカフカ自身の執筆をほのめかしていると見ることができる。

 執筆のために作家カフカが用いる家具は、「書きもの机」だけではなかった。彼が使うもう一つの家具は長椅子だった。カフカはフェリスに、自分の人生は「机と長椅子(Kanapee)の人生」だと述べている(1913410日、F 362)。覚醒と睡眠の移行の場である長椅子やベッドは、カフカの作品において重要な意味を有している場所である。『変身』のグレーゴル・ザムザはベッドで虫に変身するし、『訴訟』のヨーゼフ・Kはベッドで逮捕される。本稿では詳論することはできないが、カフカにとって執筆とは、覚醒と睡眠の中間の半覚醒の意識状態の中で、無意識層から浮かび上がるイメージを把握する行為であった。彼はソファーやベッドの上で横になり、日常の意識から離れ、深層意識の中に入り込み、「頭の中にもっている途方もない世界」、「夢のような内面生活」(191486日、T 546)を言語化しようとした[38]。『変身』という作品は文字通り「ベッドの中で思い浮かんだ」(F 102)のである。このような自分の内部への「規則正しい、集中的な、厳しい」沈潜を彼は死への接近にたとえるのである。「墓守り」では、番人があまりにも衰弱しているので、領主は彼を寝椅子(Ruhebett)に寝かせる[39]。このことからも、番人が作家カフカの分身であることがうかがわれる。

 上に引用したカフカの証言はいずれも191214年のものである。19129月の『判決』で自分の文学を確立し、『失踪者』や『変身』を次々と書いたカフカはその当時、自分自身を徹頭徹尾、文学者として意識していた。彼にとって生きることとは執筆することであった。彼は1913821日にキルケゴールの『士師の書』を読んだ直後に、フェリスの父カール・バウアーに宛てて手紙草稿をしたためたが(結局、この手紙は投函されなかった)、その中で彼は、「私は文学以外の何ものでもなく、何ものでもありえず、またあろうとも欲しない」と宣言している(T 579)。彼が828日にカール・バウアーに実際に出した手紙では、文学は「より高い必然性」であり、「変えられぬ使命」である、と主張している(F 457)。その当時のカフカにとって、「その〔文学の〕ために私はここに存在するのであり、それはまったく明白なこと」であったのである。

 ロバートソンは、カフカが『訴訟』において、作家を見張り(Wache)をする騎士、つまり番人(Wächter)として登場させていることを指摘している。大聖堂でヨーゼフ・Kは壁の絵に注意を引きつけられる。

 

Kの注意を主に引きつけるのは、その絵の中のあまり重要でない人物、画面の端に描かれているところの、剣によりかかっている騎士なのであるが、彼はあたかも見張りをするためにそこに立つように命じられているように見える。〔……〕出来事に介入することなくこの〔宗教の〕没落過程を観察する騎士は、カフカのテクストでは著者自身を代表しているように思われる。「驚いたことに、彼はそのように立ちつくし、近づいてこなかった」という文章は、カフカの冷静沈着な語りの手法に対しても当てはまるだろう。もしそうであるならば、「ひょっとしたら、彼は見張りをするように定められていたのかもしれない」というその直後の文章は、作家としての使命に関するカフカ自身の見解を表明しているのだろう。その使命とは、出来事に積極的に介入することを妨げる、ある定義不可能な責任感をもって、出来事を観察したり記録したりすることなのである。[40]

 

 墓守りは見張りをする騎士の変身像なのである。

 ただし、1916年終わりに書かれた「墓守り」においては、墓守り=作家の存在意義は必ずしも自明なものではなくなっている。むしろ、墓守りに対する他者の様々な評価が戯曲の推進力になっている――墓守りは宮廷にとって必要な存在なのであろうか、それとも宮廷から排除されねばならない存在なのであろうか? 彼は領主に愛されているのであろうか、それともただ大目に見られているだけなのだろうか? 彼の夜の困難な仕事は人々に理解されているのだろうか、それとも罵倒されるだけの価値しかないのだろうか? つまり、墓守り=作家という存在、文学という仕事は、他者との関係の中でその意義が問われるべき案件となっているのである。様々な登場人物たちの墓守りに対する異なった態度――同じ人物でも各稿によってその態度が揺れ動いていることはすでに見た――は、そのまま文学者に対する異なった社会的評価と解釈することができる。

 ここで、領邦もしくは宮廷がユダヤ人社会の隠喩であるということをもう一度想起するならば、「墓守り」という作品は、単に文学者の社会的意義一般ではなく、ユダヤ人社会におけるユダヤ人作家カフカの立場を主題化した作品として解釈することができよう。彼が自分の作家としての社会的意義を作品の中で取りあげたのは、この時期の彼がシオニズムと関わりはじめ、その文脈の中で作家としての社会的「責任」について考えなければならなくなったからである。

 

