著書出版という矛盾

 

 ここで翻訳者に対するブロートの非難は終わり,彼は次にキルケゴール自身にも疑惑の目を向ける。

 

「しかし,K自身についても一言。――彼がこの本を出版したということは,僕が解くことのできない矛盾であるし,一切をひっくり返す矛盾だ。この本で彼は,自分がどれほどの慎重さと入念さで,自分の真の動機を《彼女》に対して隠したか,ということを描いている。ところが隣の本屋で彼女は,彼の全倫理学の根底をなすものを購入して,この方法によって,《おそれとおののき》のもとで打ち立てられた彼の作品を(彼の助けを借りて)粉々に打ち砕くことができたのだ。

 不明(unklar),まったく不明だ。――それはまた,スレーゲル夫人が,例の小さな本から推測するに,Kの動機について,彼の死に至るまで実際に不明なままであった,ということともかみ合わない。」(BKB 243f.)

 

 ここでブロートは「《おそれとおののき》のもとで打ち立てられた彼の作品」と書いているが,彼はこの段階ではまだ『おそれとおののき』を読んでいない。書名を使っているだけなのである。

 ブロートはキルケゴールの著書を,何よりもまずキルケゴール自身の結婚問題との関連において解釈する。シュレンプフは『諸段階』の「あとがき」で,「キルケゴールはこれらの著書でレギーネに働きかけようと欲した」と述べている(SaL 467)。しかし,キルケゴールの著書は,レギーネとのコミュニケーション手段としては,きわめて大きな矛盾をはらんだものだった,と言わざるをえない。もしキルケゴールが,『諸段階』の「ある人」と同じように,「慎重さと入念さで,自分の真の動機を《彼女》に対して隠した」のであり,隠すことが宗教的に重要なことであったのであれば,そのことについてはいっさい口外してはならないはずである。ところが,隠したということを著書で公表すれば,彼女は「隣の本屋」で彼の本を買い,それを読んでそのことをすぐにわかってしまう。つまり,出版というキルケゴールの行為は「矛盾」であるし,「まったく不明」ということになる。

 しかも,ブロートが「例の小さな本」,すなわちカフカがブロートに送った『キルケゴールの<彼女>に対する関係』という小著を読んでみると,奇妙に思われることに,結婚したレギーネ・スレーゲルが,「キルケゴールの動機について,彼の死に至るまで実際に不明なままであった」ということが判明する。

マイアーの本には晩年のスレーゲル夫人の回想談も載せられているのだが,それによれば彼女は,婚約破棄を言い出したのは,キルケゴールではなく,自分のほうだと思い込んでいた。最後の出会いのとき,彼女はキルケゴールに向かって,「いいえ,私はもう耐えられません。私たちは別れなければなりません。あなたは自由です。もう私のところには来ないで下さい」と語った,と主張している(このエピソードは『諸段階』の「あとがき」にも引用されている SaL 466)。しかし,婚約破棄当時のキルケゴールの日記を見ると,破棄を言い出したのはキルケゴールであって,これは明らかにレギーネの記憶違いである。つまり,レギーネはキルケゴールの動機や真意を最初から最後まで全然理解していなかったわけである。キルケゴールの著書は,レギーネへの伝達の手段としては完全な失敗以外の何ものでもなかった,ということになる。ブロートはここにキルケゴールの大いなる矛盾を見る。

 

 

inserted by FC2 system