『人生行路の諸段階』をめぐって

 

 ブロートは33日の手紙でこう書いている。

 

「〔・・・・〕僕はかなり長いことキルケゴールのおいしいところをつまみ食いし,本格的に取り組むこともしないで,あちらを読み始めたり,こちらを読み始めたりしていたのだが,今ようやく彼の代表的な仕事にぶつかった。それは『人生行路の諸段階』の巻にあり,《責めありや? 責めなしや? ある苦悩の物語》という題だ。ここで彼はかなり粉飾なしに自分の婚約物語を語っているようだ。――しかし,僕が現在までのところで判断できるかぎりでは,彼は僕に何も与えてくれない。というのは,彼のケースは僕のそれとは根本的に異なっているからだ。君の運命との類似性は著しいかもしれないが,しかしそれもむしろ外面的な点においてだ。なぜなら,婚約破棄の基本的な動機は,彼においては,もし彼が正しく自己認識しているならば,何かしら否定的なもの(Negatives),つまり彼の憂愁であるからだ。それに対して,君は肯定的(positive)な可能性を引き合いに出している。それは結局のところキリスト教的―ユダヤ教的という対立を示しているのだろうか?――彼を僕から遠ざけるものは,彼が自分のことを非の打ちどころなく愛する者であると感じていながら,結婚に向いていないと感じているという奇妙さだ。僕においては事態はその反対だ。少なくとも,完全な愛情だけでは完全な結婚には不十分だという彼の懐疑には,まったく違和感を覚える。完全に愛する能力が前提されていれば(しかしこの前提が僕にはおそらく欠如しているのだが),僕は結婚生活への自信を持てるばかりではなく,それをまったくキルケゴールの官吏の意味において最高善として評価することもできると思うのだが。」(BKB 237f.)

 

 ブロートがキルケゴールを読み始めたのは,カフカが191711月以来,手紙で度々キルケゴールに言及したからであろう。つまり,ブロートのキルケゴール読書はカフカに刺激を受けて開始された。この手紙からもわかるように,ブロートがキルケゴールの著作で最初に本格的に取り組み,そして彼のキルケゴール理解を当初決定したのは,『人生行路の諸段階』(1845)であった。

 この著作は,第1部「酒中に真あり」,第2部「結婚についての様々な考え――ある妻帯者の反論」,第3部「責めありや? 責めなしや?――ある苦悩の物語」という3部構成になっている。第1部の題名はプラトンの『饗宴』に出てくる表現で,まさに『饗宴』をモデルにした,美的段階にある五人の人物による女性論,恋愛論である。第2部は,すでに『あれか・これか』で倫理的段階の代表者として登場した判事ヴィルヘルムによる,第1部の美的生活者たちの演説に対する反論である。しかし,『諸段階』の分量的に最も大部で,内容的にも最も重要な部分は,第3部の「責めありや? 責めなしや?」である。これは「ある人(Quidam)」による13日から77日までの日記と,この架空の日記を執筆したフラーテル・タキトゥルヌス(「沈黙の兄弟」の意)が読者に宛てた手紙から構成されている。日記の中には,さらに所々に短編小説が挟み込まれている。

 ブロートがこの当時キルケゴールを強い関心をもって読んだのは,彼の夫婦生活が危機に瀕していたからであった。前章でも見たように,彼は妻エルザと新しい愛人の間で動揺している状態であった。彼はキルケゴールを哲学的な関心だけで読み始めたのではなく,キルケゴールの著書にまずもって自分の問題を解決するための手がかりを求めたのであった。このことはカフカやバウムの場合も同様で,彼らは単に理論的な関心からではなく,人生上の問題との関連においてキルケゴールと取り組んだのであった。

 

『人生行路の諸段階』の構成

 

第1部 酒中に真あり

第2部 結婚についての様々な考え――

ある妻帯者の反論

第3部 責めありや? 責めなしや?――

ある苦悩の物語

      (挿入されている短編小説)

      ひそかな絶望(15)

      ある癩病人の自省(25)

      ソロモンの夢(35)

      一つの可能性(45)

      ペリアンダー(55)

      ネブカドネザル(65)

    読者への手紙――フラーテル・

タキトゥルヌスによる心理学的実験

 

 ブロートは自分のケースと,「責めありや? 責めなしや?」に描かれたキルケゴールのケースを比較する。キルケゴールの場合は,「自分のことを非の打ちどころのなく愛する者であると感じていながら,結婚に向いていないと感じている」のに対し,ブロートの場合は,妻を「完全に愛する能力」という「前提」が欠如しているがゆえに,夫婦生活が危機に瀕している。そこに両者の相違があるという。

 「責めありや? 責めなしや?」は,「ある人」が1年前の出来事を振り返って記入した日記という体裁で,「彼女」との出会いから別れにいたるまでの心の動きを細かく記述している。そこでは,「ある人」は,「彼女」を深く愛していることに何の疑問もなかったのであるが,持って生まれた「憂愁」のために彼女と結婚できなかった,と述べられている。

 もしブロートが「ある人」と同じように「完全に愛する能力」さえ持っていれば,彼は結婚を「キルケゴールの官吏の意味において最高善として評価する」こともできるのに,と考える。「官吏」とは,『諸段階』第2部で登場する判事ヴィルヘルムのことである。しかし,ブロートにはそのような「前提」が欠けているので,結婚生活を無条件で肯定することができない。彼の立場からすると,愛しているのに結婚できないというキルケゴールの苦悩は「奇妙」であるし,「違和感」を覚えざるをえない。そこでブロートは,「彼のケースは僕のそれとは根本的に異なっている」と判断するのである。

 

 

inserted by FC2 system