侍従、宮内長官、領主夫人の伝記的背景

 このように、墓守りに作家カフカが投影されていると考えると、侍従にはおそらくブーバーが投影されているものと推測することができる。これは突飛な解釈のように思えるかもしれないが、「万里の長城」、「特権意識」、「ジャッカルとアラビア人」のようなこの時期の作品には、ブーバーを思わせる形姿が度々登場している[41]。侍従は、ブーバーと同じように、「責任」について言及している。侍従も墓守りと同じように領主=ユダヤ的アイデンティティに仕える身であり、「無防備なほど領主に対して忠実」であるが(8°Ox1 128, NSIA 256)、侍従の領主に対する献身的態度は、ブーバーのユダヤ的アイデンティティへの専心と重なる。ブーバーはハシディズムの現代的解釈を通して、ユダヤ的アイデンティティの強化を目指したが、その姿勢は宗教的民族主義を表わしている領主の第二の姿と深く関わっている。同時にブーバーは正統派ユダヤ教を、ユダヤ民族の精神的発展を阻害した拘束として厳しく批判もしている[42]。この点において、彼は単なる復古主義者ではなく、啓蒙主義につながる要素も持っている。ブーバーのこのような姿勢が宮廷陰謀における侍従のやや曖昧な立場に反映しているだろう。

 ブーバーとカフカの関係は、侍従と墓守りのそれと同じように、いちがいに友好的とも敵対的とも言えない複雑なものであった。ブーバーは『ユダヤ人』の創刊に際し、191511月にカフカに協力を依頼したが、カフカはこれを自分から断わった[43]。次にブロートが19166月に、カフカの短編「ある夢」をブーバーに送り、『ユダヤ人』への掲載を求めたが、今度はブーバーが掲載を拒否した[44]。カフカに協力を依頼するかと思えば、次には作品掲載を拒絶するブーバーの態度は、墓守りをいたわったり排除したりする侍従のそれと似ているのである。

 領主からもらった「真紅」のメダルを証拠に、自分を宮廷で最も重要な人間であると考える墓守りは、侍従に対して一種のライバル意識さえいだいている。@bで彼は侍従の仕事について、「たいへん名誉なことですが、私の名誉には及びませんね。ああ、彼は私とはまったく比べものになりません」と主張する(8°Ox1 28, NSIA 232)。この言葉を聞いた領主は、「彼〔墓守り〕はとてもうぬぼれているな」という感想を漏らすが、この感想は線で消されている(8°Ox1 28, NSIA 235)

 番人がカフカの分身であり、侍従にブーバーの要素があるとすれば、番人の侍従へのライバル意識にはカフカのブーバーに対するライバル意識を見ることができる。カフカはショーレムと同じように、ブーバーの「宗教性」にある種のいかがわしさを感じていた。だが、著述家として見れば、ブーバーはカフカよりもはるかに成功していた。彼はまさにユダヤ人社会の中のベストセラー作家であった。「万里の長城」でカフカは、ベストセラーを書いた学者を揶揄している。カフカは1913116日にフェリスに対し、「私は彼〔ブーバー〕の話をもう聞いたことがありますが、味気ない印象でした。彼の言うことすべてには、何かが欠けています」(F 252)とブーバーをけなしている。彼はまた、フェリスがブーバーの「高価な本」を買ったことを非難しているが(1913120/21日、F 260)、そこにはフェリスが自分よりもブーバーを高く評価することについての嫉妬心さえも感じられる。

 他の登場人物の伝記的背景も考察しておこう。宮内長官は「領主は実際のところ、<彼の基礎の>強化など必要ないのです。彼は現在の権力手段のすべてを用いればよいのです」と述べている。ユダヤ的アイデンティティの危機の文脈で宮内長官をとらえれば、彼は、ユダヤ人の西欧社会への同化を積極的に肯定し、宗教的民族主義を危険思想と見なす勢力の代表である。この宮内長官にはおそらく、カフカの父ヘルマンに代表される同化主義的なユダヤ人実業家が投影されているであろう。カフカの父がユダヤ的伝統の体現者である東ユダヤ人俳優イツハク・レーヴィを嫌い、息子フランツが文学という役立たずな趣味に入れあげていることを非難していたことが、番人に敵対的な宮内長官という人物像の伝記的背景になっているに違いない。

 領主夫人が宮内長官の同盟者として番人=作家への敵対者であることは、フェリスに対するカフカの見方から理解することができる。ベルリンの同化したユダヤ人家庭の出身であるフェリスは、現実主義的でブルジョワ的な価値観の持ち主であった。彼女はカフカの文学に対してはほとんど理解がなかった。彼女がカフカに求めたのは、不確かな文学的成功よりも、第一に結婚生活のための安定した経済的基盤の確立であった。このような体験からカフカは、女性を現実主義と同化主義への同盟者、文学に対する敵対者と見るようになったものと思われる。八折判ノートEには、「世界――F〔フェリス〕はその代表者にすぎない」という記述がある(NSI 402)

 

任用の問題

 ここで、八折判ノートAのその他の断片も参照しながら、「墓守り」の解釈をさらに深化させてみよう。「2 支離滅裂な夢」は「3 墓守り@」の助走となっているが、この短い断片では、番人の職は「領主の気まぐれ」によって定められている。

 

昔のある領主の気まぐれ(Laune)によって、霊廟では石棺のすぐそばに番人を置かねばならない、と定められていた。分別ある家臣たちはそれに反対する意見を述べたが、結局は、そのほかの点ではとかく不如意な領主に、この些細な願いを叶えてやることにした。前世紀の戦争で負傷し、妻を亡くし、先の戦争で三人の息子も戦死した傷病兵が、この職に応募してきた。彼は採用され、年老いた宮内官によって霊廟に連れて行かれた。(8°Ox1 4-7, NSI 267)

 

