その後の研究

 

 〔・・・・〕さて,カフカ研究においては近年になって画期的な資料が次々と刊行され始めている。その第一は言うまでもなく,ブロート版全集に代わる新しい批判版全集の出版である。それと並んで,1983年のボルン/ミュラー編纂の『ミレナへの手紙・増補改訂版』(プライバシーのために伏せられていた部分が復活され,日付推定もかなり正しくなった)や,1989年の『ブロート/カフカ往復書簡集』の刊行も注目に値する。とくに後者は,カフカとブロートが手紙の中でキルケゴールをめぐって議論を交わしているので,「カフカとキルケゴール」という本書のテーマにとってはきわめて重要である。

 

 本書は,このような新しい資料を利用しつつ,カフカの手紙やノートにおけるキルケゴールに関する言及を,彼が読んだキルケゴールの著作にさかのぼって解読し,彼がキルケゴールをどのように読み,どのように批判したのかという点を具体的に解明していきたいと思う。これは,作家の比較研究においては,まず最初になされなければならないごく基礎的な作業のはずで,過去の並みいるカフカ研究者たちがこの作業をまったく怠ったとは思えない。カフカが読んだディーデリヒス社版のキルケゴール全集やその他の二次的文献は,日本でこそ読むことは困難であるが,ドイツの大学図書館では参照可能であり,彼らも当然,カフカのコメントとキルケゴールの本文とを比較対照したはずである。そのような作業を行なってはみたものの,カフカのコメントがあまりにも圧縮された意味不明なものであったがために,その真意をはかりかねた,というのが実情であっただろうと筆者は見ている。

 

 たしかにキルケゴールに関するカフカの評言はきわめて難解で謎めいている。しかし,それらをカフカの思惟全体の中に位置づけ,彼の人生問題と関連づけるならば,そこには,キルケゴールに対するカフカの驚くべき理解と解釈――むしろ「改釈」と言ったほうが正確かもしれない――が浮かび上がってくる。そして,それとまた同時に,カフカのキルケゴール解釈にはブロートが深くかかわっていたことも明らかになるのであるが,それは,カフカとキルケゴールの関係について誤った観念を広めたブロート自身が予想もしなかったあり方によってなのである。

 

 本書は,カフカのキルケゴール読書に関する実証的研究を基盤にした比較思想研究と位置づけることができるであろう。それでは以下において,カフカとキルケゴール,そしてカフカとブロートの間の興味きわまりない思想的対話と,その背後にある人間的な,あまりに人間的なドラマを見ていくことにしよう。

 

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