 ある人をある立場に「置く stellen」、規定を「定める bestimmen」、「反対意見を述べる sich dagegen aussprechen」、「職 Posten」、「応募する sich melden」、「採用する annehmen――これらはいずれも、半官半民の労働者災害保険局という官僚組織で、カフカが日々使っていた用語であろう。これらの用語から浮かびあがるのは、この番人の任用の問題である。番人の「職」は一応は昔の領主という最高権力者によって「定められ」たものではあるものの、その領主の定めは「気まぐれ」から生じており、「分別ある家臣たち」はそれに反対している。番人は、現在の領主が家臣たちの進言によって別の「気まぐれ」を起こせば、その「職」からすぐに解雇される可能性もある。

 「気まぐれ」によって「定められ」ているこのような不安定な地位は、社会の中における作家の立場に似てはいないだろうか。作家は、人気があれば、多くの読者を獲得し、その著作は社会的な影響力を持つ。しかし、それはあくまでも社会の「気まぐれ」によって成り立っている力でしかない。社会の気まぐれがその作家を見捨てれば、彼の言葉はたちまち一顧だにされなくなるだろう。

 任用の問題は「墓守り」にも継承されている。@aの冒頭で領主と侍従が墓守りの必要性について議論している。

 

領主 それではもう一度言おう。これまでフリードリヒ霊園の霊廟は一人の番人によって警護されていた。番人は霊園の入口のところに小さな家を持っていて、そこに家族と一緒に住んでいる。このこと全体に何か問題はあるのか?

侍従 もちろんございません。霊廟は四百年以上の歴史があり、その間、そのようにして警護されてきました。

領主 それは古い悪習かもしれんな。<古いからといって、悪習の言い訳にはならんだろう。> 悪習ではないのか。

侍従 必要な制度でございます。(8°Ox1 11-12, NSI 269)

 

 領主がさらに一歩進んで、上の霊園(oben im Park)だけでなく、地下の納骨堂(unten in der Gruft)にも番人を置く必要がある、と言い出すと、侍従は、「私には閣下のご指示の必要性がまだ理解できないのであります」と疑問を呈する(8°Ox1 15, NSIA 229)

 このやりとりからすると、カフカは当初は「上の霊廟の番人」と「下の納骨堂の番人」を何らかの形で区別することを考えていたのかもしれない。なぜなら、納骨堂の番人については反対している侍従も、「四百年以上の歴史」がある霊廟の番人そのものは「必要な制度」として認めているからである。ところが、そのあとの記述では、カフカその違いを忘れてしまって、両者を混同しているように見える。

 カフカは当初、「上の霊園」と「地下の納骨堂」をどのように区別し、差異化しようとしていたのであろうか? そのことは「墓守り」という作品では言及されていない。しかしながら、両者の相違に関してある種の推測を行なうことは可能である。

 侍従によれば、霊廟は「偉大な死者たちへの畏敬の証言」(8°Ox1 67, NSI 276) である。「偉大な死者たち」への記憶によって構成される過去、すなわち歴史は、いかなる人間集団にとっても、みずからのアイデンティティの根拠として必要不可欠な資源であろう。この意味において、民族の歴史を公的に記憶するということは、民族にとってたしかに「必要な制度」なのである。その制度の維持の任に当たる人、すなわち「霊廟の番人」は、歴史家であったり宗教家であったりする。

 しかしながら民族は、そのような公的な歴史ではない過去、歴史家や年代記作家によってさえも記録されない過去、ヴァルター・ベンヤミン風に言うならば、「救済」されないままに放置されている過去も持っている。亡霊が徘徊する地下納骨堂はおそらく、そのような埋もれた過去の貯蔵庫なのである。そこにはおそらく、文書や資料として公的に記録された過去=歴史ではなく、忘却された過去がうごめいているのである。そのような過去は、たとえ人々の日常の意識にはのぼらなくとも、決して消滅してはおらず、ある種の力として、ある種のエネルギーとして、いつか地上にあふれ出し、民族や社会の現在の生活に影響を及ぼそうとしている。それはおそらく――またもや「おそらく」という推測でしかないのであるが――「万里の長城」の「指導部」に近い存在なのである[45]。カフカによれば、そのような亡霊としての過去、地下に埋もれた過去は、学者や歴史家や宗教家という「上の霊園」にいる霊廟の番人によって記録・管理されるものではなく、「夢のような内面生活」=死の世界と近しい関係を有する作家=墓守りのみが体験し、記録し、表現できるものなのである。

 さて、領主に呼ばれて、よぼよぼの番人が部屋に入ってくる。Aの記述では、番人は60歳とされている(8°Ox1 75, NSI 278)。番人は「2 支離滅裂な夢」のフリードリヒのように、「前世紀の戦争の傷病兵」なのかもしれない。初期の習作「ある戦いの記録」以来、カフカは文学を戦いに、作家を兵士にたとえることが多い。たとえば、彼は1920826日のミレナ・イェセンスカーへの手紙で、自分が文学執筆を再開したことを、「私はここ数日来、私の《軍務》生活、あるいはより正確には《機動演習》生活を再開しています」と報告している(M 229)

 番人は夜ごとの亡霊との戦いでへとへとに疲れており、すぐに寝椅子に寝かされる。番人は領主に自分の「勤務 Dienst」のつらさを訴える(8°Ox1 20, NSIA 230)。また彼は、亡霊フリードリヒに対しては「勤務規定 Dienstordnung」を持ち出して、外に出せという要求を拒否している。「Dienst 勤務」という語は、「dienen 奉仕する」という語と関連しているが、番人は、個人的な満足感のために仕事をしているのではなく、領主に対する奉仕、公的な勤務として行なっている、と主張しているのである。領主がユダヤ的アイデンティティを体現しているとすれば、作家たる墓守りは、自分は民族的アイデンティティの維持に奉仕しているのだ、と主張していることになる。だが、「寝椅子」の上で行なわれる文学ファンタジーの紡ぎだしは、作家のきわめて私秘的な営みである。作家のそのような仕事をどのようにして、民族の過去を管理し、民族的アイデンティティに奉仕する公的な仕事として社会に認めてもらうことができるだろうか。

 侍従が、番人を追っ払うべきだ、と口を挟むと、領主はこう応答する。

 

いや、我々が番人を雇ったのだ(angestellt)。我々は彼の官職(Amt)を我々の名で保証している。だから、彼の報告を聞かねばならないのだ、たとえそれが我々にとって快適なものではないとしてもな。(8°Ox1 23, NSIA 231)

 

 ここでは、番人は領主によって「雇われ」、番人の職は「官職」として公的に認められている。領主は墓守りの「快適なものではない」であろう「地下世界からの通知」に耳を傾けてくれるというのである。これは番人にとっては最高の処遇であろう。領主はそのあと、この言葉を裏づけるように、両手で番人の頭を挟むほどの情愛を示し、「我々はお前に好意を持っている。私自身、お前の官職が簡単ではないと思っている。お前の努力を評価しているぞ」と言う。

 だが、領主のこの一言で番人=作家の地位がただちに安泰になるわけではない。宮廷には侍従や宮内長官のように番人に敵対的な勢力がいる。侍従は番人に対して好意を持っていないし、番人もそれを知っている。@bで、侍従を嫌っている番人の気持ちを汲んで、領主が侍従に退室を命ずると、侍従は、「それは気まぐれというものでございます」と言いながら部屋を出ていく(8°Ox1 24, NSIA 231)A2には、「領主のいちばん最近の気まぐれについてお知らせ下さったことに、感謝申し上げます」という宮内長官の言葉がある(8°Ox1 139, NSIA 262)。領主の番人に対する愛顧が「気まぐれ」から生じているのであれば、それはいつでも取り消される可能性があるのだ。

 侍従がいなくなると、二人の会話はより親密になる。

 

領主(微笑みながら) 私は今日まで、お前が私の腹心の者だということを知らなかったよ。今日まで、私たちはほとんど話をしなかったな。

番人(あたかも冗談を拒否するように) あなた様は私のご主人です。あなた様は今日まで私に質問しませんでした。そこで、私も報告しなかったのです。しかし、あなた様が私の勤務の困難さを知っているということを、私はいつでも知っていました。そして、私が(人差し指を上にあげて)最も重要な宮内職を帯びている、ということを知っているのも、私とあなた様だけです。あなた様は、私に「真紅」のメダルを下賜することで、そのことを公にお示しになりました。これです。(彼はメダルを上着から持ち上げる)

領主(微笑みながらうなずく) お前にはもっと多く表彰してやるぞ。(8°Ox1 24-27, NSIA 231f.)

 

 ここでは、領主と番人との関係はきわめて親密である。番人は自分の職は「最も重要な宮内職」であると主張し、その証拠として、領主からもらった「真紅」のメダルを提示する。作家が民族の中で「最も重要な職」であるというのは、さしあたっては作家の個人的な主張にすぎない。それを認めるか否かは、民族の側の判断である。この稿@では、民族的アイデンティティの体現者たる領主は番人を「腹心の者」として認め、もっと表彰するつもりだ、と言うので、民族は番人=作家の主張をそのまま受け入れている。番人は、「あなたのおそばに安らうこと、それが家来(Diener=仕える者)に到達できる最大のことなのです」と述べる(8°Ox1 28, NSI 270, NSIA 232)。作家と民族の幸福な一致である。

 これを受けて領主は、「お前は昨晩、私にどのように仕えた(gedient)のか」と尋ねる(8°Ox1 31, NSIA 232)。番人は彼の夜ごとの亡霊の出現について語り始める。領主はこの私秘的な営みをはたして領主に対する公的な宮仕えとして承認するであろうか? 「墓守り@」はその答えを述べる前に中断している。

 その次の「4 祖父の物語」でも霊廟の番人という形姿が登場し、「墓守り」と密接な関係があることがうかがわれる。しかし、任用の問題について述べられる以前に物語が中断している。「5 屋根裏部屋にて」と「6 ハンスの帰郷」では番人という形姿が別の形姿に変奏されているが、それについては後述する。

 「墓守りA」では、また任用の問題が大きな役割を演じている。

 @bの書き変えであるAaでは、すでに述べたように、番人と領主の関係がやや疎遠になっている。カフカはAaで「カストール!」という領主の呼びかけを削除し(8°Ox1 67, NSIA 245)、「お前の努力を評価しているぞ」という一文も書かなかった(8°Ox1 79, NSI 279)。改稿Aでは両者の親密な個人的関係は否定されているのである。@bでは墓守りの労苦に満ちた「勤務」に対する領主の表彰のしるしであった「真紅」のメダルは、単に勤続25周年の記念メダルに格下げされ、しかもそれは、領主の祖父が授けたものであり、現在の領主が授けたものではないという。番人は、領主に30年間仕えてきた、と主張するが、領主は、自分の統治はまだほとんど1年にもならないと述べる (8°Ox1 84, NSI 280)。両者のすれ違いは明白である。

 カフカによって削除された箇所には、「あなた様は今日まで私に尋ねませんでした。その気がなかったからです」という文章がある(8°Ox1 83, NSIA 247)。ここには領主のこれまでの無視に対する番人の非難が聞き取れる。

 番人が夜ごとのフリードリヒ公爵との格闘について語ると、領主は、「仕事の配分」に誤りがあって、番人が過労に陥っているのではないか、と言う。すると、墓守りは、

 

私の職を取りあげないで下さい、閣下! 長い間あなた様のために生きてきたのですから、今度はあなた様のために死なせて下さい。私が目指しております墓を、私の目の前で壁でふさがないで下さい。私は喜んでお仕えいたしますし、お仕えする能力もまだあります。今日のような謁見は、10年分の力を与えてくれます。それからまた、今日と同じように、ご主人のもとで安らうという従者の最大の幸福をお与え下さいませ。(8°Ox1 94f., NSI 283)

 

と懇願する。

 Aaでは、番人と領主の関係は、@bよりも緊張をはらんだものになっている。@bでは、番人は領主を恐れることはなかったが、Aaでは、領主から職を奪われることを恐れている。領主は、もう一人の番人を置き、お前を番人頭にしてやろう、と言うが、番人は、それは自分の仕事が不十分だからか、と尋ねる(8°Ox1 96, NSI 283)。もう一人の番人が任命されるということは、自分が享受している領主の特別な愛顧を失うということを意味する。それは、民族社会の中で作家の特別な地位が失われることに対応する。フリードリヒ公爵については、番人は30年前から格闘していると言うが、領主は、公爵は15年前に死んだ、と言う(8°Ox1 100, NSI 284)。ここでも両者の主張は食い違っている。

 Aaでは、番人は領主に対して半ば片想いの状態にある。領主は番人の熱い想いをそのままは受け入れてくれない。両者の間のすれ違いはカフカによって意識的にイローニッシュに誇張されている。ここでは、領主=民族的アイデンティティに奉仕しているのだと主張する番人=作家の地位は、@ほど安定したものではない。

 Abで番人の地位を直接脅かすのは、侍従ではなく宮内長官である。宮内長官は「現代派」「同化主義者」である。過去への遡及、すなわち領主の第二の姿が宗教的民族主義を意味するとすれば、それは目に見えない亡霊と格闘する作家の仕事とまったく同じというわけではないが、両方とも民族の過去に関わり、そして広い意味での「精神」に関わるという点では、共通性もある。現代派・同化派は、宗教と文学が結託することを恐れるがゆえに、宮廷に入り込もうとする番人をたたき出そうとしているように見える。

 だが、亡霊たちが、墓守りの単なる個人的妄想ではなく、民族の過去からの訪問者であり、彼が亡霊たちと格闘し、彼らを管理することによって、領主=民族的アイデンティティに奉仕しているのだ、という墓守りの主張は、どのようにして正当化されるのであろうか? それは墓守り個人の切実な実感ではあるかもしれないが、他の人々は、民族は、それを正当な主張として認めることができるだろうか? 墓守り=作家の思い込みと、民族の側の公的な承認=任用の間には、大きな溝が広がっているのではないだろうか? 民族社会の中における作家の地位こそ、戯曲断片「墓守り」の中心的テーマであり、それは他の八折判ノートの作品群・断片群でも、様々に変奏されながら繰り返し取り上げられることになるであろう[46]

 

八折判ノートAのその他の断片

 以上のような分析を踏まえて、以下では、これまで検討してこなかった八折判ノートAのその他の記述にも簡単に触れてみたい。

 「4 祖父の物語」は、祖父が子供のころ、フリードリヒ霊園の番所に使いにやられたときの昔話である。番所の前には、「クリミア産の羊の毛皮(Krimmerpelz)の帽子」をかぶった「マムルーク兵」がいる(8°Ox1 43, NSI 271)。少年(祖父)が建物の中で髭の紳士に会ったところでこの断片は終わっている。

 「5 屋根裏部屋にて」は「4 祖父の物語」と密接に関連しており、その変奏と見なすことができる。ここでは、弁護士の息子のハンスが屋根裏部屋で、「クリミア産の羊の毛皮(Krimmerpelz)の帽子」(8°Ox1 47, NSI 272)をかぶった不思議な男に出会う。その男は、ハンス・シュラークというバーデン出身の猟師だと名のる。ハンスという名前が共通なので、猟師は弁護士の息子の分身であることがうかがわれる。猟師がかぶる帽子は、前の断片でマムルーク兵がかぶっていたのと同じ帽子である。「4 祖父の物語」のマムルーク兵という異形の人物像は、「5 屋根裏部屋にて」のバーデンの猟師に変身したものと見ることができる。

 「4 祖父の物語」では、祖父が会った髭の老紳士が霊廟の番人、祖父の前任者だったのだろう。彼の机の上には、「本がきちんと積み上げられて」いる(8°Ox1 44, NSI 271)。この本は老紳士=作家が書いた本かもしれない。番所の前にいたマムルーク兵は、髭の老紳士の警護者、つまり番人の番人として、彼と密接な関係を有している。ひょっとすると、バーデンの猟師が弁護士の息子の分身であったように、マムルーク兵は髭の老紳士(霊廟の番人)の分身かもしれない。もしそうだとすると、戯曲「墓守り」の墓守り、「4 祖父の物語」のマムルーク兵、「5 屋根裏部屋にて」の猟師ハンス・シュラークは、すべて基本的には同じ人物像、すなわち作家という存在の異なった形象化と見なすことができる。

 「6 ハンスの帰郷」は、八折判ノートAの中ではやや異質な感じを与える記述である。「ハンス」という名前、「弁護士」というモチーフは「5 屋根裏部屋にて」から引き継がれているが、ここには父と息子の葛藤という、八折判ノートAの他の断片には見られないモチーフが出現している。息子が異国に出ていくという設定も含めて、明らかに『判決』――主人公ゲオルク・ベンデマンの友人が異国に出てゆく――との類似性を感じさせる[47]

 『判決』では父と子の対立が物語の中心であったが、「ハンスの帰郷」では父はすでに死んでいる。帰郷したハンスが故郷で直面し対処しなければならないのは、父の家という遺産と、父の代からそこに住む人々である。「ハンスの帰郷」と「墓守り」は、一見まるで異なった作品のように見えるが、両作品の間には以下のような対応関係を見出すことができる。

 

「墓守り」

「ハンスの帰郷」

領主

ハンス

領主の先祖

死んだ父

霊廟、納骨堂

父の家という遺産

墓守り

家の老管理人

領主夫人

管理人の娘

侍従または宮内長官

叔父テーオドール

 

 父が遺した家は過去とつながっているので、過去の亡霊が徘徊する霊廟または納骨堂に似ている。とくに家の老管理人と墓守りとの類似性は著しい。墓守りはまさに霊廟または納骨堂の管理人である。両者とも現在の当主(ハンス、レオ領主)以前の代から家に仕えている。両者ともよぼよぼの老人で、他人の支えがなければまともに歩くこともできない。管理人の娘は、ハンスの父の死後、老父がそのまま管理人の地位を継続できるか否かを心配しているが、このことからこの作品でも任用が問題になっていることが推測できる。このように見ると、「ハンスの帰郷」は「墓守り」と同じテーマを、領主に対応するハンスの視点から、家庭劇という枠組みの中で描こうとした作品ではないか、と推測できる。もっとも、「墓守り@」のレオ領主が墓守りに対して好意的であるのに対し、ハンスは老管理人をあまり好いていないという相違がある。ハンスの冷淡な態度は、その次に書かれている「墓守りAa」の領主の墓守りに対するやや距離を置いた態度につながっている。

 「墓守り」も含めて八折判ノートAの断片作品群の中心的テーマは、「作家と民族」というように要約できるだろう。このテーマはこれ以降も様々に変奏されてゆくのだが、他の八折判ノートとの関連で注目に値するのは、「5 屋根裏部屋にて」のハンス・シュラークという人物像である。この断片で猟師は、「古い話だ Alte Geschichten(8°Ox1  51, NSI 273)と述べているが、これと似た「古い古い話だ Die alten, alten Geschichten」という言い回しが八折判ノートDの「猟師グラフス」断片にも出てくる(NSI 382)。猟師という職業、そしてこの言い回しは、両作品が密接に関連していること、猟師ハンス・シュラークが猟師グラフスに変身したことをうかがわせるが、ハンス・シュラークの前身は墓守りである。興味深いことに、「墓守り」の削除された箇所にも「古い話」という同じ表現が出ている(8°Ox1 111f., NSIA 253)。「墓守り」の最後で墓守りは「担架 Bahre」で部屋から運び出されるが、「猟師グラフス」断片ではグラフスは「棺台 Bahre」に乗せられて登場する(8°Ox2 12)。「台 Bahre」という言葉は、1912111日のフェリス宛の手紙(F 67f.)にも出現していたことを想起しよう。以上のことから、猟師グラフスは墓守り=作家の変身像ということがうかがわれるのであるが、「猟師グラフス」については別稿をもって論ずることにしたい。

 

 

 Franz Kafkaの以下の著作については略号を使用し、そのあとの数字で頁を示す。

8°Ox1 = Historisch-Kritische Ausgabe, Oxforder Oktavheft 1. Gesetzt von Roland Reuß, Frankfurt am Main und Basel 2006.

8°Ox2 = Historisch-Kritische Ausgabe, Oxforder Oktavheft 2. Gesetzt von Roland Reuß, Frankfurt am Main und Basel 2006.

DLA= Kritische Ausgabe, Drucke zu Lebzeiten. Apparatband. Hrsg. von Wolf Kittler, Hans-Gerd Koch und Gerhard Neumann,  Frankfurt am Main 1996.

NSI = Kritische Ausgabe, Nachgelassene Schriften und Fragmente I. Hrsg. von Malcolm Pasley, Frankfurt am Main 1993.

NSIA = Kritische Ausgabe, Nachgelassene Schriften und Fragmente I. Apparatband. Hrsg. von Malcolm Pasley, Frankfurt am Main 1993.

NSII = Kritische Ausgabe,  Nachgelassene Schriften und Fragmente II. Hrsg. von Jost Schillemeit, Frankfurt am Main 1992.

T = Kritische Ausgabe, Tagebücher. Hrsg. von Koch/Müller/Pasley, Frankfurt am Main 1990.

F = Briefe an Felice und andere Korrespondenz aus der Verlobungszeit. Hrsg. von Erich Heller und Jürgen Born, Frankfurt am Main 1967 (6. bis 7. Tausend).

O = Briefe an Ottla und die Familie. Hrsg. von Hartmut Binder und Klaus Wagenbach, Frankfurt am Main 1975.

M = Briefe an Milena. Erweiterte Neuausgabe. Hrsg. von Jürgen Born und Michael Müller, Frankfurt amMain. 1983.

 



[1] カフカは1917515日の妹オットラへの手紙で、「(美しい日々と、それと結びついた睡眠困難のために)上〔錬金術師小路〕での仕事をやめた」と述べている(O 35)

[2] 『田舎医者』に収録された短編作品の多くはB〜Dに書かれている。錬金術師小路を離れたあとに記入されたEは、文学作品が主体のA〜Dとはやや違った性格が見えはじめている。カフカは19178月に喀血し、9月から北西ボヘミアの農村チューラウで静養生活を送ったが、チューラウで記入された八折判ノートFの大部分を占めるのは、俳優イツハク・レーヴィの自叙伝的イディッシュ演劇論の清書である。やはりチューラウで記入されたGとHはアフォリズム集である。

[3] 八折判ノート全般についての記述は、以下の拙稿を参照されたい。「カフカの八折判ノートのいくつかの問題――短編『家父の気がかり』と『特権意識』をめぐって」、『言語・情報・テクスト』(東京大学大学院総合文化研究科・言語情報科学専攻・紀要)VOL 13 2006年、67-80頁。

[4] 池内紀による批判版全集からの翻訳(『カフカ小説全集5』〔白水社、2001年〕所収)も同様である。この邦訳は校注巻の異稿類を完全に無視しているので、ドイツ語版批判版全集よりもさらに不完全な姿しか伝えていない。ブロート版のDer Gruftwächter (Franz Kafka, Beschreibung eines Kampfes, Frankfurt am Main 21980, S. 223-236)は、ブロートがカフカの複雑な手稿を適当に組み合わせて作った作品だが、批判版テクスト巻と比較するならば、ブロート版のほうがまだしもこの作品の全体像がうかがわれる。

[5] Annette Schütterle, Franz Kafkas Oktavhefte. Ein Schreibprozeß als "System des Teilbaus", Freiburg im Breisgau 2002, S. 73. 以下ではこの著作をSchütterleと略記する。

[6] リッチー・ロバートソンは、裁判所がヨーゼフ・Kの「心の投影」的な要素を強くもっていることを指摘している。Ritchie Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, Oxford 1985, p. 106.

[7] 拙稿「カフカの「二つの動物物語」(2)――「ある学会への報告」――」、『言語・情報・テクスト』(東京大学大学院総合文化研究科・言語情報科学専攻・紀要)VOL 15 2008年、 60-62頁。

[8] Schütterle, S. 91. 1912年の日記帳(第六の四折判ノート)の読み直しが、「ハンスの帰郷」にも影響を与えた可能性をシュッテルレは指摘している(本稿の注47参照)

[9] 拙稿「カフカの八折判ノートのいくつかの問題――短編『家父の気がかり』と『特権意識』をめぐって」、67頁。

[10] DLA 290, 343f. また同上拙稿69頁を参照。

[11] x、y、1、2というのは、区別のために筆者が用いている。xとyは同じ記号、1と2はそれとは少し違う形の同じ記号である。同じ記号の間で「切り取り」→「挿入」が行なわれていると考えられる。どちらが「切り取り」でどちらが「挿入」かは、文脈から判断される。

[12] NSIA 254. 批判版全集には挿入記号についての記述がない。批判版全集の編集者(マルコム・パスリ)は、自分の読解でカフカの複雑なテクストを整理した結果を校注巻に提示している。この場合、その読解自体は正しいが、挿入記号の存在や整理したという事実を記さないのでは、カフカのオリジナル・テクストを読者が自分で検討する機会を奪うことになる。編集者がどのような編集をしたか、そのすべてを明かしていない批判版全集の編集には、根本的な疑義が生ずる(その欠陥を補うために歴史的批判版全集が出てきたわけであるが)

[13] シュッテルレは、カフカが八折判ノートを通常は「余白を残さず、段落をつけずに頁を完全に記入する」にもかかわらず、「支離滅裂な夢」の最後に約2行分の余白を残していることに注意を向けている。Vgl. Schütterle, S. 73.

[14] 八折判ノートBにもこのような人名メモがある(8°Ox2 8-9)

[15] Oskar Baum, Rückblick auf eine Freundschaft, in: Hans-Gerd Koch (Hrsg.), "Als Kafka mir entgegenkam ..." Erinnerungen an Franz Kafka, Berlin 2005 [Erweiterte Neuausgabe], S. 74.

[16] 30年」というのは、八折判ノート執筆当時のカフカの年齢に近い。

[17] Martin Buber, Briefwechsel aus sieben Jahrzehnten, Band I, Heidelberg 1972, S. 492.

[18] Martin Buber, Die Losung, in: Der Jude, Heft 1 (April 1916), S. 2. 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」、『思想』〔岩波書店〕第796号、199010月、118頁。

[19] 「万里の長城」に付属する「一枚の古文書」も含めて。

[20] Malcolm Pasley, Der Schreibakt und das Geschriebene. Zur Frage der Entstehung von Kafkas Texten, in: Claude David (Hrsg.), Franz Kafka. Themen und Probleme, Göttingen 1980, S. 14f. 以下の拙稿も参照されたい。「カフカの「二つの動物物語」(2)――「ある学会への報告」――」、 38頁。

[21] 「墓守り」と「万里の長城」の関係については、すでにヨースト・シレマイトが部分的に指摘しているが、彼は「墓守り」の一貫した解釈はできなかった。Vgl. Jost Schillemeit, Der Gruftwächter, in: Hartmut Binder (Hrsg.), Kafka-Handbuch, Band 2, Stuttgart 1979, S. 498.

[22] 長城建設と皇帝を、中国社会を統合する「装置 institution」と最初に見なしたのは、リッチー・ロバートソンである。Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, p. 172.

[23] 以上の解釈については、以下の三篇の拙稿で詳細に論じている。「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」、「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」(『思想』〔岩波書店〕第816号、19926)、「民族統合の空虚なる記号――カフカの『万里の長城』における「皇帝」の形象」(『思想』〔岩波書店〕第854号、19958)

[24] 拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」121頁。

[25] Walter Laqueur, The History of Zionism, London/New York 32003, p. xxvi.

[26] Robert Weltsch, Die deutsche Judenfrage. Ein kritischer Rückblick, Königstein/Ts. 1981, S. 9.

[27] 文化的シオニズムの理念は、ヘルツルが登場する以前から、アハド・ハアム(ヘブライ語で「民衆の一人」の意)というペンネームで執筆したロシアのアシェル・ギンズベルク(1856-1927)によって唱えられていた。

[28] Gershom Scholem, Von Berlin nach Jerusalem. Erweiterte Fassung, Frankfurt am Main 1995, S. 85ff. 拙稿「カフカにおける「ユダヤ人」問題」、『へるめす』岩波書店25号、19905月、58頁。

[29] 以下でも見るように、墓守りが作家であるならば、「万里の長城」に登場する「地団駄を踏みながら小舟に飛び乗った船頭」が墓守りに相当する形姿である(拙稿「カフカの『万里の長城』における民族、国家、宗教」、124)。ただし、船頭は「万里の長城」では周縁的な役割しか与えられていない。「作家と民族」という二つの焦点に関して、「墓守り」では作家に、「万里の長城」では民族に重点が置かれているのである。

[30] Schütterle, S. 73, S. 80f.

[31] Baum, Rückblick auf eine Freundschaft, S. 73f.

[32] Jürgen Born, Kafkas Bibliothek. Ein beschreibendes Verzeichnis, Frankfurt/M. 1990, S. 78.

[33] Peter Cersowsky, Kafkas philosophisches Drama: "Der Gruftwächter", in: Germanisch-Romanische Monatsschrift, 40 (1990), S. 58f.

[34] Born, Kafkas Bibliothek, S. 128ff. 拙稿「カフカにおけるショーペンハウアー」、『ショーペンハウアー研究』(日本ショーペンハウアー協会)13号、20086月、35頁。

[35] 拙稿「カフカにおけるショーペンハウアー」、32頁。

[36] Cersowsky, Kafkas philosophisches Drama: "Der Gruftwächter", S. 57. このほかの哲学的解釈としては、筆者は未読であるが、H. Ide (1961)が納骨堂をハイデッガーの「根源」と関連づけているという。Vgl. Schillemeit, Der Gruftwächter, S. 499.

[37] Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, p. 135-6.

[38] Vgl. Hans-Gerd Koch, Kafkas Kanapee, in: Hans Dieter Zimmermann (Hrsg.), Nach erneuter Lektüre: Franz Kafkas Der Proceß, Würzburg 1992, S. 86f.

[39] 辞書によると、RuhebettLiegesofaであり、KanapeeSofaである(Duden Deutsches Universalwörterbuch)

[40]  Robertson, Kafka: Judaism, Politics, and Literature, p. 135.

[41]「ジャッカルとアラビア人」におけるブーバー的形姿については、拙稿「カフカの「二つの動物物語」(2――「ある学会への報告」――」、『言語・情報・テクスト』(東京大学大学院総合文化研究科・言語情報科学専攻・紀要)、VOL 14 2007年、20-21頁を参照されたい。

[42] Martin Buber, Der Jude und sein Judentum, 2., durchgesehene und um Register erweiterte Auflage, Gerlingen 1993, S. 265.

[43] Buber, Briefwechsel aus sieben Jahrzehnten, Band I, S. 409.

[44] F 704f. ただし「ある夢」はブーバーの斡旋で「バル・コホバ」の論集『ユダヤ的プラハ』(1917)に掲載された。

[45] 拙稿「ユダヤの非合理的な伝承――カフカの『万里の長城』における「指導部」の問題」、96頁。

[46] 言うまでもなく、『城』の主要テーマは測量士Kの任用の問題である。測量士Kは墓守りの転生変身像なのである。

[47] シュッテルレは、「ハンスの帰郷」の執筆のころ、カフカは『判決』が書かれている第六の四折判ノートを読み直していたのではないか、と推測している。Vgl. Schütterle, S. 91.

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